ミッチェルの単独リーダー盤
ブルー・ミッチェルというトランペッターは不思議な存在である。テクニックは中庸、音も柔らかではあるが、スッと通る端正な音では無い。いわゆる「ヘタウマ」に分類される危険性のある「ゆらぎ」が気になったり、ドッキリしたり(笑)。
そんな「危険な」トランペットの音ではあるが、ホレス・シルバーというピアニストに出会うと、マッチョな堂々としたトランペッターに大変身。ホレス・シルバー自作の楽曲にミッチェルのトランペットの音は実に雰囲気が良く、ホレス・シルバーのピアノにミッチェルのトランペットは実に相性が良い。
しかし、単独でリーダー作を作ると、ちょっとゆらいだ、危ない雰囲気のトラペットになる。でも、このちょっと危ないトランペットの音が、なかなか風情があって、聴き進めていくと、なんとなく聴き心地が良くなってくる。
中音域を中心としたアドリブ・フレーズが耳に優しく、テクニックが中庸が故に、耳をつんざくハイノートや目眩く超高速フレーズが無い分、曲の持つ旋律、アドリブの持つ旋律が聴き分け易い。本格的にスピーカーに相対して真剣に聴く、という様なトランペットでは無いのだが、寛ぎつつ心地良い響きを楽しむ向きには、結構、良さげなトランペットである。
そんなブルー・ミッチェルの単独リーダー作の雰囲気を感じる事が出来るアルバムの一枚がこれ。Blue Mitchell『Blue Soul』(写真左)。1959年9月の録音。ちなみにパーソネルは、Blue Mitchell (tp), Curtis Fuller (tb), Jimmy Heath (ts), Wynton Kelly (p), Sam Jones (b), Philly Joe Jones (ds)。フロント3管のセクステット構成。
リバーサイド・レーベルからのリリースなんだが、このとりとめの無いパーソネルの選定は、まるでプレスティッジ・レーベル。どう見たって、何を狙って集めたのかが判らない。その辺でブラブラしていたか、たまたまその日が空いていた、中堅どころのミュージシャンを集めて、エイヤッで録音した様な雰囲気をアリアリと感じる(笑)。
このアルバムを聴いていると、ブルー・ミッチェルって、意外と共演するメンバーに左右されない、我が道を行く、というか我が道を行くしか無い様な、結構頑固な個性が透けて見えてくる。頑固な個性というか、融通が利かないというか、如才なさが足らないというか、でもそれがブルー・ミッチェルのトランペットの良い面であることは事実である。
ルー・ミッチェルのトランペットは、そこはかとファンクネス漂う乾いたブルージーな音色が特徴。中音域を中心としたアドリブ・フレーズ、ミッド・テンポのインプロビゼーションと「中間」がキーワードのトランペッター。
この「中間」がキーワードのトランペッター、ジャズメンって、他にいるようで実はなかなか見当たらない。そういう点が、単独でリーダー作を作る時のブルー・ミッチェルの存在意義といえる。この『Blue Soul』というアルバムは、そんな「中間」なトランペッター、ブルー・ミッチェルを心ゆくまで味わうことができる。
アルバム・ジャケットも中庸。洗練し損ねた様な、何と無く惜しい感じのジャケット。でも、これがなかなか味わい深く、ボンヤリ眺めているだけで、なんとなく「ジャズ」を、なんとなく「ハードバップ」を感じるから不思議だ。ジャズの成せる「マジック」である。
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