フュージョン・ブームの終焉
1980年代に入って、フュージョン・ブームの果てに、いよいよ、フュージョン・ジャズでも無い、AORとも言い切れず、ブラコンとも言い切れない、所属不明な耳当たりが良いだけの不思議な雰囲気のアルバムが、フュージョン・ジャズと称して多く出回る様になる。
クロスオーバー〜フュージョン・ジャズの雄、西海岸ギタリストのリー・リトナーだって、例に漏れず、これってAORなブラコンやん、て感じてしまうアルバムをリリースしていた。2014年8月7日のブログ(左をクリック)でご紹介した、Lee Ritenour『Rit』がそんなアルバムだった。1981年のことである。
続く1982年、Lee Ritenour『Rit2』(写真左)がリリースされる。「2」が着いているので、前年の『Rit』の続編である。エリック・タッグのヴォーカルを、前作にも増して、更に前面に押し出し、もはやこのアルバムは、エリック・タッグのヴォーカル盤であり、リトナーのギターはそのサポートに徹している雰囲気。
さり気なく7曲目の「Voices」で、今は亡きTOTOのドラムスだったジェフ・ポーカロが参加していたりで、前年の『Rit』では、フュージョン・ジャズっぽい部分も残ってはいたのだが、このアルバムは完璧に「AORなブラコン」化している。全編に渡って聴き通して、改めて思う「これって、もはやジャズでは無い」(笑)。
しかし、演奏全体のレベルは非常に高い。パーソネルを見渡せば、フュージョン・ジャズの強者ミュージシャン達が集結し、テクニックと経験にまかせて、非常に質の高い演奏を繰り広げている。エリック・タッグのヴォーカルが前面に押し出ているので、なかなか耳に届かないが、バックの演奏はかなりエグい。
1982年当時、この『Rit2』というアルバムを聴いて、僕はフュージョン・ジャズを一旦諦めた。当時のフュージョン・ジャズは例に漏れず、ボーカル入りのアルバムを量産し、ジャズっぽさをどんどんそぎ落とし、逆に「AORなブラコン」化を加速させていた。セールス的にはその展開の方が絶対に良いんだが、ジャズからすると形骸化が進むというゆゆしき事態に陥りかけていた。
これはもはやフュージョン・ジャズでは無い。1980年代前半、こういう「AORなブラコン」化したフュージョン・ジャズ盤が量産された。今の耳で聴いても、ジャズとして聴けるものは少ない。逆に、米国ポップスの一形態として、この「AORなブラコン」化した盤は十分に評価できる。
まあ、一般のジャズ者の方々は、こういう「AORなブラコン」化したフュージョン・ジャズ盤を聴く必要は無いと思います。逆に、こういう「AORなブラコン」化した盤を聴くと、思いっきりがっかりしてしまうような気がします。1980年代には、フュージョン・ジャズの有名どころが、こぞってこの「AORなブラコン」化した盤を、結構リリースしているので注意が必要です(笑)。
震災から4年4ヶ月。決して忘れない。まだ4年4ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
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私の記憶する限りでは、「クロスオーバー」と「フュージョン」の違いを唯一解説していたのがスイングジャーナル誌でした。
それによりますと
クロスオーバー=さまざまなジャンルの融合
フュージョン=ジャズ+他のジャンルの融合
というものでした。
ついでですが、上原ひろみ関連で思い出しましたが、
70年代初期に一大ブームとなったキースジャレットの「ケルンコンサート」や「さまざまなソロピアノブームの分析でも、当時のSJ誌では「果たしてこれはジャズなのか?」という論争に、評論家の油井正一氏が「キースのソロの根底には明らかにブルースの賦質が流れており、これはまごうことなきジャズである」と結論つけていましたね。
一方当時のクラシック専門誌のレコード芸術誌ではキースのソロを絶賛し「クラシックの原点であるアドリブ行為を彷彿とさせる」とありました。
しかしコアなクラシックファンからは「ラベルの亜流だ」などと、同じくカテゴライズ不能な新しいスタイルへの抵抗姿勢も多かったと記憶しています。
そして後年、キースやチックコリアが取り上げる「純クラシック作品」に対してはレコ芸ではほとんど相手にされていませんでしたが笑、私はこれらは「現代人が思う自由なクラシック」と感じ、特にヘンデルなどの作品は、私にとっては、はじめての「ヘンデルの愛聴盤」となりました。
でもやはり、1950年代にグレングールドが恐るべき大胆さでバッハのゴルトベルグを残したことを思えば、ジャズのキースやチックが「いかにも平凡」な解釈で録音し続けることへの不満を感じることもあったりしますね。^^
投稿: おっちゃん | 2015年7月15日 (水曜日) 10時01分