突然、真夏にフリー・ジャズ
暑いですね〜。猛暑全開の我が千葉県北西部地方。昼間は熱風吹き荒れ、夕方から夜は高い湿度で思いっきり蒸し暑い。今年の夏の暑さはかなり厳しいですね。皆さん、熱中症や体調崩れに注意して下さい。
こんなに蒸し暑い毎日なんだが、純ジャズを聴き続けていると、突然、無性にフリー・ジャズが聴きたくなる。聴けば暑さが増すようで「真夏にフリー・ジャズですか」なんて声がかかりそうなんだが、これが意外といける。聴いた後の爽快感がなんとも言えず、格好の暑気払いになる。
で、今朝、いきなり聴きたくなったフリー・ジャズ。今朝は、本当に久し振りに、Archie Shepp『The Magic of Ju-Ju』(写真)を選択。赤みがかった骸骨のジャケットが何とも言えず不気味なんですが、意外と内容的には充実した、アーチー・シェップの好盤です。1967年4月の録音。
フリー・ジャズって、本能の赴くままに好き勝手に吹きまくるように捉えられることが多いが、1960年代後半のフリー・ジャズは、今の耳で聴くと、意外とフリーでは無い。リズム&ビートはきっちり刻み、そこに乗っかるテナー・サックスは意外とノーマル。複雑なメインストリーム・ジャズという面持ち。
特にこのアルバムを聴くと、その感が強くなる。しかも、このアルバムに詰まっている音世界は、フリー・ジャズというよりは、アフリカン・アメリカンの血が奏でる、アフリカン・ネイティブな、いわゆる土着の音楽、アフリカの民俗音学的なリズム&ビートの効いた即興演奏という趣が強い。
フリー・ジャズを差別に虐げられた黒人の抗議の叫び、差別される者の主張の代弁などとするのは、当時の俗っぽいインテリの無責任な印象、と僕は思っている。
フリー・ジャズの「フリー」=精神的な自由=差別からの脱却、と勝手に解釈して、安易に黒人の社会的主張と位置づけた感じ。一部、そういう面はあるにはあるんだが、全面的にそうと言い切っては誤解が生じる。迷惑な話である。
この『The Magic of Ju-Ju』を聴けば、さらにその印象が強くなる。リズム&ビートは明らかにアフリカ。民俗音楽は即興が基本。そこにジャズの原点を見出したのであろう、僕にとってのこのアルバムの雰囲気は「原点への回帰」と印象が強い。ジャズの基本の即興の源。
本当に久し振りに聴いたのですが、意外と聴き易い内容で、改めてビックリしました。これってもはや、フリー・ジャズでは無いでしょう。ちょっと難解で複雑なメインストリーム・ジャズとして聴いた方が、その内容からして「しっくり」きます。
とにかく、主役のアーチー・シェップのテナーの音色、ブロウが出色の出来。アーチー・シェップを知る上で、外すことの出来ない好盤の一枚です。良いアルバムです。
震災から4年4ヶ月。決して忘れない。まだ4年4ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
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