ショーターの個性「ほぼ完成形」
4日ほど、酷い夏風邪をひいて伏せっていた。さすがにこの歳になって熱が出たら、それを押して本業に勤しむなんてことは出来ない。それだけ歳をとったということ。しかも、歳をとったついでに風邪の治りが悪い。とか言ってる間に咳が止まらなくなった。まあ、いつものことである。
で、やっと昨朝から熱がひいて音楽を聴く気になった。体調の悪い時は音楽を聴く気が全く起きない。音楽を聴く気になるかどうかが回復のバロメーターになる。逆に音楽を聴く気にならなかったら、相当、重篤な状態ということになる。判り易いと言えば判り易い(笑)。
さて、ウェイン・ショーター(Wayne Shorter)である。この摩訶不思議なテナー奏者のどこが良いのか、若い頃はさっぱり判らなかった。40歳を過ぎた頃からか、ブルーノートのショーターの諸作を聴く様になって、なんとなくこの摩訶不思議なテナー奏者の個性が理解出来る様になった。
僕はこのアルバムを聴いて、ショーターの個性の基本というものが良く判った、と感じている。そのアルバムとは、Wayne Shorter『Juju』(写真左)。1964年8月の録音。ブルーノートの4182番。ちなみにパーソネルは、Wayne Shorter (ts), McCoy Tyner (p), Reggie Workman (b), Elvin Jones (ds)。
このアルバムに詰まっている音は「コルトレーン」。モーダルなコルトレーン、ハードバップなコルトレーン、フリーなコルトレーン、自由度の高いジャズをやっているコルトレーンのエッセンスを上手く抽出して、洗練してスッキリとした、モダンなコルトレーン・フレーズがそこかしこに散りばめられている。
なるほど、ショーターのアイドルって、やっぱりコルトレーンなんやなあ。この『Juju』を聴くと、ショーターは本当にコルトレーンを良く知っているなあ、と感心する。タイム感覚とフレーズの展開を最新のトレンドに合わせてリコンパイルしているので、コルトレーンライクなフレーズや展開は洗練されて、ショーターの個性の一部となって鳴り響く。
ピアノのマッコイ、ドラムのエルビンについては、コルトレーンの伝説のカルテットから借りてきたようなもの。しかし、聴いていて面白いのは、マッコイにしろ、エルビンにしろ、コルトレーンがフロントにいる時の様には弾かないし、叩かない。
フロントのショーターの個性である「洗練してスッキリとした、モダンなコルトレーン・フレーズ」に合わせて、その独特のタイム感覚とフレーズの展開を捉えて、マッコイはピアノを弾き、エルビンはドラムを叩く。
さすがである。ベースのレジー・ウォークマンを加えて、ピアノのマッコイ、ドラムのエルビン、このリズム・セクションがバックで、ショーターの個性に合わせてドンドコやるだけで、コルトレーンとは全く異なったショーターならでは「コルトレーン・ミュージックの世界」を感じることが出来る。
モーダルなウェイン・ショーターの個性の「ほぼ完成形」だろう。実はあまりにコルトレーン・フレーズを踏襲する余り、このアルバムのショーターを「これぞショーターの個性」と胸を張ってご紹介しかねることは事実。「ほぼ完成形」というのはそういうところを慮ってのこと。
実は次作が「これぞショーターの個性」と胸を張ってご紹介できるアルバムなんだが、その次作については、また後日。
震災から4年3ヶ月。決して忘れない。まだ4年3ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
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