マイケル・ジャクソンの思い出
先日、帰阪した折に、久し振りに大学に行って来た。基本的にこの美しい大学については、何時の時代もその風景は変わらない。昔のままのその美しい風景を堪能しつつ、学生時代に通った喫茶店のひとつに入った。
この喫茶店は、当時よく通った喫茶店は3つあったのだが、唯一、今まで残った店。日常、仲の良い史学研究室メンバー中心に集まる「行きつけの喫茶店」や、ジャズ関係で散々お世話になった「秘密の喫茶店」は阪神淡路大震災を境に閉店、今では跡形も無い。
今では大学前に、この「普通の喫茶店」のみが残るだけとなった。1ヶ月に2〜3回使った程度の店で、使用用途は、女友達との語らい、普通の友人が混じった軽い語らいで、僕達は「普通の喫茶店」と呼んでいた。
それでも、この「普通の喫茶店」は大学当時の雰囲気、面影を程良く残しており、入って2階に上がると、35年前の大学時代にタイムスリップをした様な錯覚に陥る。35年前というと1980年の頃となる。
この「普通の喫茶店」は、ええとこの坊ちゃん、お嬢ちゃんが「行きつけの店」として使用する傾向の強い喫茶店で、値段設定もやや高め、流れる音楽は当時の流行をしっかり押さえた、ポップ色豊かなものが多かったと記憶している。特に米国系ポップスの流行を押さえた趣味の良い選曲が光っていた。
1980年の頃のこの「普通の喫茶店」の音楽の思い出と言えば、マイケル・ジャクソンである。とある女子学生とこの「普通の喫茶店」に入った折、当時先端を行く、趣味の良い、フュージョンっぽいファンキーな演奏をバックに、むっちゃ格好良く歌う黒人男性のボーカルが耳に飛び込んで来た。
音の傾向から、モータウン系R&Bをベースにした米国ポップスと踏んだが、誰のアルバムなのかが判らない。同伴のとある女子学生が一言「これって、マイケルやで」。ん〜、マイケルって、ジャクソン5のマイケル君か〜。なんと立派になってと、おちゃらけつつ耳を傾けたら、これが素晴らしい。
そのアルバムとは、Michael Jackson『Off The Wall』(写真)。1979年のリリースで、1980年当時、日本でもヒットしていた。若かりし頃のマイケルの姿がバーンとメインに据えられたジャケットが、今となっては印象的だ。
このアルバムは、クインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えて制作された。なるほど、バックの「当時先端を行く、趣味の良い、フュージョンっぽいファンキーな演奏」について合点がいく。ジャズ者の耳にも十分に訴求してくる、バックの音の趣味の良さ。惚れ惚れする。
当時、クインシーは乗りに乗っていた。そして、このクインシーのプロデューサーに乗って、マイケルの自作曲やアイデアも導入されており、この盤は真の意味で、マイケルのソロ活動が始まった盤と巷では評価されている。確かに、それまでのマイケルのソロ盤の内容とは一線を画している。
収録されたどの曲も洗練されており、大変出来が良い。今の耳にも十分に訴求するところが凄い。アルバムを一気に聴き切ってしまうほどの充実度。同一アルバムから4作連続で全米チャートトップ10に入るという、当時ソロアーティストとしては誰もなしえなかった快挙を成し遂げたという伝説を、思わず追体験することになる。
モータウン系R&Bがポップスに昇華して、米国音楽の一部となった瞬間を捉えた記念碑的アルバムとも言える。ここまで洗練され、ここまでポップになった楽曲は、モータウンとかR&Bとかのジャンルで括られるべきものでは無いだろう。マイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズの才能が融合して、とてつもない「化学反応」を起こした結果の「傑作」である。
さすがに今回の「普通の喫茶店」の訪問では、このMichael Jackson『Off The Wall』は流れてはいなかったが、このアルバムの音を突如思い出した。そして、帰京して、思わず『Off The Wall』を久し振りに聴いた。さすが「傑作」である。その音世界は全く色褪せてはいなかった。
震災から4年3ヶ月。決して忘れない。まだ4年3ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
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