1979年、東京のペッパーです
アルト・サックス奏者の中では、長年、アート・ペッパーが僕のアイドルである。アート・ペッパーは、1960年代後半を薬物中毒者のためのリハビリテーション施設シナノンで過ごした。そして、1974年に音楽活動に復帰、1977年に初来日した。その報を聴いて、東京って良いなあ、って初めて思った。一度、生のペッパーを聴いてみたいなあ、と心から思った。
そして、1979年、ペッパー3回目の来日。当時、僕は大学2回生。聴きたかったなあ。しかし、その時のライブ音源が残っている。Art Peppe Live in Tokyo 1979 の2枚、『Besame Mucho』(写真左)と『Landscape』(写真右)。
ペッパー3回目の来日となった1979年の公演のうち東京・芝の郵便貯金ホールでのライブ盤。7月16日と23日の2回の演奏から5曲、いずれもペッパーの十八番と言える曲ばかりを収録した『Besame Mucho』、同じマスターテープから別の6曲を詰め込んだ『Landscape』。
出来がどうのこうの、と言うレベルのライブ盤ではない。とにかく、アート・ペッパー独特のアルトの音色が満載で、アート・ペッパーのアルトの個性を心ゆくまで、聴き込むことが出来る優れものなライブ盤なのだ。すぅ〜っとストレートでブラスの響きが煌めくアルトの聴感が見事である。
そもそも来日してのライブである。そんな生涯を代表する突出したライブ演奏が、そうそう塩梅良く出てくる筈が無い。ライブ盤を聴いて「出来がどうのこうの」と語るジャズ者評論家の方々の感覚が良く判らない。まずはそのジャズメンの個性を楽しめるかどうか、ではないのかしら。個性を楽しめたら、それで良いのでは、と思っている。
このライブ盤でのペッパーは、真摯にアルトを吹き上げているのが凄く良く判る。1977年の初来日の折、熱狂的な歓迎を受けたペッパーは、その瞬間から圧倒的な親日家となる。
それ以来、ペッパーは来日の都度、とても真摯にとても誠実にライブ演奏を聴かせてくれた。そのひとつが、Art Peppe Live in Tokyo 1979 の2枚『Besame Mucho』と『Landscape』である。
バックのリズム・セクションも良い。端正なビリー・ヒギンズのドラミング、晩年のペッパーの相棒的存在だったジョージ・ケイブルスの雄弁なピアノ、トニー・デュマスの太くて安定感のあるベース。このリズム・セクションをバックにしたら、確かに吹き易かったでしょうね〜。
1979年のペッパーは捻らず、アブストラクトにならず、ストレートにシンプルにアルトを吹き上げる。恐らく、日本人のアート・ペッパーに対する評価に配慮したかのようなブロウに、思いっきり好感を覚える。さすがプロ、楽しく聴いてくれてなんぼ、というプロ魂を感じる。
良いライブ盤です。アート・ペッパー者にとっては必須のアイテム、通常のジャズ者の方々もこのライブ盤は録音も良く、お勧めです。捻らず、アブストラクトに偏らない、素直なペッパーのアルトは爽快感抜群です。
震災から4年2ヶ月。決して忘れない。まだ4年2ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
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(^^♪私もこのコンサート行きました!^^マスターと同じ時間を共有したのですね。(^^♪v
たしかペッパーの初来日はカルジェイダーバンドの一員としてでしたよね?
カルのフアンでもある私は期待感1000%で?出かけた記憶があります。
んがっ!^_^;リーダーのカルに比べて圧倒的にペッパーへの大拍手がおおかったのでリーダーのカルには少しカワイソな気がしました。
アメリカでは圧倒的に(一般人気・知名度の意味で)カルジェイダーのほうが人気ですが、日本では真逆でかわいそうだなあ・・とも思いましたです。
それといつも思うのですが、ジャズは「恥ずかしがり屋さんほど、実は大胆」?^_^;なのではないかなあ?なんて思っています。ロリンズしかり、ペッパーしかりです。笑
ロリンズの「ユードントノウワットラブイズ」なんて、「劇情型バラード演奏」??の極地だなあ、なんてね。(^^ゞ
投稿: おっちゃん | 2015年6月 7日 (日曜日) 05時38分