ロバート・プラントのソロ盤
1970年代、ロック・キッズ時代の僕のお気に入りバンドの一つが「Led Zeppelin」(以下、Zepと略す)。このバンドの突出した個性は大のお気に入りで、ハードロックやヘビーメタルというジャンルに括られていたが、どうして、Zepの音楽性は、ハードロックでも無ければ、ヘビーメタルでも無い。彼らの個性は敢えて呼ぶなら「Zep」である。
それほど「Led Zeppelin」の個性は突出したもので、後のバンドにフォローを許さなかった。それもそのはずで、まず、急逝したジョン・ボーナムのドラミングが唯一無二で、他の追従を許さないものだったし、ジミー・ペイジのギター・リフについても唯一無二で、フォロー出来そうで出来ない、とても個性的なものだった。
ロバート・プラントのボーカルの個性もかなり突出していて、Zepの為に生まれ出でたボーカルといっても過言では無い。そして、余り話題にならないのが遺憾なのだが、ジョン・ポール・ジョーンズ(ジョンジー)のベースラインも、他のロックバンドでは聴かれないかなり個性的なものだ。
実は、最近、相当久し振りに、Robert Plantの『Pictures at Eleven』(写真左)を聴いた。1982年6月にリリースされた、Zepのボーカリスト、ロバート・プラントのZep解散後の初のソロアルバムである。
ギターもベースもドラムもZepとは全く関係の無いメンバーで構成されている。よって、バックの音は、Zepの雰囲気を引き摺っているとは言え、全く「似て非なるもの」である。でも、かなりZepの個性を意識しているのは、このアルバムを聴いていて良く判る。
ロバート・プラントのボーカルはZepの時代と全く変わらない。とにかく素晴らしい才能を持った唯一無二なロック・ボーカリストの一人だったことを再認識できる。そして、Zepのワールド・ミュージック的なアプローチ、エスニックな響きやアイリッシュな響きやケルト的な響きなどは、ロバート・プラントの趣向だったことが良く判る。
しかし、なあ。実に中途半端な感じは否めない。もっと自らの趣向を推し進めれば良いのだが、どうしてもZepの音をイメージしてしまう。そんな中途半端な、迷いのような思いがこのアルバムに蔓延している。
それもまあ仕方の無いことか、とも思う。Zepでやっていたことが一番やりたかったことであり、一番やりたかったことを実現してくれるバンドがZepであり、Zepのメンバーだったのだから仕方が無いか。そんなZepから一旦離れなければならない、ってことが、この時期のプラントにとっては、実に難しいことだったのだろう。
でも、プラントのボーカルは、どこから聴いてもプラント独特のボーカルであり、そのボーカルは、1970年代、我々がZepで聴き馴れたプラントのボーカルそのものである。
仕方ないよな、それだけZepは偉大なバンドであったということだし、ペイジ・プラント・ジョンジー・ボンゾの4人の個性でないと成立しないバンドだった、ということである。でも、今の耳で聴くと、そんなに悪い内容のアルバムでは無いと思う。
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