ドルフィー=リトルが素晴らしい
ジャズはやはりライブが一番楽しいだろう。生演奏のハイレベルなジャズは、何時聴いても良いし、ズッと聴いていても飽きない。ただ、日本ではなかなか適当な場所にあるライブ・スポットが少ないので、ジャズの生演奏に触れる機会はそう多くは無い。
ライブスポットの生演奏が叶わないのであれば、次はライブ音源をアルバムにしたライブ盤だろう。ジャズのライブ盤は楽しいものが多い。何故かジャズのライブ盤については、録音の優秀なものが多い。恐らく、録音技術者たちにとって、ジャズの録音にはファイトが湧くんだろう。それだけジャズのライブ録音は技術と経験が必要なのだ。
そんなジャズのライブ盤の中で、特に好きなライブ盤が、 Eric Dolphy『At The Five Spot Vol.1』(写真左)。1961年7月11日、ニューヨークの有名ライブスポット「ファイブ・スポット」でのライブ録音。ちなみにパーソネルは、Eric Dolphy (as, b-cl, fl), Booker Little (tp), Mal Waldron (p), Richard Davis (b), Ed Blackwell (ds)。
このライブ盤には、限りなくフリーに近い、自由度の高いジャズの成功例が詰まっている。マイルスは、モードという調性を前提に、限りなくフリーに近い、自由度の高いジャズを創り上げた。伝統のジャズを踏襲しつつ、アートとして時代の音楽の最先端にまで昇華したジャズ。
この『At The Five Spot Vol.1』でのドルフィー達は、この調性を超えて、ある一定の決め事の下で、自由に吹きまくり、限りなくフリーに近い、自由度の高いジャズを展開しつつ、伝統のジャズの枠組みを維持するという、相当に高テクニックでクールなジャズを現出している。
今の耳で聴くと、マイルスのモードを活用した、限りなくフリーに近い、自由度の高いジャズと、オーネット・コールマンの一定の決め事の中で、自由に吹きまくるフリージャズを足して2で割った様な、限りなくフリーに近い、自由度の高いジャズ。自由度は高く、フレーズは異次元の運指だが、伝統のジャズの枠組みからは外れないという、実にクールなジャズ演奏である。
とにかく、ドルフィーが凄い。異質と言っても良い。どうやって思いつくのか判らない、思いっきり捻れた、グネグネなアドリブ・フレーズ。これをアルトで吹きまくるのだから爽快。バスクラのおどろおどろしい雰囲気の低音の響きと自由度の高い節回しも、すっごく印象的。この伝統のジャズの枠組みを保持しつつのフリーなブロウはドルフィーにしか吹けない。
そして、この宇宙人的なフレーズを連発するドルフィーに相対するブッカー・リトルのトランペットも秀逸。ドルフィーの思いっきり捻れた、グネグネなアドリブ・フレーズに対抗するように吹きまくる、意外と端正なリトルのトランペット。この適度に崩れつながらの端正さがドルフィーとの相性抜群。早逝が惜しまれる。
バックのリズム・セクション、マルのピアノ、デイヴィスのベース、エドのドラムも凄い。ドルフィーとリトルに煽られて(逆じゃ無いのか)、どんどん捻れて、限りなくフリーに近い、自由度の高いリズム・セクションに変貌していく。面白いのは、パルシブなピアノのマルが、捻れながらメロディアスに、限りなくフリーに近い、自由の高いフレーズを連発してところ。
この『At The Five Spot Vol.1』の持つライブ感・臨場感は素晴らしいものがある。ジャズ者には必須のアイテム。但し、このアルバム、内容的には、限りなくフリーに近い、自由度の高いジャズがてんこ盛りなので、決して初心者向きでは無い。初心者に勧めて良いとは思えないのに、初心者向けジャズ盤紹介本でよく取り上げられるのが不思議である。
震災から4年1ヶ月。決して忘れない。まだ4年1ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
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「世の中で一番ジャズが聴けるアルバイトは何だろう?」と考えて、学生時代はジャズ喫茶のお皿まわし?と家庭教師のアルバイトに明け暮れていました。
そしてバイト代のほとんどはレコードとスイングジャーナルのバックナンバー漁りに費やしました。
現在までにSJ誌は創刊号~廃刊号・臨時増刊・ムック・単行本のすべてを
完璧に読破したことだけが唯一の自慢でもあります。(*^_^*)
バックナンバーを古本屋で買っては売りを繰り返しましたが、レコードだけは売れませんでした。
社会人になってからはライブに通いつめました。しかし、数年経過した頃にはまたも「レコード派」にもどりました。最大の理由は仕事で疲れた後の
コンサートが苦痛に感じはじめたのと、ソロパートが終わるたびの「義理拍手」が苦痛に思えたからでした。(~o~)
また、ライブ会場の席次第ではあまりにひどいPAに「ゼニ返せ;;」となったことと、小さなライブでの身内による「ひいきの引き倒し」のごとき「いけけ合いの手」?に辟易したからでもあります。
以来家でのレコード鑑賞が自分には一番気兼ねなく楽しめると思うようになっています。笑
投稿: おっちゃん | 2015年4月22日 (水曜日) 06時43分
こんにちは、松和のマスターです。
ライブのお話、良く判ります。ソロパートが終わるたびの「義理拍手」、身内による「ひいきの引き倒し」。確かにそんな側面があって、本当のライブ感というものを強く感じることが少なくなった。確かにそう思います。
でも、演奏の内容が素晴らしければ、意外と「義理拍手」や「ひいきの引き倒し」は気にならなくなるんですが。ということは、素晴らしい内容のライブ演奏が少なくなってきた、ということなんでしょうか。これは演奏する側の大きな課題ですね。
投稿: 松和のマスター | 2015年4月22日 (水曜日) 20時52分