音を楽しめるフリーなジャズ演奏
久し振りに改めてこのライブ盤を聴いてみた。このライブ盤を聴く度に「フリー・ジャズとは一体なんなんだ」と強く思う。ジャズのフリー・インプロビゼーションとは一体なんなのだ。そして、ジャズ・ミュージシャンの技量とは如何なるものなのか。そんな考えに思いを馳せたりする。
そのアルバムとは、Sonny Rollins『The Solo Album』(写真左)。1985年7月15日、ニューヨーク近代美術館におけるソロ・パフォーマンスを収録したライブ盤。完全なソロ、たった一人で、サックス一本で、約28分の長時間インプロビゼーションを2本立て続けに演奏し続けるのだ。
ロリンズのソロは凄い。メロディーもあるし、歌心もある。つまり、テナー一本のソロでありながら、そのソロ・パフォーマンスは旋律があり、音を楽しむことが出来る。つまり、ロリンズのソロ・パフォーマンスは「音楽」である。ところどころで「どこかで聴いたことがあるフレーズ」を交えて、聴衆をちょっとニンマリとさせながら、ロリンズは悠然とフリー・インプロビゼーションを吹き進めていく。
このロリンズの『The Solo Album』では、全くのフリーな吹奏である。つまりは「フリー・ジャズ」。しかし、それまでのフリー・ジャズの語法とは全く異なる。馬の嘶きの様な、人の叫びの様な激情のブロウは全くほとんど聴くことは無い。テクニックを誇示するような高速フレーズを吹きまくることも無い。モードに走ることも無ければ、不協和音に頼ることも無い。
ロリンズは悠然と、メロディーのある、歌心もある、旋律があり、音を楽しむことができるフレーズを吹き上げていく。しかも、1曲約28分という超ロングプレイ。この1曲約28分の間、聴き手を全く飽きさせること無く吹き終えるなんて、なんて素晴らしいインプロバイザーなんだろうか。汲めども尽きぬ魅力的なフレーズの連続。そこかしこに「ロリンズ節」を織り交ぜて、堂々のブロウ。
恐らく、メロディーのある、歌心もある、旋律があり、音を楽しむことができるフレーズをゆったりとした展開で吹き進めるからこそ、1曲約28分のソロ・パフォーマンスを2本も続けて吹くことが出来るのだろう。汲めども尽きぬ魅力的なフレーズの連続だからこそ、聴き手も飽きずに、ロリンズを鼓舞し続けることが出来るのだ。吹き手と聴き手の共同作業であり相乗効果である。
これまでのフリー・ジャズの定番的な語法である「馬の嘶きの様な、人の叫びの様な激情のブロウ」では、「テクニックを誇示するような高速フレーズ」では、1曲約28分のソロ・パフォーマンスを吹ききることは出来ないだろう。ましてや、2本続けて吹くなど、絶対に無理だ。
このライブ盤を聴く度に「これまでのフリー・ジャズとはなんだったのか」という思いを強くする。このロリンズのソロ・パフォーマンスは、フリーなジャズに対する、難解なジャズに対する「アンチテーゼ」の様に響く。音を楽しめる「フリー・インプロビゼーション」。ロリンズのジャズ・ミュージシャンとしての技量の広さと大きさを実感する。
★震災から3年10ヶ月。決して忘れない。まだ3年10ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」。「@v_matsuwa」で検索して下さい。
« フェンダー・ローズを愛でる・11 | トップページ | こんなアルバムあったんや・40 »
コメント