こんなアルバムあったんや・40
人間、時に飽きが来るということは「ままあること」で、硬派なジャズばっかり聴いていると、ジャズが全く聴きたく無くなる時がある。こういう時は無理をせず、他のジャンルの音楽に耳を傾けてみたりする。
僕の場合、その一つが70年代ロックであり、Jポップであったり、フュージョンであったりする。特に、この「フュージョン」というジャンルは奥が深く、最近は「このジャンルは何でもありとちゃうか?」と密かに思っている。その「何でもあり」のフュージョンの最たるモノに最近出会った。
ふとした弾みで入手したアルバム、村上 "ポンタ" 秀一『Welcome to my Life』(写真左)。1998年のリリース。このアルバムを聴いて、思わず、これぞ「何でもあり」のフュージョンやなあと感心した。
それもそのはず、日本のミュージック・シーンの様々なジャンルから、きら星の如く様々なゲスト・ミュージシャンが多々参加した、ポンタさんのデビュー25周年記念のアルバムなのだ。そのゴッタ煮なアルバムの、その1曲1曲、丁寧に聴き耳を立ててみると、このアルバムの「究極のフュージョン性」が浮かびかがってくる。
とにかく、理屈抜きに楽しいアルバムで、多くの友情出演に支えられながら、その演奏のクオリティはとても高く、一曲として手を抜いていない。どころか、結構、異種格闘技的な雰囲気が色濃く、それぞれの曲の中で、良い意味での「化学反応」が起きている。それが、聴いていてとても面白い。
ジャズのジャンルで言えば、良質なフュージョンアルバムといえるし、Jポップのジャンルから言えば、オールスター競演の素晴らしい企画モノと言える。ロックのジャンルからみても興味深い演奏が数々あるし、まあ、こういう観点から言えば、本当の意味での 「フュージョン&クロスオーバー」なアルバムと言えるんやないかなあ。
時には、硬派なジャズから大きく逸脱して、「フュージョン&クロスオーバー」な演奏を直感的に楽しむ、このポンタさんのアルバムの様な「何でもあり」のフュージョンに耳を傾ける余裕が欲しいなあと思います。ほんまに、時にはこんな「何でもあり」のフュージョンも「ええでっせ」。
震災から3年10ヶ月。決して忘れない。まだ3年10ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
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コメント
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マスターこんにちわ。^^
このブログは実に気持ちよく、かつおおいに共感を感じるのでフアンであります。^^v
さて、私がはじめてポンタさんを意識したのはスリーデグリーズが日本で日本語録音した「苦い涙」でした。(日本人でこれだけのセンスでたたけるのは一体だれだろう?)と、その日本人離れしたセンスが気になっていました。
いろいろ調べるてみるとそれがポンタさんでした。
私もマスター同様にさまざまなジャンルを楽しんでいますが、フュージョンも好きですが、日本のスクエアやカシオペアはどうにもついていけずに今日に至っています。(笑)
「日本人にしてはバカテク」・・ソー・ホワット?という大偏見であります。(~o~)
昔はフュージョン苦手という頑固な友人と
「ワンホーンジャズにおけるサキコロとGワシントンのワインライトの比較論争」?なんてあほ談義で酒場でオダをあげたりしました。(笑)
投稿: おっちゃん | 2015年3月 5日 (木曜日) 10時22分