ビッグバンド・ジャズは楽し・36
以前より、日本のビッグバンドは基本的にレベルが高い。1950年代以来、米国、欧州から見れば「極東」の田舎の国と思われていた日本。そんな日本にジャズなんて出来るはずが無い。1960年代以降、そういう先入観を持って、日本のジャズは評価されてきた。
ジャズなんて出来るはずが無い、というレベルである。ましてやビッグバンド・ジャズなんて、絶対に不可能と思われていた。しかし、1960年代、米国のジャズ・ミュージシャンが来日し、日本のミュージシャンと交流を持つにつけ、その先入観は、先ずはミュージシャンのレベルで払拭されていった。しかし、通常の聴衆レベルはそうではない。
しかし、1960年代後半から、米国や欧州のジャズ・フェスティバルに、日本のミュージシャンが出演するようになる。日本人にジャズなんて出来るはずが無い、という先入観は払拭されていく。そして、日本のビッグバンドも徐々にその評価を高めていく。
そんな日本のビッグバンド・ジャズが、米国のジャズ・フェスティバルで大活躍した記録がある。宮間利之&ニューハード『モンタレーのニューハード』(写真左)。1974年9月、アメリカで行われたモンタレー・ジャズ・フェスティバルの模様を収録したライヴ録音盤。このアルバムは、第17回モンタレー・ジャズ・フェスティバルに出演して圧倒的成功を収めた「宮間利之とニュー・ハード」の2夜にわたる全ステージを収録したメモリアルな2枚である。
日本のビッグバンドが、米国のジャズ・フェスティバルに出演した最初の記録である。過去、モンタレー・ジャズ・フェスティバルには松本英彦や在米中の秋吉敏子が招かれて出演したことはあるが、ビッグバンドが参加するのは初めてだった。
1974年とはいえ、まだまだ日本に対する理解は薄い。この宮間利之&ニューハードのモンタレーでの演奏は、何故か「万歳三唱」から始まる(笑)。万歳三唱が終わると、司会者が高らかに「Mr. Miyama & the NewHerd!」と呼び上げ、ニューハードのテーマが勢い良く滑り出す。
冒頭「ドナ・リー」が疾走する。ど迫力なビッグバンド。しかし、まだまだ「硬い」。続く「スナイパーズ・スヌーズ」で少しずつ硬さがとれてくる。「振袖は泣く」から「河童詩情」で、バンドのエンジンがかかりきって、本来の実力を発揮し始める。そして「直立猿人」である。圧倒的な演奏。大団円。聴衆が熱狂的な拍手を続けているのが判る。
そして、僕がこのアルバムを愛して止まない理由が、この曲の収録。チック・コリアの名曲「ラ・フィエスタ」。このスパニッシュ調の難曲をビッグバンドの演奏に置き換えて、高いテクニックをバックに、一糸乱れぬアンサンブル、一糸乱れぬユニゾン&ハーモニー、そして、圧倒的なソロ・パートを重ねて、素晴らしい演奏への昇華していく。ドラマティックなアレンジ構成が素晴らしい。
そして、「ティン・ティン・デオ」〜「マンティカ」と、ディジー・ガレスビーやモンゴ・サンタマリアらとのラテン・ジャム・セッションに突入する。熱い演奏。ラテンのリズム&ビート、そして、ラテンなフレーズ。熱狂的なソロ・パートが印象的だ。さすがジャズ・フェスティバル。こんなに熱狂的で楽しいジャム・セッションが展開されるなんて素晴らしい。
1970年代後半、僕がジャズ者初心者の頃からのビッグバンド・ジャズの愛聴盤である。日本のビッグバンド・ジャズのレベルの高さが圧倒的である。そして、なんといっても、チック・コリアの「ラ・フィエスタ」のビッグバンド・アレンジの演奏が素晴らしい。
震災から3年10ヶ月。決して忘れない。まだ3年10ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
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