誰だ、誰だ、誰だ〜、と戸惑う
ブルーノート・レーベルのアルバムには、「へー、こんなアルバムあったんや」とか「こんなジャズメンもいたんや」って心底感心するアルバムがある。そんな中で、これは難しいぞ、これは誰だ、誰なんだと戸惑うアルバムがある。
僕はこのアルバムの存在を、東芝EMIが、ブルーノートのアルバムをカタログ番号順にリリースした、あの画期的な企画の時に初めて知った。ブルーノートの1573番の『John Jenkins With Kenny Burrell』(写真左)。そもそも、John Jenkins(ジョン・ジェンキンス)を全く知らない。当時、ジャズを聴き始めて10年以上が経過していたが、僕はジェンキンスの名前を知らなかった。
このアルバムをぼ〜っと聴いていると、このアルトは誰だ、と思い出す。録音の傾向が明らかにブルーノート・レーベルの音なので、これは明らかにブルーノートのアルバムだと判る。ブルーノートのアルト奏者かあ。
まず、ジャッキー・マクリーンかと思う。確かに、ピッチがちょっと外れてはいる。でも、マクリーンほどには外れていない。マクリーンは明らかに外れている、と判る(それが個性で良いのだが)。でも、このアルバムでのアルトは外れ方が緩い。音色はマクリーンに近いが、ピッチの外れ方は異なる。
次には、キャノンボール・アダレイかとも思うが、これは違うとすぐ思う。キャノンボールは、もっとファンキーでもっとアグレッシブに吹く。躁状態ではないか、と思うくらいに明るく、時に喧しいくらいに吹く。このアルバムのアルトは理知的だ。しっかりとまとまって、しっかりと抑制を効かせて吹き上げる。
ルー・ドナルドソンでは無いことは直ぐに判る。ファンクネスが足らない。かつ、ドナルドソンとしては端正すぎる。ドナルドソンは意外とラフである。気分と雰囲気でアドリブ・フレーズを吹き進めてしまうところがある。このアルバムでのアルトは端正。ちょっと線が細いところがあるが、良く整ったアルトである。
ブルーノートは、パーカー派のビ・バッパーなアルト奏者は採用しない。チャーリー・バーカーですら、ブルーノートは触手を伸ばさなかった。ソニー・スティットも然り。もちろん、西海岸ジャズのアート・ペッパーなど論外だ。誰だ、誰だ、誰なんだと戸惑う。とまあ、判らなくても当然なんだが。そもそも、僕はジェンキンスを知らなかった。
良い雰囲気のアルトである。1957年8月の録音。ハードバップ全盛期の良き時代のジャズである。ちなみにパーソネルは、John Jenkins (as), Sonny Clark (p), Kenny Burrell (g), Paul Chambers (b), Dannie Richmond (ds)。クラーク、チェンバース、リッチモンドのリズム・セクションが良い。良きハードバップの香りがプンプンするリズム&ビート。
ジェンキンスのアルト一本ではちょっと線が細いのだが、それを補うのが、ケニー・バレルのギター。漆黒でブルージーなバレルのギターが意外に軽やかにアドリブ・ラインを紡ぎ上げていく。ジェンキンスに加えてのバレルのギターの存在が良い。プロデューサー、アルフレッド・ライオンの慧眼恐るべし、である。
誰だ、誰だ、誰だ〜、っと。ガッチャマンの歌の様に、このアルトは誰だ、と戸惑う。ブルーノート・レーベルのアルバムには、「へー、こんなアルバムあったんや」とか「こんなジャズメンもいたんや」って心底感心するアルバムがある。これがブルーノートのアルバムの楽しいところである。
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