前作と表裏一体の「兄弟盤」です
前作の『The Way I fell』は、前半の曲の中で、突如出てくるフリーキーなブロウが惜しい。このフリーキーなブロウが無ければ、他の曲のロリンズのブロウの質の高さから評価して、このアルバムはロリンズの代表作の一枚になったと思うだけに、実に惜しいアルバムであった。
そんな「惜しい」アルバムの次のアルバムが、Sonny Rollins 『Easy Living』(写真左)。1977年8月の録音。ちなみにパーソネルは、Sonny Rollins (ts, ss), George Duke (p, el-p), Tony Williams (ds), Paul Jackson (el-b) が中心。
このアルバムのセッションには、フュージョン畑から、ジョージ・デュークがキーボードで、ポール・ジャクソンがエレクトリック・ベースで参加。特に、ジョージ・デュークは、本来、コッテコテのファンキー&ソウルなキーボードなんだが、このアルバムでは、ロリンズに感化されて、純ジャズ的なアプローチを聴かせるところが微笑ましい。
ポール・ジャクソンは、ハービー・ハンコックの『ヘッドハンターズ』にも参加したコッテコテのファンキー・ベーシスト。このコッテコテなファンキー・ベースもロリンズのバックに回ると、ロリンズのブロウに感化されて、純ジャズ的なアプローチに変身するから、これまた面白い。
ドラムは、なんとあの永遠の天才ドラマーのトニー・ウィリアムス。1960年代のマイルスの黄金のクインテットの一員として一世を風靡した天才である。限りなくフリーでモーダルなドラミングが身上の思いっきり尖ったドラミングが身上なのだが、このトニーもロリンズのバックでは、大人しく純ジャズ的な趣味の良いドラミングに終始するから面白い。
さて、このアルバムのトピックは、何と言っても冒頭の「Isn't She Lovely?」だろう。邦題「可愛いアイシャ」。この曲は、スティービー・ワンダーの名曲で、1976年のヒットアルバム『キー・オブ・ライフ』の収録曲である。
このスィートな名曲を、ロリンズは意外とハードボイルドに吹き進めていく。バックも意外とハードボイルドにリズム&ビートを供給していく。この曲の持つスィートな旋律とハードボイルドな演奏とのギャップが意外と「はまる」。しかし、この曲でも、前作と同様、ラストに近づくにつれて、何故だか理解に苦しむのだが、ロリンズのブロウが突如としてフリーキーになる。
またか、と思うのだが、前作よりはそのフリーキーさは抑制されていて、すぐにフェードアウトされていくので、この盤のフリーキーな「逸脱」は我慢できる範囲で留まっている。なんとなくホッとする。
この盤のロリンズは前作と同様、ロリンズが吹くと、全ての演奏が「ロリンズ・ジャズ」になってしまうのだ。この盤でのロリンズは、どこのフレーズをとってもロリンズ。ロリンズが吹くと、途端にロリンズの個性が煌めいて、スティービー・ワンダーの名曲に新たな魅力を加えていくのだ。
そして、この盤の極めつけは、トニー・ウィリアムスのドラミング。マイルスのグループにいた時から、我が強く、ドラミングも限りなくフリーなスタイルに近い、圧倒的な自由度を兼ね備えた複合リズムの使い手なのだが、ロリンズの下では意外や意外、ロリンズ・ジャズに従順に従い、ロリンズを盛り立てる。ロリンズの音にぴったりの、最高に近代的なジャズ・ドラミングを見せつけてくれるのだ。
圧倒的な自由度を兼ね備えた複合リズムの使い手を手なずけ、フュージョン畑のキーボード奏者やベース奏者を純ジャズ化させてしまう。恐らく、他のミュージシャンからすると、ロリンズは神様みたいな存在なのだろう。
前作『The Way I fell』と同様に、バックの演奏の雰囲気は、完璧の当時のトレンドのど真ん中をいくフュージョン・ジャズ。そんなトレンディーなバック・バンドの音を従えながら、ロリンズは思いっきりロリンズらしくテナーを吹き上げていく。これも前作『The Way I fell』と同じ。この『Easy Living』は、前作と表裏一体の「兄弟盤」です。
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