ウィントンの盤はしっかり選ぶ
ウィントン・マルサリスは、若くから、素晴らしいテクニックの持ち主で、しかも切れ者で、リンカーンセンターのジャズ音楽監督も務める才人です。が、とかく、誤解されやすいミュージシャンです。ハッキリものを言い過ぎというか、品行方正が過ぎるというか、とにかく真面目。その真面目が類い希な才能を持ち合わせている訳です。まあ、誤解され易いタイプそのものですよね(笑)。
しかし、彼の持つジャズ・スピリッツは素晴らしいものがあります。ウィントン・マルサリスと言えば、10歳台の若さから、天才的なテクニックの持ち主として名を馳せる一方、才人でもある。例えば、ニューヨークのリンカーンセンターのジャズ音楽監督としても知られ、学術的な一面も持ち合わせる。
父は、ジャズ・ピアニストのエリス・マルサリス。兄は、同じジャズのサックス奏者として有名な、ブランフォード・マルサリス。所謂、音楽一家に育った、ジャズ界のエリートとも言える存在である。
さて、そのウィントン、若い頃は、ジャズ界の先進気鋭の若手ミュージシャンとして将来を嘱望され、評論家筋からも評判は上々、日本でも人気はうなぎ登りだった。が、しかし、その絶妙なテクニックを駆使してクラシック界へ進出、幾つかのアルバムも発売し、クラシック界からも注目されるに至った頃から、ウィントンに対する風向きが変わりだした。
先にも書いたニューヨークのリンカーンセンターのジャズの音楽監督に就いて、ジャズの歴史を遡ったジャズ・オーケストラ中心の学術的なアルバムを数々発表。決定的だったのは、これを判らないのはジャズが判らないのと同じだ、と評論家筋とやりあったり、ジャズのルーツはニューオリンズで、ニューオリンズのデキシーランド・ジャズを評価出来ない奴はおかしい、とか挑発的な言動をやったことだった。それ以来、やれ「あいつは生意気だ」とか、「あいつは頭でっかちで、ジャズ・スピリッツが無い」とか、散々な評価を頂戴した。
まあ、リンカーンセンターのジャズの音楽監督としての活動を通じてのアルバムには、確かに、ちょっといただけないアルバムが幾つかあるので、評論家やアンチ・ウィントン派の批判は、部分的には当たっていると言えば当たっているなあ、と思うが、「あいつには頭でっかちで、ジャズ・スピリッツが無い」と一方的に決め付けるのはどうかと思う。
その証拠のひとつがこのアルバム。Wynton Marsalis『Standard Time, Vol.5:The Midnight Blues』(写真左)。1998年のリリース。ちなみに中核となるパーソネルは、Wynton Marsalis (tp), Eric Reed (p), Reginald Veal (b), Lewis Nash (ds)。
というのも、このアルバムはウィズ・ストリングス盤である。オーケストラの伴奏にのって、ウィントンがトランペットを朗々と吹き上げていく。しかも、曲はスタンダードが中心。様々なミュージシャンがチャレンジして、その解釈に手垢がついた曲ばかりだが、ウィントンはこともなげに唄い上げていく。
なにしかトランペットの音が凄い。ブリブリと真鍮がビビットに震える様な音を出しながら、朗々と数々のスタンダードを奏でていく。それはそれは、素晴らしい演奏で、このトランペットのどこが、ジャズ・スピリッツの欠落と言えようか。
でも、リンカーンセンターのジャズ音楽監督関連のウィントンの作品には首を傾げたくなる作品がある。クラシックに走ったアルバムについては、ジャズメンという観点で見た時に、その必然性については疑問符満載(笑)。
でも、反面、凄い盤もあるんだ。若き日のウィントンには、同じウィズ・ストリングス盤で『Stardust』というアルバムがある。そして『Marsalis Standard Time, Vol.1』がある。ジャズ史に残る名盤である。ウィントンのアルバムは「しっかりと選ぶ」必要がある。そして、その選択を誤るとウィントンを嫌いになるし、その選択が正解だとウィントンは素晴らしいと思う。なかなか厄介なジャズメンではある。
大震災から3年1ヶ月。決して忘れない。まだ3年1ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、復興に協力し続ける。
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