初めて出会った山下洋輔トリオ
今を去ること35年前。ちょうど二十歳の学生時代。僕は山下洋輔に出会った。当時、ジャズを聴き始めて1年しか経っていない頃。フリー・ジャズという響きに憧れを感じて、止めれば良いのにフリー・ジャズのアルバムを2枚買った。その2枚のうちの一枚が山下洋輔だった。
動機は簡単。日本人が演奏するフリー・ジャズだから、である(笑)。当時、まだまだ日本人として拘りとプライドがあった。日本人として、やっぱり日本人が演奏するジャズが優れていて欲しいのだ。よって、何だか知らないが、どうしても日本人ジャズに手が伸びる。
その山下洋輔のアルバムとは『キアズマ』(写真)である。1975年6月6日、独のハイデルベルグ・ジャズ・フェスにて実況録音。ちなみにパーソネルは、山下洋輔(p), 坂田明(as), 森山威男(ds)。ベースの居ない、変則ピアノ・トリオである。
1曲目「ダブル・ヘリックス」はピアノとドラムのデュオ、2曲目「ニタ」はピアノソロで、この2曲だけでも、かなり聴かせてくれる。フリー・ジャズだからといって重く無い。フリー・ジャズだからと言って難解では無い。フリー・ジャズだからといってアブストラクトでは無い。
山下洋輔のフリー・ジャズは、決して「でたらめ」では無い。好き勝手と言っては語弊がある。アドリブのフレーズにも、必要最低限の決め事がある。ジャズで言う「モード」に通ずる必要最低限のフレーズの決め事がある。演奏方法について必要最低限の決め事の中で、その範囲内でピアノやドラムやアルトが好き勝手に演奏する。
そして、3曲目の「キアズマ」で、いよいよアルト・サックスの坂田明の参入である。このピアノ・ドラム・アルトのトリオが、実に爽快感、疾走感のあるフリー・ジャズな展開が凄い。決して重く無い。重厚では無く「軽快」なフリー・ジャズ。軽薄では無い「爽快」な展開。そして、3者一体となった、フリーキーな疾走感が素晴らしい。
ベースが無い分、疾走感が増幅され、それぞれの楽器のアドリブ・フレーズが走り去った後の爽快感が堪らない。そう、この山下洋輔トリオのフリー・ジャズの個性は、疾走・爽快・軽快である。軽快とは悪い意味では無い。とにかく「重く無い」のだ。計算された理知的な軽さ、なのだ。
今の耳で聴くと、これってフリー・ジャズなのか、と思う。凄く聴き易いのだ。必要最低限の決め事をベースに、自由に柔軟に、それぞれの楽器が演奏を続けて行く。誤解を恐れずに言うと、モーダルなフリー・ジャズという感じかな。この必要最低限の決め事の存在が、この山下洋輔トリオのフリー・ジャズを聴き易くし、判り易くし、親しみ易くしている。
山下洋輔トリオは、好き勝手に演奏してはいない。僕は、この山下洋輔トリオのフリー・ジャズに「構築美」を感じる。自由に演奏するのがフリー・ジャズなら、構築美という言葉は相応しくないのだが、この山下洋輔トリオのフリー・ジャズには、このトリオならではの、このトリオでしか感じられない「構築美」を感じる。
今を去ること35年前。ちょうど二十歳の学生時代。初めて出会った山下洋輔トリオ。フリー・ジャズなのに、何故か聴き易く、判り易く、親しみ易かった。特にこの『キアズマ』、学生時代のヘビロテ盤でした。今でも好きで、ちょくちょく聴きます。
大震災から3年。決して忘れない。まだ3年。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、復興に協力し続ける。
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