上手さ故のスタイルの宗旨替え
テクニックのある上手いジャズ・ピアニストは、その経歴を振り返って見ると、なんであんなスタイルに寄り道したのか、と訝しく思えるアプローチをしたりする。テクニックがあるが故に、どんなスタイルにも適応できるというところが「裏目」に出ることがある。
本田竹彦(竹曠)もそんなピアニストの一人だった様な気がする。デビュー盤の『本田竹彦の魅力』やセカンド盤の『ザ・トリオ』では、素性の良い、日本人ならではのファンクネスを漂わせた、実にジャジーなフレーズがとても個性的で、正統派ジャズ・ピアニストとして、一目置かれるべき存在だった。
しかし、本田はテクニックがあるが故に、様々なスタイルに挑戦を始める。それだけ、当時、日本では、日本人ならではのファンクネスを漂わせた、実にジャジーなフレーズが個性のピアノ・プレイでは食っていけない、人気が出ない、そんなジャズメンとして「辛い」環境にあったことが良く判る。
この本田竹彦の『浄土』(写真左)は、そんな「寄り道」スタイルなアルバムである。1970年の録音。ちなみにパーソネルは、本田竹曠 (p), レジー・ワークマン (b), 日野元彦 (ds)。コルトレーンとのセッションで知られるレジー・ワークマンの参入が「ミソ」である。
もともとこのアルバム・タイトルの「浄土」とは、本田のオリジナルで故郷岩手県浄土ヶ浜をモチーフにしたタイトル曲の題名。しかし、このアルバムの内容を踏まえれば、この「浄土」は、仏教の世界では「清浄な国土」の意と同様の、清浄で清涼な世界を指しているほうが判り易い。
冒頭のタイトル曲「浄土」や2曲目の「Lazy Dream」は、晩年のコルトレーンが好んで演奏した「スピリチュアル・ジャズ」な音世界そのものである。まるで、晩年のスピリチュアルなコルトレーン・ミュージックをピアノ・トリオで表現し直した様な演奏である。
その演奏を牽引するのが、コルトレーンとのスピリチュアルなジャズを体験したワークマン。スピリチュアルでフリーなベース・ワークが素晴らしい。そこに本田のピアノと日野元彦のドラムが絡む。今にもそこにコルトレーンのテナーが入って来そうな、そんなコルトレーンな音世界が展開される。
1970年の録音である。世は「70年安保反対」の世界。学生運動の晩年期である。当時、ジャズの世界では、コルトレーンが尊ばれた。スピリチュアルなジャズを展開するコルトレーンは、当時の日本では大人気。コルトレーンを避けては通れない、そんな、ちょっと異常なジャズ界ではあった。
そんな時代背景の中で、本田竹彦(竹曠)が、コルトレーン・ミュージックのフォロワーに鞍替えするのも仕方の無いこと。しかも、これはテクニックのある上手いジャズ・ピアニストでなければ、出来ない芸当。本田は事も無げに、スピリチュアルなコルトレーン・ジャズをフォローしてみせる。
そして、3曲目の「The Way To Brooklyn」とラストの「Second Country」で、本田のピアノ・タッチは、いきなり、コルトレーンの盟友ピアニスト「マッコイ・タイナー」に変身する。ガーンゴーンと左手を入れつつ、右手はコルトレーン直伝のシーツ・オブ・サウンド。
これまた、テクニックのある上手いジャズ・ピアニストでなければ、出来ない芸当。本田は事も無げに、シーツ・オブ・サウンドなピアニスト、マッコイ・タイナーをフォローしてみせる。
今の耳で聴けば「なんだかなあ」と感じてしまう、如何にも当時の時代に迎合したアルバム内容にちょっと困惑する。まあ、それほど、本田のピアノ・テクニックは突出したものだったと感じるし、確かに、このアルバムを聴けば、それがとても良く判る。
だからこそ、このスタイルの「寄り道」は惜しいなあ、と感じる。「流行歌」の様な演奏で、懐かしさと古さを感じるが、エバーグリーンな普遍的な個性とスタイルを愛でるには至らない、実に惜しいアルバムである。
大震災から3年1ヶ月。決して忘れない。まだ3年1ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、復興に協力し続ける。
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