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2014年4月の記事

2014年4月30日 (水曜日)

トレンドに乗ったサンタナ

1977年、ライヴ音源とスタジオ録音の新曲が混在した、変則的な内容の二枚組LP『Moonflower』をリリースして、何となく一区切りした感のあったSANTANA(サンタナ)。雰囲気の良いサンタナのAORなフュージョン・ロックであった。

さて、翌年1978年の10月にサンタナは『Inner Secrets』(写真左)、邦題『太陽の秘宝』をリリースする。浪人時代、一年に渡る苦闘の末、なんとか大学に入った年のリリースなので、このアルバムの存在は良く覚えている。

しかし、この地味なジャケットと、大学に入ってまで、もはやロックでもないやろう、という思いの中、なかなか手にすることは無かった。というか、金持ちの友人をかどわかして買わせた。そして借りた(笑)。

久し振りに今の耳で聴くと、このサンタナのアルバムは,完璧なAORフュージョンである。ロック的な要素は希薄。ロックのリズム&ビートは影を潜め、演奏内容は完璧にAORフュージョンである。

そう言えば、1978年と言えば、フュージョン・ジャズ、AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)の流行のピーク。他の例に漏れず、インスト&ラテン・ロックの雄、サンタナもそのトレンドにガッチリと乗った、というところか。微笑ましいというか、商魂逞しいというか、まあ、現金なものである。 

ロック的な荒削りなところ、力業を繰り出す体育会系のノリは影を潜めたが、代わりに、ポップでお洒落なフレーズ、聴き心地の良いギター・ギターインストを全面に押し出した、AORフュージョンな雰囲気が満載である。とにかく聴き心地が良い。優しさ柔らかさに流れることなく、ちょっとハードなサンタナのギター・インストが聴く耳に印象的に響く。
 

Inner_secrets

 
モータウン・サウンドを支えていた売れっ子プロデューサー、デニス・ランバート&ブライアン・ポッターのプロデュースなんだが、R&B的な響きはほとんど無い。ちょっとだけラテン・チックなパーカッションが活躍するところがあるが、基本的に、そのリズム&ビートは、フュージョン・ジャズのリズム&ビートを踏襲している。

ハード・ロック的な展開の楽曲もあるが、アレンジが洗練されていて、ハードなサンタナのギター・インストも滑らかにハードロックしていて、如何にも「程良くアレンジされたハード・ロック調のAOR」って感じがビンビンに漂っていて胡散臭い(笑)。いやいや、でも演奏内容はなかなかのものなんですよ。でも、これは元来のハード・ロックな演奏ではありません。演奏の底に漂うスピリットが違います。

当時のサンタナのインタビュー発言に「メンバーが経済的に潤いたいって言ったから僕もちょっと考えた」という発言がありました。発売当時、1978年の頃は、思わず、およよ、と思いましたねえ。そんな売れ筋に走るなんて、これはもうロックじゃない、なんて青臭い思いを持ちましたねえ。ふふっ、あの頃は若かった。

このアルバムでは、サンタナはエレギを弾きまくっていて、AORなフュージョンとしてのエレギのインストとしては秀逸です。商業ロックに走ったサンタナとしてこのアルバムを聴くのでは無く、純粋にAORなフュージョンとして、このアルバムに、このサンタナのフュージョンなギター・インストに耳を傾けることをお勧めします。

サンタナはギタリストとして、AORなフュージョンを演奏することも出来るということですね。このアルバムでのサンタナのエレギは、サンタナの本質とはちょっと違うところにあるとは思うんですが、これはこれで、なかなか内容も良く、避けて通るには勿体無い内容のアルバムです。とにかく、サンタナのギターは上手い。

しかし、この当時のCBSソニーの邦題『太陽の秘宝』って何とかならないですかねえ。何をイメージして、何を感じて良いのか、全く良く判らない邦題でした。この邦題を見て、これはまたサンタナはスピリチュアルな音世界に走ったか、と思いながら、このアルバムに針を落とした時、スピーカーから出てきたAORフュージョンな音に思わず仰け反りました。全く罪作りな邦題ですよね(笑)。 

 
 

大震災から3年1ヶ月。決して忘れない。まだ3年1ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、復興に協力し続ける。 

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2014年4月29日 (火曜日)

魅力的な若かりし頃のウィントン

ウィントン・マルサリスがメジャー・デビューを飾った年が1981年。アルバム『Wynton Marsalis』、邦題『ウィントン・マルサリスの肖像』であった(2007年12月10日のブログ・左をクリック)。この初リーダー作でのデビューには、当時、ビックリしたのを覚えている。とにかく上手い。そして、トランペットを素晴らしく魅力的に鳴らし切っている。そして、アドリブ・ラインの魅力的なこと。惚れ惚れした。

メジャー・デビュー当時、ウィントンは弱冠20歳。弱冠20歳でこのパフォーマンスには驚いた。確かにこの時代、若かりし頃のウィントンは相当に魅力的なトランペッターだった。一心不乱に吹きまくるウィントンは素晴らしい。特に、そんな若かりし頃の魅力的なパフォーマンスを愛でるにはライブ盤が一番相応しい。

ここに『With Art Blakey's Messengers I』(写真左)と『With Art Blakey's Messengers II』(写真右)の2枚のライブ盤がある。ウィントンが、アート・ブレイキーが主宰する「Jazz Messengers」に所属していた時代のライブ音源である。

1980年10月、フロリダのレストランでの録音になる。ちなみにパーソネルは、Wynton Marsalis (tp), Bobby Watson (as), Charles Fambrough (b), Jimmy Williams (p), Billy Pierce (ts), Art Blakey (ds)。Art Blakey & Jazz Messengersとしてのライブ演奏である。

演奏内容としては、コッテコテのハードバップである。1980年のジャズ・メッセンジャーズ。まずまずの演奏内容であり、まずまずの演奏レベルである。そんな中、さすがである、ウィントン・マルサリスのトランペットとアート・ブレイキー御大のドラムが突出している。後のメンバーはまずまずの出来かな。突出はしていないが平凡では無い。
 

Wynton_with_art_blakey_12

 
とにかくバリバリに吹きまくる19歳のウィントンが魅力的である。まだ弱冠19歳なので、バリバリ吹きまくるアドリブ・フレーズに音のニュアンスとしての深みは感じられない。とにかく最高なテクニックで吹きまくる。しかし、そのテクニックのレベルが半端ではない。恐らく、ジャズ史上の最高レベルに匹敵するテクニック。思わず、クリフォード・ブラウン、フレディ・ハバードを想起する。

Art Blakey & Jazz Messengersとしてのライブ演奏なので、演奏される曲のほどんどがスタンダード曲なのも嬉しい。ウィントンの非凡なスタンダード曲の解釈が良く判る。これが19歳の解釈であり、これが19歳での演奏なのか、と感じ入ってしまう。メジャー/デビュー当時、天才ウィントンと謳われたのも改めて納得出来る。

このライブ盤『With Art Blakey's Messengers I & II』については、準ブートレグ的なアルバムであり、様々なジャケットで販売されていたり、CD2枚組にまとめて販売されていたりで実に紛らわしい。もし、このライブ音源を所望するのであれば、是非とも間違わずに選んで欲しいなあ、と願っています。

ウィントンの若かりし頃の魅力的なパフォーマンスを愛でるにはライブ盤が一番相応しい。というか、ウィントンの本質を確認するにはライブ・パフォーマンスが一番。ライブ・パフォーマンスにおいては、そのジャズメンの本質が如実に表れる。ウィントンは熱い魂と矜持を持ったジャズ・トランペッターである。

 
 

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2014年4月28日 (月曜日)

ウィントンの盤はしっかり選ぶ

ウィントン・マルサリスは、若くから、素晴らしいテクニックの持ち主で、しかも切れ者で、リンカーンセンターのジャズ音楽監督も務める才人です。が、とかく、誤解されやすいミュージシャンです。ハッキリものを言い過ぎというか、品行方正が過ぎるというか、とにかく真面目。その真面目が類い希な才能を持ち合わせている訳です。まあ、誤解され易いタイプそのものですよね(笑)。

しかし、彼の持つジャズ・スピリッツは素晴らしいものがあります。ウィントン・マルサリスと言えば、10歳台の若さから、天才的なテクニックの持ち主として名を馳せる一方、才人でもある。例えば、ニューヨークのリンカーンセンターのジャズ音楽監督としても知られ、学術的な一面も持ち合わせる。

父は、ジャズ・ピアニストのエリス・マルサリス。兄は、同じジャズのサックス奏者として有名な、ブランフォード・マルサリス。所謂、音楽一家に育った、ジャズ界のエリートとも言える存在である。

さて、そのウィントン、若い頃は、ジャズ界の先進気鋭の若手ミュージシャンとして将来を嘱望され、評論家筋からも評判は上々、日本でも人気はうなぎ登りだった。が、しかし、その絶妙なテクニックを駆使してクラシック界へ進出、幾つかのアルバムも発売し、クラシック界からも注目されるに至った頃から、ウィントンに対する風向きが変わりだした。

先にも書いたニューヨークのリンカーンセンターのジャズの音楽監督に就いて、ジャズの歴史を遡ったジャズ・オーケストラ中心の学術的なアルバムを数々発表。決定的だったのは、これを判らないのはジャズが判らないのと同じだ、と評論家筋とやりあったり、ジャズのルーツはニューオリンズで、ニューオリンズのデキシーランド・ジャズを評価出来ない奴はおかしい、とか挑発的な言動をやったことだった。それ以来、やれ「あいつは生意気だ」とか、「あいつは頭でっかちで、ジャズ・スピリッツが無い」とか、散々な評価を頂戴した。
 

Wynton_standard_time_5

 
まあ、リンカーンセンターのジャズの音楽監督としての活動を通じてのアルバムには、確かに、ちょっといただけないアルバムが幾つかあるので、評論家やアンチ・ウィントン派の批判は、部分的には当たっていると言えば当たっているなあ、と思うが、「あいつには頭でっかちで、ジャズ・スピリッツが無い」と一方的に決め付けるのはどうかと思う。

その証拠のひとつがこのアルバム。Wynton Marsalis『Standard Time, Vol.5:The Midnight Blues』(写真左)。1998年のリリース。ちなみに中核となるパーソネルは、Wynton Marsalis (tp), Eric Reed (p), Reginald Veal (b), Lewis Nash (ds)。

というのも、このアルバムはウィズ・ストリングス盤である。オーケストラの伴奏にのって、ウィントンがトランペットを朗々と吹き上げていく。しかも、曲はスタンダードが中心。様々なミュージシャンがチャレンジして、その解釈に手垢がついた曲ばかりだが、ウィントンはこともなげに唄い上げていく。

なにしかトランペットの音が凄い。ブリブリと真鍮がビビットに震える様な音を出しながら、朗々と数々のスタンダードを奏でていく。それはそれは、素晴らしい演奏で、このトランペットのどこが、ジャズ・スピリッツの欠落と言えようか。

でも、リンカーンセンターのジャズ音楽監督関連のウィントンの作品には首を傾げたくなる作品がある。クラシックに走ったアルバムについては、ジャズメンという観点で見た時に、その必然性については疑問符満載(笑)。

でも、反面、凄い盤もあるんだ。若き日のウィントンには、同じウィズ・ストリングス盤で『Stardust』というアルバムがある。そして『Marsalis Standard Time, Vol.1』がある。ジャズ史に残る名盤である。ウィントンのアルバムは「しっかりと選ぶ」必要がある。そして、その選択を誤るとウィントンを嫌いになるし、その選択が正解だとウィントンは素晴らしいと思う。なかなか厄介なジャズメンではある。

 
 

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2014年4月27日 (日曜日)

ジャケ買い「海外女性編」その10

ジャケ買い「海外女性編」と題して、最初のシリーズでは、何故か外国人女性のアップ写真をあしらった、アーティスティックで魅力的なアルバム・ジャケットを、そして、第2シリーズは、ちょっと目線を変えて「脚線美の誘惑」なアルバムをご紹介していました。今回は、その第2シリーズの最終回。

フュージョンのアルバムの中から「脚線美の誘惑」がテーマのジャケットは無いのか、といろいろ探してみたが、これがなかなか無い。もともとフュージョンのアルバムって、ジャケット・デザインに注意を払っているものって、かなり少ないので仕方がない。

そうそう、フュージョンのアルバムって、純ジャズほど、ジャケット・デザインに金かけてないんだよね。まあ、フュージョン全盛時代は、ロック衰退基調の中、商業音楽を一身に背負っていたのだから、しょーがいないんだけど・・・。

そんな中、ありました、ありました。しかも、身近も身近、日本のフュージョンにありました。そのアルバムとは、スクエア(The Square)の、その名もズバリ『脚線美の誘惑』(写真)。そのアルバムのジャケット・デザインも、ズバリ!『脚線美の誘惑』(笑)。1982年11月のリリースである。
 

Kyakusennbi_no_yuwaku

 
スクエアって、フュージョン・バンドなの?、って思われる方もあるでしょうが、デビュー当時の出身からすると、立派なフュージョン・バンドでしょう。ロックの様でロックじゃないので、日本人の大好きな「ジャンル」分けから外れがちなスクエアですが、サウンド的にはフュージョンに入れて問題無いでしょう。

この『脚線美の誘惑』は、スクエアがロック色を強め始めた頃の秀作です。とにかく、1曲目の「ハワイへ行きたい」から、ロック調のご機嫌な曲が続きます。このアルバムを聴き通すと、確かに、アドリブ調の展開部が無く、4ビート系のオフビートなリズムも無く、アルバム全体にジャズ的雰囲気が全く希薄で、確かに、他のフュージョン・アルバムとはちょっと感じが異なります。

ロックのインスト・アルバムとして見ると、あまりに演奏が巧すぎて、ロックの持つ、良い意味での独特の野暮ったさが無い、ということになって「どっちつかず」。実は、ここにスクエアの特色があると思います。フュージョンでも無ければロックでも無い。不思議な立ち位置の音世界です。

でも、このアルバムの爽やかさ、僕は好きです。まあ、音楽のジャンルなど気にせずに、良いものは良い、というノリで楽しめれば良いと思っています。

 
 

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2014年4月26日 (土曜日)

「鍵盤の帝王」の最高のライブ盤

今週はオスカー・ピーターソン(Oscar Peterson)の週間だった。「鍵盤の帝王」と呼ばれ、そのテクニックの高さ、アドリブ・フレーズの歌心、聴いて楽しいエンタテインメント性。どれもが超一級な、ジャズ史上、最高峰のピアニストの一人である。で、今週、聴き込んだ音源がこれ。

Oscar Peterson『Live at the Blue Note』というボックス盤がある。4枚のCDセットである。1990年3月16〜18日、ニューヨークのブルーノートでのライブ録音である。もともとは、このライブ録音は、以下の4枚のアルバムに分けてリリースされている。

・Live At The Blue Note(3/16)
・Saturday Night At The Blue Note(3/17)
・Last Call At The Blue Note(3/18)
・Encore At The Blue Note(3/16〜18)

どれもが素晴らしいライブ盤である。ちなみにパーソネルは、Oscar Peterson (p), Herb Ellis (g), Ray Brown (b), Bobby Durham (ds)。4人が同時に演奏しているので、カルテットかと思うんだが、正式には、The Legendary Oscar Peterson Trioと名付けられている。

Oscar Peterson (p), Herb Ellis (g), Ray Brown (b) の組合せは、1950年の頃、初代ピーターソン・トリオの組合せ。Bobby Durham (ds)は、1965年以降、MPSレーベルで、Sam Jones (b)と共に、ピーターソン・トリオを構成していたドラマー。 Ray Brown (b) はピーターソンがトリオを発足して以来の盟友。ピーターソンのお抱えベーシストと言って良いほどの間柄。
 

Oscar_live_blue_note

 
ということで、ベースのレイ・ブラウンは勿論のこと、ギターのハーブ・エリスもドラムのボビー・ダーハムも、ピーターソンとの粋はピッタリ。破綻やほころびは全く無い、正確無比、思いっきりスインギーなトリオ演奏を聴かせてくれる。

ピーターソンは1925年生まれなので、この『Live at the Blue Note』のライブ音源を録音した時は65歳。ジャズメンとして、脂の乗り切った大ベテランとして、レジェンド的な存在であり、その演奏には、しっかりと精神的に余裕があり、肩の力が程良く抜けた、程良くリラックスしたパフォーマンスを聴かせてくれる。

どの演奏にも、このライブ会場であるライブハウス「ブルーノート」の雰囲気の良さが反映されている。掛け声もタイミング良く、拍手も温かい。ピーターソンやエリスのエンタテインメント性豊かな演奏技を繰り出した時の、心から楽しんでいる様子。どれもがとても良い雰囲気で、このライブ盤に華を添えている。

1990年と言えば、1970年代のクロスオーバー〜フュージョン・ジャズの時代を経て、1980年代、純ジャズ復古のムーブメントを経て、ジャズという音楽ジャンルが、クラシックな娯楽音楽として、一定のシェアを得て、なんとか落ち着いた時代である。そんな娯楽音楽としてのジャズが、このボックス盤にギッシリと詰まっている。

良いボックス盤です。ボックスの作りは安易ではあるが、その演奏内容を思えば、その安易さも許せるというもの。値段も3000円程度と、単発のライブ盤4枚に分けると、一枚当たり1000円を切る価格でリーズナブル。このライブ盤の演奏内容を思うと、かなりのお買い得なボックス盤である。

 
 

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2014年4月25日 (金曜日)

上手さ故のスタイルの宗旨替え

テクニックのある上手いジャズ・ピアニストは、その経歴を振り返って見ると、なんであんなスタイルに寄り道したのか、と訝しく思えるアプローチをしたりする。テクニックがあるが故に、どんなスタイルにも適応できるというところが「裏目」に出ることがある。

本田竹彦(竹曠)もそんなピアニストの一人だった様な気がする。デビュー盤の『本田竹彦の魅力』やセカンド盤の『ザ・トリオ』では、素性の良い、日本人ならではのファンクネスを漂わせた、実にジャジーなフレーズがとても個性的で、正統派ジャズ・ピアニストとして、一目置かれるべき存在だった。

しかし、本田はテクニックがあるが故に、様々なスタイルに挑戦を始める。それだけ、当時、日本では、日本人ならではのファンクネスを漂わせた、実にジャジーなフレーズが個性のピアノ・プレイでは食っていけない、人気が出ない、そんなジャズメンとして「辛い」環境にあったことが良く判る。

この本田竹彦の『浄土』(写真左)は、そんな「寄り道」スタイルなアルバムである。1970年の録音。ちなみにパーソネルは、本田竹曠 (p), レジー・ワークマン (b), 日野元彦 (ds)。コルトレーンとのセッションで知られるレジー・ワークマンの参入が「ミソ」である。

もともとこのアルバム・タイトルの「浄土」とは、本田のオリジナルで故郷岩手県浄土ヶ浜をモチーフにしたタイトル曲の題名。しかし、このアルバムの内容を踏まえれば、この「浄土」は、仏教の世界では「清浄な国土」の意と同様の、清浄で清涼な世界を指しているほうが判り易い。

冒頭のタイトル曲「浄土」や2曲目の「Lazy Dream」は、晩年のコルトレーンが好んで演奏した「スピリチュアル・ジャズ」な音世界そのものである。まるで、晩年のスピリチュアルなコルトレーン・ミュージックをピアノ・トリオで表現し直した様な演奏である。
 

Honda_jodo

 
その演奏を牽引するのが、コルトレーンとのスピリチュアルなジャズを体験したワークマン。スピリチュアルでフリーなベース・ワークが素晴らしい。そこに本田のピアノと日野元彦のドラムが絡む。今にもそこにコルトレーンのテナーが入って来そうな、そんなコルトレーンな音世界が展開される。

1970年の録音である。世は「70年安保反対」の世界。学生運動の晩年期である。当時、ジャズの世界では、コルトレーンが尊ばれた。スピリチュアルなジャズを展開するコルトレーンは、当時の日本では大人気。コルトレーンを避けては通れない、そんな、ちょっと異常なジャズ界ではあった。

そんな時代背景の中で、本田竹彦(竹曠)が、コルトレーン・ミュージックのフォロワーに鞍替えするのも仕方の無いこと。しかも、これはテクニックのある上手いジャズ・ピアニストでなければ、出来ない芸当。本田は事も無げに、スピリチュアルなコルトレーン・ジャズをフォローしてみせる。

そして、3曲目の「The Way To Brooklyn」とラストの「Second Country」で、本田のピアノ・タッチは、いきなり、コルトレーンの盟友ピアニスト「マッコイ・タイナー」に変身する。ガーンゴーンと左手を入れつつ、右手はコルトレーン直伝のシーツ・オブ・サウンド。

これまた、テクニックのある上手いジャズ・ピアニストでなければ、出来ない芸当。本田は事も無げに、シーツ・オブ・サウンドなピアニスト、マッコイ・タイナーをフォローしてみせる。

今の耳で聴けば「なんだかなあ」と感じてしまう、如何にも当時の時代に迎合したアルバム内容にちょっと困惑する。まあ、それほど、本田のピアノ・テクニックは突出したものだったと感じるし、確かに、このアルバムを聴けば、それがとても良く判る。

だからこそ、このスタイルの「寄り道」は惜しいなあ、と感じる。「流行歌」の様な演奏で、懐かしさと古さを感じるが、エバーグリーンな普遍的な個性とスタイルを愛でるには至らない、実に惜しいアルバムである。

 
 

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2014年4月24日 (木曜日)

ビッグバンド・ジャズは楽し・28

2014年4月19日のブログ(左をクリック)で、Gil Evansの『Out of the Cool』をご紹介した。今日は、その『Out of the Cool』と対を成すアルバム『Into The Hot』(写真左)をピックアップ。

『Into The Hot』は不思議なアルバム。構成としては、John Carisi(ジョン・キャリシ)のオーケストラとCecil Taylor(セシル・テイラー)のクインテット/セプテットの2つのユニットが、それぞれ3曲ずつ演奏し、それが交互に配置されている。収録曲でいうと以下の通りになる。

1. Moon Taj (John Carisi)
2. Pots (Cecil Taylor)
3. Angkor Wat (Carisi)
4. Bulbs (Taylor)
5. Barry's Tune (Carisi)
6. Mixed (Taylor)

1961年の録音なんだが、どうして、この様な構成になったのかが判らない。しかも、アルバムのオーナーであるギル・エバンスの役割と立ち位置が良く判らない。ネットでの情報を見ていても諸説紛々。「Supervised and Conducted by GIL EVANS」と書かれているものもある。つまり「監督&指揮」である。しかし、アルバムのクレジットにはアレンジ、プロデューサーとしてのギル・エバンスの名前は無い。

でも、1曲目から6曲目聴き通すと、しっかりとギル・エバンスのアレンジの響きがずっと漂っているのだから不思議。ジョン・キャリシのオーケストラのアレンジはジョン・キャリシの手になるものとクレジットされている。それでも、ユニゾンの音の重ね方や低音が豊かに響く楽器(トロンボーンなど)の採用など、ギル・エバンスの個性そのものの響きがする。
 

Into_the_hot

 
しかも、さらに面白いのが、セシル・テイラーのユニット。セシル・テイラーと言えば、フリー・ジャズのピアニスト。その自由でアブストラクトでありながら、演奏全体の構築美が素晴らしい、唯一無二なピアニスト。1961年の録音なので、演奏もかなりフリーキーで自由な演奏なんだが、まだ完全フリー・ジャズしている訳では無い。

かなり自由度の高いハードバップという感じの演奏なんだが、これまた不思議なことに、セシル・テイラーのユニットに演奏にも拘わらず、しっかりとギル・エバンスのアレンジの響きがずっと漂っているのだから不思議。アドリブを取る楽器を全面に押し出し、そのアドリブ・ラインを際立たせる。そんなギル・エバンスのアレンジの個性が感じられるから面白い。

ジョン・キャリシのオーケストラとセシル・テイラーのクインテット/セプテットの2つのユニットが、それぞれ3曲ずつ演奏し、それが交互に配置されているという、なんだか滅茶苦茶な構成なんだけど、これが全く違和感無く、一貫性のある演奏の流れになっている。これもまた不思議。

ジョン・キャリシのアレンジがギル・エバンスの影響を受けていることは明白であるけど、セシル・テイラーはどうなんだろう。このギル・エバンスとセシル・テイラーの関係を知りたいなあ。どういう関係で、このレコーディングに臨んだんだろう。

 
 

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2014年4月23日 (水曜日)

本田竹曠トリオのスタンダード集

今週はオスカー・ピーターソン週間である。ジャズ史上、最高のテクニックでバリバリに弾きまくるピーターソン。胸のすくような疾走感。惚れ惚れする歌心。一年のうち、何度か必ず集中して聴きたくなる、僕のお気に入りのピアニストの一人である。

そんなバリバリに弾きまくるピーターソンを聴いていて「はて、確か、日本人ピアニストにも、こんなバリバリにスタンダードを弾きまくるピアニストがいたような」と思い当たった。う〜ん、誰だったか。そうそう本田本田竹曠(ほんだたけひろ)である。

本田竹曠との出会いは、アコピの本田では無かった。日本のスーパー・フュージョン・グループであった「ネイティブ・サン」のキーボード奏者としての本田が最初の出会い。趣味の良い、印象的なフレーズを弾きまくる本田は良かった。良いキーボード奏者やなあ、というのが当時の印象。

そして、ジャズをどんどん聴き進めて行って、ジャズの深い部分にたどり着いた頃、このアルバムに出会った。本田竹曠『In A Sentimental Mood』(写真左)。1985年のリリース。ちなみにパーソネルは、本田竹曠 (p), 井野信義 (b), 森山威男 (ds)。

本田竹曠のアコピ・トリオによるスタンダード集である。2014年1月19日のブログ(左をクリック)でご紹介した、本田竹曠『My Funny Valentine』と対になる兄弟盤。この『My Funny Valentine』は、同様にバリバリ弾きまくるが、雰囲気的にはちょっと情緒的な、フレーズの爽やかさを聴かせるアルバムだった。

が、今回の『In A Sentimental Mood』は、とにかく何が何でもバリバリに弾きまくる。情緒的な雰囲気を吹っ飛ばし、バップ・ピアニストの様に、ハードバップにバリバリに弾きまくる。まるで、オスカー・ピーターソンばりの弾きまくり。しかも、テクニックは抜群。決して破綻することの無い、高テクニックかつ鮮烈なアドリブ・ライン。
 

Honda_in_a_sentimental_mood_3

 
収録曲を並べると以下の通りになる。なんと、本当に「ど」が付くほどのジャズ・スタンダード曲がズラリと並ぶ。「Misty」だろうが「Body And Soul」だろうが、バリバリに弾きまくる。すんごい疾走感である。

1. Mr.P.C.
2. Misty
3. A Night In Tunisia
4. Body And Soul
5. Autumn Leaves
6. Once I Loved
7. In A Sentimental Mood
8. Everything Happens To Me
 
ベースの井野、ドラムの森山と共に、本田のピアノが格好良い、ダンディズム溢れるピアノ・トリオ盤である。とにかく格好良い。聴いていて惚れ惚れする。スカッとする。そして、面白いのは、粘りのあるジャズ独特のファンクネスが全く感じられないこと。オフビートなので、ジャジーではあるんだが、それは、日本人独特の乾いたジャジーな雰囲気。

演奏の形式はハードバップだけど、本田のアコピは「ビ・バップ」。弾きまくる弾きまくる。でも、決して、耳に付かず、耳にもたれない。日本人独特の乾いた、お茶漬けの様にサッパリしたファンクネスを漂わせ、明快に明朗に、ジャズ・スタンダードを唄い上げていく。

日本人のピアノ・トリオがここまでの演奏をするなんて、本当に万感の想いがします。日本人によるジャズがしっかりとした個性を持った、そんな日本人としての誇りを感じるピアノ・トリオのパフォーマンスです。

 
 

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2014年4月21日 (月曜日)

これもロッド者への贈り物です

昨日のRod Stewart『Live 1976-1998 : Tonight's The Night』に続いて、今日もロッド者への贈り物の話を。

ちょっと古い話になるが、2009年10月、ロッドの楽曲の未発表曲やアウトテイクや別バージョン、最終ミックス前バージョン、ラフスケッチ風のアーリー・バージョンなど、25年以上のキャリアの中から63曲を集めた、CD4枚組ボックス盤がリリースされた。そのタイトルは『The Rod Stewart Sessions 1971-1998』(写真)。

ロックのアルバムというのは、収録された楽曲はどれもがベストテイクで固められている。つまり、正式なアルバムに収録されたテイクが最高のテイクで、そのテイクを凌駕するテイクがアウトテイクとして残っていることは、かなり希である。

最終ミックス前のベーシックなバージョンも、弦が入っていなかったり、エレギが入っていなかったり、コーラスが入っていなかったりで、正式なアルバム収録の最終バージョンを知っていると、なんだか、気の抜けたビールの様な、何か大切なものが足らない様な感じがどうにもいけない。

ラフスケッチ風のアーリー・バージョンは、その楽曲の完成までの過程を理解することが出来るが、その出来はかなりラフなもの。マニアには良いかも知れないが、通常のリスナーには不要なものだろう。

最近、CDの収録時間の長さを利用して、LP時代のアルバムの収録曲の後に、このアウトテイクや別バージョン、最終ミックス前バージョン、ラフスケッチ風のアーリー・バージョンを入れることが多くなった。これって、ジャズのCDと同じ感じなんだが、ジャズの場合とは意味が異なる。
 

Rod_sessions_1971_1998

 
ジャズは即興の音楽なので、別テイクでもその出来や内容は、アルバムに正式に採用されたバージョンと比べて遜色の無いものがほとんど。つまり、ジャズは同じレベルや内容で別テイクを幾つも演奏することが目的の「即興の音楽」だということ。ジャズには、このアウトテイクや別バージョン、最終ミックス前バージョン、ラフスケッチ風のアーリー・バージョンを収録することは、それなりに意味がある。

逆に、ロックは「エンタテインメントな音楽」である。聴いて楽しむ事が目的である。当然、アルバムに収録された楽曲はベストテイクでなければならず、ベストテイクより劣る同じ楽曲のアウトテイクや別バージョンを収録することには、あまり意味が無い。

よって、ロックの場合、アウトテイクや別バージョン、最終ミックス前バージョン、ラフスケッチ風のアーリー・バージョンは、そのミュージシャンのマニアのみが楽しむものであり、この『The Rod Stewart Sessions 1971-1998』の様に、一気に集めて、ボックス盤でリリースするのが良いと思う。

そういう意味で、この『The Rod Stewart Sessions 1971-1998』は、ロッドのマニア、いわゆる「ロッド者」にとって、素晴らしい贈り物だ。ロッド者にとって、未発表曲とアウトテイク、別バージョンの存在は、とにかく嬉しい。そして、最終ミックス前バージョン、ラフスケッチ風のアーリー・バージョンなども、ロッドの歌声を愛でるには問題無く、正式なアルバムに収録されたベストテイクとはちょっと違う、ちょっと足りところが、またマニア心をくすぐるというものだ。

このCD4枚組の『The Rod Stewart Sessions 1971-1998』というボックス盤は、ロッドのファン、いわゆる「ロッド者」として聴くには、とても楽しい内容になっている。逆に、ロッドに興味の無い人には必要の無いCD4枚組でしょうね。それで良いんです。

このアウトテイクや別バージョン、最終ミックス前バージョン、ラフスケッチ風のアーリー・バージョンなど、25年以上のキャリアの中から63曲を集めたCD4枚組ボックス盤は、昨日の『Live 1976-1998 : Tonight's The Night』と同様、長年忠誠を誓ってきた「ロッド者」へのロッドからの贈り物なんですから。

 
 

大震災から3年1ヶ月。決して忘れない。まだ3年1ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、復興に協力し続ける。 

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2014年4月20日 (日曜日)

ロッドからのロッド者への贈り物

昨年5月に『タイム ~ 時の旅人 ~ 』で全英チャート1位を獲得したロッド・スチュワート(Rod Stewart)。今年69歳。年齢など関係無しにアグレッシブに活動を続ける、ロック界最高のボーカリストである。

そんなロッド・スチュワートが、今年の3月、未発表のライブ音源を一気にリリースした。CD4枚組のボリューム。そのタイトルは『Live 1976-1998 : Tonight's The Night』(写真左)。1976年から1998年まで、18年間に及ぶライヴ音源をCD4枚に凝縮。収録される58曲すべてが未発表。ふへ〜っ、思い切ったことしたなあ。

Disc1は、全て1976年のライブ音源で占められる。1976年と言えば、ロッドは、その前年、あの名盤『Atlantic Crossing』をリリース、そして、その続編となる『A Night on The Town』をリリースした年。確かに、『Atlantic Crossing』から『A Night on The Town』の雰囲気がそのままライブ音源に反映されている。

Disc2は、1976年から1981年までのライブ音源。冒頭にあの名曲「Sailing」が配置され、このDisc2のライブ音源は、フェイセズ時代やソロ初期時代の曲など、ロッドとして珍しい曲が並ぶ。ロッドって、ライブでは結構過去の曲とか、オールディーズのカバーを結構やってたんやね。

Disc3は、1984年から1989年までのライブ音源。1980年代はMTVの時代。リズム&ビートは打ち込みが主流となり、録音はデジタルが主流になって、音楽的には不毛な時代。そんな時代にも、ロッドは1970年代と全く変わらないライブ・パフォーマンスを繰り広げている。素晴らしい。
 

Rod_live_1976_1998

 
Disc4は、1991年から1998年までのライブ音源。ここまでくると、ロッドのライブはもはや、揺るぎの無い内容になっている。ソロ時代の曲もあれば、オールディーズのカバーもあり、とにかく楽しくロッドは歌い続ける。意外とこの1991年から1998年のライブ音源が感動的。

ライブ・パフォーマンスの内容としては、どのDiscも「上の下」から「中の上」の出来。凄く内容の良い、いわゆる「化学反応が起きた」ライブ音源は無い。といって「これはなあ」と眉をひそめるような、出来の悪いライブ音源も無い。感心するのは、4枚のディスクのライブ・パフォーマンスの内容に全くバラツキの無いこと。

逆に、全ての音源が「未発表音源」の理由が良く判る。これは凄い、と感動するライブ音源はほどんど見当たらない。どの演奏についても、ロッドはとにかく十分にリラックスして、楽しく唄っている。生粋のエンターテインメント。ライブを見に来た客をとにかく楽しませることに徹している。

だから、このライブ盤、ロッドのファン、いわゆる「ロッド者」として聴くには、とても楽しい内容となっていて、ロッドのリラックスした楽しいパフォーマンスをCD4枚のボリュームで堪能出来る、素晴らしい未発表ライブ音源集になっています。

逆に、ロッドに興味の無い人には必要の無いCD4枚組でしょうね。それで良いんです。このCD4枚組未発表ライブ音源は、長年忠誠を誓ってきた「ロッド者」へのロッドからの贈り物なんですから。

 
 

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2014年4月19日 (土曜日)

ビッグバンド・ジャズは楽し・27

ギル・エバンスは、ジャズのコンポーザー・アレンジャー・ピアニスト。スモール・コンボからビッグ・バンドを主宰し、その独特の音世界はギル・エバンスだけが表現できるもの。ただ、彼はその才能に見合う、社会的成功には恵まれなかった。まあ、そういうものに無頓着だったことが原因だったらしいのだか・・・。

ギル・エバンスの独特の音世界について、判り易く体感できるアルバムがこれ。The Gil Evans Orchestra『Out of the Cool』(写真左)。1960年11〜12月の録音。このアルバムを聴けば、ギル・エバンスのアレンジの個性がとても良く判る。

アレンジの個性を体感するには、まずはアルバムを聴いて頂くのが一番で、こうやって文字にするのは、なかなか骨が折れる。しかし、アルバムを聴く時の一助となるよう、なんとか、ギル・エバンスの音世界の個性を文字にしてみる。

まず、手始めに、ギル・エバンス・オーケストラのパーソネルを確認したい。オーケストラのパーソネルは以下の通り。

Gil Evans - piano
Johnny Coles - trumpet 
Phil Sunkel - trumpet
Keg Johnson - trombone
Jimmy Knepper - trombone
Tony Studd - bass trombone
Bill Barber - tuba
Ray Beckenstein - alto saxophone, flute, piccolo
Eddie Caine - alto saxophone, flute, piccolo
Budd Johnson - tenor saxophone, soprano saxophone
Bob Tricarico - flute, piccolo, bassoon
Ray Crawford - guitar
Ron Carter - bass
Elvin Jones - drums
Charli Persip - drums
 

Out_of_the_cool  

 
ギル・エバンスのアレンジ独特の個性を演出する楽器として、まずトロンボーンの数の多さとベース・トロンボーンやチューバ、バスーンといった管楽器でも低音部を強調する楽器を多用していること。これが、ギル・エバンス独特の音の個性の「肝」の部分である。
  
とにかく、ギルのアレンジは独特な音の響きがある。ひとつはこの管楽器の選択、特に木管楽器の採用にある。これが、他のジャズの音の響きとはちょっと違う、クールな響きを演出している。

もうひとつ、ギルのアレンジの個性については、ユニゾン&ハーモニーの音の重ね方、音の盛り上げ方、音の抑揚の付け方にある。これはもう聴いて頂くしか無いのではあるが、ギルのアレンジの方向性は、それまでのジャズ・オーケストラのアレンジとは一線を画すもの。それはそれは個性的なものである。

ジャズ・オーケストラにおいては、他のリーダーがオーケストラ全体のアンサンブルに重点を置いていたのに対して、ギルは個性的なソロイストに焦点をあて、ギルのアレンジ独特のオーケストラのバッキングとリズムの上で、そのソロイスト達の演奏を散りばめるという、いわばジャズの本質を前提とした個性的で芸術的なもの。「音の魔術師」と呼ばれる所以である。

つまりは、それまでのジャズ・オーケストラのアレンジの方向性は、アンサンブルのアレンジ重視の、所謂、娯楽としての音楽、ポピュラー音楽として楽しめる様なアレンジの方向性であった。デューク・エリントンしかり、カウント・ベイシーしかり。

しかし、ギル・エバンスのアレンジの方向性は違う。あくまで、ソロイストの演奏を全面に押し出して、ソロイストのアドリブ・フレーズを活かし、オーケストラの演奏は、あくまでその惹き立て役に徹する。ジャズをアートとして捉え、オーケストラをあくまで、ジャズのインプロビゼーションの一部として見立てた、当時としては斬新なものであった。

この『Out of the Cool』を聴けば、それが良く判る。確かに、ギルのアレンジされたオーケストラに、ソロイストの演奏が惹き立てられ、演奏全体の雰囲気が実にクールに、実にアーティスティックに響く。

「ジャズ・オーケストラは、どれも画一的で面白くない」と思っている方は、是非とも、このアルバムを御一聴願いたいですね。ジャズ・オーケストラに対する印象が変わること請け合いです。

 
 

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2014年4月18日 (金曜日)

俗っぽくポップなラテン・ジャズ

ラテン・ジャズの Mr.コンガマン、モンゴ・サンタマリア(Mongo Santamaria)。まあ、とにかく俗っぽい、ポップなラテン・ジャズをやりまくる「ラテン・ジャズの王様」である。

そんな「ラテン・ジャズの王様」、モンゴ・サンタマリアのファンクネス溢れるラテン・ジャズなアルバムがこれ。Mongo Santamaria『Mr. Watermelon Man』(写真左)。1963年の作品。モンゴ・サンタマリアの大ヒットアルバムである。

冒頭がラテン・ジャズの大ヒット曲「La Bamba」から、これはまあ、とにかく俗っぽい、とてもポップでジャジーな演奏に思わずニンマリ。1963年、米国でジャズがまだまだポピュラー音楽のひとつとして人気を博していた頃、古き良き時代のヒット曲の雰囲気が実に懐かしい。

この「La Bamba」の思いっきり俗っぽい、思いっきり脳天気なラテン・ジャズも良いが、脳天気なラテン・ジャズ風に思いっきりアレンジされ直した「Summertime」も聴いていて、これまた俗っぽくて、とにかく楽しい。

そして、極めつけはタイトル曲の「Watermelon Man」。ハービー・ハンコックの若かりし頃のヒット・チューンである。前奏からして、テーマ分のフレーズからして、思いっきりファンキーな、ファンキー・ジャズを代表する楽曲である。このファンキー・ジャズの楽曲を、サンタマリアは思いっきりラテン・ジャズ化する。
 

Mr_watermelon_man

 
この「Watermelon Man」は、もはやファンキー・ジャズの範疇の演奏内容ではない。これはもうラテンだ。ラテン・ミュージックだ。リズム&ビートが辛うじてジャジーなので、ラテン・ジャズの範疇に引っ掛かってはいるが、これはもうポピュラー音楽の範疇。聴いていると、思わず腰が動く。猥雑で徹底的に俗っぽい、ポジティブな演奏。

4曲目の「Manha De Carnaval」も良い。こうやって聴き進めて行くと、この『Mr. Watermelon Man』ってアルバム、そもそも、収録曲の選曲が良い。ラテン・ジャズの王道を行く、ラテン・ジャズとして映える楽曲を上手く選択し、アレンジしている。そのサンタマリアの手腕に感心することしきり、である。

ヒューバート・ロウズのフルートも絶品。ところどころ、魅力的なフルートが爽快感溢れるフレーズ聴かせてくれる。ラテン・ジャズに爽やかなフルート。誰や、と思ってライナーノーツを見たら、なんとあのフルートの職人ヒューバート・ロウズでは無いか。いやはや、素晴らしいファンキー・フルートである。

「アーティスティック」という単語とは全く無縁の、とにかく俗っぽい、とてもポップでジャジーな演奏が印象的。つまりは良い意味で「俗っぽく」、つまりは良い意味で「ポップでジャジー」。米国でジャズがまだまだポピュラー音楽のひとつとして人気を博していた頃のポップでダンサフルな演奏です。アートでは無いけどポップです。思わず、腰が動きます(笑)。

 
 

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2014年4月17日 (木曜日)

1960年・過渡期のマイルス

過去にリリースされたらしいが、マイルス者の僕にとって、このライブ盤は「新譜」である。このライブ盤内容はブートに近い。
 
僕は基本的に「ブート」には手を出さない。手を出し始めたら「底なし」だし、当たり外れが大きいギャンブルに手を出すほど、資金的に豊かでは無い。こうやって、正式盤として発売されると入手し易くて良い。

そのライブ盤とは、Miles Davis『Manchester Concert - Complete 1960 Live At The Free Trade Hall』(写真左)。1960年9月27日、英国マンチェスターのThe Free Trade Hallでのライブ録音。なんだが、なぜかDisc2のボートラには、1963年5月29日、米国セントルイスのJazz Villaでのライブ音源が入っていて、ちょっと紛らわしい。

さて、それぞれのパーソネルを確認しておくと、英国マンチェスターのライブ音源は、Miles Davis (tp), Sonny Stitt (as,ts), Wynton Kelly (p), Paul Chambers (b), Jimmy Cobb (ds)。米国セントルイスのライブ音源は、Miles Davis (tp), George Coleman (ts), Herbie Hancock (p), Ron Carter (b), Tony Williams (ds)。音はあまり良くない。

1960年9月27日の演奏は、ジョン・コルトレーン脱退後、ソニー・スティットを加えてのクインテットでの欧州ツアーの演奏。ソニー・スティットのサックスが、かなり溌剌としていて元気だ。しかも、かなりのハイテクニックで飛ばしまくっている。ソニー・スティットって、こんなに速吹きだったけ、とビックリするほどである。

思わず「聴き易いシーツ・オブ・サウンド」だと思ってしまった(笑)。明らかに、前任のコルトレーンを意識している。でも、コルトレーンはモードだが、スティットはコード。コルトレーンを意識しているとは言え、スティットのサックスは、ハードバップ時代のコード奏法のコルトレーンに似ているが、コルトレーンよりシンプルでバリエーションに乏しい。

それでも、このライブ盤でのソニー・スティットは大健闘している。が、どうにもこうにも、シンプルでバリエーションに乏しいが故に、聴き続けていると飽きてくる。どの曲のどのアドリブ・フレーズも似通っている。このスティットのブロウを聴いていると、コードをベースとしたハードバップはマンネリズムに陥りやすい、ということが良く理解出来る。

逆に、マイルス御大は、何時になく絶好調。テクニック充実、ブロウ充実、ハイノートも難なくクリアし、ミストーンも無い。このライブ盤でのマイルスは絶好調。このライブ盤を聴くと、やはりマイルスは上手いと思う。やはりマイルスのトランペットの腕前は超一流だということを再認識する。
 

Miles_manchester

 
溌剌としたスティット、充実のマイルスに比べ、ウィントン・ケリー、ポール・チェンバース、ジミー・コブのリズム・セクションは、余り目立たない。やや平凡なリズム&ビートに終始する。覇気が無いというか、おきまりのリズム&ビートをなぞっている感じのリズム・セクションが惜しい。フロントの二人が吹きまくっているだけに、化学反応が起きなかったのは実に惜しい。

そして、Disc2のボートラ、1963年5月29日、米国セントルイスのJazz Villaでのライブ音源は、そのパーソネルを見ても判る様に、モーダルなマイルス・バンドの始まりを捉えたもの。それまでのコード奏法中心のハードバップとは、一線を画した、全く異なる雰囲気と演奏手法であることが凄く良く判る。

当時、従来のスタイルであった、スティット参加のコード奏法中心のハードバップと、最先端の奏法であったコールマン参加のモード奏法中心のコンテンポラリーな演奏と、その差は歴然である。比較して聴けば、コード奏法中心のハードバップは、早々にマンネリズムが訪れ、ちょっと平坦なメリハリの無い演奏に陥りがちで、聴き進めると徐々に退屈になってくる。

モード奏法中心のコンテンポラリーな演奏は、確かに、コード奏法中心のハードバップに比べて、バリエーション豊かで、変化に富み、アドリブの展開も拡がりがあるものなんだが、コールマンのフレーズがちょっと一本調子で、演奏全体に渡って変化に乏しいのが難点。さすがに、ハービー、ロン、トニーのリズム・セクションは、完全に新しい音を出し続けている。

最後にまとめると、このライブ盤、コード奏法中心のハードバップについては、どうにもこうにも、ちょっとマンネリズム漂う、意外性に乏しい、平板な演奏に終始していて、ちょっと残念。特に、マイルス御大が絶好調なだけに、この結果は惜しい。逆に、モード奏法中心のコンテンポラリーな演奏は、コールマンだけが浮いていて痛い。コールマンとマイルス、フロントの相性は良くない。

あまり評価が芳しくは無いですが、スティット参加の珍しいライブ音源として、絶好調のマイルスが聴けるライブ音源として、マイルス者ベテランの方は持っておいて損は無いでしょう。一般のジャズファンの方々には、敢えてお勧めすることはしません。正式盤にもっと優れたライブ盤が沢山あります。

 
 

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2014年4月16日 (水曜日)

初めて出会った山下洋輔トリオ

今を去ること35年前。ちょうど二十歳の学生時代。僕は山下洋輔に出会った。当時、ジャズを聴き始めて1年しか経っていない頃。フリー・ジャズという響きに憧れを感じて、止めれば良いのにフリー・ジャズのアルバムを2枚買った。その2枚のうちの一枚が山下洋輔だった。

動機は簡単。日本人が演奏するフリー・ジャズだから、である(笑)。当時、まだまだ日本人として拘りとプライドがあった。日本人として、やっぱり日本人が演奏するジャズが優れていて欲しいのだ。よって、何だか知らないが、どうしても日本人ジャズに手が伸びる。

その山下洋輔のアルバムとは『キアズマ』(写真)である。1975年6月6日、独のハイデルベルグ・ジャズ・フェスにて実況録音。ちなみにパーソネルは、山下洋輔(p), 坂田明(as), 森山威男(ds)。ベースの居ない、変則ピアノ・トリオである。

1曲目「ダブル・ヘリックス」はピアノとドラムのデュオ、2曲目「ニタ」はピアノソロで、この2曲だけでも、かなり聴かせてくれる。フリー・ジャズだからといって重く無い。フリー・ジャズだからと言って難解では無い。フリー・ジャズだからといってアブストラクトでは無い。

山下洋輔のフリー・ジャズは、決して「でたらめ」では無い。好き勝手と言っては語弊がある。アドリブのフレーズにも、必要最低限の決め事がある。ジャズで言う「モード」に通ずる必要最低限のフレーズの決め事がある。演奏方法について必要最低限の決め事の中で、その範囲内でピアノやドラムやアルトが好き勝手に演奏する。
 

Yosuke_yamashita_chiasma

 
そして、3曲目の「キアズマ」で、いよいよアルト・サックスの坂田明の参入である。このピアノ・ドラム・アルトのトリオが、実に爽快感、疾走感のあるフリー・ジャズな展開が凄い。決して重く無い。重厚では無く「軽快」なフリー・ジャズ。軽薄では無い「爽快」な展開。そして、3者一体となった、フリーキーな疾走感が素晴らしい。

ベースが無い分、疾走感が増幅され、それぞれの楽器のアドリブ・フレーズが走り去った後の爽快感が堪らない。そう、この山下洋輔トリオのフリー・ジャズの個性は、疾走・爽快・軽快である。軽快とは悪い意味では無い。とにかく「重く無い」のだ。計算された理知的な軽さ、なのだ。

今の耳で聴くと、これってフリー・ジャズなのか、と思う。凄く聴き易いのだ。必要最低限の決め事をベースに、自由に柔軟に、それぞれの楽器が演奏を続けて行く。誤解を恐れずに言うと、モーダルなフリー・ジャズという感じかな。この必要最低限の決め事の存在が、この山下洋輔トリオのフリー・ジャズを聴き易くし、判り易くし、親しみ易くしている。

山下洋輔トリオは、好き勝手に演奏してはいない。僕は、この山下洋輔トリオのフリー・ジャズに「構築美」を感じる。自由に演奏するのがフリー・ジャズなら、構築美という言葉は相応しくないのだが、この山下洋輔トリオのフリー・ジャズには、このトリオならではの、このトリオでしか感じられない「構築美」を感じる。 

今を去ること35年前。ちょうど二十歳の学生時代。初めて出会った山下洋輔トリオ。フリー・ジャズなのに、何故か聴き易く、判り易く、親しみ易かった。特にこの『キアズマ』、学生時代のヘビロテ盤でした。今でも好きで、ちょくちょく聴きます。

 
 

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2014年4月15日 (火曜日)

ブルーベックが歌伴を務めた盤

さて、今日もデイブ・ブルーベックの珍しい盤をご紹介しよう。デイブ・ブルーベックは、日本では評判が芳しく無い。スイングしないだの、ファンクネスを感じないだの、黒く無いだの、ジャズらしく無いだの、けちょんけちょんである(笑)。

何故、日本ではこんなに酷評に次ぐ酷評をされるのかが判らない。米国では、かなりの評価を得ている訳だから、日本でのこの評価の低さは何故だろう。僕には不思議でたまらない。

ちゃんと聴けば、デイブ・ブルーベックだって、一流のジャズ・ミュージシャン。悪かろう筈が無い。というか、2012年12月に、91歳で鬼籍に入るまで、約50年間、第一線で活躍できる筈が無い。デイブ・ブルーベックもしっかりとした個性を持った、優れたピアニストである。

スイング感は希薄で、それでいて流麗な、流れる様なピアノのフレーズ。しかし、タッチは硬質でクラシックのタッチでは決して無い。あくまで、ジャズ畑のピアニストのタッチ。ブルーベックは、クラシックの4拍子の流れの様に、スクエアに「スイング」する。

日本での評判の悪さ。ブルーベックにソロ・ピアノは無理だ、と言われたが、ブルーベックには『Brubeck Plays Brubeck』という優れたソロ・ピアノ作がある。それでは歌伴は無理だろう、と言われるが、確かに、スクエアに「スイング」するブルーベックには歌伴は無理かなあ。

と思っていたら、またまた、この歳になって、ブルーベックのこんなアルバムに出会った。なんと、デイブ・ブルーベックが歌伴をやっているのだ。
 

Brubeck_and_rushing

 
そのアルバムとは、The Dave Brubeck Quartet Featuring Jimmy Rushing『Brubeck & Rushing』(写真左)。1960年の録音になる。ちなみにパーソネルは、Jimmy Rushing (vo), Dave Brubeck (p), Paul Desmond (as), Gene Wright (b), Joe Morello (ds)。ジャズとブルースの大歌手ジミー・ラッシングが、デイヴ・ブルーベック・カルテットと共演したアルバム。

ルイ・アームストロングばりのダミ声だが、ウォームでソウルフルなラッシングのボーカルに、硬質なタッチでスイング感は希薄ではあるが、それでいて流麗な流れる様なブルーベックのピアノが良く合う。ソウルフルでブルージーな歌声に、リリカルなピアノやバップなピアノは似合わない。

合わせて、デスモンドのアルトも相性が良い。クールでウォームなデスモンドのアルトは、ラッシングのボーカルに相対するものであり、この対比もまた良い。

遅れたが、ジミー・ラッシングについて、簡単にご紹介しておこう。ジミー・ラッシングは1903年8月オクラホマで生まれ。30歳を過ぎて、カウント・ベイシー楽団に入団し、人気ボーカリストとなる。その後、独立し活躍を続け、1972年6月、68歳でこの世を去った。

このジミー・ラッシングの優れたボーカルは、このアルバムのハイライト。ブルーベックの優れた歌伴と、ラッシングのボーカルに相対するウォームなアルトの存在が、このアルバムを更に魅力的なものにしている。

ブルーベックのピアノが歌伴を務めるアルバムがあるとは知らなかった。しかも、魅力的な歌伴である。スクエアに「スイング」するブルーベックは歌伴も立派にこなす、優れたジャズ・ピアニストの一人であった。

 
 

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2014年4月14日 (月曜日)

ブルーベックの印象が変わります

僕はこのアルバムの存在を知らなかった。もともと、このジャズ・ピアニストは日本で人気が無い。特に、年配の評論家の皆さんに受けが悪い。あのマイルス・デイヴィスをして「あんなスイングしないピアニストはいない」と、けちょんけちょんである。

そのジャズ・ピアニストの名は「ディブ・ブルーベック(Dave Brubeck)。そして、そのブルーベックのソロ・ピアノ盤がある。そのソロ・ピアノ盤とは『Brubeck Plays Brubeck』(写真左)。1956年4月18〜19日の録音。ブルーベックの完全ソロ・ピアノ。

ピアノだけを聴くと、スイング感は希薄で、それでいて流麗な、流れる様なピアノのフレーズ。しかし、タッチは硬質でクラシックのタッチでは決して無い。あくまで、ジャズ畑のピアニストのタッチ。

加えて、ブルーベックのピアノは、前衛的なクラシックの様なピアノを応用しているので、流れる様に横に揺れるように、オフビートにスイングすることは出来ない。ブルーベックは、クラシックの4拍子の流れの様に、スクエアに「スイング」する。

アフリカン・アメリカンの流れる様に横に揺れるように、オフビートにスイングするのでは無く、ヨーロッパのクラシックの様に縦に揺れるように、オフビートにスイングする。この個性的で独特な「スイング感」をどう感じるかで、ディブ・ブルーベックに対する好き嫌いが決まるような気がする。

このソロ・ピアノ盤『Brubeck Plays Brubeck』は、そんなブルーベックのピアノの個性が満載。このソロ盤を聴けば、ブルーベックのピアノとは如何なるものかが良く判る。思いっきり、スクエアにスイングしている。
 

Brubeck_plays_brubeck

 
そして、面白いのは、スクエアなノリなのに、このソロ盤では、ブルーベックはなかなかにリリカルでロマンティック。流れる様な、美しいフレーズが意外と言えば意外。スクエアなノリを最小限の押さえながら、流麗なフレーズを紡ぎ出していくブルーベックは意外に繊細だ。

このブルーベックのソロ盤を聴くと、ブルーベックのピアノに対するネガティブな印象が揺らぐこと請け合い。ブルーベックのピアノはソロになると、流麗な美しい響きのピアノに早変わりする。タッチは硬質ではあるが適度なもので、心地良い硬さ。ビート感、スイング感が希薄なので、クラシック系のピアノ・ソロの様な、リリカルな雰囲気が強調される。

5曲目の「Weep No More」だけが、 Tom Adair / Dave Brubeck / Gordon Jenkins の共作で、残りの8曲は、Dave Brubeckのオリジナル。自らのピアノが映える自作曲をしっかりと用意して、自らのピアノをしっかりとアピールしている。さすが、作曲の才あるブルーベックである。

今やスタンダード曲となった「In Your Own Sweet Way」もブルーベックの曲で、なんと、このソロ・ピアノ盤『Brubeck Plays Brubeck』が、この曲の初出とのこと。へ〜知らなんだ。

僕はこのソロ・ピアノ盤『Brubeck Plays Brubeck』の存在を知らなかった。聴いてビックリ。このアルバムでの個性を鑑みれば、今までの日本でのブルーベックの評価は的外れなのがとても良く判る。

やはり、自分の耳で聴いて、自分で判断することがジャズでは大切、と再認識した次第。ジャズ・ピアノのマニアの方にお勧めのソロ盤です。

 
 

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2014年4月13日 (日曜日)

ジャズ・ボーカル盤は歌伴に注目

春はジャズ・ボーカルを愛でるに相応しい季節なんだが、我がバーチャル音楽喫茶『松和』では、ジャズ・ボーカルの選盤基準が、ちょっと他とは違う。

その我がバーチャル音楽喫茶『松和』のジャズ・ボーカル盤の選盤基準の一つが、ジャズ・ボーカルの伴奏者に注目して選ぶこと。特に、ピアニストに注目して、ジャズ・ボーカル盤を選盤することが多い。

例えば、昔から好きなボーカル盤の一枚がこれ。Oscar Peterson & Ella Fitzgerald『Ella & Oscar』(写真)。1975年5月、ロスでの録音。ちなみにパーソネルは、Ella Fitzgerald (vo), Oscar Peterson (p), Ray Brown (b)。Pabloレーベルに残されたNorman Granzプロデュース作品。

Ella Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)は、ビリー・ホリデイ、サラ・ヴォーンと共に、女性ジャズ・ボーカリストの最高峰に位置する、不世出な存在である。愛称は「Lady Ella」または「The First Lady of Song」。彼女の歌は、どのアルバムでも聴けば判るが、素晴らしい歌声と素晴らしいテクニックを持ったもの。

しかし、僕はエラのバックで伴奏に徹するオスカー・ピーターソンに興味がいってしまう。オスカー・ピーターソンは、ジャズ・ピアノ史上、最高のテクニックの持ち主で、そのスインギーかつ高テクニックなフレーズは、他の追従を許さない。そのオーバー・スイング気味の圧倒的なアドリブ・フレーズは凄まじく、あまりの凄さに「スイングの権化」と揶揄されることもある。
 

Ella_and_oscar

 
女性ボーカリストの最高峰とジャズ・ピアノの最高峰との邂逅である。どちらも最高峰な二人なので、我が出て、なかなかまとまらないのではと危惧するが、これがそうならないのが、ジャズの面白いところ。それも、そのはず、このエラとピーターソンの二人は、1940年代後半から1950年前半に人気を博したJATP(Jazz at the Philharmonic)で、バッチリと共演しており、その相性は抜群なのだ。

この『Ella & Oscar』は、エラが58歳、ピーターソン50歳。ジャズ・ミュージシャンとしても成熟の域に達していて、それはそれは、粋でスインギーでジャジーな、これぞジャズ・ボーカルというパフォーマンスを聴かせてくれる。

ピーターソンは歌伴上手という評価があるが、確かにそれは言える。ピーターソンは、自らがリーダーのアルバムの時とは異なり、ジャズ・ボーカリストの共演の場合は徹底的に歌伴に徹する。音の大きさは、決してボーカリストの前に出ることは無い。テクニックについても、ボーカルを邪魔するような、高テクニックな弾きまくりは一切無い。

逆に、高テクニックなだけに、ボーカルの様々なシチュエーションに適応する。歌伴として、表現のバリエーションがかなり豊かであり、いかなるボーカル曲であれ、歌伴ピアノとして、ボーカリストを惹き立て、ボーカリストを徹底的に立てる。いや〜、とにかく、ピーターソンの歌伴は素晴らしい。

ピーターソンの素晴らしい歌伴を得て、エラはその才能と歌声、そしてテクニックのあらん限りを尽くして、アルバム全編に渡って唄いまくる。優れた歌伴によって、エラのボーカルの魅力が2倍にも3倍にも増幅されている。

歌伴あってのボーカル。歌伴が優れていれば、そのボーカル盤は2倍にも3倍にも、その魅力が膨らんでいく。

 
 

大震災から3年。決して忘れない。まだ3年。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、復興に協力し続ける。 

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2014年4月12日 (土曜日)

フリー・ジャズをバックに唄う

子供の頃から、春には狂気が潜んでいるように感じている。寒い冬がようやく去って、心地良い麗らかな春がやって来る。皆、心ウキウキ、喜びと開放感満点の陽気。でも、そんな陽気の底に、何かドロドロとした危険な香りのする「狂気」を感じる。春独特の、生命感が溢れる春ならではの「狂気」。

春はジャズ・ボーカルの季節と感じているが、このアルバムは、その「春の狂気」を感じさせてくれる、心地良い麗らかなフレンチ・ポップ風の歌声の裏に、フリー・ジャズの狂気がしっかりと横たわっている。このアルバムは、フランスの女性ジャズ・ボーカリストと米国のフリー・ジャズ・バンドとの一期一会の邂逅を捉えた、素晴らしい共演盤。

そのアルバムとは、Brigitte Fontaine『Comme à la radio』(写真左)。1969年11月のリリース。『Comme à la radio』のタイトルは仏語。邦題は『ラジオのように』。Brigitte Fontaine(ブリジット・フォンテーヌ)は、フランスのアバンギャルド・ミュージックの女性ボーカリスト。1940年生まれだから、このアルバムをリリース時は弱冠29歳。

このアルバムは、フランスのアバンギャルド・ミュージックの女性ボーカリスト、ブリジット・フォンテーヌが、当時、フランスで活動していた、米国出身のフリー・ジャズ・バンド、Art Ensemble Of Chicago(以下、AEOCと略)との共演盤。

しかし、この盤に初めて出会った時、フリー・ジャズ・バンドをバックに従えて、歌を歌いまくるって、これって何なんだ、と思った。そんなことが可能なのか、とも思った。だって、フリー・ジャズをバックに唄うんでっせ。どうやって唄うんだか(笑)。

冒頭のタイトル曲「Comme à la radio」を聴けば、なるほどな、と思う。ボーカルのパートは、しっかりとアレンジされたフレーズをしっかりと守りつつ、AEOCは神妙に、アブストラクトな雰囲気漂う、攻撃的な伴奏をキープする。そのAEOCをバックに、ブリジットは魅惑的な仏語で、妖艶にアブストラクトに語りかける様に唄いまくる。
 

Comme_a_la_radio

 
実に魅惑的な、実にプログレッシブなボーカル盤である。なるほど、これは「あり」ですね。しかし、他にこのコンセプト、つまり、フリー・ジャズ・バンドをバックに従えて歌を歌いまくる、というコンセプトを踏襲したアルバムを他に知りません。

恐らく、このアルバムの成功は、フランスのアバンギャルド・ミュージックの女性ボーカリスト、ブリジット・フォンテーヌがボーカルを取ったこと、それも妖艶な響きのする仏語で唄ったこと。そして、AEOCが、フリー・ジャズ・バンドとして、そのアブストラクトな雰囲気を湛えつつ、しっかりアレンジされた、優れた伴奏を提供したこと。この2点が邂逅し、一期一会な化学反応を起こした結果だと推察している。

それにしても、このボーカル盤の雰囲気は、他のジャズ・ボーカルのアルバムとは全く異なる、とてもアバンギャルドで、とてもフリーキーなもの。ブリジットの歌声は徹底的に妖艶であり、徹底的に攻撃的だ。しかし、その歌声は心地良い響きであり、ポジティブにアバンギャルドだ。

う〜ん、このボーカル盤の雰囲気は文字ではダイレクトに伝え難いなあ。是非とも聴いて欲しいですね。聴けば判る。このアルバムの妖艶さと攻撃性、そして、そのアバンギャルドな歌声の心地良い響き。

このアルバムを聴くと、いつも「春の狂気」という言葉を感じる。喜びと開放感満点の陽気陽気の底に、何かドロドロとした危険な香りのする「狂気」。春独特の、生命感が溢れる春ならではの「狂気」。そんな「狂気」が潜む、とっても魅惑的なボーカル盤。ジャケット・デザインも妖艶かつアバンギャルドで、このアルバムの内容を良く表している。

 
 

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2014年4月11日 (金曜日)

音楽喫茶『松和』の昼下がり・16

僕のジャズ・ボーカルの選び方って、どうも異端らしくて、ジャズ・ボーカルのマニアの方々が良いと言われる、名だたる女性ボーカリストの歌声が、どうにも、ちょっと苦手なのだ。

あまりに情感を入れすぎているというか、情感過多というか、仰々しいというか、確かに凄いテクニックには違いないのだが、もう少し、聴く方の身になって唄って欲しいと思ってしまうのだ。確かに、そういうところが異端なんだろうな。確かに、僕のジャズ・ボーカルの選び方って、ちょっと標準からは外れている。十分に自覚はしている。

だから、バーチャル音楽喫茶『松和』としても、ボーカル盤の選定はちょっと異質。ジャズ・ボーカルのベテラン・マニアの方々からは、マスターって、ボーカルが全く判ってないね、という話になる。でも、仕方が無いよな。聴きたくないものを、我がバーチャル音楽喫茶『松和』でかける訳にはいかない。

春になって、今年は寒暖の差が激しい、ちょっとドラスティックな気温の変化には閉口するが、それでも、冷え込むと言っても、もう真冬の寒さとは違う。やはり春である。ほんわか長閑な空気が部屋の中を流れる。こういう春の季節には、フュージョン系のボーカルが聴きたくなる。

ということで、今日の選盤は、土岐麻子『TOKI ASAKO "LIGHT!" 〜CM & COVER SONGS〜』(写真左)。土岐麻子の、rhythm zoneからリリースされたアルバム等から選曲されたベスト盤。CMソング、カバー曲で構成されていて、とにかく聴いていて楽しいことこの上無いアルバムである。

土岐麻子の声は実にユニーク。言葉で言い表すには、適当な言葉が見あたらないが、感覚的に言うと「くしゅっ、ふんわり、ふにゃふにゃ」。優しく癖が無く、安らぐような真っ直ぐな声。軽いスイング感とヴィブラートを乗せ過ぎない素直な歌唱。

加えて、土岐さんのボーカルには、ほのかなコケティッシュさを感じて、そこがまた「良い」。CDのスイッチを入れるやいなや、いきなり飛び込んでくる、ちょっと高めでふんわりした女性の声。 おおっ可愛いではないか、って感じ(笑)。ちなみに、土岐麻子のお父さんは、日本のベテラン・サックス奏者である土岐英史。

この土岐麻子のボーカル盤のどこがジャズなんじゃい、なんて憤るジャズ者ベテランの方がいらっしゃるかと思います。3曲目の「Waltz for Debby」を聞いて欲しい。このビル・エバンスの手なる名曲、土岐麻子のボーカルは、しっかりとコンテンポラリー・ジャズな雰囲気を醸し出している。
 

Toki_asako_light

 
加えて、9曲目の「Human Nature」。マイケル・ジャクソンの名曲のカバーなのだが、1980年代、マイルス・ディヴィスがこの曲を採り上げて、スタンダード化した。この曲を、土岐麻子は、とりわけコンテンポラリーなフュージョン・ジャズ風に唄い上げていく。聴き応え満点だ。雰囲気はジャズ。とってもジャジーな雰囲気が堪らない。

他の曲だってそうだ。バックのリズム・セクションのリズム&ビートが、オフビートで、ファンクネスこそ感じないまでも、しっかりとジャジーなリズム&ビートが歌の底辺を漂っていて、このアルバムの内容を敢えてジャンル付けするならば「コンテンポラリーなフュージョン・ジャズ」。決して、ロックでも無ければ、ポップスでも無い。

どの曲もそのアレンジとその歌唱が「アウト」なのだ。つまり、他とは明らかに違う、他とは明らかに異なる表現というものを、明確に意識している。それが良い。それが土岐麻子の個性である。この個性がある限り、このアルバムの雰囲気は、僕にとっては、しっかりと「コンテンポラリーなフュージョン・ジャズ」なのだ。

カバー曲は、どの曲もとってもアレンジが良くて、土岐麻子のボーカルとバッチリとフィットしていて、聴いていてとても楽しい。ビートルズの「All You Need is Love」と「Lucy In The Sky With Diamonds」、忌野清志郎&坂本龍一の「い・け・な・いルージュマジック」、松田聖子の「小麦色のマーメイド」などなど、とにかく聴いていて楽しい。

こういうボーカル盤って、僕は大好き。土岐麻子の「くしゅっ、ふんわり、ふにゃふにゃ」なボーカルが、実にジャジーに響く。その歌唱の「アウト」な魅力。ジャズ曲のカバーは思いっきりジャズっぽく、ポップスはそこはかとなくリズム&ビートでジャジーに仕立てて、自作曲は曲自体のフレーズが実に魅力的。

僕にとっては、この土岐麻子のアルバムも「ジャズ」。コンテンポラリーなフュージョン・ジャズとして、我がバーチャル音楽喫茶『松和』では、この春の昼下がりによくかかる「季節もの」のヘビロテ盤です。

 
 

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2014年4月10日 (木曜日)

ニューヨークの溜息の決定的名盤

このボーカル盤って、あまりに有名、あまりに名盤なので、既に、当ブログでご紹介したと思っていた。で、よくよく調べてみたら、なんと全くノーマーク。それではいかん、と急遽ノミネート。

そのあまりに有名、あまりに名盤なボーカル盤とは『Helen Merrill』(写真左)。邦題『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』。そう、あの「ニューヨークの溜息」と謳われたヘレン・メリルの代表的名盤である。そして、早逝の天才トランペッター、クリフォード・ブラウンとの優れた共演でも有名。

ヘレン・メリルはNY生まれ。1946年から1947年にかけて、ビッグバンドの一員として活動を始める。親日家であり、数多く来日、ライブ・コンサートを中心に活動している。「ニューヨークの溜息、日本の恋人」って感じですね。1930年生まれなので、今年で84歳になります。

このアルバム『Helen Merrill』は、自らの名前をタイトルに冠していることからも判る様に、ヘレンの初リーダー盤である。そして、邦題からも判る様に、この初リーダー盤には、トランペットにクリフォード・ブラウンが全面参加。クインシー・ジョーンズが編曲を担当。

クリフォード・ブラウンの起用も、クインシー・ジョーンズの起用も、ヘレンの意志だったというから凄い。パーソネルを眺めると、その凄さがまた際立つのだが、参加ジャズメンの中で、フロントの管について、有名どころはクリフォード・ブラウンのみ。それでも、このアルバムの演奏全体を覆う、濃厚なジャジーなイメージは、クインシーのアレンジの賜(たまもの)。
 

Helen_merrill

 
クインシーの素晴らしいアレンジに乗って、演奏の中から、全面に出て、我々の耳に迫ってくるのは、ヘレン・メリルのボーカルとクリフォード・ブラウンのトランペットのみ。ヘレンは肉声で唄い、クリフォードはトランペットで唄う。そして、その歌声は、クインシーのアレンジによって、グッと際立つ。

冒頭の「Don't Explain」を聴けばそれが良く判る。いきなりグッと迫ってくるヘレンのボーカル。そして、間奏に来て、突如として現れ出でて、天才トランペッターの一期一会のパフォーマンスが繰り広げられる。

そして2曲目。遂に出てくるエバーグリーン。とぅるり、で〜んで〜で、でででででででで、ぱぱぱらっぱっぱらっ、という前奏から、ガッツのあるヘレンのボーカルで「You'd Be So Nice to Come Home To」。この大スタンダード曲の決定的名演、決定的名唱である。良いものは何回聴いても良い。ヘレンの歌唱、クリフォードのトランペット。奇跡の邂逅である。

冒頭の2曲で、残りの曲についても、その内容は推して知るべし。ニューヨークの溜息、ヘレンのボーカル全開。クリフォードの一期一会な天才的トランペット全開。これだけ、ボーカルはもとより、フロントの管が際立つボーカル盤はなかなかお耳にかかれない。

ポップでジャジーなボーカル盤として、ジャズ者万民にお勧め。聴いていて爽やかで、聴いていてクール。判り易くて、聴き易いボーカル盤って良いですね。僕の長年のヘビロテ盤です。ジャケット写真は「いかつい」ので、ちょっと引きますが、気にしないでいきましょう。

 
 

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2014年4月 9日 (水曜日)

ピアノ・トリオの代表的名盤・40

ジャッキー・テラソンは、1965年11月、ドイツのベルリン生まれ。今年は49歳になって、中堅どころのポジションに位置するジャズ・ピアニストの一人である。彼のメジャー・デビュー作『Jacky Terrasson』は、1994年のリリースだから、今年はメジャーデビューして20年の節目の年になる。

1990年代から2000年前半にかけて、約1年に1枚のペースでリーダー作をリリースして、かなりの人気ぶりだったが、2000年半ば辺りから、そのリーダー作のリリースのペースが滞りがちになってきている。

まあ、リーダー作を出すだけが、ミュージシャンの価値では無いので、僕はあまり気にしないのだが、それでも、テラソンの新しいリーダー作が聴く頻度が少なくなるのは、ちょっと寂しい話ではある。

そんなジャッキー・テラソンのリーダー作の中で、僕が一番好きなアルバムがこれ。Jacky Terrasson『Smile』(写真左)。2002年1月の録音。ちなみにパーソネルは、Jacky Terrasson (p), Sean Smith (ac-b), Eric Harland (ds), Remi Vignolo (el-b, tracks 2, 4, 5)。

テラソンのピアノの個性は「とにかく弾きまくる」。それもしっかりと旋律を歌わせながら、高速手捌きで弾きまくる。音の強弱を極端につけて、音の陰影とメリハリを付けてはいるが、音が小さくても、密度の高い硬質なタッチでしっかりと音を押さえていく。音の強弱に関わらず、硬度の高いタッチは、テラソンの個性。

このバリバリに弾きまくる様は、一言で表現すると「現代ジャズのバップ・ピアニスト」。テラソンのインプロビゼーションは、明らかに「ビ・バップ」な弾き回しである。高速な弾き回し、ダイナミックな展開、旋律を歌わせ、秀逸な疾走感。誤解を恐れずに言うと「旋律が美しく、メリハリの効いたバド・パウエル」の様な雰囲気。
 

Jacky_terrasson_smile

 
そんな個性のテラソンではあるが、とにかく弾きまくるスタイルばかりではしんどい。まず、テラソン自身が疲れるだろう。メジャー・デビューして8年、この『Smile』では、テラソンも個性の幅を大きく広げている。

このアルバムでは、テラソンのもともとの個性である「とにかく弾きまくる」個性がメインではあるが、音の陰影、抑揚がダイナミックに付くようになっている。しかも、耽美派的な内省的な展開もあり、米国ルーツ・ミュージックをベースとした、フォーキーなフレーズや、ゴスペルチックなフレーズが加わった。

もともと、テラソンのリーダー作には、選曲の妙というものがあって、そのラインナップを見るとニヤリとしてしまうんだが、このアルバムでもそれがあって、とても楽しめる。主だったところでは「Smile」「Isn't She Lovely?」「Mo Better Blues」辺りかな。現代ジャズのバップ・ピアニストとしては「Nardis」「Autumn Leaves」「My Funny Valentine」などもユニーク。

デビュー当時は「弾きまくる」一辺倒で、それが個性で、それが魅力だった。が、8年経って「弾きまくる」から、演奏に幅が出て、フレーズにバリエーションが出て、表現に抑揚や陰影が豊かになって、とっても魅力的な、とっても素晴らしいピアニストになった。

テラソンのピアノの基本部分は「明るい」。その明るさがピッタリとフィットしている演奏が「Smile」。アレンジも良好、後半部分の米国ルーツ・ミュージックをベースとした、フォーキーなフレーズや、ゴスペルチックなフレーズが実に愛らしく、ポジティブ。

逆に「Isn't She Lovely?」は、ちょっと甘いR&Bの楽曲を、現代ジャズのバップ・ピアニストとして、完璧にビ・バップなアレンジでバリバリに弾きまくる。この「Isn't She Lovely?」は聴きものである。テラソンの個性の基本が良く判る。

バックでリズム&ビートを司るベース&ドラムも良好で、現代のピアノ・トリオとして、実に内容のあるアルバムだと思います。ジャケットもさり気なく硬派な面持ちで良い。テラソンのアルバムの中で、僕の長年のヘビロテ盤でもあります。

 
 

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2014年4月 8日 (火曜日)

ネイザン・イーストの初ソロ作

ネイザン・イースト(Nathan East)は、フュージョン・ジャズをメインとしたベーシスト。フュージョン好きの人ならば、必ず、どこかで聴いたある、とまで言われる「ファーストコール・ベーシスト」である。

ネイザンは1955年生まれなので、今年で59歳になる。もはやベテランというか、レジェンド的な存在である。しなやかな鋼の様な、粘りと張りのある独特の音色のエレベが特徴。ジャズばかりで無く、ロックのミュージシャンとの共演も多々ある、マルチなエレベ奏者である。

ネイザン・イーストと言えば、フュージョン・ジャズ・グループ「フォープレイ」が真っ先に浮かぶ。ネイザンはフォープレイのオリジナル・ベーシストなんですよね。あの独特の音色のベース音は、確かにフォープレイで鳴り響いています。

そんなネイザン・イーストが、今年、自身初めてのソロ・アルバムをリリースした。40年以上のキャリアの中で、初のリーダー作というのだから、ちょっと意外。アルバム・タイトルは至ってシンプルに『Nathan East』(写真左)。自身の名前をタイトルにした初ソロ作。

で、この初のリーダー作なんだが、やはり、ベーシストがリーダーとなって作るアルバムって、こういう内容になってしまうんかなあ。アルバムの内容としては、バラエティに富んでいると言えば聞こえは良いが、ネイザンのやりたいことを「ごった煮」に突っ込んだ感が強い。
 

Nathan_east

 
様々なフォーマット、様々なアレンジ、様々な素材。硬派なフュージョン・ジャズもあれば、ストリングスを交えたムード・ジャズなものもあれば、R&Bのカバーもあれば、ブリティッシュ・ロックのカバーもある。エレクトリック・ファンクなナンバーもあれば、ソウルフルなボーカル入りもある。ビートルズのカバーもある。ボサノバ・チックなナンバーもある。とにかく、バラエティに富んでいる。

もともとベースは「縁の下の力持ち」的存在。リーダーである当の本人が何をやりたいかが明確になっているか、若しくは、担当のプロデューサーが、リーダーのベーシストの何を表現したいかが明確になっていないと、良いセッション・アルバムにはなかなかならない。そういう意味では、この初ソロ作は、ネイザンがやりたいことを節奏無く全部やっちゃった、って感じ。

さすがネイザンのエレベの音はどの曲でも変わらない。よって、もう少し方向性を決めて、じっくり腰を据えて作っても良かったのでは、と思ってしまう。ちょっと惜しいなあ。全体的にポップで爽やかなアレンジが中心で聴き易いアルバムなんですが。良く解釈すれば、ネイザンの音楽的守備範囲の広さがこのアルバムを作らせた、とでも言えるでしょうか。

それでも、アルバム全体の雰囲気は、ポップで爽快で、正統派フュージョン・ジャズのアルバムとして、意外と楽しめる内容にはなっています。フュージョン者の皆さんには、まずまずアピールする内容になっているのでは無いでしょうか。

 
 

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2014年4月 7日 (月曜日)

開き直ったサンボーンのAOR盤

サンボーンのインタビューの中で、自分のアルバムがBGM的な聴き方、アクセサリー的な使われ方をされていることを告げられて、その話に対して、ちょっと憤りを感じた旨の話が出ていたが、確かに、サンボーンは悩んでいるし、嘆いてもいる。

しかし、サンボーン自身が憤ったところで、にわかにリスナーの習慣は変わらない。それでは、と開き直った様なサードアルバムが、David Sanborn『Promise Me the Moon』(写真左)。1977年の作品になる。

1977年と言えば、フュージョン・ジャズの全盛時代。フュージョン・ジャズの人気のピークに差し掛かった頃。ソフト&メロウ、ロック&ポップなジャズがヒット作を連発していた時代。やはり、ミュージシャンとして「売れたいなあ」と思ったら、時代に迎合するのも、これまた自然な成り行きと言える。

このサンボーンの『Promise Me the Moon』は、恐らく、サンボーンのアルバムの中で、一番、ポップな内容ではないか、と思っている。ボーカルをフィーチャーしつつ、サウンド的には、ロック&ポップな面を強めた、当時のフュージョン・ジャズのトレンドをしっかりと踏襲した内容になっています。

冒頭のタイトル曲の「Promise Me the Moon」なんか、もはやメインストリームなジャズから大きく離れて、乾いたファンクネスを湛えた、ロック&ポップでR&Bな演奏になっている。当時のハービー・ハンコックのファンク路線に似たお作法ではあるが、ファンクネスが希薄な分、サンボーン独特の個性が際立っている。「サンボーン印のAOR」とも表現できる演奏である。
 

Promise_me_the_moon

 
グループ・サウンド的には、Hiram BullockのエレギとMark Eganのエレベが効いている。ロック&ポップな面を強めた、当時のフュージョン・ジャズのトレンドをしっかりと踏襲しているのは、このエレギとエレベの存在が大きい。というか、Hiram BullockのエレギとMark Eganのエレベだからこそ、ロック&ポップな面を強めたサウンドを実現していると言えます。

意外とサンボーン自身のアルトは、変わらないですけどね。相変わらず、硬派で意外と純ジャズな正統派アルトを聴かせてくれる。そして、これまた、意外とジャジーなのが、Victor Lewisのドラム。このドラムがそこはかとなくジャジー。この「そこはかとない」ジャジーなドラミングが、このアルバムをフュージョン・ジャズのジャンルに留めているのかもしれない。

開き直ったサンボーンのロック&ポップな面を強め、当時のフュージョン・ジャズのトレンドをしっかりと踏襲した、個性的な内容のアルバムだと思うんですが、意外とセールスは伸びなかった様です。ビルボードのジャズ・アルバムのチャートで27位が最高位でした。う〜ん、良いアルバムだと思うんですがねえ。

ボーカル入りの曲が半分を占める中で、このボーカル入りの曲が冒頭の「Promise Me the Moon」以外、キャッチャーな内容で無かったことが、セールス的には、ちょっと問題だったのかもしれません。

それと、アルバム・ジャケットを飾る、アフロ・ヘアのサンボーン。サンボーンにアフロは似合わない。このジャケットもセールス的には、ちょっと問題だったのかも知れません(笑)。

 
 

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2014年4月 6日 (日曜日)

好調フリーの傑作ライブ盤です

フリー(Free)は、ブルースを指向するミュージシャンによって結成されたイギリスのロックバンド。ブルースを指向するロック・バンドとしては、ファースト盤の『Tons Of Sobs』やセカンド盤の『Free』が、フリーの在り方を如実に表している。弾きまくるエレギのコゾフとしては『Tons Of Sobs』、弾きまくるエレベのフレイザーとしては『Free』が素晴らしい。

そして、ブルースを指向するロック・バンドとしてのパフォーマンスの記録が、このライブ盤『Free Live!』(写真左)。1970年1月のサンダーランド、1970年9月のクロイドン、2つのコンサートからのライブ音源である。このライブ盤に、ブルースを指向するロック・バンドとしての、ハード・ロックを基調としたフリーの最高のパフォーマンスが詰まっている。

冒頭の「All Right Now」の前奏を聴けば、このライブ音源は絶対に、我々の期待を裏切らないことが判る。ポール・コゾフのエレギに気合いが入っており、指がしっかりと回っている。凄まじいリフ。やはり、このフリーというバンドのパフォーマンスの良し悪しは、このコゾフのエレギの出来次第なんだなあ、と改めて思う。

コゾフが好調の時の、このフリーというバンド・メンバーの結束は「凄まじい」の一言。泣きのエレギのポール・コゾフが先導するなか、ドシンドシンと重心の低いドラミングのサイモン・カーク、弾きまくるベースのアンディ・フレーザー、そして、渋くガッツあるボーカルのポール・ロジャース。この4人の化学反応が凄い。

このライブ盤でのコゾフのエレギは好調を維持。テクニックに優れ、乾いたブルース感覚と印象的なリフを武器に、すっ飛ばす。まともな時のポール・コゾフは凄い。完璧にブルースを基調とした、クールな「泣きのギター」。
 

Free_live

 
他のブルース基調のギタリストは、ウェットに泣くギターで、ややもすれば「演歌っぽい」べったべたな響きが個性ではあるが、ポール・コゾフの「泣きのギター」は乾いている。実にクールなのだ。このクールさが堪らない。

フリーを語る時、あまりその名が出ないポール・ロジャースであるが、勿論、素晴らしい。時に、このライブ盤でのボーカルは、彼の代表的歌唱の一つだろう。テクニックに優れ、ガッツのある、それでいて意外と端正なボーカルは、唯一無二の個性。そう、ポール・ロジャースのボーカルには雑なところが無い。しっかりと端正なのだ。

さすが、フロントのヒーロー、エレギのコゾフが好調の時は、きっと叩き甲斐があるんだろう、このライブ盤でのサイモン・カークは、いつになく叩きまくっている。重心の低いタイトなドラミングで、ガンガンに好調のコゾフを鼓舞する。好調コゾフのバックで、叩きまくるカークは、これまた凄い。

そして、好調のコゾフ、歌いまくるロジャース、叩きまくるカークをしっかりと支え、ガッチリと束ねるのが、フレーザーのベースである。結構好き勝手に、独特のフレーズを弾きまくるフレーザーではあるが、押さえるところはしっかりと押さえている。やはり、ベースがバンドの要なんやね〜。このライブ盤を聴いていて良く判ります。 

良いライブ盤です。ブルースを指向するロック・バンドとしての、好調なパフォーマンスが記録されていて、なかなか聴き応えがあります。フリーというバンド・メンバーが結束した時のパフォーマンスは「凄まじい」の一言。フリーを理解する上で、必須のライブ盤です。

 
 

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2014年4月 5日 (土曜日)

フリーは音楽的に進化していく

フリー(Free)は、ブルースを指向するミュージシャンによって結成されたイギリスのロックバンド。初期のアルバムは、ブルースを基調としながらも、当時の流行であったプログレ&サイケの雰囲気を織り交ぜて、実に攻撃的なブルース・ロックを表現している。

このフリーというバンドの代表作と言えば、どのロック盤紹介本でも、このアルバムが出てくる。というか、日本では、ほとんど、このアルバムしか出てこない。そのアルバムとは、フリーのサード作『Fire and Water』(写真左)。1970年の作品。

フリーの代表作として名高い『Fire and Water』であるが、僕にはどうしても、このアルバムがフリーの代表作とは思えない。というか、フリーの在り方をこの一枚が表しているとは思えないのだ。

ブルースを指向するロック・バンドとしては、ファースト盤の『Tons Of Sobs』やセカンド盤の『Free』の方が、フリーの在り方を如実に表している。弾きまくるエレギのコゾフとしては『Tons Of Sobs』、弾きまくるエレベのフレイザーとしては『Free』が素晴らしい。

で、このサード盤の『Fire and Water』については、どうも前の2枚に比べると内容的に「過渡期のアルバム」に感じるのだ。ブルースを指向するロック・バンドとしては、冒頭のタイトル曲「Fire and Water」やラストの「All Right Now」が収録されているのだが、どうもブルースを指向するロック・バンドとしては、この2曲くらいではないか、と思われる。
 
 
Fire_and_water_2
 
 
他の曲については「渋い曲」の一言で済まされているが、どうも、このサード盤にして、フリーは「ブルースを指向するロック・バンド」の次を目指し始めていたのでは無いかと僕は思っている。

「ブルースを指向するロック・バンド」の次とは、例えば、英国・米国のルーツ・ミュージックへの志向などが上げられる。なんとなく、ブルースを基調としつつも、このサード盤では、とにかく「ブルースを指向するロック・バンド」を脱皮しようとしている様に感じるのだ。

それでも、あまりチャレンジの側面を全面に出して、アルバムのセールスに支障を出したら大変なので、きっちりと冒頭とラストに、ブルースを指向するロック・バンドとして、「Fire and Water」と「All Right Now」を収録しているのではないか、と睨んでいる。

同時期のライブ音源『Free Live!』でのフリーの演奏の方が、ブルースを指向するロック・バンドとしてのフリーの姿を捉えていると思う。
 
このサード盤の『Fire and Water』については、ブルースを指向するロック・バンドとしてのフリーの姿というよりは、音楽的に進化するフリーの過渡期を捉えたアルバムという評価を僕はしている。

 
 

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2014年4月 4日 (金曜日)

こんなアルバムあったんや・32

ジャック・ルーシェ(Jacques Loussier)は、クラシックのバッハをジャズ化したピアニスト。そのジャズ化の年は1959年というのだから恐れ入る。バッハのジャズ化と言えば「クロスオーバー・ジャズ」。クロスオーバー・ジャズは、1960年代終わりから1970年代中盤に流行したスタイル。ジャック・ルーシェはかなりの「先見の明」を持っていたと言える。

3月17日のブログ(左をクリック)で、ジャック・ルーシェの『Play Bach』シリーズをご紹介した。テーマ部はバッハの楽曲に忠実に旋律を展開し、バッハの楽曲のまま、展開部に突入したり、バッハの楽曲には関係無く、ジャズよろしくアドリブ部に展開したり、アレンジはいろいろなんだが、バッハの楽曲の主旋律の部分は、基本的に忠実に展開している。

そんなジャック・ルーシェは、バッハ以外にも、様々なクラシック音楽家の楽曲をジャズ化している。そんな中で、かなりユニークなのが、クルト・ワイルを取り上げた1枚。『Jacques Loussier joue Kurt Weill』(写真左)。ちなみにパーソネルは、ジャック・ルーシェ(p)、ピエール・ミシュロ(b)、クリスチャン・ギャロ(ds)。1962年の作品である。 

クルト・ワイルとは、1920年代から活躍したドイツの作曲家。1928年に、オペレッタ『三文オペラ』の音楽を監修したことを切っ掛けに一躍有名になった。しかし、ユダヤ人であるが故に、ナチスの暴力的な干渉をしばしば受けている。1933年にパリへ逃亡。1935年にアメリカ合衆国に移住、数多くのミュージカル作品を残している。
 

Jacques_loussier_joue_kurt_weill

 
このオペレッタ『三文オペラ』は、ヴァイルの最も有名な歌である「マック・ザ・ナイフ(匕首マッキーの殺し歌)」を含んでいる。そう、あのジャズのスタンダード曲「マック・ザ・ナイフ」である。この曲は、ジャズの大スタンダード曲。今までに、かなりの数の演奏が歌唱がある。

へ〜、「マック・ザ・ナイフ」(別名「モリタート」)って、クルト・ワイルの作曲なのか。知らんかったなあ。原題は「La Complainte De Mackie」。確かに「マック・ザ・ナイフ」である(笑)。他の曲も結構ポップで親しみ易い旋律を持った楽曲ばかりで、シンプルなジャズ化のアレンジと相まって、なかなか心地良く聴かせてくれる。

日本のジャズ紹介本や雑誌のアルバム紹介には、このアルバムは出てこないですね。僕は目にしたことがありません。でも、なかなかポップで良い感じです。まあ、ドラムとベースが入っていますが、そのアレンジは実にシンプルでワンパターンです。そういう意味で、ジャズとしては捻りも全く無い、単純な展開です。

それでも、1962年という時代からすると、とんでもないことだったんでしょうね。クルト・ワイルの楽曲をドラムとベースを入れて、ジャズのアレンジで演奏するのですから、当時としてはかなり先進的なアプローチだったと思います。まあ、こういうものは「早い者勝ち」ですからね(笑)。

アルバム全体で、33分程度とちょっと短いのが玉に瑕ですが、このアルバムは、かなりの「変わり種」なアルバムだと言えます。しかも、このジャケット・デザインがミステリアス。なんだこのジャケットは。理解不能のジャケット・デザインです。このジャケットだと誰も買わないんやないかなあ(笑)。

 
 

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2014年4月 3日 (木曜日)

春雨に良く似合うプログレです。

今日は一日雨の千葉県北西部地方。しとしとと春の雨である。空はどんより鉛色。外は雨で霞む乳白色。そんな窓からの光景を見ながら聴くのは「プログレッシブ・ロック(略してプログレ)」。

久し振りにドイツ・プログレ。ドイツのプログレと言えば、タンジェリン・ドリーム(Tangerine Dream)。春雨で霞む乳白色の街に、タンジェリン・ドリームの音は良く似合う。

タンジェリン・ドリームの音世界は、一言で言うと「シンセサイザー・ミュージック」。シンセサイザーを中心とした、シンセの音を積み重ねた音世界。シンセとは言っても、1970年代はアナログ・シンセが中心なので、どこかアナログっぽくて、音が太くて、どこか暖かみのある音世界。

今日のアルバムは『Stratosfear』(写真左)。タンジェリン・ドリーム8枚目のオリジナル・アルバム。1976年のリリースになる。アルバム・ジャケットが魅力的。明快に「プログレ」って感じ。「Stratosfear」とはドイツ語で「成層圏」を意味する。

 
私はこのアルバムでより人間的な音を追及しようと試みた。
(エドガー・フローゼ談)
『Stratosfear』は特に気に入っている。開放的な感じが良い。
(クリストファー・フランケ談)
 

Stratosfear

 
このアルバムを制作した時のメンバー二人の談話を見ても、このアルバムは、タンジェリン・ドリームの自信作と言って良いだろう。確かに、良く出来たアルバムである。
 
初期の頃のタンジェリン・ドリームは、シンセを駆使するが、音的には電子音楽的な前衛指向なものから始まり、音を浮遊させる様な、水墨画の様な淡い音の濃淡が特徴の音世界だったのだが、ここにきて、シーケンサーを活用し、リズム&ビートをハッキリさせた音世界に大きく変貌している。

そして、アルバム全体の曲の展開も、リズム&ビートがダイナミックな展開と、リズム&ビートを抑制した繊細な展開とのメリハリのある、1曲の収録時間も長い、プログレ独特の大がかりな展開が特徴の音世界となっている。前作の『Ricochet』と合わせて、タンジェリン・ドリームのアルバムの中で、実にプログレらしい内容に仕上がっている。

使用する楽器も多岐に渡っている。アナログ・シンセは勿論のこと、12弦ギターからエレギを活用。当時のプログレ御用達のメロトロン、そして、フェンダー・ローズ、リズム&ビートはシーケンサーが担当、ところどころパーカッションを使用している。

音の展開は、アナログ・シンセの情緒的な音に流されず、しっかりとした理詰めの展開に終始し、破綻したり緩んだりしないところは、如何にもドイツのプログレらしいところ。
 
このガッチリと硬派に理詰めの展開が、タンジェリン・ドリームの個性であり、タンジェリン・ドリームを唯一無二の存在とさせている所以である。

タンジェリン・ドリームの音世界は、春の雨に良く似合う。そして、その音世界にどっぷり浸かりつつ、うつらうつらと知らぬ間に微睡んだりする。これも「また良し」である。

 
 

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2014年4月 2日 (水曜日)

サンボーンの硬派なアルトです。

ミュージシャンとして、本人の意図するところとは違う聴き方をされるって、かなり複雑な気分なんだろうな、と思う。沢山の人々に聴いて貰うのは嬉しいことなんだが、意図するところとは全く違うところを評価されるって、やっぱり気分は複雑だろうな、と思う。

そんな、本人の意図するところとは違う聴き方をされる、最右翼のジャズメンのひとりが、David Sanborn(デビッド・サンボーン)だろう。彼ほど、本人の意図するところと違った聴き方をされるミュージシャンも珍しい。

彼のアルト・サックスは、フュージョン・ジャズからスムース・ジャズの流れに乗ったものではあるが、基本的には、硬派で意外と純ジャズな、正統派アルト・サックスである。白人でありながら、そこはかとない、白いファンクネスを湛えたストレートなブロウは、かなり個性的。

ストレートなブロウで、ブラスの響きを煌めかせながら、唄う様に奏でるサンボーンのアルトは「泣きのサンボーン」と形容され、その情緒的なフレーズは、サンボーンならではのもの。確かに、本当に良く鳴るアルトであるし、そのテクニックたるや、相当高度なものだ。

そのサンボーンのアルトの個性を十分に感じることが出来るアルバムが、このセカンド盤のDavid Sanborn『Sanborn』(写真左)。邦題は「メロウ・サンボーン」。1976年のリリースになる。

1976年と言えば、フュージョン・ジャズが全盛に向かって、どんどん勢力を広げていっている時代。このアルバムも、例に漏れず、しっかりとフュージョン・ジャズしている。が、サンボーンのアルトは、決して、ソフト&メロウな、甘くて耳当たりの良いものでは無い。かなり硬派でストレートなガッツのあるアルトなのだ。

そんなシッカリと硬派なアルトが、これまた、メリハリの効いた、柔軟度のあるリズム・セクションに乗って、唄う様に奏でられていくのだから、当時、流行だった「ソフト&メロウ」なフュージョン・ジャズとは一線を画した、実はかなり硬派なコンテンポラリーなジャズの一面を覗かせてくれる。
 

Sanborn

 
しかし、当時、サンボーンのアルバムはそういう聴き方をされていなかった節がある。サンボーンのアルトには「ながらのサンボーン」という形容もある。しっかりと対峙して聴き込むタイプの演奏では無く、何かをしながら、例えば、仕事をしながら、食事をしながら、いわゆる「〜しながら」聴く、BGM的な聴き方をされることが多かった。

加えて、恋人と語らい合う時、恋人とドライブをする時、恋人とムーディーな瞬間を演出したい時、などなど、恋人たちのBGMとして、いわゆる「〜しながら」聴く、BGM的な聴き方、アクセサリー的な使われ方をされることが多いのだ。

サンボーンのインタビューの中で、そんなBGM的な聴き方、アクセサリー的な使われ方をされていることを告げられて、その話に対して、ちょっと憤りを感じた旨の話が出ていたが、確かに、サンボーンは悩んでいるし、嘆いてもいる。

サンボーンは、内容の良いブロウをすればするほど、確かにアルバムは売れるのだが、売れた分、BGM的な聴き方、アクセサリー的な使われ方をされることも多くなる。

サンボーンのアルトは、硬派で高テクニックでありながら、そんなことを微塵も感じさせず、印象的でキャッチャーで流麗なフレーズを連発するので、その流麗さが故に、BGM的な聴き方、アクセサリー的な使われ方をされるんだと思っている。その流麗さが、意外と仇になっている。

でも、何もBGM的な聴き方、アクセサリー的な使われ方をするリスナーばかりでは無い。特に、このセカンド盤をしっかりと聴けば、サンボーンのアルトは、決して、ソフト&メロウな、甘くて耳当たりの良いものでは無い、かなり硬派でストレートなガッツのあるアルトであることに気付くはずだ。

とにかく、このセカンド盤の邦題「メロウ・サンボーン」はいただけないなあ。このアルバムでのサンボーンのアルトは「メロウ」なものでは決して無い。この邦題、サンボーン本人が知ったら、さぞかし落胆するだろうな。

邦題を付けるにしろ、アルバムの評論を書くにしろ、ミュージシャン本人の意図をしっかりと把握してからにすること。それでないと、ミュージシャン本人に失礼である。

 
 

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2014年4月 1日 (火曜日)

英国ソフト&メロウ・フュージョン

英国のクロスオーバー・ジャズ、フュージョン・ジャズは、ロックとの境界線が曖昧。というか、主に、プログレのバンドが、クロスオーバー・ジャズやフュージョン・ジャズをやっている。

プログレのバンドが、クロスオーバー・ジャズやフュージョン・ジャズをやるんで、とにかく「バカテク」である。変則拍子や高速アドリブなど、何でもござれ。これだけ「バカテク」なクロスオーバー・ジャズやフュージョン・ジャズは、米国には無い。

しかし、1980年になって、英国に「バカテク」前提では無い、ソフト&メロウなフュージョン・バンドが出現した。そのバンドの名は「Shakatak(シャカタク)」。米国のフュージョン・ジャズと違って、ジャジーな雰囲気が希薄なところは、英国のプログレ・バンドのフュージョン・ジャズなんだが、良く創られた旋律と編曲が実にソフト&メロウ。

このアルバムを聴けば、その特徴が良く判る。Shakatak『Night Birds』(写真左)。1982年のシャカタクの大ヒット作である。基本的には「ジャズ・ファンク」であるが、米国の「ジャズ・ファンク」の様な粘りと黒さが希薄。英国らしく、ウエットで夕暮れのような翳りのあるファンクネスが特徴。

加えて、リズム&ビートの重心が、米国のフュージョン・ジャズと比べて低い。重厚というほどでは無いんだが、ファンキーにメリハリの効いた弾むようなリズム&ビートなんだが、ビートのボトムがしっかりと低い。故に、リズム&ビートの輪郭がクッキリとしていて、演奏全体が太い。
 

Night_birds

 
一聴すると、耳当たりの良いだけのソフト&メロウなフュージョン・ジャズかと思うのですが、ちょっと聴き進めると、これはちょっと違うと感じる。特に、これは米国のフュージョン・ジャズでは無い、ましてや、日本のフュージョン・ジャズでは無いと感じる。米国フュージョン・ジャズを聴き慣れた耳には、どこの国のフュージョン・ジャズか、にわかには判らない。

1970年代の英国のクロスオーバー・ジャズやフュージョン・ジャズを聴いた経験があると、このアルバムのウエットで夕暮れのような翳りのある、ウエットで夕暮れのような翳りのあるファンクネスを聴くと、英国か、と思い当たる。

1982年、社会人になりたての頃、この『Night Birds』を聴いて、英国にも、こんなソフト&メロウなフュージョン・バンドがあるんや、とビックリした。ソフト&メロウなフュージョン・ジャズと言えば、米国ジャズの専売特許と思っていたからなあ。

ジャズの裾野は広い。ジャズのバリエーションは広い。と心から感心させてくれた、Shakatakの『Night Birds』である。ジャケット・デザインもなんとなく英国っぽい。フュージョン・ジャズの良いアルバムである。

 
 

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