春にはフリージャズが良く似合う
なぜか、春になると、フリー・ジャズが聴きたくなる。恐らく、春の暖かな、優しい雰囲気の裏にある、そこはかとない「狂気」を感じて、そのそこはかとない「狂気」がフリー・ジャズを聴きたくさせるのだろうと思っている。春にはフリー・ジャズが良く似合う。
フリー・ジャズと言えば、今年は、ちょっと山下洋輔のフリー・ジャズを聴き込もうと思っている。で、今日はこれ。このアルバムから、山下洋輔ワールドへ突入である。
Yosuke Yamashita Trio With Brass 12 Introducing Takeo Moriyama『Gugan』(写真左)。1971年9月25日の録音。主なパーソネルは、山下洋輔(p), 中村誠一(ts), 森山威男(ds), 12人のブラス・セクション。
ピアノ+テナー+ドラムの変則トリオに12人のブラス・セクションを加えたフリー・ジャズ。意欲作ではある。あちらこちらの評論にも書かれているが、フリー・ジャズの方法論をビッグ・バンドな編成に持ち込もうとしたアプローチは斬新ではある。
Introducing Takeo Moriyamaと副題が付いているだけあって、森山威男のドラミングが凄まじい。延々と叩きまくるんだが、それが聴いていて飽きない。ビートのうねりというか、ビートの抑揚が音のフレーズの様に流れては消え、ドラムでアドリブ・フレーズを歌い上げるというか、単にドラムを叩いているだけでは無い、ビートによるフレーズを感じさせる、凄まじいドラミング。
ラストの「グガン」なんて、その森山威男のドラミングの最たるもので、ドラミングで、フリーキーなアドリブ・フレーズを叩きまくる、ドラムでフリーな旋律を叩き上げる、そんな凄いパフォーマンスだ。
山下のピアノは、もはや言うまでも無い。この天才ドラマーをパートナーとして、山下のピアノは、よりパーカッシブにフリーなフレーズを叩き上げていく。ドラムと相対しつつ、対峙しつつ、ドラムとの相乗効果を発揮しつつ、パーカッシブなピアノで、フリーキーなアドリブ・フレーズを叩きまくる、ピアノでフリーな旋律を叩き上げる。
中村のサックスも強烈だ。特にソプラノのフリーキーなフレーズは、中村ならではの個性。決して、他のフリー・ジャズをやるサックス奏者の誰とも似通うことは無い。中村ならではのフレーズで吹きまくる。
ドラムとピアノに対峙して、パーカッシブなサックス・ソロを吹き流していく。不思議なことに、中村のフリーキーなフレーズは聴きやすい。耳に馴染み易いフリーなインプロビゼーションである。
で、ブラス12の存在意義であるが、ほど良いアクセントになってはいる。12人のブラスセクションが、ビッグバンドのマナーに則りつつ、フリーキーなアドリブ・フレーズを吹き上げていく。迫力満点。ただ、フレーズの基本部分がコルトレーンっぽいのが玉に瑕かなあ。
ブラスの響きは、フリー・ジャズの範疇で言うと、ジョン・コルトレーン、ローランド・カークな響きが主流。ローランド・カーク的なユニゾン&ハーモニーは耳に新しく響くが、コルトレーン風なフリーな展開は、あんまり新鮮には響かない。まあ、こんなものかなあ、って感じ。
アルバム全体の雰囲気は、絶対的に山下洋輔のフリー・ジャズ。他のフリー・ジャズな演奏に全く似通っていない、山下洋輔ならではのフリー・ジャズな方法論を展開する。そして、山下洋輔のフリー・ジャズは耳に馴染み易い。思いっきりフリーな演奏なんだけど、耳に馴染む。耳に五月蠅くない。ポップなフリー・ジャズとでも形容したら良いかな。
当時、この山下洋輔トリオのメンバーは皆、20台(山下29歳、森山26歳、中村24歳)。若さ故の疾走感、爽快感溢れる、ポップなフリー・ジャズである。ブラス12も加わって、圧倒的にぶ厚いフリー・ジャズである。
大震災から3年。決して忘れない。まだ3年。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから、復興に協力し続ける。
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松和のマスター様
こんばんは
確かにアメリカ、イギリスのフリージャズに比べると、
山下洋輔のフリー・ジャズはポップですね。
うるさくないというご指摘はなるほどと思いました。
トリオだから隙間があるっていうことも一因でしょうけれども、
チームプレイで出過ぎないお国柄もあるのかも。
投稿: GAOHEWGII | 2014年4月 1日 (火曜日) 22時59分
GAOHEWGIIさん、こんばんは。松和のマスターです。
なるほど、チームプレイで出過ぎないお国柄、ですか。
一理ありますね。納得です。あと、隙間という「間」の
意味を直感的に理解している民族、というのもありかな、
とも思います。
投稿: 松和のマスター | 2014年4月 1日 (火曜日) 23時03分