サンタナのジャズへの傾倒度合い
サンタナ(SANTANA)をリアルタイムで体験するようになったアルバムは、この1974年リリースの『Borboletta(不死蝶)』(写真左)になる。青緑にキラキラ渋く光るジャケットは、駅前のレコード屋で、一時、高校の帰りに毎日眺めていた。
当時は何がなんやら良く判らない、途中、長々と展開される、スピリチュアルでエモーショナルなサックスの嘶きは、ちょっと取っ付き難かった。それでも、サンタナのギターは格好良かった。特に、インスト・ナンバーの凄さといったら無かったなあ。
しかし、ボーカル・ナンバーは「違和感」を感じた。後のフュージョン・ジャズの「ソフト&メロウ」な演奏を先取りした様な演奏は、インスト・ナンバーの硬派でスピリチュアルな展開とは、全く相反していて、どうにもこうにも、しっくりこなかった。
そう、この『不死蝶』というアルバムは、インスト・ナンバーの硬派でスピリチュアルな展開と、ボーカル・ナンバーの「ソフト&メロウ」な演奏が拮抗した、なんとも、硬派なのか軟派なのか、判別に苦労するアルバムなのである。
とにかくボーカル・ナンバーが「ソフト&メロウ」で、今の耳で聴けば、なかなか良く出来た、内容のある演奏なんだが、当時は、この「ソフト&メロウ」なボーカル・ナンバーは「退廃的」に感じた(笑)。この俗世間に迎合した様な「ソフト&メロウ」なボーカル・ナンバーはなんなんだ、と頭を抱えた高校時代。懐かしい(笑)。
逆に、インスト・ナンバーの硬派でスピリチュアルな展開は素晴らしいの一言。今の耳で聴くと、エモーショナルなサックスの響きは当時のフリー・ジャズのマナーを取り入れたものだし、パーカッションの導入は明らかにジャジー。この『不死蝶』というアルバムのインスト・ナンバーには、ジャジーでクロスオーバー・ジャズな雰囲気が満載である。
「Aspirations」のスピリチュアルでフリーなサックスのインプロビゼーションが格好良い。「Here And Now」から「Flor De Canela」のクロスオーバー・ジャズな展開は一級品。「Promise Of A Fisherman」のプログレッシブ・ロックな響きは堪らない。
よくよく聴けば、ボーカル・ナンバーでのパーカッションの響きは、もはやこれは「ロック」のパーカッションでは無い。これは「ジャズ」のパーカッションだ。後のワールド・ミュージック系のフュージョン・ジャズのパーカッションを先取りした様なリズムの洪水は心が揺さぶられる。
今の耳で聴けば、この『不死蝶』というアルバム全体に、クロスオーバー・ジャズ、フュージョン・ジャズという雰囲気が漂っている。サンタナってロック・バンドだから、ロックからアプローチとして解釈するなら、クロスオーバー・ロック、フュージョン・ロックな雰囲気が濃厚である。
それもそのはず、このアルバムには、リターン・トゥ・フォーエヴァーのスタンリー・クラークや、同バンドの元メンバーであるアイアート・モレイラ、フローラ・プリムがゲスト参加しているのだ。当時のサンタナのクロスオーバー・ジャズ、フュージョン・ジャズへの傾倒が思いっきり感じられる。
ロックが得意とした「トータル・コンセプト・アルバム」という観点から聴くと、インスト・ナンバーの硬派でスピリチュアルな展開と、ボーカル・ナンバーの「ソフト&メロウ」な演奏が拮抗していて、一貫性が損なわれてはいるが、このインスト・ナンバーとボーカル・ナンバーの拮抗が実にクロスオーバー・ジャズっぽい。
このアルバムは、エレクトリック・クロスオーバー・ロック(ジャズ)の傑作である。しかし、セールス的にはイマイチで、米国・英国共にチャートのトップ10に入らなかった(米国20位、英国18位)。
そうだろうな〜。このアルバムって、やっぱジャズでっせ(笑)。でも、僕は好きやなあ、このアルバム。
大震災から2年10ヶ月。決して忘れない。まだ2年10ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
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