12月8日、33回目のジョンの命日
今年もジョン・レノンの命日がやって来た。昨年は、手術後5日目。術後、初めて重湯を食した日なので良く覚えている。病室で「そう言えば、今日はジョンの命日やったなあ」とぼんやり思い出しながら、重湯をすすっていた。当然、昨年の今日はブログで語るどころでは無かったなあ。
さて、「今日はジョンの命日」とはいっても、正確には、NY時間の12月8日の23時過ぎに亡くなっているので、日本時間に換算すると、12月9日の9時過ぎ(現在の日本とニューヨークとの時差は14時間)になるが、そこはまあ、細かいことは言いっこ無し、ということで、ご容赦願いたい。
ジョンが、自宅のあったダコタ・ハウスの前で撃たれたのは、1980年12月8日、22時50分。あれから、今年で33年が経ったことになる。当時、僕は大学3回生。日本時間の12月9日、大学生協のFM放送の正午のニュース(だったかと思う)で、「ジョンが撃たれた」という報に接し、何が起きたのか、上手く理解出来なかった。
そして、その3時間後だったか、NHKのテレビのニュースで、ジョンの逝去を知ったと思う。「ジョンが撃たれた」という報に接し、「ジョンのことだから、きっと大丈夫。大事には至っていない」と不思議な確信があったので、逝去したという報には愕然とした。あの時の激しい喪失感と虚無感は今でも忘れない。
あれから33年、生きていれば、ジョンは73歳の翁である。今年はポールが来日したが、ポールは今年71歳。ポールの雰囲気からすると、ジョンもその気があれば、まだまだバリバリの現役ミュージシャンとして、君臨していただろう。まあ、その気があれば、だけど(笑)。生きていたら、ジョンって、73歳の今でも歌っていたのかなあ。
僕は、毎年、ジョンの命日が近づくと、このアルバムを聴く。『John Lennon Collection』(写真左)。LPで発売された当時から、何故かジョンの愛聴盤の一枚。選曲が良いのと曲順と曲の流れが気に入っているのが大きな理由かな。そうそう、ジャケット写真が、死の数時間前に撮影されたもの、という特別なところも大きい。まあ、ソロ・アルバムの一枚一枚を聴き直すのは、ちょっと「重い」という感覚もある。
僕は、生前はいろいろとあった様だが、そのジョンの生き様や音楽的成果を丸ごと受け入れている。振り返ってみて、彼が、歴史上、偉大なミュージシャンの一人だったことは疑う余地は無く、その生き様はとても「人として誠実」だったと感じている。
そして、今年のポールの来日公演のセットリストを見渡して、「All My Loving」が選曲されていることに気付く。感慨深い想いが駆け抜ける。
この1980年12月8日、ジョンの最期の日。伝えられるところによれば、レノンの死亡時に病院のタンノイ・スピーカーから流れていた曲はビートルズの「All My Loving」だったという。そして、ジョンをして「ポールは完璧な作曲の能力がある」と言わしめた、ポールが敬愛するジョンに、初めて、その作曲能力を誉められた曲である。
今でも、リアルタイムで体験したジョンの命日を思い出す。あの時のやるせない気持ちは今も忘れない。決して忘れることは無い。今までもこれからも。そして、あと2週間もすれば、クリスマスがやってくる。
So this is Christmas
And what have you done
Another year over
a new one just begun
And so this is Christmas
I hope you have fun
The near and the dear ones
The old and the young
A Very Merry Christmas
And a Happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
「Happy Xmas (War Is Over)」
Christmas song by John Lennon, Yoko Ono.
大震災から2年8ヶ月。決して忘れない。まだ2年8ヶ月。常に関与し続ける。
がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
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