こんなアルバムあったんや・28
ジャズは懐深い音楽ジャンルで、他の大抵のジャンルの音楽と融合したり、そのエッセンスを吸収したり、他の音楽ジャンルに対して、かなり柔軟な音楽フォーマットである。
古くは、ラテン音楽のエッセンスを吸収して「ラテン・ジャズ」が流行ったり、ボサノバのエッセンスを吸収して「ボサノバ・ジャズ」が流行ったり、ロックの8ビートと誘導して「クロスオーバー・ジャズ」が流行ったり、クロスオーバー・ジャズにAORのソフト&メロウな要素を吸収して「フュージョン・ジャズ」が流行ったり、アフリカのネイティブな民族音楽と融合してみたり、ジャズは他のジャンルの音楽に対して、かなり柔軟である。
ジャズのミュージシャンと他のジャンルのミュージシャンと共演する、いわゆる「異種格闘技」的なセッションも厭わない。この「異種格闘技」的なセッションは、時に素晴らしい「化学反応」を起こし、単なる「共演」の音を通り越した、ジャズ+αの唯一無二な音世界が展開されたりする。
さて、その「異種格闘技」的なセッションとして、2011年4月ニューヨーク、リンカーン・センターで、エリック・クラプトンとウイントン・マルサリスの共演による、ブルース・ギターとニューオーリンズ・ジャズの融合によるスペシャル公演の模様を収録したライブ盤、Wynton Marsalis and Eric Clapton『Play The Blues - Live From Jazz At Lincoln Center』(写真左)がリリースされた。2011年9月の事である。
この「異種格闘技」的セッションの触れ込みは「ブルース・ギターとニューオーリンズ・ジャズの融合」。ウイントン・マルサリスが全ての曲をアレンジするほどの気合いの入れよう。また、クラプトン自身は、ジャズに対する畏敬の念を持っており、どこかでジャズとの「異種格闘技」を期待していたようである。
かっての「ジャズ界の貴公子」ウィントン・マルサリス、「ブルース・ギターの神様」エリック・クラプトン。さて、この2大ミュージシャンが「異種格闘技」をしたら、どんな化学反応が起こるのか。このライブ盤の興味はその一点に尽きる。
しかし、ちょっと肩すかしを食らう。「ブルース・ギターとニューオーリンズ・ジャズの融合」が狙いであったのだが、どうも全編に渡って「融合」したという雰囲気は無い。当然、化学反応も起こっていない。演奏のレベルは高いものがあるだけに実に惜しい。
ニューオリンズ・ジャズの部分は、さすが腕利きミュージシャンを集めてのセッションなので、まずまず聴き応えがある。が、なんだかちょっと「きれい」なのが気がかり。ジャズならではの、良い意味でのラフさが無い。書かれた譜面を基に演奏しているような、綺麗なニューオリンズ・ジャズ。
ブルース・ギターの方は、ジャズを意識しすぎたのか、ブルース・ギターのブルージーさが、ジャズのブルージーさの取って代わって、なんだか良くわかならい雰囲気の演奏になってしまった。誤解してほしくはないのだが、クラプトンのプレイは水準以上で、なかなかのプレイを披露してくれている。しかし、いつもの、感性でバリバリ弾きまくるクラプトンでは無いのだ。
「なんだかなあ」という内容は実に残念。特に、あの名曲「レイラ」をジャズ・ボーカル風なバラード・チックなアレンジに仕立てあげた意味が良く判らない。「ブルース・ギターとニューオーリンズ・ジャズの融合」の一例として、一度聴く価値はあるとは思うが、ヘビー・ローテーションにはならないだろう。それぞれの演奏は水準以上なのだが、何かが足らないのだ。
「ブルース・ギターとニューオーリンズ・ジャズの融合」としては、こんなアルバムあったんや、なんですが・・・。「ブルース・ギターとニューオーリンズ・ジャズの融合」の化学反応を狙って、予定調和に陥ってしまったようなライブ盤。演奏のレベルは高いものがあるだけに実に惜しい。
大震災から2年7ヶ月。決して忘れない。まだ2年7ヶ月。常に関与し続ける。がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
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