清々しい『セイシェルズ』の登場
1970年代半ばの日本ロックと言えば、プログレッシブ・ロックかブルース系のハードロックが中心。趣味性が高く、一般万民向けでは無かった。重たいと言えば重たい日本のロック。そんな中、このアルバムの登場は、実に清々しかった。
1976年のリリース。高中正義の『SEYCHELLES(セイシェルズ)』(写真左)。日本のジャズ界もフュージョン・ジャズについては端緒を付けたばかりの時期。まだ「フュージョン」という音楽ジャンル言葉は無い。そんな日本の音楽シーンに、この『セイシェルズ』の登場は実に清々しかった。
音的には、楽園ミュージックである。楽園と言っても、ユートピアなんていう空想上のものではない、リゾートをイメージした、地に足付いた楽園ミュージック。冒頭の「OH! TENGO SUERTE」のエレキ・ギターの音が、もう既に「楽園的な響き」を宿している。途中、間奏風に入る女性コーラスを含めて、これはもう「フュージョン」の音世界である。
しかも、ファンキーな音の要素を出来る限り封印し、あっさりとしたオフビートをベースに、聴き易くキャッチャーなフレーズを展開する、そんな「日本的な」個性を上手く前面に押し出している。
当時、ロックとジャズの融合として「クロスオーバー」という音楽ジャンルがあったが、この『セイシェルズ』は、クロスオーバーの先にある、ソフト&メロウで聴き心地の良いフュージョン・ジャズの雰囲気が色濃く漂う。このアルバムの登場は、当時、結構、センセーションだった。
バックを固めるミュージシャンも凄い面子がズラリ。高中も参加していたグループ、サディスティックスから、今井 裕(key), 後藤 次利(b) の二人が参加、そして、高橋 幸宏は詞を提供。それからそれから、林 立夫(ds), 浜口 茂外也・斉藤 ノブ(per), Jake H.Comcepcion (sax)、井上 陽水・TAN TAN (Chorus)などなど。ジャズでも無ければロックでも無い。実に面白いパーソネルである。
ラストの「TROPIC BIRDS」は、プログレ・フュージョンの色濃い異色な演奏。まだまだ、「夏・海・ラテン・トロピカル」に落ち着かない、高中の様々な音楽性の幅広さを感じる、実に印象的なナンバーである。ちなみに、最初と最後に入っているアカペラのコーラスは、井上陽水と高中正義によるもの。
2曲目の「トーキョー・レギー」や6曲目の「サヨナラ・・・FUJIさん」の日本語ボーカル入りナンバーが、当時、このアルバムの立ち位置をややこしくしたが、これも「フュージョン・ジャズ」として捉えるならば、何の不自然さも無い。
発売当時は、音楽関係者から結構厳しい批評をいただいたみたいですが、これって、このアルバムの意味するところが理解しにくかったことが原因でしょう。そりゃあ、理解しにくかったでしょう。当時、「フュージョン」という音楽ジャンル言葉は無かったし、日本の音楽シーンにおいては、フュージョンな演奏を実践しているミュージシャンは、ジャズ畑でもほんの一握りだった。
今の耳で振り返ると、何の不自然さも違和感も無いんですけどね。逆に、1970年半ばの日本の音楽シーンにおいて、こんなフュージョンなアルバムが、1976年当時にリリースされていたという事実に、結構、ビックリします。結構、当時の日本のミュージシャンって「イケて」ましたね。素晴らしい。
最後に、このアルバムの誕生秘話を。どこかの雑誌記事で読んだんだけど、高中正義いわく、「毎日グラフ」という雑誌に掲載されていたセイシェル諸島の写真を偶然見つけて、その瞬間、ソロ・アルバムのテーマが決まり、曲も意外とすんなり出来たのだそうだ。
だからそれまで、セイシェル諸島って、行ったことも無ければ見たことも無かった、とのこと(笑)。名盤の誕生って意外とそんな単純なことが動機になったりするんですよね。至極納得しました。
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