フェンダー・ローズを愛でる・4
サリナ・ジョーンズは、1944年1月29日、米国ヴァージニア州生まれ。若い頃から地元で唄っていたが、ニューヨークに移住。「September Song」を歌って、ハーレムのアポロ・シアターで行われたタレント・コンテストで優勝。すぐさまプロ・デビュー。そして1960年代半ば、米国を去り欧州へ移住。1978年に初来日。以降、東アジアで人気を獲得した女性シンガーである。
確かに馴染みのある名前である。ジャズ者初心者の頃、1970年代後半、サリナ・ジョーンズの歌声は、結構、FMで流れていたような記憶がある。
サリナ・ジョーンズは、どちらかと言えば、伝統的なジャズ・シンガーではなく、ポップスの要素も取り入れた、まさにフュージョン・ライクな女性ジャズ・シンガーである。
その「フュージョン・ライク」なジャズ・シンガー、サリナ・ジョーンズが、伝説のフュージョン・バンド、スタッフをバックに唄った アルバムがこの『My Love』(写真左)である。
1981年4月、東京での録音である。ちなみにパーソネルは、Gordon Edwards (b), Steve Gadd (ds), Cornell Dupree, Eric Gale (g), Richard Tee (key,vo)。なんと、バックのメンバーは、伝説のフュージョン・バンド「スタッフ」そのものである。
元々、バックを務める伝説のフュージョン・バンド、スタッフ自体が、当時のフュージョン・バンドには珍しい、ファンキーでブルージーな、うねるようなグルーブ感が身上のバンドなので、そのスタッフの「うねるファンクネス」溢れる伴奏に、如何にサリナが乗るのか、がこのアルバムの鍵であるが、その答えは、冒頭の「Everyday」を聴けば明確になる。
全編、夜の静寂にファンキーでブルージーな雰囲気をプンプンさせながら、ある時はダイナミックに ある時は囁くように、ある時はシャウトし、ある時は朗々と歌い上げる。そんなバラエティーあふれるサリナ の歌唱が楽しめる。一言で言うと、大人のフュージョンやね。
そして、もう一つの聴きものが、リチャード・ティーのフェンダー・ローズ。ティーって、フェンダー・ローズの使い手として、屈指の存在なのだが、このサリナ・ジョーンズの歌伴でその実力が炸裂する。
フェンダー・ローズを印象的に、揺れるように、幅広く歌わせるように弾きこなすテクニックは、ティーの真骨頂。ティーのローズは音の揺れと幅が広く、キャッチャーでソフト&メロウなフレーズが印象的。
もちろん、バックを務める「スタッフ」も言うこと無し。「フュージョン・バンドに歌伴は出来ない」なんて、つれないことをおっしゃる評論家もいるが、ここでの「スタッフ」は、フュージョン・ファン にとっては「嬉しい」例外である。
大震災から2年。でも、決して忘れない。まだ2年。常に関与し続ける。
がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力し続ける。
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