アコ・マイルスの最終章である
さあ、アコースティック・マイルスのラストである。まあ、幾つかアコ・マイルスのアルバムをご紹介しそびれているもののあるが、それは追々このブログで採り上げるとして、大凡としては、アコ・マイルスのラストである。
そのアコ・マイルスのラストのアルバムは、Miles Davis『Nefertiti(ネフェルティティ)』(写真左)。ネフェルティティとは、エジプト新王国時代の第18王朝のファラオであったアメンホテプ4世の正妃の名前。謎を秘めた未完成の美しい胸像で著名であり、古代エジプトの美女の一人と考えられている(Wikipediaより抜粋)。
そんな名前を戴いたアコースティック・マイルスの最高峰の名盤である。このアルバムはとにかく内容が凄い。スイングから面々と受け継がれ、発展してきた芸術としてのジャズの最終的な到達点のひとつと捉えても良いだろう。それほどまでに素晴らしい内容のアルバムである。21世紀になっても、ジャズ界に君臨する大名盤の一枚である。
1967年6月7日〜7月19日の録音になる。1967年5月録音の『Sorcerer』と対を成す兄弟盤である。収録曲を見渡して見ると、
1. ネフェルティティ - Nefertiti(Wayne Shorter)
2. フォール - Fall(W. Shorter)
3. ハンド・ジャイヴ - Hand Jive(Tony Williams)
4. マッドネス - Madness(Herbie Hancock)
5. ライオット - Riot(H. Hancock)
6. ピノキオ - Pinocchio(W. Shorter)
ウェイン・ショーターの手なる曲が3曲、ハービー・ハンコックの作曲の曲が2曲、トニー・ウィリアムスの曲が1曲。作曲者という観点からは、先の兄弟盤『Sorcerer』と同傾向。曲的な雰囲気は、ほとんどウェイン一色である。
が、この盤も『Sorcerer』と同様、演奏全体を覆うグループ・サウンズの雰囲気は「マイルス」そのもの。そこのマイルスのトランペットの音がプププ〜ッと乗ってきたら、もうそこは徹頭徹尾「マイルスの音世界」にドップリと染まる。
このアルバムは、何と言っても冒頭のタイトル曲「Nefertiti(ネフェルティティ)」にとどめを刺す。マイルス曰わく「この曲いいメロだから、アドリブ無しってのはどうだ?」。
そう、この曲の演奏には、アドリブが無い。印象的な主旋律を延々と繰り返していく。それも、ワンフレーズずつ、手を変え品を変え音を変え、テクニックの全てを尽くして、様々な音色、様々なアプローチ、様々な展開で同じ旋律を繰り返し演奏し続けていく。
即興演奏を旨とする、アドリブ展開が命とされるジャズの対極にある、ジャズに対するアンチテーゼの様な、アートの芳しき香り漂う、素晴らしい演奏である。
とにかく同じ表現が繰り返されることは皆無。クインテットの面々は平然とクールに、手を変え品を変え音を変え、テクニックの全てを尽くして、様々な音色、様々なアプローチ、様々な展開で同じ旋律を繰り返し演奏し続けていく。
これもジャズ。これも即興演奏の一部。ジャズという音楽ジャンルの表現手段、表現方法がまだまだ枯渇していないことを物語る、素晴らしい伝統的なジャズ。フリー・ジャズなムーブメントに対する返答。音楽監督「考えるマイルス」の勝利。
それと、この『Nefertiti』は、ウェイン・ショーターのサックスが素晴らしい。マイルスの洗礼を受けて、完全に唯一の個性を確立したウェインの咆哮。ウェインしか為し得ない、ウェインしか吹けない、音・フレーズ・展開が満載。彼がどれだけマイルスの薫陶を受けて、絶対的な個性を確立したかは、ウェインが初めてマイルス・クインテットに参加した『Miles In Berlin』を聴けば判る(2012年10月3日のブログ参照・左をクリック)。
『Miles In Berlin』では、ウェインテナーは、コルトレーンのフォロワー。コルトレーンの様なアドリブ・フレーズが展開される。きっとマイルスは思ったろう。「真似からは何も生まれない」。きっとマイルスはウェインに言ったと思う。「全くコルトレーンじゃないように吹け」そして「ウェインのように吹け」。
この『Nefertiti』、凄いアルバムです。今を去ること35年前。ジャズ者初心者の僕も、この『Nefertiti』の凄さは、一度聴いただけで直感的に判りました。それぼどまでに衝撃的な、冒頭のタイトル曲「Nefertiti」です。
この『Nefertiti』にて、マイルスはアコースティック・ジャズとして、やれることはやる尽くしたと感じたのでしょうか。このアルバムの後、マイルスは、ハービーにエレピを、ロンにエレベを弾くように指示し、エレクトリック・マイルスとして最初のアルバム『Miles In The Sky』を制作することになるのでした。
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Nefertitiについて、初めて僕と同意見の見解の文章を見ました。
『そう、この曲の演奏には、アドリブが無い。印象的な主旋律を延々と繰り返していく。』で、あれっ?と思いましたが、『それも、ワンフレーズずつ、手を変え品を変え音を変え、テクニックの全てを尽くして、様々な音色、様々なアプローチ、様々な展開で同じ旋律を繰り返し演奏し続けていく。』で、「やっと同じ聴き方してる人を見つけた!」との思いです。
できれば、『アドリブが無い』ではなく『ホーンセクションのアドリブパートが無い』と表現されていれば、あれっ?と思うこともなかったのかなあと。
投稿: 瀧元 | 2023年8月 5日 (土曜日) 15時17分