ペッパーの東京デビュー記録 『Tokyo Debut』
ジャズのアルバムには、作品として優れた盤もあれば、ジャズの歴史の一場面を記録した「時代の証人」的な盤もある。ジャズは即興の音楽。その即興の瞬間を留めたアルバムはいつも聴いていて楽しい。
さて、昨年、興味深いアルバムをたまたま見つけた。存在は知っていたのだが、このアルバムは、ジャズの歴史の一場面を記録した「時代の証人」的な盤。内容的にちょっと懐疑的に感じて、なんだか後回しになって、なかなか触手が伸びなかった。
そのアルバムとは、Art Pepper『Tokyo Debut』(写真左)。時は1977年4月5日、場所は郵便貯金ホール。Cal Tjaderのゲストとして、「東京デビュー」を果たしたアート・ペッパーの記録。アート・ペッパーは天才アルト・サックス奏者。天才ではあるが、筋金入りの「ジャンキー」でもあった。
Wikipediaを紐解くと「生涯を通じて麻薬中毒によりしばしば音楽活動が中断されている。1960年代後半を、ペッパーは薬物中毒者のためのリハビリテーション施設シナノン(Synanon)ですごした。1974年には音楽活動に復帰し、ふたたび精力的にライブやレコーディングをおこなった」とある。つまり、重度の麻薬禍からカムバックして東京にやって来たということ。
このアート・ペッパーの「東京デビュー」はジャズ界の有名な伝説の一つ。3番目の妻ローリー・ペッパーによって筆記された自伝「ストレート・ライフ」に克明に記述されている。このCDでも、コンサートの冒頭、アート・ペッパーが壇上で紹介され、満場の拍手をもって迎えられる様子が、「Introduction」として記録されています。この部分だけでも鳥肌が立ちます。
自伝「ストレート・ライフ」のこの部分の一節は、ネットでもあちらこちらで引用されているので、ちょっと憚れるのだが、敢えて、ここでも引用させて頂く。それほど、感動的な出来事であり、感動的なジャズの歴史の一コマなのだ。
「僕の姿が見えるや、観客席から拍手と歓声がわき上がった。マイクに行き着くまでの間、拍手は一段と高まっていった。僕はマイクの前に立ちつくした。おじぎをして拍手がおさまるのを待った。少なくとも5分間はそのまま立っていたと思う。何とも言えないすばらしい思いに浸っていた。あんなことは初めてだった。(中略)その瞬間、今までの、過去の苦しみが全て報われたのだ。生きてきてよかった、と僕は思った。」
なんと温かい日本のジャズ者の皆さんであることか。なんとジャズに対して造詣の深いジャズ者の皆さんであることか。確かにアート・ペッパーは心から感激したに違いない。本当に凄まじいほどの万雷の拍手なのだ。
以降、高速展開の「Cherokee」から、アート・ペッパー渾身のブロウが怒濤の如く続きます。ここでのペッパーのアルトは、ハードバップというよりは、高速展開が旨のビ・バップの様なブロウです。ところどころでフリーキーな展開も織り交ぜて、ジョン・コルトレーンの「シーツ・オブ・サウンド」に影響を受けたという、ペッパー後期の「硬質でハードで限りなくフリーなバップ演奏」が全編に渡って展開されています。
このライブでのペッパーのブロウは、ちょっと「一杯いっぱい」な余裕の無い、ちょっと一本調子なブロウに感じますが、自伝「ストレート・ライフ」から垣間見える当日のペッパーの状態からすると、仕方の無いところかと思います。
この盤がリリースされた時には、「こんな歴史的な音源があったんや」なんて、心底、感心したのを覚えています。というか、アート・ペッパーの自伝「ストレート・ライフ」の、あの有名な一節を知っていただけに、この音源の存在は「なんか出来過ぎやなあ」なんて訝しがったりもしましたね(笑)。
このアルバムは、ジャズの歴史の一場面を記録した「時代の証人」的な盤です。内容はともかく、まずはジャズの歴史の一コマを追体験して下さい。音質もまずまずで、当時のライブの様子が十分に追体験出来ること請け合いです。
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