久保田早紀『夢がたり』を聴く
我がバーチャル音楽喫茶『松和』では、1970年代の「Jポップ」も守備範囲である。控えめだが、1970年代の日本のロック、ニューミュージックのマニアでもある。
大震災以降、部屋中に散乱したCDを収納しなおして、PCオーディオとしてCD音源をリッピングして、1970年代を中心とした日本のロックなどの「Jポップ」のiTunesライブラリの整備が終わった。第一線から退いたiPhone4にアップして、Jポップ専用ネット・プレイヤーとして活用するつもり。ジャズのアルバム鑑賞の「耳休め」に、70年代ロックに加えて、70年代Jポップの音源が加わったことになる。
今日は朝から冷たい雨。リハビリ・ウォーキングに出ることも出来ず、朝から、入院していた頃に溜まった雑誌の整理の傍らで、久し振りに、70年代Jポップのアルバムに耳を傾けた。選択したアルバムは、久保田早紀の『夢がたり』(写真左)。あの永遠の名曲「異邦人」が収録された、久保田早紀のファースト・アルバムである。
『夢がたり』は、1979年12月のリリースになる。名曲「異邦人」は、シングルとして、アルバムに先行して1979年10月1日にリリースされている。まあ、当時は、まずシングル曲を発売して、そのシングル曲が当たれば、そのシングル曲をベースにアルバムを制作するというのが常態だったので、シングル曲の発売→アルバムの発売という順番は当時としては当たり前。
僕は、この『夢がたり』については、1979年12月、発売と共に友人に買わせて、ダビング音源として入手している。実は、当時、僕はこの『夢がたり』の内容については、あまり高い評価をしていない。曲毎のアレンジが耳に馴染まないというか、薄っぺらというか、どうも、その音作りそのものが気に入らなかったようだ。
が、しかし。今の耳で聴くと、この『夢がたり』というアルバムは名作と言える。1979年当時、耳に馴染まなかったアレンジは、今で言う「ワールドミュージック的な」、若しくは「エスニックな」アレンジで、中近東から南欧に至る、加えて、ボサノバなど南米のルーツミュージック的な要素を織り交ぜた、当時としては実に斬新な音作りがなされている。音の印象としては「オリエンタル+中東風」がベース。
そんな「ワールドミュージック的な」、若しくは「エスニックな」アレンジに乗って、久保田早紀の透明度の高い、伸びの良いボーカルが豊かなエコーと共に響き渡る。ピアノ、ギター、ケーナ、ダルシマなどの楽器が全て、「ワールドミュージック的な」、若しくは「エスニックな」響きを宿している。ドラムを中心としたリズム&ビートもちょっと複雑なパターンを織り交ぜていて、なんとなくエスニックな雰囲気。
面白いことに、このアルバムを通して聴くと、実はシングルとして先行発売された「異邦人」が、ちょっと異質なことに気が付く。「ワールドミュージック的な」、若しくは「エスニックな」アレンジを施してはいるが、弦を入れたり、伴奏の楽器を重ねて、厚みを出したりで、いわゆる「シングル曲」としての「重厚なアレンジ」になっていることが原因だろう。アルバムに収録された他の曲については、そのアレンジについては意外とシンプルにまとめられている。
しかし、良いアルバムですね〜。「ワールドミュージック的な」、若しくは「エスニックな」アレンジをベースに、「オリエンタル+中東風」な音の印象で統一された、いわゆる「トータルアルバム」として、実に良く出来たアルバムだと思います。とても丁寧に作り込まれたアルバムという印象です。録音も良く、70年代Jポップのマニアとしては、マスト・アイテムでしょう。
このシングル「異邦人」でピアノを弾いているのは、久保田早紀本人では無く、今は亡き、故羽田健太郎さんとのこと。この曲はCMでも使用されていて、確かサンヨーのカラーテレビのCMだったと記憶しています。なんだか懐かしいですね〜。ちなみに、この「異邦人」は、当時、我が大学の史学研究室のテーマソングでもありました。コンパの度に合唱してました(笑)。
大震災からもうすぐ2年。でも、決して忘れない。常に関与し続ける。
がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力しよう。
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