酷いラフさの『Wild Life』
『RAM』の スーパー・デラックス・エディションが、この5月にリリースされたり、『ポール・マッカートニー』と『マッカートニー II』のデラックス・エディションが、昨年の6月にリリースされたりで、何かと賑やかなポールの周辺である。
僕もそのトレンドに乗った訳でもないんだが、『ポール・マッカートニー』と『マッカートニー II』、そして、『RAM』のハイレゾ音源に触れる機会があったりで、なにかと、ポールのアルバムを聴くことが多い今日この頃である。
そんな中、最近、Paul McCartney & Wingsの『Wild Life』(写真)を聴いた。このアルバムは、ポールがソロは淋しくて嫌だと感じ、もっと人との繋がりを求めて、そして、久し振りにバンドとしてライブ演奏をしたくなって、「Wings(ウイングス)」というバンドを結成して製作した、つまりは、ポール・マッカートニー&ウイングスのファーストアルバム、なんだけど・・・。
このウイングスのファーストアルバムである『Wild Life』。しかしながら、アルバムタイトルが「ワイルド・ライフ」だからといって、アルバムの作りまでラフにしなくていいのに・・・。
なんといっても、このアルバムの制作過程がひどい。3日間のレコーディングに2週間の編集。いかに優れたグループでも、ファーストアルバムで、この短期間で充実したアルバムを出すことは奇跡に近い。しかも、以前からバックバンドでやってきた、なんていうメンバーじゃないし、いかに、優れたメロディーメーカーのポールでも無理だよなあ。
1曲目からラストの曲まで、ラフラフな音、音、音。バンドのデモテープを聴いているような感じ。ソロのファーストアルバムであった「マッカートニー」とは、また違ったラフさ。
ファースト・ソロアルバム「マッカートニー」の場合は、まだ、自家録音で、ポール一人で、マニアックに作った、よく言えば、まだ、「手作り」の良さがあった。このアルバムはそれがなく、リスナーを馬鹿にしてんのか、って言いたくなるようなラフさだ。とりわけ、2曲目の「Bip Bop」に至っては、いい加減にせい、と言いたいくらい。
故に、当時、チャートとしてもふるわず、全英11位、全米でベストテンに顔を出した程度。さすがのポールも青ざめたのではないか。しかしながら、じっくりと耳を傾けてみると、のちのウィングスの原型となる音づくりが、そこかしこに見え隠れするのが、せめてもの救い。
しかし、8曲目の「Tomorrow」や9曲目の「Dear Friend」では、まだ、ジョンを揶揄し、ジョンを過剰なまでに意識した曲になっており、まだまだ、ポールは、ビートルズの幻影とジョンの幻影を過剰なまでに感じているのだった。実に無意味なことだし、実に不毛な仕業である。
「希有なメロディーメーカーのポール」を阻害する幻影たちをなんとか払拭するには、あと1枚のアルバムを浪費する必要があったのである。この『Wild Life』は、その浪費する必要があった「あと1枚のアルバム」。
このアルバムの作り込みの酷さを通じて、ポールはその時点で自分の置かれている環境と世間の自分に対す評価を客観的に感じることが出来たのだろう。この『Wild Life』を境に、ポールは従来のメロディーメーカーの資質を取り戻していく。
大震災から1年が過ぎた。決して忘れない。常に関与し続ける。
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僕は、「Wildlife」、何故かウィングスの作品の中で一番好きですね。
Paulは、徹底的にスタジオワークに凝る緻密なところと、エイヤで仕上げてさっさと
ツアーに出たがる大雑把なところの、二面を持っているようで、
この作品は後者なのでしょうが、個人的にはその粗さが
勢いになっているように思います。
以前とあるMM系の音楽ライターが、「Paulの作曲能力1968年ピーク説」
を唱えていましたが、彼のミュージシャンとしての興味は
クラシックやサウンドコラージュにも及び、
Beatlesの最もとんがったところを先導したのはやっぱり
P師匠だと思ってしまうのです。
またコメントしますね。
投稿: Katz | 2014年7月11日 (金曜日) 01時50分