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2012年6月の記事

2012年6月29日 (金曜日)

新しい「音の融合」を強く感じる

僕が学生の頃「ジャズは死んだ」と言われた。1970年代後半のことである。しかし、本当にジャズは死んだのか。本当にジャズは「芸術の骨董品」になってしまったのか。

否、ジャズは発展しているのか、ジャズは拡散しているのか、正確なところ、どうなのか判らないのだが、決して、ジャズは停滞してはいないし、当然、ジャズは死んではいない。

こんなアルバムを聴くと、「決して、ジャズは停滞してはいないし、当然、ジャズは死んではいない」、そんな気持ちを新たにさせてくれる。Robert Glasper『Black Radio』(写真左)。ジャズの名門ブルーノート発、通算5作目となる作品。

Robert Glasper(ロバート・グラスパー)とは・・・。1978年4月6日、テキサス州ヒューストン生まれ。ピアニスト、作編曲家。2005年、ブルーノートと契約。ジャズやゴスペル、ヒップホップ、R&B、オルタナティブなロックなどのエッセンスを取り入れた革新的なスタイルで、各方面から高い評価を得る。

この『Black Radio』は傑作である。本作は彼が立ち上げた「エクスペリメント・バンド」を中心に、多数のボーカリスト達の参加により完成させたプロジェクト盤。
 

Black_radio_2

 
全編に渡って実に「コンテンポラリー」な雰囲気が満載。ヒップホップ、ジャズ、ファンキー、オルタナ、ゴスペル、R&Bなど、アメリカン・ルーツ・ミュージックとアメリカン・ブラコン・ミュージックの要素がごった煮になった限りなくクールな音世界。

基本は「ヒップホップ」。そこに、オルタナなビートが漂いながら、メンストリーム・ジャズの要素が織り込まれていく。ファンキーな音の揺らぎが愛おしい、素晴らしくクールな音世界。ボーカル群はすべからく「オルタナ」で、ソウルな伝統を感じさせながらも、アンニュイな雰囲気を漂わせるところが実に「ニクい」。

このアルバムは「ジャズの枠を広げた」なんて評価もありますが、どうして、絶対に伝統的なジャズでは無いですよね。まあ、そんな音楽のジャンル分けには全く意味が無いんですが、この『Black Radio』には、ジャズをベースとした、新しい「音の融合」を強く感じます。まだまだ、ジャズの伸びしろはありそうですね。

ヒップホップ・アーティストとの数多くのコラボレートで知られるピアニスト、ロバート・グラスパー。彼の音作りのアプローチは、ジャズをベースとした新しい「音の融合」。ジャズは死んでいない。ジャズは停滞してはいない。ジャズは生きている。ジャズは深化している。

 
 

大震災から1年が過ぎた。決して忘れない。常に関与し続ける。
がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力しよう。 

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2012年6月28日 (木曜日)

やっぱりスティービーは天才だ

このアルバムを聴いた時、僕は「やっぱり、この人は天才だ」と改めて思った。このアルバムには心底、感動した。凄いと思った。なんだか別次元の音世界を体験した感じになった。

そのアルバムとは『Fulfillingness' First Finale(ファースト・フィナーレ)』(写真)。1974年のリリース。スティービーのなんと、17作目のオリジナル・アルバム。ジャケットデザインと共に、その内容も含めて、申し分の無いアルバム。

前作『Innervisions』を聴いた時も「この人は天才だ」と思った。アルバムを聴きながら「なんやこれは」を連発した。前作の『Innervisions』は「動」の世界。次々と傑作を発表し続ける、怖い者無しの快進撃を続けるスティービー。その圧倒的な自負をもって、どや顔なスティービー。堂々とした「動」の世界。

しかし、その次作『Fulfillingness' First Finale』は「静」の世界。そこはかとなく流れる「諦念感」にも似た静かな感情の世界。ファンクネス溢れる曲の底にも、静的な冷静な音世界が横たわっている。その「諦念感」にも似た静的な感情の世界。これが、実にアーティスティックであり、実にクール。R&B、ソウル・ミュージックの音世界を全く別次元の音世界へと誘ったスティービーの傑作。

First_finale

その「諦念感」にも似た静かな感情の世界には理由がある。その「動」の世界の傑作『Innervisions』発売後、スティービーは生死に関わるほどの大きな事故に遭う。幸いにも一命は取り留め、後遺症等の多くの不安を抱えながらも、創作活動に復帰し、この『Fulfillingness' First Finale』を完成させた。

生死に関わるほどの大きな事故の体験。「死」なんて考えてもみなかったところに、いきなり急に体験した「死」の感情。その「もうだめかも」という状態から幸いにも復帰して、創作活動に復帰した訳だが、その底に感じる「諦念感」。僕も、昨年11月に同様の経験をしたので、本当に良く理解出来る。

しかし、その「諦念感」にも似た静かな感情の世界こそが、このスティービーの傑作『Fulfillingness' First Finale』を、それまでのソウル・ミュージックの傑作の数々を遙かに超えた、全く別次元の音世界を宿した、傑作アルバムに昇華させた。

自然体でリラックスした、包み込むような大らかな展開。独りよがりにならない、聴いていて心地良い、キャッチャーなフレーズとアレンジ。創り手と聴き手が一体となるような、リズム&ビート。べたな表現をすると、このアルバムでのスティービーの音世界は「神の領域」に一歩足を踏み入れたような、そんな神々しさがある。

このアルバムを聴いた時、僕は「やっぱり、この人は天才だ」と改めて思った。1976年、高校3年の夏のことである。

 
 

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2012年6月27日 (水曜日)

スティービーは天才である・・・

このアルバムを聴いた時、この人は天才だと思った。当時のジャンルのネーミングは「ソウル・ミュージック」。その後、R&Bとも呼ばれたジャンル。僕が中学生の頃は「モータウン・ミュージック」とも呼ばれた。

その頃の「ソウル・ミュージック」は一発狙い。シングル・ヒット狙いとして、良く出来た、キャッチャーなフレーズを散りばめた、ダンサフルでファンキーな音世界。LPアルバムとして、曲を揃えて世に問うなんてことは無かった。

しかし、Stevie Wonder(スティーヴィー・ワンダー)は違った。このアルバムを聴いた時、僕は「この人は天才だ」と思った。そのアルバムとは『Innervisions』(写真左)。1973年のリリース。スティービーのなんと、16作目のオリジナル・アルバム。ジャケットデザインと共に、その内容も含めて、申し分の無いアルバム。

捨て曲無し。アルバム全体の雰囲気を統一して、コンセプト・アルバムとしても評価出来る、当時として先進的な内容。ほとんどの楽器をスティーヴィー自身が演奏。ヒット曲狙いの「ソウル・ミュージック」が、ここまでアーティスティックな表現を実現出来るとは・・・。ほとほと感心したことを、昨日のことの様に覚えている。1976年、高校3年の春のことである。
 
Innervisions
 
アフリカン・アメリカンの音楽のルーツをしっかり押さえた、アーシーでファンキーな音世界。ソウルあり、ブラコンあり、ファンキーあり、そして、ゴスペルあり。そこに、歌詞をのせて唄うスティービーは、徹頭徹尾、何から何まで「神々しい」。

スティービーについては、その歌唱は言うまでも無いが、キーボードの使い方、特に、シンセサイザーの使い方が素晴らしい。マルチ楽器奏者の側面を、このアルバムでは前面に押し出してはいるが、スティービーの一番優れた才能を見せてくれる楽器は「キーボード」。
 
とりわけ、シンセの使い方は唯一無二。スティービーにしか出せない、個性的な音が、このアルバムの中で、しばしば聴くことができる。

スティーヴィーは1973年当時、弱冠23歳。若き天才である。曲作りもボーカルもキーボードもその他の楽器も、その才能は素晴らしいが、僕は、この人のアレンジの才能に「ひれ伏す」。一点の曇りも無い「完璧なアレンジ」。この『Innervisions』でのアレンジは完璧。天才の成せる技である。

 
 

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2012年6月26日 (火曜日)

パイクのジャズ・ロックな名盤

ジャズ・ロック。音楽のジャンルにおいて、ジャズおよびロックより発展した一つの演奏スタイルである。ジャズにおいて、電気楽器(エフェクトを多用したエレギや、エレピ)の使用によるロック風な奏法を取り入れた、新しい演奏スタイル(Wikipediaより)。ちなみにリズム&ビートは8ビートである。

ジャズ・ロックは、1960年代半ばから後半にかけてが流行のピーク。ロックンロールの定番である8ビートにのって、こってこてファンキーな響きとダンサフルなフレーズ。俗っぽく少し猥雑で大衆的な雰囲気。しかし、底にはしっかりと伝統的なジャズが息づいている。

この俗っぽく少し猥雑で大衆的な雰囲気が「こっ恥ずかしくて」、ジャズ者初心者の頃、そう学生時代、このジャズロックな名盤を人前で聴くことが出来ず、密かに下宿で聴き入って、乗ってきたらついつい一人で踊り出していた、そんなダンサフルでファンキーな大衆ジャズ。

そんなジャズ・ロックの名盤、Dave Pikeの『Jazz for the Jet Set』(写真左)。1966年のリリース。ちなみにパーソネルは、Billy Butler (g), Jimmy Lewis, Bob Cranshaw (b), Clark Terry, Marty Sheller, Melvin Lastie (tp), Bruno Carr, Grady Tate (ds), Herbie Hancock (org), Dave Pike (Marimba)。

リーダーのDave Pike(ディブ・パイク)は、もともとヴァイブ奏者。このジャズ・ロックな名盤では、ヴァイブをマリンバに持ち変える。ファンキーで俗っぽく、ポップなマリンバの音、パイクのフレーズ。判り易いパイクのインプロビゼーションは、徹頭徹尾「ジャズロック」している。

Jazz_for_the_jet_set

パーソネルを眺めると、あのハービー・ハンコックがオルガンを担当、トランペトのクラーク・テリー、ドラムのグラディ・テイトといったメインストリーム・ジャズからの人材を招聘。それでも、演奏される内容は、ソウルファンクでダンサフルなポップなジャズ。

ふふふっ、ちょっと軽薄なノリの「イケイケ・ゴーゴー」なサウンド。適度にゆるゆるなダンサフルさで、しっとり優しく腰に来る(笑)。

冒頭の「Blind Man, Blind Man」は、「Watermelon Man」と並ぶハンコックのジャズ・ロックな名曲。デイブ・パイクを始めとする面々は、ゆるゆるでファンキーでダンサフルでソウルフルはフレーズを連発する。思わず、足で拍子を取り、腰が揺れる。そして、アルコールが入っていたら「踊り出す」(笑)。

4曲目の「When I'm Gone」は、あかんやろう(笑)。これ、リフが、Lee Morganの「The Sidewinder」そっくりやん(笑)。あかんやろう、これだけ似てたら(笑)。

そして、5曲目の「You've Got Your Troubles」のポップさなどは、もうジャズを超えている(笑)。ビートは8ビート。それでも、インプロビゼーションの節回しは、しっかりとジャズしていて、実に微笑ましい。

1960年代後半のジャズ・ロックの名盤は、ほのぼのしていて、とっても良い気分転換になるし、とっても良いストレス解消ツールになる。まあ、肩の力を抜いてゆるりゆるりと行きますか、なんて感じの「ほのぼのさ」が心一杯に広がる。これもジャズ。 

 
 

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2012年6月25日 (月曜日)

コリアとバートンは「抜群の相性」

チック・コリアを1週間ほど聴かなかったら、禁断症状を発症したので、今日はChick Corea & Gary Burton『Native Sense - The New Duets』(写真左)を選択。心ゆくまで、チックのピアノを楽しんで、なんとか落ち着いた(笑)。

チック・コリアのピアノとゲイリー・バートンのヴァイブは凄く相性が良い。どちらも、ジャズ特有のファンキー色を限りなく押さえ、ジャズ特有のブルージーでマイナーな展開を限りなく押さえ、硬質でクラシカルな響きを前面に押し出し、現代音楽の様なアブストラクトな面を少し覗かせながら、メロディアスで流麗なフレーズを展開する。楽器は違えど、音の性質は同類の二人。

最初のデュエットアルバムが『Crystal Silence』。ECMレーベルからのリリースで、印象的なアルバム・ジャケットと共に、これは名盤でしたね〜。それから何枚、この二人はアルバムを出しているのかなあ、と振り返ってみると、

・Duet
・In Concert, Zurich, October 28, 1979
・Lyric Suite For Sextet
・Native Sense
・Like Minds
・New Crystal Silence
・Hot House

思いつくまま、アルバム名をあげると、ズラリと7枚。先の『Crystal Silence』を合わせると8枚。『Crystal Silence』のリリースが1973年なので、約40年の間に8枚。5年に1枚のペースになる。多作というよりは、約40年間、つかず離れずで8枚のアルバムをリリースしている、ということで、やっぱり相性の良さの方が印象として強いですね〜。
 

Native_sense

 
今日聴いた『Native Sense』は1997年のリリース。その前のデュオ・アルバム『Lyric Suite For Sextet』が1983年のリリースなので、14年間のインターバルがある。

まあ、1980年代〜1990年代前半は、チックの方が、エレクトリック・バンドだのアコースティック・バンドだので、跳んだり跳ねたりしていたので、バートンとのデュエットどころでは無かったからなあ。

しかし、この『Native Sense』は、15年ぶりのデュエットでありながら、その内容は、確実に進化している。15年ぶりなんだから、昔のイメージをなぞって、ナツメロ的なアプローチを取りそうなんだが、そこはジャズ職人の二人、決して、そんな安易なアプローチは絶対にしない。

以前の4枚の演奏の雰囲気より、シャープで硬質でクールな演奏になっている。テクニックも確実にアップしていて、特に、音を分担して、ぶつからず離れずの「あうん」の呼吸と間合いが凄い。この『Native Sense』では、息をのむ展開というよりは、そのテクニックの素晴らしさに嘆息するくらいの素晴らしさ。チックとバートンのデュオの最高傑作と言って良いかもしれない。

ほとんどチック作の曲で占められてはいるが、特に、往年の名曲、「Love Castle」「No Mystery」が印象深い。特に、1970年代からのチック者には堪えられない演奏である。そして、ラス前の「Four In One」はセロニアス・モンクの作。これもなかなかに味わい深い。う〜ん、今度は、チックとバートンでセロニアス・モンク作の名曲をデュエット演奏して欲しいなあ。

チック・コリアとゲイリー・バートンのデュエットはどのアルバムも外れが無い。相性抜群のデュエット。ファンキー色、ブルージーな曲展開はありませんが、このストイックで硬質でクラシカルな響きは、ほど良い緊張感も相まって、現代ジャズの最適な部分のひとつだと思います。様々な年代のジャズ者の方々にお勧めです。

 
 

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2012年6月24日 (日曜日)

フロイド『炎』の待望SACD化

ピンク・フロイドでは、2011年秋のリマスター盤のリリースで、やっとピンク・フロイドの原音がイメージできる「最低限の音」のレベルになった、という感を強くした。しかし、「こんなもんやないよな〜」という感も強くした。

ピンク・フロイドの音世界こそ、最近、流行ってきた「ハイレゾ音源」に相応しいと思っている。音の広がり、音の奥行き、音のきめ細やかさ、そして、低音の充実感と演奏される環境の「空気感」。それらがしっかりと兼ね備わってこそ、ピンク・フロイドの音世界の「原音」を体験できると思っている。

そういう「ハイレゾ音源御用達」のピンク・フロイドの音世界ではあるが、ハイレゾ音源への対応は遅かった。そもそも、CDのリマスターですら。今回の2011年リマスターで、なんとか、CDとしてまずまずの音を確保した程度である。ハイレゾへの対応はかなり遅い。かの超人気盤『Dark Side Of The Moon(狂気)』について、2003年にSACD対応されたが、それ以降、ハイレゾ音源へのアプローチは殆ど途絶えていた。

が、やっと今回の2011年リマスターの動きに合わせて、コレクターズ・ボックスとして、『狂気』『炎』『ザ・ウォール』の3枚のアルバムのハイレゾ音源がリリースされた。しかし、このハイレゾ音源は「Blu-ray仕様」の為、取り扱いがややこしい。気楽にリッピングして気楽にPCオーディオとして楽しむには、ちょっとめんどくさい。

これはめんどくさいし、このコレクターズ・ボックス専用に、Blu-ray対応の環境をわざわざ用意するには、費用対効果が悪いなあ、と思案投げ首していたら、ふと魅惑的な過去記事が目にとまった。「フロイドのWish You Were Here(炎)のSACDが米国でリリースされた」。昨年11月の事らしい。あれ、何故気が付かなかったのか、と思ったら、そうでした、僕は昨年の11月は緊急入院していて音楽どころではなかったのでした。

Wish_you_were_here

で、昨日、その事実に気が付いて、探した探した、ら、ありました・・・。良かった〜、在庫が無くなっていたら、深い後悔の海に沈んでいたところでした。当然、Amazonにて即ポチッ、即ゲットです(笑)。

今日のお昼過ぎ、無事に手元に届きました。いや〜『Wish You Were Here(炎)』のSACD盤が手に入るとは・・・。嬉しいですね〜。今回のSACDは「スペシャル・エディション」ということで、ジャケットが通常のプラケースではなく、ブック型のデジパックを採用しています。付録にヒプノシスのポストカードが6枚。さりげない「オマケ」なんですが、リアルタイムにフロイドを聴いて来たマニアとしては、かなり心の中では嬉しかったりします。

さて、その肝心の音はどうか。いや〜、やっと『Wish You Were Here(炎)』の本来の音世界に出会えた気がしています。音のエッジの滑らかさ、音の分離、音の奥行き、音の左右の拡がりは、圧倒的にCDを上回ります(当然か)。

そして、意外と音の低音がきっちりと出ていて、モコモコ感の無い、自然と伸びた低音を体感できます。ロジャー・ウォーターズのベースって、こんなにブンブンと伸びて、テクニックも良好で、かなりクールなベースラインを紡いでいたんだ、と初めて感じました(ご免、ロジャー・笑)。加えて、ドラムのニック・メイソンのバスドラが実に良く効いている。低音の輪郭「良好」です。

ボーカルは奥行感があり、浮き上がる感じ。ハイハットの鮮度は高く、文句無しに素晴らしい。そして、今回、特に「これは凄いな」と感じ入ったのは、シンセサイザーの迫力。「Wish You Were Here」でのアコギの音はイメージ通りで文句なし。

これだけの音を体感できるSACD盤、3,000円を切る価格で、かなりの「お値打ち感」があります。SACD対応のプレイヤーが必要にはなりますが、これは「買い」でしょう。もう2011年リマスターCDには戻れません。困ったものです(笑)。

 
 

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2012年6月23日 (土曜日)

キースのオルガンを堪能する

子供の頃からオルガンの音が好きである。子供の頃からピアノを弾いていて、ピアノの音が一番好きだ。でも、オルガンの音も負けていない。子供の頃、教会で聴いたパイプ・オルガン、ハモンド・オルガンの音も大好きだ。

ハモンド・オルガンの響きは、僕にとっては「教会」の響き、「ゴスペル」の響きである。あのくぐもった和音が実に良い。ピアノはエッジの立ったシャープな音。ハモンドの音は、感情の塊の様な心を揺さぶる様な音。

ハモンド・オルガン。ジャズの世界では、その第一人者はジミー・スミス。ジミー・スミスこそが、オルガン・ジャズのイノベーターであり、最高の演奏家である。ジャズの世界で、オルガンで出すことの出来る音色、フレーズ、パターンのほぼ全てを、このジミー・スミスが表現し、確立した。

それでは、ロックにおける、ハモンド・オルガンの第一人者は誰か。これはもう、キース・エマーソンしかいない。キースのオルガンには、ロックの演奏の要件に沿った、先鋭的で攻撃的な音色、フレーズ、パターンが備わっている。決して、ファンキーにならない、乾いた8ビートに乗って、平易で判り易いインプロビゼーションを展開する。

そんなキース・エマーソンのハモンド・オルガンを心ゆくまで堪能できるライブ盤がThe Nice『(Live At the Fillmore East December 1969』(写真左)。CD2枚組の、当時のロックの殿堂「フィルモア・イースト」での優れたライブ盤である。

ちなみにパーソネルは、キース・エマーソン(Keith Emerson) - keyboard、リー・ジャクソン(Lee Jackson) - bass guitar/vocal、ブライアン・デヴィソン(Brian Davison) - drums、のトリオ編成。
 

The_nice_fillmore_east

 
最近発掘されたらしいライブ音源なので、音質や内容は大丈夫なのか、単なるブートの製品化では無いのか、とちょっと不安ではありましたが、思い切って入手して聴いてみたら、最近、良くありがちなブート音源の流用などではなく、きちんとしたライブ録音の音質、内容が維持されており、ホッと一息。

この時期のナイスは、キースのみがダントツに前面に出ており、エゴ丸出しの時期。ナイスのメンバーの他の二人は完全に役不足になっていた。いわばバンドとしては、既に解散直前状態になっていたと推察される。

というか、そんな状態は、このライブ盤を聴けば良く判る。キースのプレイばかりが前面に押し出されていて、他の2人は「えっ、いたの」という感じ。キースの先鋭的なオルガン演奏に比して、他の2人の演奏は「とほほ」なものに成り下がっている。

逆に、キースがエゴ丸出しでダントツ前面に押し出て、ハモンド・オルガンを弾き倒しているからこそ、このライブ盤CD2枚組を通して、キース・エマーソンのハモンド・オルガンを心ゆくまで堪能できるのだ。というか、ロックという音楽ジャンルにおいての、ハモンド・オルガンの音色、フレーズ、パターンのほぼ全てを体験し、堪能することが出来るのだ。

キース・エマーソンのハモンド・オルガンを体験し、理解する上では、このフィルモア・イーストのライブ盤のみで事足りるでしょう。いや〜長生きはしてみるものですね。こんなライブ盤が2010年になって発掘され、正式盤としてリリースされるとは思わなかった。

キースのハモンド・オルガンは、ファンキーさを省いて、ブルージーな音色を封印して、ロックの要件に応じた、先鋭的で攻撃的で荒々しく疾走感溢れる音色、フレーズ、パターンの全てを表現し、確立した。それが手に取るように判る、実に優れた内容のライブ盤です。プログレ者ベテランの方には一聴をお勧めしたいです。やはり、キースのキーボードの基本はハモンド・オルガンですね。

 
 

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2012年6月22日 (金曜日)

「これぞ新伝承派」と言えるプレイ

僕は、1980年代、ウィンストン・マルサリスを中心とした、伝統的なアコースティック・ジャズを継承するグループの「音」が好きだ。

この伝統的なアコースティック・ジャズを継承するグループについては、当時、ジャズ雑誌「スイングジャーナル」では、「新伝承派」というネーミングを提唱したが、「伝承」という言葉について、ジャズは「過去の伝統」の様に聞こえるところが引っ掛かったみたいで、あまり定着しなかった。でも「伝統的なアコースティック・ジャズを継承するグループ」はとても長いネーミングなので、僕は便宜上、「新伝承派」というネーミングをよく使う。

その「新伝承派」のピアニストとして名を馳せたMulgrew Miller(マルグリュー・ミラー)。僕はこのマルグリュー・ミラーのピアノが「お気に入り」。

彼のスタイルは、それまでのジャズ・シーンの中で「ありそうでない」スタイルをしている。部分部分を聴きかじると、過去の誰かのスタイルと同じじゃないか、と思うんだが、全体を通じてしっかり聴くと、過去の誰かのスタイルを踏襲していることは無い。

展開、音の重ね方、指捌き、どれをとっても「マルグリュー・ミラー」オリジナルである。決して、一聴して「それ」と判る様な派手派手しい個性では無い。でも、これが、僕に取っては、なかなかに興味深い。

Wingspan

今でも、マルグリュー・ミラーの初期のリーダー作の中で、特に良くCDのトレイに載るアルバムが『Wingspan』(写真左)。1987年5月の録音。ちなみにパーソネルは、Mulgrew Miller (p), Kenny Garrett (as,fl), Steve Nelson (vib), Charnett Moffett (b), Tony Reedus (ds), Rudy Bird (perc)。アルトサックスをフロントに据えて、ヴァイブとパーカッションを加えたセクステット構成。

マルグリュー・ミラーのピアノは、ファンキー臭さが殆ど無い。端正かつ華麗なピアノの響き。ハイテクニックではあるが、決して、ビ・バップの様に派手派手しく立ち回らない。モーダルな展開ではあるが、決して間延びしない。多弁ではあるが耳に付かない、クールな「シーツ・オブ・サウンド」。アーシーでは無いが、しっかりと鍵盤を押さえるようにベースラインを効かせた左手。

どこかで聴いたことがある様なピアノなんだが、よくよく聴くと、決して、誰かのピアノのフォロワーでは全く無い。奏でるフレーズはどれもが、マルグリュー・ミラーのオリジナル。

アルトのケニー・ギャレットも良い音を聴かせてくれる。若かりし頃のケニー・ギャレットのベスト・プレイに近い内容ではないか。良く鳴るアルトに、良く展開する指。歌心溢れるインプロビゼーション。ケニー・ギャレットのアルトもファンキー臭さが殆ど無い。マルグリュー・ミラーと同じ、端正かつ華麗なアルトの響き。多弁過ぎず寡黙過ぎず、適度に抑制された、理知的なフレーズ。

マルグリュー・ミラーとケニー・ギャレットの「これぞ新伝承派」と言えるプレイが傑出した良い内容です。1980年代の「新伝承派」の音を聴かせて、とリクエストされたら、結構な頻度で、この『Wingspan』をかけます。新伝承派共通の溌剌としてポジティブで理知的なプレイが実に心地良いアルバムです。

 
 

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2012年6月21日 (木曜日)

聴き易いエレ・マイルスの類似品

僕は、ジャズ・ミュージシャンについては好き嫌いは殆ど無い。しかし、その言動が余りに人の道を外れているので、基本的にその成果を聴くことは無いジャズ・ミュージシャンも一部いる。
 
人というもの、他人に対しては、特に、プロの同業者に対しては最低限の敬意を払うべきであるが、その微塵も無い言動をする、残念なジャズ・ミュージシャンもいる。ミュージシャンである前に「人」であるべきで、「人」の道を外れた言動を繰り返すミュージシャンが優れた成果を創造できるはずが無い。

僕は、これまで、菊池雅章のアルバムを聴くことは殆ど無かった。しかし、このアルバム『Susto』(写真左)だけは例外。1981年のリリースのエレクトリック・ジャズな盤である。

菊地のキーボード、シンセに、日野皓正、スティーブ・グロスマン、デイヴ・リーブマンというフロント陣。 ベースとドラムス2人、パーカッション4人、そしてギターが3人。1970年代のエレクトリック・マイルスの影響をもろに引きずった作品なんですが、当時、これは良く聴きました。とにかく、聴き易い。

ジャズ者初心者の頃、エレクトリック・マイルスは直ぐに好きになったが、ジャズ者初心者の耳には、エレ・マイルスはちょっとヘビー。重心の低い、疾走感溢れるファンキーなリズム&ビートは耳にぐいぐい突き刺さり、フロントのマイルスのペットやサックスの、間を活かしたモーダルなインプロビゼーションは飛翔するが如く、耳の中を駆け抜ける。当時、エレ・マイルスのアルバムを一枚聴くとグッタリと疲れたものだ。
 
そんな時、耳直しに聴くアルバムが、この『Susto』。全くエレ・マイルスそのものの展開ばかりなのだが、エレ・マイルスよりも、リズム&ビートは緩やかでファンクネスは薄まっていて、フロントの展開も眩暈を覚えるようなモーダルで自由度の高い展開では無い。
 
Susto
 
スコアを事前に用意された様に、かっちりと形の決まった、先読みのできる演奏。ジャズ者初心者にとっては、とにかく聴き易い「エレ・マイルスもどき」だった。

今の耳で聴くと、ジャズ者初心者当時とは、また違った印象を感じる。エレ・マイルスと比較すると、菊池の展開の方が単調。リズム&ビートも隙間が多く、密度に若干欠ける。シンセの演奏は、当時のギル・エバンスのそっくりさんで、耳当たりは良いがオリジナリティーに若干欠ける。

アルバム全体の印象は、良く事前に準備され、コントロールされた、破綻の全く無い、整然とした演奏が詰まっている、という感じ。リーダーの指示通り、事前に容易されたスコア通り。エレ・マイルスとはかくあるべし、といった風情の「作られたエレ・マイルス」という風情。でも、だからこそ、このアルバムは聴き易く、親しみ易い。
 
1981年当時のエレクトリック・ジャズやロックの「良いとこ取り」をしたアルバムとも言える。リズム&ビートは、エレ・マイルスとギル・エバンス楽団のそれを取り入れながら、トーキング・ヘッズなどのアフリカン・ネイティブな複合リズムも巧みに取り入れている。若干オリジナリティーには欠ける感は否めないが、融合の音楽としてのジャズとしては、これもまた「あり」である。
 
インプロビゼーションを含めた演奏全体の展開は、ハプニングが少なく、事前にスコアを用意されていたかのような整然さ。逆に、だからこそ、このアルバムは聴き易い。エレ・マイルスのミニチュアとして、エレ・マイルスを理解し、エレ・マイルスに馴れる一助として最適なアルバムである。
 
このアルバムは、ジャズ者初心者の時代、本当に良く聴いた。特に、3曲目の「Gumbo」は、そのレゲエ調のリズム&ビートに乗った、ギル・エバンス調のシンセ、エレピの音色と展開が心地良く、大好きな演奏である。
 
 
 

大震災から1年が過ぎた。決して忘れない。常に関与し続ける。
がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力しよう。 

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2012年6月20日 (水曜日)

コルトレーンの2面性を伝える盤

コルトレーンの聴き直しシリーズであるが、少し遡って、1963年7月のニューポート・ジャズ・フェスティバルでのライブ録音と、元に戻って、1965年10月のスタジオ録音である。そのアルバムの名は『Selflessness Featuring My Favorite Things』(写真左)。

ニューポート・ジャズ・フェスティバルでのライブ録音は冒頭の2曲。「My Favorite Things」「I Want To Talk About You」これはもう有名な2曲のライブ録音。特に、ここでの「My Favorite Things」は、この曲の演奏について最高位に位置するとされる。

ニューポート・ジャズ・フェスティバルでのライブ録音のパーソネルは、John Coltrane (ss, ts), McCoy Tyner (p), Jimmy Garrison (b), Roy Haynes (ds)。ドラムがレギュラーのエルビン・ジョーンズでは無い。エルビンはこの頃、麻薬禍で投獄の身。代役として、ロイ・ヘインズが採用された。

このニューポート・ジャズ・フェスティバルの2曲は、伝統的なジャズの範疇にしっかり残った演奏。自由度は相当に高いが、演奏自体はモード・ジャズの範疇。マイルスの60年代伝説のクインテットと同レベルの、当時、最先端を行くジャズである。

マイルス・クインテットのテナーはウェイン・ショーター。ショーターのテナーは、今の耳で聴いても新しい感覚。音の間と音の伸びを最大限に活かした硬軟自在な、自由度の高い演奏が特徴。

しかし、ここでのコルトレーンのテナーは違う。このライブ演奏のコルトレーンのテナーはフリーキーではあるが、実のところ、高速テクニックの「シーツ・オブ・サウンド」。

Selflessness

高速な「シーツ・オブ・サウンド」であるが故に、自由度が若干、阻害される。インプロビゼーションの展開にちょっとした「硬直性」を感じる。ここにきて「シーツ・オブ・サウンド」は最高の高みに達して「煮詰まった」。

逆に、バラードの「I Want To Talk About You」は、素晴らしい名演。スローなバラード演奏なだけに、インプロビゼーションの「シーツ・オブ・サウンド」にも余裕が感じられる。シンプルなロイ・ヘインズのドラミングと相まって、素晴らしく余裕度の高いバラード演奏が展開される。

さて、ラストのスタジオ録音の「Selflessness」である。1965年10月の録音。コルトレーンがフリーに完全に走り出した頃の演奏である。パーソネルは、Donald Garrett (bcl, b), John Coltrane, Pharoah Sanders (ts), McCoy Tyner (p), Jimmy Garrison (b), Elvin Jones (ds), Frank Butler (ds, per), Juno Lewis (vo, per)。コルトレーンの黄金のカルテットは完全に崩壊している。

ここでのコルトレーンのフリーキーな嘶きには、ちょっとした「マンネリ」を感じる。フリーキーなブロウに不思議な単調さを感じる。天才的なテクニックを誇るコルトレーンにして、この単調でフリーキーなブロウはなんと評価したら良いのか。名演とする向きもあるが、僕はそうは思わない。この無用やったら力の限り、馬の嘶きの様なフリーキーなブロウを吹き続けるコルトレーンは、今の耳には、正直言って「単調」である。

このアルバムは、コルトレーンの2面性を伝える。ニューポート・ジャズ・フェスティバルの2曲は、伝統的なジャズの範疇にしっかり残った演奏。最高の極みに達した「シーツ・オブ・サウンド」を聴くことができる。逆に、1965年のスタジオ録音は、フリージャズに身を転じたが、その単調な馬の嘶きの様なブロウに、コルトレーンの迷いを感じる。

このアルバムを聴く度に思う。実のところ、コルトレーンはフリージャズに身を転じる必要があったのだろうか、と・・・。 

 
 

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2012年6月19日 (火曜日)

アフリカン・ネイティブな響き

アフリカン・ネイティブな音が大好きである。子供の頃から、アフリカの民族音楽を聴くとワクワクする。アフリカン・ネイティブな音と言えば、アフリカン・アメリカンの音楽であるジャズの源。

アフリカン・ネイティブな、アーシーでフォーキーな響きを宿したジャズと言えば、真っ先に「Abdullah Ibrahim」を思い出す。1970年代、デビューの頃の名前は「Dollar Brand(ダラー・ブランド)」、今は「Abdullah Ibrahim(アブドゥーラ・イブラヒム)」。

そのアブドゥーラ・イブラヒムがダラー・ブランド時代のソロ・アルバムがある。アルバム・タイトルは『African Sketchbook』(写真左)。ダラー・ブランドがフルートとピアノを使って演奏するソロ・アルバム。録音は1969年5月。ソウル・ジャズ、ジャズ・ロックが流行り、クロスオーバー・ジャズが流行りだした頃。

このダラー・ブランドのフルートが、素晴らしくアフリカン・ネイティブな響きを宿している。このフルートの調べを聴くだけで、お頭の中にはアフリカの大地、アフリカの自然の風景が浮かんでくる。アフリカの民族音楽の様な、魂を揺さぶるような、肉声の叫びに近いフルートの響き。

そして、そのフルートに続いて、アーシーで重心の低いビートが魅力のダラー・ブランドのピアノが迫ってくる。アフリカン・ネイティブな響き、リズム、ビート。実に魅力的。
 

African_sketchbook

 
アフリカン・ネイティブな音の響きが好きな者にとっては、たまらない響き。アーシーなリズム&ビートとはこれだ、と言わんばかりのダラー・ブランドの重心の低い左手。ゴーン、ガーンとアーシーに響き渡る左手。

右手は、アフリカン・ネイティブなフレーズを紡ぎながら、フォーキーな響きを醸し出す。唄うような、語りかけるような、自然な声の様なフォーキーなフレーズ。アフリカの民族音楽を彷彿とさせるようなフォーキーな響き。アフリカの響き。

しっかりとしたアーシーなリズム&ビートに乗って、自由自在にフリーキーに乱舞するダラー・ブランドのピアノ。普通のジャズの演奏範疇に無い「アフリカン・ネイティブ・ジャズ」とでも表現すべき、アフリカの響き。

限りなく続く地平線、大地を疾走する風、土煙の向こうに群れなす動物たち、闇夜に蠢く獣の気配、ネイティブな人々のシャイな笑顔、溢れんばかりの活力、祈りの声。民族の団結。そんなイメージを彷彿とさせるダラー・ブランドのピアノ。

これもジャズ。意外とありそうでないダラー・ブランドの「アフリカン・ネイティブ・ジャズ」な音世界。僕は大好きです。アフリカの民族音楽が好きな方には是非ともお勧め。そう、これもジャズです。ジャズの裾野は広い。ジャズの柔軟性を感じる。 

 
 

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2012年6月18日 (月曜日)

日本男子の若きギタリスト登場

いや〜、凄いキャッチ・コピーである。ジャズの新人を売り出すキャッチ・コピーとしては「最大級」である。

疾走する20歳のジャズ。ジャズの明日を予言する鮮烈のギタリズム!!

その名は「井上銘(いのうえ めい)」。1991年5月14日生まれ。神奈川川崎市出身。今年でまだ弱冠21歳。2011年Berklee college of musicよりfull scholarship授業料全額免除を獲得する。2011年10月19日EMI Music Japanよりメジャー・デビュー。

2011年のJAZZ JAPAN AWARD ニュースター部門に選ばれた若き逸材である。といって、実際の彼の演奏を聴いてみないとなんとも言えない。レコード会社のキャッチ・コピーほど信じられないものはない(笑)。ジャズ雑誌の「AWARD」も右に同じ(笑)。

その井上銘のデビュー・アルバムが『ファースト・トレイン』(写真左)。やっと、彼のプレイとリーダー作を聴く機会に恵まれた。この10年位、日本のジャズ界においては、優れた女性演奏家はどんどん出てくるのだが、男性演奏家は全く鳴かず飛ばず。いったい、日本男子は何をやっているんや、と嘆きもした。そんなところにやっと、期待出来る男性ギタリストの登場である。

まず、収録された曲を並べてみると、これはなかなか期待できる新人であることが良く判る。凡百な新人は、レコード会社の言うなりに、有名なジャズ・スタンダード曲で固めたりするんだが、井上は違う。なかなか思い切った選曲をしている。 

括弧の中は、オリジナル曲を収録したミュージシャンの名前である。レッド・ツェッペリン、ジェフ・ペック、エリック・クラプトンと、1970年代ロックの三大ロック・ギタリストが演奏するオリジナル曲が並んでいる。これらの曲がジャズにアレンジ出来るのか・・・。

First_train

1 ファースト・トレイン
2 ホークス・アイズ
3 ガネーゼ
4 テル・ミー・ア・ベッドタイム・ストーリー (ハービー・ハンコック)
5 ヴィレッジ
6 リラクシン
7 ダーン・ザット・ドリーム (ジャズ・スタンダード)
8 カシミール (レッド・ツェッペリン)
9 ダイアモンド・ダスト (ジェフ・ベック)
10 ジ・アザー・サイド・オブ・ジ・アース
11 チェンジ・ザ・ワールド (エリック・クラプトン)

これが、なかなか秀逸なアレンジが施されていて、立派なジャズ演奏になっている。アレンジの能力の高さは、リーダー・ミュージシャンの能力の高さに正比例する。他の曲のアレンジも秀逸で、アレンジが優れている分、井上のギターのテクニックは映えに映える。

演奏のスタイルも、コンテンポラリー・ジャズ的な、現代的なジャズのスタイルあり、フュージョン・ジャズ的なスタイルあり、そして、そこはかとなく、純ジャズ的な取り回しや展開が織り交ぜられていて、なかなか現代的でモダンな演奏内容になっている。

聴き応え十分。若きギタリストでありながら、スムース・ジャズ、フュージョン・ジャズ一辺倒になっていないところが良い。なかなかに硬派で志の高い新人ギタリストの登場である。今後が十分に期待できる。

バックの演奏もリーダーに負けずに充実しており、リーダーの井上のギターと一体となった、コンテンポラリーで硬軟自在なバッキングは、もっと評価されても良い。聴けば、バックのミュージシャンも皆20歳代、全員が日本のミュージシャンであるとのこと。いや〜、なんだか嬉しいなあ。

十分に将来が期待できるギタリストである。ギターの音色は純ジャズな雰囲気の「正統派」。決して迎合せず、このままの感性で進んで欲しい。次の作品が実に楽しみである。

 
 

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2012年6月17日 (日曜日)

人生の深さを悟った「サウザー」

J.D. Souther(J.D.サウザー)。1970年代、米国西海岸ロックの陰の仕掛人。1970年代の米国西海岸ロックの要所要所に、必ず彼の名前を見ることができる。

本人は、イーグルスの様な華々しい活動とは無縁。1970年代のソロ・アルバムの3作程度。それでも、J.D.サウザーの米国西海岸ロックにおけるJ.D.サウザーの影響力は強く、イーグルスをはじめ、ローラ・ニーロ、リンダ・ロンシュタット、カーラ・ボノフ、ジャクソン・ブラウンなど、J.D.サウザーの影響配下にいた有名グループ、ミュージシャンは多い。

そんな鯔背なJ.D.サウザーが、2011年5月、久々にリリースしたソロ・アルバムが『Natural History』(写真左)。このサウザーのソロ・アルバム、実に渋くてクールな内容なのだ。久々に「心が痺れる」米国西海岸ロックのアルバムに出会った感がある。

演奏内容は、収録曲全て、アコギ中心のシンプルなアレンジ。アコギとサウザーのしみじみとしたボーカルのみで、米国西海岸ロックの名曲を、セルフカバーを含め、再現してみせる。いや、再現では無い。リニューアルかな。
 
特に、グレン・フライらとの共作であるイーグルスの名曲、「The Sad Cafe」「New Kid In Town」「Best Of My Love」をしみじみとアコギ中心のシンプルなアレンジで歌い上げるサウザーには、心から「しみじみ」としてしまう。このアコギ中心のシンプルなアレンジ が秀逸。心にグッと染み渡る。

サウザー自身の曲のセルフ・カバーも素晴らしい出来だ。特に1979年に日本でも大ヒットした「You're Only Lonely」は、懐かしさも合わせて、本当に良い出来だ。クールでシンプルで静謐ではあるが、ロックなビートを感じさせるアコギの伴奏は、本当に「たま らない」。このアコギの伴奏に「やられっぱなし」。

この限りなくシンプルでクールなアルバムの収録曲とオリジナルを収録したアルバムは以下の通り。1970年代を中心とする米国西海岸ロック者からすると「たまらない」名曲がズラリと並ぶ。
 
Jdsouther_natural_history
 
1. Go Ahead And Rain
(1984年発表の『Home By Down』収録)
2. Faithless Love
(1976年の『Black Rose』に収録)
3. You're Only Lonely
(1979年の『You're Only Lonely』に収録)
4. The Sad Cafe
(イーグルスの1979年作『Long Run』に収録)
5. Silver Blue(『Black Rose』に収録)
6. New Kid In Town
(イーグルスの1976年作『Hotel California』に収録)
7. I'll Take Care Of You
(ディキシー・チックスの1998年作『Wide Open Space』に提供)
8. Little Victories
(近年のライヴで歌っている未発表曲)
9. Prisoner In Disguise
(サウザー・フューレイ・ヒルマン・バンドの1975年作『Trouble In Paradise』とリンダ・ロンシュタットの1975年作『Prisoners In Disguise』に収録)
10. Best Of My Love
(グレン・フライらとの共作。イーグルスの1974年作『On The Border』に収録)
11. I'll Be Here At Closing Time
(2008年の『If The World Was You』に収録)
 
コアな1970年代を中心とする米国西海岸ロック者ベテランの方々は、この『Natural History』のアルバム・ジャケットを見て「あれっ」と思われるだろう。

そう、サウザーのファースト・ソロアルバムのアルバム・ジャケット(写真右)とシンメトリックさせたと思われる「意味深なジャケット」。1970年代の若さ故の勢いが眩しかった「若かりし頃のサウザー」と、人生の深さを悟った「現在のサウザー」とのシンメトリック。

人生の深さを悟った「現在のサウザー」のシンプルでクールな音世界に、音楽表現に、思わず「落涙」してしまった。 

 
 

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2012年6月16日 (土曜日)

酷いラフさの『Wild Life』

『RAM』の スーパー・デラックス・エディションが、この5月にリリースされたり、『ポール・マッカートニー』と『マッカートニー II』のデラックス・エディションが、昨年の6月にリリースされたりで、何かと賑やかなポールの周辺である。

僕もそのトレンドに乗った訳でもないんだが、『ポール・マッカートニー』と『マッカートニー II』、そして、『RAM』のハイレゾ音源に触れる機会があったりで、なにかと、ポールのアルバムを聴くことが多い今日この頃である。

そんな中、最近、Paul McCartney & Wingsの『Wild Life』(写真)を聴いた。このアルバムは、ポールがソロは淋しくて嫌だと感じ、もっと人との繋がりを求めて、そして、久し振りにバンドとしてライブ演奏をしたくなって、「Wings(ウイングス)」というバンドを結成して製作した、つまりは、ポール・マッカートニー&ウイングスのファーストアルバム、なんだけど・・・。

このウイングスのファーストアルバムである『Wild Life』。しかしながら、アルバムタイトルが「ワイルド・ライフ」だからといって、アルバムの作りまでラフにしなくていいのに・・・。

なんといっても、このアルバムの制作過程がひどい。3日間のレコーディングに2週間の編集。いかに優れたグループでも、ファーストアルバムで、この短期間で充実したアルバムを出すことは奇跡に近い。しかも、以前からバックバンドでやってきた、なんていうメンバーじゃないし、いかに、優れたメロディーメーカーのポールでも無理だよなあ。
 
Pc_wings_wild_life

 
1曲目からラストの曲まで、ラフラフな音、音、音。バンドのデモテープを聴いているような感じ。ソロのファーストアルバムであった「マッカートニー」とは、また違ったラフさ。

ファースト・ソロアルバム「マッカートニー」の場合は、まだ、自家録音で、ポール一人で、マニアックに作った、よく言えば、まだ、「手作り」の良さがあった。このアルバムはそれがなく、リスナーを馬鹿にしてんのか、って言いたくなるようなラフさだ。とりわけ、2曲目の「Bip Bop」に至っては、いい加減にせい、と言いたいくらい。

故に、当時、チャートとしてもふるわず、全英11位、全米でベストテンに顔を出した程度。さすがのポールも青ざめたのではないか。しかしながら、じっくりと耳を傾けてみると、のちのウィングスの原型となる音づくりが、そこかしこに見え隠れするのが、せめてもの救い。

しかし、8曲目の「Tomorrow」や9曲目の「Dear Friend」では、まだ、ジョンを揶揄し、ジョンを過剰なまでに意識した曲になっており、まだまだ、ポールは、ビートルズの幻影とジョンの幻影を過剰なまでに感じているのだった。実に無意味なことだし、実に不毛な仕業である。

「希有なメロディーメーカーのポール」を阻害する幻影たちをなんとか払拭するには、あと1枚のアルバムを浪費する必要があったのである。この『Wild Life』は、その浪費する必要があった「あと1枚のアルバム」。

このアルバムの作り込みの酷さを通じて、ポールはその時点で自分の置かれている環境と世間の自分に対す評価を客観的に感じることが出来たのだろう。この『Wild Life』を境に、ポールは従来のメロディーメーカーの資質を取り戻していく。

 
 

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2012年6月15日 (金曜日)

クールでセンシティブなマイルス

昨日が『Four & More』なら今日はこれ。バラードやスローなブルース中心のマイルスも、これまた「格好良い」。Miles Davis『My Funny Valentine: Miles Davis in Concert』(写真左)。

『Four & More』と同じ、1964年2月12日のライブ録音。ちなみにパーソネルは、Miles Davis (tp) George Coleman (ts) Herbie Hancock (p) Ron Carter (b) Tony Williams (ds)。60年代伝説のクインテットの一歩手前。まだ、テナーがウェイン・ショーターでは無い。ここでのテナーは、ジョージ・コールマン。 

『Four & More』は、アグレッシブでハードボイルドで、ハードバップでモーダルな、とにかく尖った、疾走感あふれるマイルス・バンドなんだが、この『My Funny Valentine』は、その全く逆。クールでセンシティブで、限りなくフリーでモーダルな、とにかく繊細で耽美的なマイルス・バンドである。

収録されたどの曲も素晴らしいんだが、このアルバムを代表する名演は、やっぱり冒頭のタイトル曲「My Funny Valentine」。1956年のマラソン・セッションでの『Cookin'』での「My Funny Valentine」が決定的名演のひとつとして挙げられるが、その『Cookin'』の「My Funny Valentine」を超えた構築美が、この1964年のライブ盤にある。

My_funny_valentine

1950年代のハードバップの先を行く、当時、最先端の演奏スタイルである「限りなくフリーでモーダル」な演奏が素晴らしい。この『My Funny Valentine』は、バラードやスローなブルース中心ばかりで構成される。

プロデューサー、テオ・マセロの編集の腕が冴えまくる。同一日のライブ録音の中から、アグレッシブでハードボイルドで、ハードバップでモーダルな、とにかく尖った、疾走感あふれる演奏を『Four & More』に、クールでセンシティブで、限りなくフリーでモーダルな、とにかく繊細で耽美的な演奏を『My Funny Valentine』に集中させ、マイルスの持つ2面性を的確に表現する。う〜ん、テオ・マセロの慧眼恐るべし。

フロントのテナーのジョージ・コールマン、ピアノのハービー、ベースのロン、ドラムのトニー、いずれも素晴らしい演奏を繰り広げてくれる。これは『Four & More』と全く同じ。しかしながら、とりわけ、ハービーのピアノは、このバラードやスローなブルース中心の演奏の方が、より素晴らしいインプロビゼーションを展開する。緩やかな演奏を得意とするハービーの面目躍如。

良いアルバムです。『Four & More』とペアで聴くことが必須のこの『My Funny Valentine』。優しく緩やかなバラードやスローなブルース中心の収録曲の構成ではありながら、それでも、ちょっとハードボイルドでハードバップでモーダルな演奏ではあるのですが、基本的には、聴き易く入り易い、マイルス入門盤に最適な一枚です。

 
 

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2012年6月14日 (木曜日)

このマイルスは単純に格好良い

アコースティック・マイルスのライブ盤はそれぞれ魅力的ではあるが、この時代の盤は特別です。

アルバム・タイトルは『Four & More』(写真左)。1964年2月12日のライブ録音。ちなみにパーソネルは、Miles Davis (tp) George Coleman (ts) Herbie Hancock (p) Ron Carter (b) Tony Williams (ds)。60年代伝説のクインテットの一歩手前。まだ、テナーがウェイン・ショーターでは無い。ここでのテナーは、ジョージ・コールマン。

このライブ盤は、とにかく単純に「格好良い」。特に、マイルスが格好良い。このライブ盤でのマイルスのブロウは、今の耳で聴いても、独創的で個性的で唯一無二な魅力に溢れている。とにかく格好良い。 疾走感溢れ、覇気に満ちて、ポジティブな鋭気に満ちたマイルスのブロウ。

続いて、ピアノの若きハービー・ハンコックのピアノも素晴らしい。このハードで尖ったハードバップ&モードジャズの展開で、ハービーも、マイルスに習って、独創的で個性的で唯一無二な魅力を湛えたアコピのソロを繰り広げる。限りなくフリーに近づきながら、調性をしっかり保ち、エバンスタッチなシーツ・オブ・サウンドな、疾走感溢れる展開。あぁ、これも「格好良い」。

トニー・ウィリアムスのドラミングは先進的かつ独創的。シンバルワークだけで聴かせる超絶技巧なテクニック。マイルスを含めた、フロントを制御せんとする野心あるドラミング。しかし、マイルスに咎められて、しおらしくバッキングに徹するところなんぞ、このライブ盤でのトニーは「愛らしい」。

ベースのロン・カーターも、このライブ盤では素晴らしいアコベを聴かせてくれる。ピッチがバッチリ合って、高速エスパーなベースのフレージング。ウォーキング・ベースなんて言葉は当てはまらない。ランニング・ベースという言葉がピッタリなロンのベース。アコベでここまでやるか、と「感心することしきり」。

Fore_and_more

テナーのジョージ・コールマンは「健闘している」。1964年当時、テナーと言えば「コルトレーンとロリンズ」。コルトレーンとロリンズを別格として、当時のマイルス・クインテットの先進的なハードバップ&モードジャズに乗って、テナーを吹くことが出来るテナーマンはかなり限られていた。

このライブ盤でのコールマンは健闘している。手癖を含めてワンパターン的なアドリブ展開ではあるが、コルトレーンはフリーに走り、ロリンズは我が道を行くといった環境の中で、コールマンは、マイルス・クインテットの先進的なハードバップ&モードジャズの中で、持っている才能の限りを尽くして「健闘している」。

選曲もマイルスが映える「格好良い」曲ばかりがズラリと並ぶ。溜息が出るようなラインナップ。

1. So What
2. Walkin'
3. Joshua
4. Go-Go (Theme And Announcement)
5. Four
6. Seven Steps To Heaven
7. There Is No Greater Love
8. Go-Go (Theme And Announcement)

高速展開の「So What」と「Walkin'」そして「Joshua」が抜群に格好良い。曲の展開が実に魅力的な「Four」と「Seven Steps To Heaven」。唯一無二なマイルスしか解釈出来ない、大スタンダード曲の「There Is No Greater Love」。バンドのテーマ「Go-Go」もむっちゃ格好良い。

このライブ盤でのマイルスは、とにかく単純に「格好良い」。切れ味鋭く、分厚い展開のインプロビゼーションだけに、ジャズ者初心者の方には、ちょっと「ハード」な内容かもしれない。

でも、ジャズ者初心者の方は、このライブ盤にはチャレンジして欲しい。初めは「ハード」でしんどい内容かも知れない。でも、ジャズへの親しみ度合いが深まるにつれ、このライブ盤に馴染んでいく。そして、このライブ盤の魅力に取り憑かれるのだ。

 
 

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2012年6月13日 (水曜日)

ウエスの未発表音源は玉石混淆

僕の中では、ジャズ・ギタリストは一番後回しになったのだが、そんなジャズ・ギタリストの中で、ウエス・モンゴメリーは好みのギタリストの一人だ。遅ればせながら、少しずつ、彼のリーダー作を集めている。

そんな中、今年の3月、ジャズ雑誌を眺めていたら、こんなキャッチ・コピーが目に飛び込んできた。

ウエス・モンゴメリーの未発表音源がCD化!
ウエス・モンゴメリー驚異の未発表音源がついに登場!

もともと「ウエスの未発表音源はもう無い」と言われて久しく、この21世紀の時代になって、ウエスの未発表音源が出てくるなんて思ってもみない。そんなところに、このキャッチ・コピーである。

詳細を読めば、ウエスが有名になる前の演奏、1957〜58年、故郷インディアナポリスでのライブ録音の数々。「どや」と言わんばかりの若さ溢れる覇気ある演奏とある。う〜ん、これは手に入れなあかん、と早速「ポチッ」とな(笑)。

アルバムのタイトルは『Echoes Of Indiana Avenue』(写真左)。ギターを抱えて構えた、若かりし頃のウエスの勇姿をあしらったジャケットは、なかなかの迫力。しかも、格好良い。ジャケットがこんなに良い感じである。内容が期待できる。

Indiana_avenue

と、聴き始めてみたら、ウエスについては、確かに覇気溢れる演奏ではある。テクニックも素晴らしい。しかし、とにかく演奏全体の印象として「荒い」。とにかく荒削りなのだ。ウエスのライブ名盤『フルハウス』の様な熱気溢れる、構成美溢れるライブ録音を期待したのだが、とにかく荒い。

恐らく、バックのリズム・セクションのレベルと質によるところが大きいと思われる。このリズム・セクションだと、フロントのウエスは飛ばすしかない。間をとって溜めて、という柔軟な対応が出来そうもない、走りっぱなしのリズム・セクション。

ウエスは、飛ばしまくって、この超絶技巧なテクニックと「かっとび」疾走フレーズである。どうしても荒くなる。もう少し、余裕と間があればなあ。玉石混淆なライブ盤である。

加えて、録音状態があまり良くない。これがちょっと残念。全体的に良くない。そして、部分的にかなり悪くなるところがあって、これはさすがに、ジャズ者初心者の方にはお勧め出来ませんね〜。

でも、ウエスのファンとしては、ウエスの若かりし頃、覇気溢れる演奏を聴ける、このアルバムは、やはりマスト・アイテム。これだけ、若さの勢いにまかせて弾きまくるウエスは、なかなか他のアルバムで聴くことが出来ませんからね。

ウエス自身のメジャーデビュー後のインタビューで、「インデイアナポリスで演っていた頃の方がもっと巧く弾けていたんだ」と語った、とありますが、この未発表音源ライブ盤を聴けば納得です。

 
 

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2012年6月12日 (火曜日)

続・コルトレーンの迷いと諦め

昨日、このブログで語ったコルトレーンの『Om』が、1965年10月1日の録音。この『Om』には、コルトレーンの迷いと焦りと諦めがギッシリと詰まっているように僕には感じる、と書いた。

神を信ずる、神を頼む道に入る。このアルバムの嘶きの様なブロウを聴けば、さもありなん、と思う、と書いた。

その『Om』の録音の2ヶ月前。1965年8月26日の録音。そのアルバムの名前は『Sun Ship』(写真)。コルトレーンの逝去後、1971年発表のインパルスの未発表の寄せ集めアルバム。

ちなみにパーソネルは、黄金のカルテット、John Coltrane (ts), McCoy Tyner (p), Jimmy Garrison (b), Elvin Jones (ds)。『Om』とは違う。『Om』は、既に黄金のカルテットのみの演奏では無い。コルトレーンの傍らに、ファラオー・サンダースが寄り添っている。オフィシャルなスタジオ音源としては、黄金のカルテットでのラストレコーディングである。

たった2ヶ月の差なのだが、このアルバムは、まだコルトレーンの、観念的ではあるが、ストレートで美しい響きの旋律的なブログが残っている。しかし、そのオーソドックスでコルトレーンらしいストレートなブロウの直ぐ後に、馬の嘶きの様な、激しいアブストラクトでフリーキーなブロウに変化する。

Sun_ship

何故だろう。なぜ、コルトレーンらしい、オーソドックスでストレートなブロウを、わざわざ壊すように、馬の嘶きの様な、激しいアブストラクトでフリーキーなブロウに執心するんだろう。コルトレーンらしさと非コルトレーンらしさが交錯する、どう評価して良いか、思案投げ首状態のアルバムである。

しかし、McCoy Tyner (p), Jimmy Garrison (b), Elvin Jones (ds)のトリオ演奏になると、そんな評価に苦しむ、なんとなく重苦しい内容から、一転、フリージャズ一歩手前の、モーダルで、シーツ・オブ・サウンドな、上質なメンストリーム・ジャズに早変わり。

シーツ・オブ・サウンドを相続したような、まるでコルトレーンのフレーズをピアノに置き換えたかのようなマッコイのピアノ。そのシーツ・オブ・サウンドなピアノの底を支え、隙間を埋めるようなギャリソンのベース。そして、その二人を迎え撃つかのような、エルヴィンのポリリズミックなドラム。

迷いと諦めが漂うコルトレーンと、そんなコルトレーンとは対照的な、コルトレーン・ジャズの伝道師の如く、コルトレーン・ジャズを再現し発展させるバックのトリオ。不思議な対照が魅力的でもあり、問題でもある、どう評価して良いか判らないアルバムである。

ひとつ言えるのは、このアルバムでのコルトレーンは好調とは言い難い。迷いと諦めが交錯する、考え過ぎなブロウが大半を占めて、以前のあの堂々としたコルトレーンは何処に行った、と訝しく思ったりするのだ。

 
 

大震災から1年が過ぎた。決して忘れない。常に関与し続ける。
がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力しよう。 

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2012年6月11日 (月曜日)

コルトレーンの迷いと諦め

1965年、コルトレーンは、急速に加速をつけるようにフリー・ジャズの世界に突入していく。このアルバムは、その最右翼に位置するもの。そのアルバムの名は『Om』(写真左)。

1965年10月1日の録音。ちなみにパーソネルは、Joe Brazil (fl) Donald Garrett (bcl, fl) John Coltrane, Pharoah Sanders (ts) McCoy Tyner (p) Jimmy Garrison (b) Elvin Jones (d) unknown (per) unknown (voice) 。既に、黄金のカルテットのみの演奏では無い。コルトレーンの傍らに、ファラオー・サンダースが寄り添っている。

このアルバムは、収録曲はタイトル曲の「Om」1曲のみ。LP時代の収録は、以下の様になる。

Side A「Om, Part 1」 15:06
Side B「Om, Part 2」 14:01

CDでは、このSide AとSide B を一気に連続して聴くことが出来る。目眩く「混沌と観念」の音世界。凄まじいフリーキーなブロウ。これが「音楽」か、と訝しく思う。

冒頭、バー・チャイムの様な金属的で静謐なパーカッションの響きから入る。そして、やってきました(笑)、コルトレーンのフリーキーなテナーのブロウにフリーキーなフルートが絡む。テナーもフルートもアブストラクトなブロウに終始する。ただただ、息の続く限り、馬の嘶きの様に、人の叫びの様に、不調和に吹きまくる。

そして、呪術の様なボイスの響き。アフリカン・ネイティブな響き。原始への回帰か、と思いきや、またまた、アブストラクトで混沌とした無調和な嘶きが、いきなり音の塊となって迫ってくる。

Om

このアルバムでの、コルトレーンのブロウは、単に馬の嘶きのように、無勝手に吹きまくるだけ。何の展開も何の思想も何の志向も無い。ただ、嘶きのように吹きまくるだけ。既に音楽では無い。観念的な感情にまかせて吹きまくるだけ。

但し、このアルバムでのコルトレーンは、フリージャズを演奏する、という意味で、 決して優れているとは思えない。馬の嘶きのようなブロウは単調で、フリーキーなブロウとしては、決して「自由」では無い。アブストラクトなブロウとして、決してバリエーション豊かとは言い難い。

他の新進気鋭のテナーマンのフリージャズの台頭著しい中、コルトレーンは焦っていたのではないか。この『Om』には、コルトレーンの迷いと焦りと諦めがギッシリと詰まっているように、僕には感じる。

『OM』とは『南無』のこと。帰依を意味する。ライナーノーツには『Om Mani Padme Hum』と記されている。その意味するところは『聖なる蓮の華(=仏陀)に帰依する』。神を信ずる、神に頼む道に入る。このアルバムの嘶きの様なブロウを聴けば、さもありなん、と思う。

このアルバムは、まず、決して、ジャズ者初心者の方は触れてはいけません。普通のジャズ者の方々も避けて通っても良いアルバムでしょう。

コアなコルトレーン者の方々にだけ、このアルバムは一聴することをお勧めします。決して、名盤たり得ない状態のコルトレーンの真の姿、真の想いを感じることも、コアなコルトレーン者には必要でしょう。

 
 

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2012年6月10日 (日曜日)

ハイレゾ音源の『戦慄の王女』

70年代ロックの数々の名盤というアルバムについて、「これが本当の音」で聴いたことが無かった。

70年代ロックをほぼリアルタイムで体験出来たことは素晴らしい経験だったのだが、中学生〜高校生の時代が中心だったので、ステレオという再生装置についても、かなりチープな装置だったし、LPを繰り返し聴くと傷が入ったり、摩耗したりするので、当時はLPを買うと、先ずはカセットテープにダビングして、LPの内容については、基本的にこのカセット・テープの音が中心になる。これでは良い音で聴くことが出来るはずが無い。

加えて、日本盤は基本的に音が悪い。LPの盤質も質を落としたものが多く、英国のオリジナル盤と比べると、盤の厚みが明らかに違う。日本盤の方が「薄い」のだ。LPは厚みがあるほど高音質になる。薄いということは音質が低下するということ。これでは良い音できくことが出来るはずが無い。

つまりは、所有するステレオ装置の問題とLPとして入手する音源の盤質の問題が相まって、今から思うと「何だかなあ」というかなりチープな音で、70年代ロックの数々の名盤を聴いていたことになる。

さて、1980年代に入って、CDの時代になったのだが、これが困ったことに、LP時代に比べて音質が低下した。可聴周波数帯の問題、デジタル録音やマスタリング、リマスタリング等の技術的な問題、再生装置側の物理的な問題等が絡み合って、明らかにLP時代より音が落ちた。しかし、70年代ロックの数々のLP名盤の「これが本当の音」を知らないので、CDはLPより音質が低いなんて間奏は、なんだか迫力の無い感じ方だったと思う。

2000年を迎え、世の中は21世紀に入った。デジタル録音やマスタリング、リマスタリングの技術的な問題は相当改善された。歳をとってそれなりに実入りも増えたので、自らの所有する再生装置についても、それなりの音質の再生装置を所有することとなる。この2〜3年の評価としては、CDの音質はLPと同等になった、と言われる。しかし、やはりどこかが違う。LPの方が、アナログ音源の方が音質が良いと感じるのだ。デジタルはアナログを超えることは無いのか、と思い出した。

そこで、ハイレゾ音源の登場である。この2〜3年の出来事であるが、CDの音質を超える24bit/96kHzなどといったハイ・レゾリューションな音源が世の中に出回るようになってきた。
 

Queen_1

 
録音マイクがかろうじて捉えることができるアーティストの息づかいや、録音スタジオの空気感など非常に細かなレベルの情報が、CDフォーマットの制限である、16bit/44.1kHzへダウンミックスによってカットされること無く、体験できるようになった。理論上、耳に聴こえない周波数帯の音が、音楽を聴く、という上で、そんな影響するのか、と思われる向きもあるが、これがあるのだ。聴いてみれば判る。

そのことが如実に判るアルバム例が、Queenの『Queen I(戦慄の王女)』(写真)。かの伝説のロックバンド、クイーンの記念すべきファースト・アルバムである。このファースト・アルバムについては、70年代、日本盤LPを入手して以来、音の分離が悪いのと、ダイナミックレンジが狭いのとで、どうも、アルバムに収録されている演奏に徹底的にのめり込めない。

というか、音の悪さが原因で、ジョン・ディーコンのベース・ラインや演奏テクニックが良く判らず、ブライアン・メイの独特のファズがかかったエレギの音の分離が悪くて、ブライアン・メイ独特のフレーズが楽しめない。ロジャー・テイラーのドラミングの切れ味が悪くて、リズム&ビートが団子状態、フレディ・マーキュリーのボーカルは深みと奥行きが無く「ペラペラ」という、ある意味、悲惨な音質だった。

この悲惨な音質がCDになっても、なかなか改善されない。リマスタリングの技術が進歩しても、あと一歩の感じがぬぐえない。薄い紗がかかった状態とでも表現したら良いのか。最後の最後の部分がクリアにならない。やっぱりこのアルバムは、もともとマスターテープ自体に問題があったのか、と殆ど諦めていた。

しかし、昨年、USBで提供されたハイレゾ音源の『Queen I(戦慄の王女)』を聴いて、あらビックリ。最後の最後の部分がクリアになって、最新のリマスターCDの音質をあっさり抜き去って、もうこのハイレゾ音源無しに、このアルバムは聴けない(笑)。

このハイレゾ音源によって、ジョン・ディーコンのベース・ラインや演奏テクニックの素晴らしさや、独特のファズがかかったブライアン・メイ独特のフレーズが手に取るように判り、ロジャー・テイラーのドラミングの切れ味鋭く、フレディ・マーキュリーのボーカルは深みと奥行きを増して、実力通りの素晴らしいボーカルを聴くことが出来る。

このハイレゾ音源の威力は凄まじいものがある。このハイレゾ音源の音が、このアルバムの「本当の音」にかなり近いのでは無いか、と感じている。やっと「本当の音」に出会った様な気がしている。 

 
 

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2012年6月 8日 (金曜日)

寛いだジャズ・ピアノの神様

ジャズ・ピアノの神様、アート・テイタム(Art Tatum)。スイング時代からハードバップ時代前半に活躍。「神」と呼んで良いほどの超絶技巧なテクニックと留めなく湧き出るアドリブ・フレーズ。そんなアート・テイタムの勉強シリーズの最終盤。

Art Tatum『Makin' Whoopee』(写真左)。1954年6月の録音。Benny Carter (as), Art Tatum (p), Louis Bellson (ds)。1954年の録音ではあるが、このアルバムでの演奏の雰囲気は「スイング・ジャズ」。トリオの編成もアルト・サックスとピアノ、ドラムと変則。

このアルバムには、寛いだ雰囲気で余裕を湛えたジャズ・ピアノの神様がいる。ピアノの紡ぎ出すフレーズは、ほのぼのとした「スイング・ジャズ」。超絶技巧のテイタムのテクニックは、時に「うるさい」と言われる位なのだが、このアルバムでは全くそんなことは無い。

Makin_whoopee

この『Makin' Whoopee』でのジャズ・ピアノの神様は余裕をもったプレイで、素晴らしく美しいフレーズを紡ぎ上げていく。このプレイを聴くと、テイタムとは如何に歌心に優れたピアニストであったということが良く判る。まあ、ジャズ・ピアノの神様と言われる位ですから、単なる「テクニック馬鹿」と揶揄するのは罰当たりでしょう(笑)。

テイタムの余裕のプレイに呼応するように、ベニー・カーターのアルト・サックスも悠然としたプレイで答えます。カーターのアルトも、力が入ると金属音が甲高く鳴り響いて「うるさく」聴こえる時もあるのだが、ここでのカーターは全くそんなことは無い。

スイング・ジャズの雰囲気が実に心地良い。スイング・ジャズには法則やルールは無いと僕は感じている。スイング・ジャズには、演奏の雰囲気に関するメンバー間での「暗黙の了解」があるだけ。

娯楽音楽としての良質の「スイング・ジャズ」がこのアルバムの中に詰まっている。

 
 

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2012年6月 7日 (木曜日)

マッコイ・タイナーとの出会い

ジャズ・ピアノについては、エバンス派のピアニストが好みである。エバンス派の総帥、ビル・エバンスを筆頭として、チック・コリア、ミシェル・ペトルチアーニ、そして、ブラッド・メルドー。しかし、それだけでは無い。マッコイ・タイナーも好きなピアニストである。

ちなみに、マッコイ・タイナーは、絶対にエバンス派では無い。マッコイ・タイナーは彼自身がスタイリストの一人である。ガーン、ゴーンと力強いタッチと目眩くモーダルなインプロビゼーション、そして、コルトレーン譲りのシーツ・オブ・サウンド。どう聴いても、エバンス派の流れではない(笑)。

でも、このマッコイのピアノが意外と好きなのだ。今を遡ること34年前。1978年の事である。僕はピッカピカのジャズ者初心者。ジャズ・ピアノから聴き始めて、ビル・エバンスは直ぐに好きになった。そして、ある日、FMから力強いピアノの音が流れてきた。勿論、ジャンルは「ジャズ」。ピアノ・トリオのライブ録音である。

ガーン、ゴーンと力強いタッチと目眩く不思議な旋律を宿したアドリブ、そして、音符を敷き詰めた様に速いパッセージを弾きまくる。この時が、マッコイ・タイナーとの初めての出会いであった。とにかく判り易い。テクニックの凄さも判るし、不思議な旋律の流れは「モード奏法」であることは直感的に判った。

そして、このピアノ・トリオのライブ録音が、アルバム化されることをジャズ雑誌で知る。McCoy Tyner『Passion Dance』(写真)である。1978年7月28日、東京の田園コロシアムでの「Live Under The Sky '78」でのライブ録音。パーソネルは、McCoy Tyner (p), Ron Carter (b), Tony Williams (ds)。
 

Passion_dance

 
トリオというフォーマットゆえに、マッコイのピアノを心ゆくまで堪能出来る。マッコイのピアノを聴きたい、と言われたら、かなりの確率でこのライブ盤をかけますね〜。ガーン、ゴーン、パラパラリラリ〜、という感じで、コルトレーン直系のシーツ・オブ・サウンドを配しながら、ハイテクニックで、かつ、スピリチュアルでモーダルなピアノ演奏が素晴らしい。

マッコイの演奏のアレンジは、コルトレーン・ミュージックを判り易く聴き易くしたもの。これがまた「良い」。マッコイの好みのアレンジメントにのって、バックで、ドラムのトニー・ウィリアムスが叩きまくる。コルトレーン直系のシーツ・オブ・サウンドの様にドラムを叩きまくる。そして、ロン・カーターがブンブンブ〜ンと相当に野太いベースで応戦する。

マッコイのピアノ、トニーのドラム、ロンのベース。殴り合いの様な、格闘技のような、それでいて、絶妙のバランスとギリギリのところで均整がとれた、アグレッシブでドラマチックな内容のピアノ・トリオ。

このライブ盤でのマッコイのピアノはライブ録音のものでは無く、後でオーバダブしたものという噂もあるが、それはそれで、このライブ盤をスタジオ録音盤として聴き直せば良い訳で、オーバーダブしたものだからといって、このアルバムでのマッコイのピアノの素晴らしさが変わる訳では無い、と僕は評価している。

「Moment's Notice」「Passion Dance」「Search for Peace」「The Promise」「Song Of The New World」の5曲が収録されているが、どの曲も素晴らしい内容で甲乙付け難い。マッコイの心ゆくまで愛でることの出来る良い内容のライブ盤です。 

ちなみにアルバム・ジャケットのデザインは、現在は写真右のなんともセンスの無いものです。僕はLP時代の写真左のジャケットでないと絶対に雰囲気が出ません(といって、これはこれで余りにシンプルでやっつけなジャケットだけど・・・笑)。

 
 

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2012年6月 6日 (水曜日)

ジョーヘンの代表的演奏スタイル

ジャズを長年聴いているが、なぜか出会いの機会が薄い、なかなか聴く機会に恵まれないジャズメンが何人かいる。ジャズ本に必ず載っている有名ジャズメンの中にも、何人かいるのだから、アルバムとの出会いは、人との出会いに良く似ている。

そんなジャズ本に必ず載っている有名ジャズメンの中で、なかなか聴く機会に恵まれない一人が Joe Henderson(ジョー・ヘンダーソン・愛称ジョーヘン)。優れたテナー・サックス奏者の一人である。ジョー・ヘンダーソンは1937年4月生まれ。残念ながら、2001年6月に鬼籍に入っている。

彼のテナーは、ハードバップからR&B、ラテンやフリージャズ(アヴァンギャルド)まで、幅広いスタイルが特徴。でも、その中でも、ジョー・ヘンダーソンの代表的な演奏スタイルは何か。

そんな時、僕は『An Evening With Joe Henderson, Al Foster, Charlie Haden』(写真)をかけることにしている。1987年7月9日、イタリアは、Genova Jazz Festivalでのライブ録音。ちなみにパーソネルは、Charlie Haden (b), Al Foster (ds), Joe Henderson (ts)。

アルバム・ジャケットは、下の写真の様に2種類ある。右のジャケットの方がジャズっぽいが、現在、廃盤状態。右のジャケットはダウンロード・サイトを中心に比較的容易に入手出来るもの。文字のロゴが安っぽいのが難点。

An_evening_with_joe_henderson_2

ピアノレスのドラムとベースのトリオ演奏なので、リーダーであるジョー・ヘンダーソンのテナーが結構、心ゆくまで堪能出来る。1987年の録音なので、ジョー・ヘンダーソンのキャリアの中でも、一番充実している時期で、この時期のヘンダーソンの演奏が、彼の代表的な演奏スタイルだと言える。

ジョーヘンの代表的な演奏スタイルは一言で言うと「旋律も持った、節度あるシーツ・オブ・サウンド」、若しくは「新仮名使いで口語調な、判り易いコルトレーン」。ヘンダーソンのテナーのスタイルは、明らかにコルトレーンに影響を受けているが、フリージャズな演奏に傾いても、そのフレーズは旋律を宿し、そのフレーズは判り易く聴き易い。

このライブ盤『An Evening With Joe Henderson, Al Foster, Charlie Haden』では、そんなジョーヘンの代表的な演奏スタイルがギッシリと詰まっている。ちょっと録音の状態は良くないが、ジョーヘンの代表的スタイルを愛でるには問題無い程度。「聴き易いコルトレーン」の「節度あるシーツ・オブ・サウンド」が満載である。

まずは、このライブ盤で、ジョー・ヘンダーソンの代表的な演奏スタイルを押さえて、その代表的演奏スタイルを踏まえて、他のジョーヘンの演奏スタイルを愛でていく。これが、僕のジョーヘンの聴き方。

他のジョーヘンの演奏スタイルを愛で進めていくと、あら不思議、コルトレーンとはまた異なる、ジョーヘンならではの、ジョーヘン独特の個性が浮かび上がってくる。この瞬間が実に面白い。ジャズCDを聴き続ける楽しさは、こんなところにもあるのだ。

 
 

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2012年6月 5日 (火曜日)

森田真奈美『For You』は楽しい

そろそろ、この人のピアノについて語ろう。森田真奈美(Manami Morita)。バークリー音楽大学出身。在学中は数々の賞を受賞している。が、突出した受賞は無い。でも、この人のピアノは一度聴いたら絶対に忘れない。アドリブをワンフレーズ聴いただけで、森田真奈美だと判る。それほどまで、個性的なピアノである。

言葉で形容するのはとても難しいのだが、僕は「セロニアス・モンクと矢野顕子を足して2で割ったようなピアノ」と形容する。

インプロビゼーションの展開が進むにつけ、どんどん転調して拗くれていくような、とにかく不思議なフレーズが湧き出すように「出てくる、出てくる」。モンクの様に、幾何学的でスクエアな展開と変則拍子をモザイクのように組み合わせたフレーズ。考えて弾けるものでは無い。感性ひとつで、どんどん転調して拗くれていくのだろう。

そして、その幾何学的で変則的なフレーズをピアノで唄うように弾き進めていく。このボイシングが矢野顕子のボイシングのトーンにとても良く似ている(と僕は感じてニヤニヤしている)。飛んだり跳ねたり、上がったり下がったり。予測不可能なボイシングは、森田真奈美の独特なもの。

この森田真奈美の個性がギッシリ詰まったアルバムが『For You』(写真左)。彼女の2枚目のリーダー作である。ジャケットのイラストを見て欲しい。このセカン・リーダー作に詰まっているのは、このイラストのイメージがピッタリの森田真奈美の「あまりに個性的な」フレーズの数々である。

ちなみにパーソネルは、Manami Morita (p), Zak Croxall (el-b), Thomas Hartman (ds), Keita Ogawa (per), Shima (voice)。基本的にはピアノ・トリオと考えて良い。

Manami_morita_for_you

収録されたどの曲も「へんてこりん」なフレーズ展開で、とにかく楽しいやら面白いやら。ネットでは彼女のテクニックについて揶揄する声を見られるが、どうしてどうして、テクニックは確か。テクニックが確かじゃないと、これだけ、どんどん転調して拗くれていくフレーズや、飛んだり跳ねたり、上がったり下がったりの予測不可能なボイシングを音楽として聴かせることは出来ないだろう。自分で弾いてみると判る。

このピアノ・トリオ、なにも、森田真奈美が中心のものでは無い。ピアノ、ベース、ドラムが対等に、どんどん転調して捻れて、跳んだり跳ねたり、上がったり下がったり、予測不可能なフレーズを丁々発止と繰り出していく。フレーズを持った自由演奏といった面持ち。その辺は、セロニアス・モンクのグループサウンズの展開に似ている。

とにかく、冒頭の「M☆GIC」から「Catch The Pandu」「Shima」といった、どんどん転調して捻れて、跳んだり跳ねたり、上がったり下がったりな「フレーズを持った自由演奏」を聴いていると、森田真奈美は、同じ感性とアプローチを持った、優れたベースとドラムスに恵まれて、このアルバムがあるんだなあ、と感心する。

聴きものは、攻撃的ファンキーなアレンジが痛快な「Moanin’」。ファンキー・ジャズの権化の様な楽曲を解体してバラバラにして、森田真奈美風のんどん転調して捻れて、跳んだり跳ねたり、上がったり下がったり、予測不可能なフレーズで再構築した優れもの。アート・ブレイキーもビックリである(笑)。

カーペンターズの大ヒット曲「Yesterday Once More」も、実に彼女らしいアレンジで、とても現代的でコンテンポラリーな演奏に大変身している。この「Yesterday Once More」という曲は、普通のアレンジでは、なかなかジャズにならないんだが、ここまで、バラバラにして再構築したら、あら不思議、結構、現代風のジャズに仕上がるやないですか・・・。

ネットでは賛否両論。あれこれ「かまびすしい」が、この森田真奈美の個性は大事にして欲しい、と僕は思います。共演するミュージシャンをかなり選ぶ個性だとは思いますが、これはとにかく面白い個性。実にユニークです。既成概念に囚われず、ノビノビと自分の個性を育てていって欲しいなあ、と思います。次のリーダー作も期待しています。 

 
 

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2012年6月 4日 (月曜日)

「これぞクロスオーバー」な優秀盤

Eumir Deodato『Prelude』。原題だとなんだか良く判らない。邦題にすると良く判る。デオダート『ツァラトゥストラはかく語りき』(写真左)。邦題を見れば懐かしい、クロスオーバー・ジャズの名盤である。

僕がこのアルバムの曲をFMで聴いたのは1974年。高校時代、まだロックの世界に踏み込んで間も無い、プログレ小僧だった頃。ジャジーなリズム&ビートに乗って、フェンダー・ローズの心地良い響き。秀逸なアレンジに乗って、おお、この曲は「ツァラトゥストラ」。

1972年の作品である。クロスオーバーという言葉が流行りだした頃ではないか、と記憶している。ジャズとロックの融合、ジャズとクラシックの融合。そんなクロスオーバー・ジャズの寵児となった一人が、この「デオダート」。

ちなみにパーソネルは、Eumir Deodato (p,el-p), Ron Carter (el-b,b,solo on "Baubles, Bangles and Beads"), Stanley Clarke (el-b, solo on "Also Sprach Zarathustra"), Billy Cobham (ds), John Tropea (el-g, solo on "Also Sprach Zarathustra", "Baubles, Bangles and Beads", "September 13"), Jay Berliner (g, solo on "Spirit of Summer"), Airto Moreira (per), Ray Barretto (cong). Hubert Laws (fl, solo on "Prelude to the Afternoon of a Faun")。

面子を見れば、如何にも「CTIレーベル」という感じである。今から振り返ると、クロスオーバー・ジャズの手練達がズラリと顔を揃えている。

デオダートのエレピも雰囲気だし、ロンやクラークのエレベも雰囲気だ。コブハムの千手観音的ドラミングが、このアルバムのリズム&ビートを決定づけ、トロペアのギターは、徹頭徹尾、ロック・ギター風で、クロスオーバー色を色濃くさせる。モレイラとバレットのパーカッションはラテン色の彩りを添え、ロウズのフルートは素晴らしく個性的だ。
 

Deodato_prelude

 
このアルバムの収録曲についても、原題で並べるよりは邦題で並べた方が、当時の雰囲気が出るというもんだ。

1. ツァラトゥストラはかく語りき
2. スピリット・オブ・サマー
3. カーリーとキャロル
4. 輝く腕輪とビーズ玉
5. 牧神の午後への前奏曲
6. セプテンバー13

このアルバムの聴きどころと言えば、やはり冒頭の「ツァラトゥストラはかく語りき(Also Sprach Zarathustra)」だろう。もともと、このクラシックの名曲「ツァラトゥストラ」は、冒頭のキャッチャーな「金管楽器の雄叫び」部分だけが印象に残る、実に不思議な交響詩(笑)。

デオダートはこの印象に残る冒頭の部分だけを素材として、卓越なアレンジ能力を駆使して、クロスオーバー・ジャズな演奏に変身させて聴かせてくれる。とにかくアレンジが良い。今から40年も前の演奏なので、古さを感じても不思議じゃないんだが、これがまあ、あまり古さを感じさせない、とくる。

デオダートのアレンジ能力の高さを改めて感じる。この明らかにクラシックな「ツァラトゥストラ」をクロスオーバーなジャズに変身させ、その電気ジャズのリズム&ビートに、そこはかとなく「ラテン」な雰囲気を漂わせるところは、デオダートのならではの個性である。

2曲目以降の曲のいずれも、とにかくアレンジが秀逸。今の耳にも十分に耐える。特に「輝く腕輪とビーズ玉」などは、ラテン色が色濃く漂い、マイナーでファンキーな演奏は、実に「アーバン」。後のフュージョン・ジャズに繋がる、そこはかとなく「ソフト&メロウ」な雰囲気が魅力的。

クロスオーバー・ジャズを代表する名盤の中の一枚です。「これぞ、クロスオーバー・ジャズ」といった音が満載な秀作です。クラシックを題材にしたジャズなんて、と敬遠するには勿体ない、クロスオーバー・ジャズを理解するには打って付けのデオダートの名盤です。

 
 

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2012年6月 3日 (日曜日)

ポール2枚目ソロは未だ「過渡期」

このところ、ハイレゾ音源での Paul McCartneyの『Ram』(写真)を聴いている。音の分離、音の豊かさ、ボーカルの響きの自然さ、音の奥行きの、どれもが優れていて、やっとまともな『Ram』を聴いた気がする。今回、『Ram』というアルバムは高い音質を要求するアルバムだということが良く判った。

しかし、この『Ram』についても、前作のソロ・デビュー作と同様、僕は、このアルバムについては、まだまだ、ポールのプライベート的な録音の色彩が濃く、メロディメーカーとしての、ソロアーチストとしてのポールの「過渡期のアルバム」と認識していて、あまり高く評価する気にはなれない。

しかし、なんというジャケットだろう。なにも、「羊と戯れるポール」でなくてもいいのに・・・、と当時は思ったものだ。アルバムの名義は、ポール個人ではなく、「ポール&リンダ・マッカートニー」となっている。

当時のポールは「リンダにメロメロ」状態だった。それを個人のレベルを超えて、アルバムのそこかしこに「ちりばめられている」のには参った。

ジャケットに使われている写真は、当時カメラマンだったリンダの写真のみで構成され、その写真もポールとリンダのプライベートっぽいものばかり。ジャケットの右隅には「L.I.L.Y」の4文字(Linda I Love You の略と言われている)。普通やないですな。高校時代も、このアルバムを見るたび、こっぱずかしかったが、今でもなんだか、こっぱずかしい。

まあ、こんな、アッパラパーな精神状態で制作されたアルバムだから、まだまだ、ポールの本調子にはほど遠い。
 

Ram

 
しかしながら、さすがに、先のファーストアルバムは、ラフすぎて、しかも世間の反応も芳しくなく、やばいと思ったのか、このセカンドアルバムは、十分な時間をかけて作られている。

ファーストと比べて時間をかけて、とりあえずしっかり作られている分、「メロディーメーカーのポール」が全面に出つつあることは実に好ましい。が、部分的には、ファーストアルバム当時の「勘違い」を引きずっている部分が見え隠れする。

1曲目の「Too Many People」や2曲目の「3 Legs」、4曲目の「Dear Boy」などLPではA面の6曲中4曲が、ジョンやヨーコや他の2人のビートルを揶揄するような曲で占められており、いい加減にしてほしいなあ、という気分になる。

良きメロディーには、良き歌詞を、と思ってしまう。まあ、5曲目には、かの名曲である「Uncle Albert〜Admiral Halsey(アンクル・アルバート〜ハルセイ提督)」があり、この曲に関しては言うことなしだが・・・・。

やはり、このアルバムには、アルバムに先駆けてヒットしたシングル「Another Day」(全英2位・全米5位)を入れるべきだったのではないか。このアルバムに「Another Day」が入っておれば、適度に「締まった」良い感じのアルバムに仕上がっていたのではないかと感じるのは僕だけだろうか。

「シングルのおかげで売れた」という批判や、「LPはその構成とコンセプトが問題」などどいうしたり顔の評論家の攻撃を気にした感があるのだが、この変なところを気にするポールが、この悪しき「こだわり」を払拭するまでには、あと2枚のアルバムを経る必要があるのだった。

 
 

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2012年6月 2日 (土曜日)

ポール・マッカートニーの初ソロ作

ポールと言えば、ビートルズの中でも、ポップで親しみやすい曲作りが得意な、当代きっての「メロディーメーカー」だと僕は思う。

しかしながら、ビートルズ解散後、その当代きってのメロディーメーカーの才能を遺憾なく発揮するには、多少時間がかかった。一つは、ビートルズの呪縛から逃れるために、もう一つは、ジョン・レノンという幻影から逃れるために。ポールは過剰なまでに、この2つの幻影を強く意識し、自らの才能を封じ込めてしまった。しかも、多少、独善的な面も手伝ってか、ひとりよがりのアルバム作りも災いした。

今日は久し振りに、ポール・マッカートニーの初ソロアルバム『McCartney』(写真)を聴き直してみた。ビートルズ解散後、苦闘時代のポール。希有のメロディーメーカー・ポールにもこんな時代があったんだ、となぜか「しんみり」してしまう。

ビートルズ解散のごたごたの中、『Let It Be』と時を同じくして発売されたポールのファーストアルバム。ジャケットは何となく婦プログレっぽくて、そそるものがあるが、その内容はといえば・・・。

とにかくラフ。曲もアレンジもとにかくラフ。ほとんどの楽器演奏、ボーカル系の全てがポール一人で演じられている。ポール一人でじっくり構えてアルバム制作にいそしめば、それなりに、緻密な、素晴らしいアルバムが出来そうな感じがするが、とにかく、このアルバムは全てがラフ。デモテープを40分間聴いているような感じの摩訶不思議なファーストアルバムだ。

このアルバムが発表された当時、1970年前後の時代は、一気にロックムーブメントが台頭し、「ロックが歴史を変える」っていうことを本気で信じていた時代だったが故に「メッセージ性、精神性」が重視され、ポールのような「愛を歌うメロディーメーカー」にとっては、とまどいを隠せない時代だったかもしれない。
 

Mccartney_1st

 
当時のロックはメッセージ性が高く、それをストレートに、シンプルな音に乗せて伝えることが良しとされ、ビートルズが得意とした「甘い恋愛感情」や「シュールで抽象的な感情表現」は、ロックとしては「軟弱」な部類とされがちだった。

その「ストレートに、シンプルな音に乗せて伝える」ということを勘違いして、このアルバムのラフな作りになったような感じがしないでもない。そもそも、ポールは日常の感情や想いを、流麗なメロディーと確実なアレンジに乗せて歌い上げていく「正当派メロディーメーカー」だと僕は最大級の評価をしているので、いかに、「ストレートに、シンプルな音に乗せて」伝えようとラフに構えても、その歌詞の中に、当時の政治や生き方に関する「メッセージ性」が希薄なので、ラフな作りだけがマイナス要素として残ってしまうような気がする。

とはいえ、このアルバムは、その後のポールのソロ活動に期待を持たせる、宝石の原石のような「かけら」が、沢山つまっている。しかし、その「かけら」が宝石の原石なのか、ただの石の「かけら」なのかが良く判らず、とまどったポールファンが沢山いたのも事実である。例えば、ラストの「Kreen-Akrore」などは、初めて聴いた時には「ポールは我々をなめてんのか」と憤慨もした。

今になって振り返って見ると、12曲目の「Maybe I'm Amazed(恋することのもどかしさ)」はアレンジは未熟ながら、後の名曲となるものだし、6曲目の「Junk」などは、メロディーメーカーのポールの面目躍如的なメロディアスな曲だし(アレンジはラフだけど)、9曲目の「Momma Miss America」なんぞは、テーマソングとして流していたFM大阪の「ビート・オン・プラザ」を聴きながら、高校時代を過ごした僕としてはとてもとても懐かしい(演奏の「作り」は粗っぽいことこの上無し)。

しかしながら、やはり、ビートルズの緻密で理知的なアルバム作りと比べると、このラフな作りは当時、どうしても許し難く(笑)、とにかく、LPを買う「軍資金」が乏しい高校時代、「おちょくってんのか。金返せ〜!」と叫びたくなるようなものだったのを覚えている。

聴き込むにつれて、ポールの才能の様々な「かけら」を感じて、「さすがポール」と感激したりで、なんだか、複雑な気分と思い出が入り交じる「ポール・マニアの踏み絵」のようなアルバムです。

でも、さすがに、このアルバムを「ポールの傑作アルバム」と言い切るのは憚られますね。このポールの初ソロ作に出会って以来、このラフな内容でリリースした、当時のポールの心境を図りかねています。 

 
 

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