ハードなアート・ペッパーである
彼は筋金入りの「ジャンキー」。まずは、1950年代に入って彼のキャリアは本格的にスタートしますが、1953年〜1956年の間は、麻薬のために収容所に収監され、活動を中断しました。
加えて、彼は麻薬のために60年代のほとんどで、活動を中断します。そして、1969年〜1971年の間、シナノン収容所でのリハビリを経て、本格的にジャズ界に復帰したのは1975年になってからです。
やっとのことで、復帰後は、1982年6月15日に脳溢血で逝去するまで、本格的な演奏活動を継続しました。
その麻薬禍の為に活動を停止した1960年代を境に、1950年代のペッパーと復帰後の1970年代のどちらが良いかといった議論が白熱した時期があります。
確かに、1950年代は、テクニック良く滑らかで流麗なアドリブ・ラインが素晴らしい、柔らかで「閃き」で勝負するタイプの「天才肌」なプレイでした。復帰後の1970年代は、ジョン・コルトレーンに触発された、エモーショナルでフリーキーなアドリブ・ラインに変身。硬派かつハードで「理知的」なプレイにモデル・チェンジしました。
一人のプレイヤーの個性について、1950年代と1970年代のどちらが良いか、などという議論は意味の無い議論だと思いますが、確かに、そんな議論を呼び起こすほど、アート・ペッパーの個性は、1950年代と1970年代とは全く異なり、この異なる時代の対称的な個性は、なかなかに興味深いものです。
しかし、もともと、1960年代の「休眠」に入る前、既に、アート・ペッパーは、硬派でハードなプレイを目指し始めていたのではないか、と思われる節があります。
1960年2月に録音された『Gettin' Together』(写真左)。パーソネルは、Conte Candoli (tp), Art Pepper (as, ts), Wynton Kelly (p), Paul Chambers (b), Philly Joe Jones (ds)。当時のマイルス・バンドのリズム・セクションを借りて、米国西海岸で録音されたアルバムです。
このアルバムでのアート・ペッパーのプレイが、実に硬派でハードです。冒頭の「Whims of Chambers」から、ラストの「Gettin' Together」まで、徹頭徹尾、硬派でハードなアドリブ・プレイに終始します。
柔らかさ、流麗さは押さえられ、理知的でハードなプレイを前面に押し出します。マイルス・バンドの三人、Wynton Kelly (p), Paul Chambers (b), Philly Joe Jones (ds)も、徹頭徹尾、硬派でハードなバッキングを貫きます。
選曲についても、硬派でハードな、セロニアス・モンクの「Rhythm-a-ning」などを演奏しており、あのアート・ペッパーがモンクをやったのか、と感心します。そして、流麗なフレーズで攻めるのが定石な、大スタンダード曲「Softly, as in a Morning Sunrise」も、終始、硬派でハードなフレーズで貫き通します。こんなに硬派でハードな「Softly, as in a Morning Sunrise」は、あまり記憶にありません。
このアルバム『Gettin' Together』を聴くと、アート・ペッパーは、硬派でハードなプレイを目指し始めていたのではないか、と思います。そして1960年代の「休眠中」に、ジョン・コルトレーンのスピリチュアルでエモーショナルでフリーキーなインプロビゼーションに接して、スタイルの変化に踏み切ったのでは無いか、と想像しています。
アーティストとして、スタイリストとしてのアート・ペッパーの気持ちが伝わって来るような、『Gettin' Together』はそんな雰囲気に溢れています。アート・ペッパーのアルバムの中で、独特の個性を放っているアルバムとも言えるでしょう。
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