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2012年5月17日 (木曜日)

コルトレーンの最もフリーな盤

これは何なんだ、と聴いた瞬間、必ず戸惑う。ジョン・コルトレーンの晩期、1965年11月23日の録音になる。1967年7月17日に逝去するのだから、亡くなる1年半前のパフォーマンスになる。

アルバム・タイトルは『Meditations』(写真左)。直訳すると「瞑想」。瞑想というが、このアルバムのコルトレーンのパフォーマンスは「瞑想」の類では無い。これはもう「絶叫」である。それまでの、超絶技巧なソロが少なく、テクニック以前の絶叫・嘶きが中心の全くもってフリーキーなパフォーマンスが中心。

ちなみにパーソネルは、John Coltrane, Pharoah Sanders (ts), McCoy Tyner (p), Jimmy Garrison (b), Rashied Ali, Elvin Jones (ds)。正直に言うと、未だもって、ダブル・サックス、ダブル・ドラムスの意味するところが、必然性が、僕には良く判らない。

この「絶叫」を主とする演奏において、従来の演奏フォーマットである「カルテット」を採用する必要があったのだろうか。ピアノ、ドラム、ベースは必要があったのか。う〜ん、この 『Meditations』を聴くと、いつもこの疑問が頭をよぎる。

テナー・サックスは人間の肉声に匹敵する音色を兼ね備えた楽器なので、テクニックさえあれば、いともたやすく「絶叫」することが出来る。しかし、他のリズム・セクション系の楽器は違う。そのギャップが露わとなったアルバム『Meditations』。そのギャップが黄金のカルテットを解散へと導く。その兆しが、このアルバムのそこかしこに散りばめられている。

ドラムはリズム&ビートが伴わないと叩けない楽器である。ビートの伴わない「絶叫」をバッキングするにはドラムはかなり苦しい。というか、ビートの伴わない「絶叫」のバッキングは出来ない。このアルバムでのドラムの才人、エルビン・ジョーンズの苦悩はいかばかりか、と慮りたくなる。

ピアノだってそうだ。打楽器の要素と旋律楽器の要素を持ち合わせる独特な楽器。打楽器の要素の部分の悩みはドラムの悩みに同じ。ビートの伴わないサックスの「絶叫」のバッキングの術が無い。旋律楽器としての要素は、鍵盤でその音が限定される。ピアノの旋律は調性のとれた旋律の展開。無調性のサックスの「絶叫」とは相容れ無い。  
 

John_coltrane_meditations

 
ベースも同様。ベースはビートが無いとどうしようも無い。この楽器こそ、フリーキーに振る舞えと言われても、フリーキーに振る舞えない、基本的にアブストラクトな和音を奏でることが困難な「弦楽器」である。ビートの伴わないサックスの「絶叫」に対するベースのバッキングは、基本的に「意味が無い」。

コルトレーンは、本当の意味での「フリーな演奏」を実現したかったのだろうか。それであれば、ビートを必要とする従来のリズム・セクションは必要無かっただろう。

黄金のカルテットのリズム・セクション、エルビンのドラム、マッコイのピアノ、ギャリソンのベースが、コルトレーンの「絶叫」の前に、完全に戸惑い、立ち尽くす様な、「絶叫」するコルトレーンから遠く離れたところで、コルトレーンの「絶叫」が続く間、「術の無いバッキング」を継続する。

コルトレーンの意図するところは判るが、これは無理があるなあ。コルトレーンのやりたいことだけが突出していて、グループ・サウンズとしての成果は全く存在しない。コルトレーンの無調性でフリーキーな「絶叫」だけが突出している。リズム&ビートを伴わない、「絶叫」型のパフォーマンスを、一体、何と形容すれば良いのか。

このアルバムの演奏は、ある特定の限られた人達に対してのみ「音楽」として響き、他の一般の聴き手には、単なる「叫び、嘶き」にしか感じないだろう。コルトレーンを極めたいジャズ者の方々は一度は聴かなければならないアルバムではあるけれど、他の一般のジャズ者の方々は、敢えて聴く必要は無いでしょう。

カルテットとしての演奏形態を取る必然性は無い、と今でも思います。真にフリーキーなブロウを追求するのであれば、John Coltrane, Pharoah Sandersの2サックスでの、無調性「絶叫」ソロ・パフォーマンスで良かったのでは、と思います。

しかし、この演奏をアルバムにして、世の中で販売することが出来るのだから、コルトレーンのブランド力って凄いと思うし、このアルバムを購入して、繰り返し聴くジャズ者の方々が存在するのだから、ジャズって凄いですよね〜。
 
 
 
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Never_giveup_4

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