次作に期待の『Voice』である・・・
上原ひろみは、今や、押しも押されぬ日本人ジャズ奏者として、一番人気の才媛である。出すアルバム出すアルバム、いずれも人気盤となり、ジャズ奏者としては異例の「売れっ子」ぶりである。
バーチャル音楽喫茶『松和』のマスターなんて名乗っているので、上原ひろみってどうですか、とか、上原ひろみを聴きたいのですが、どのアルバム良いですか、などと問われる時がある。この質問がちょっと「困る」のだ。
2007年リリースの『Time Control』からだろうか。上原ひろみのピアノに、成熟しきった感、というか、豊満感というか、このままのスタイルとアプローチだと、もう行き着くことまで行き着いてしまったので、もう行きようが無い窮屈さ、というか、そんな雰囲気を強く感じて、ちょっと、上原ひろみから距離を置いていたのである。
メジャーなジャズ評論家やジャズ雑誌から絶賛された、2008年リリースの『Beyond Standard』も、なんだか不必要なほど背伸びをしているというか、そこまでやらなくても、という位の「異常に高いテンション」を感じて、キッチリと密閉するようなアレンジメントを施された演奏は、なんだか聴き続けるのが、ちょっとしんどくなるほどタイトで、ヘビロテにはならなかった。
昨年の3月にリリースされて、現時点での最新作である『Voice』(写真左)についても、日本人ジャズ奏者として「時の人」である。しっかりと聴くことは聴いているんだが、どうしても、演奏を聴き込むまでは至らない。内容自体は、実に高度な内容で、質が高く、インプロビゼーションのテクニックも高く、アレンジ&コンポーズの才能も素晴らしいものがある。
でも、このアルバムにも、そこまでやらなくても、という位の「異常に高いテンション」が漂い、ハイノートな速弾きピアノは、聴いていて、ちょっとしんどくなる。
逆に、聴き易さを追求した結果、速弾きを押さえ、幅広いスケールで悠然と弾き進める新境地も見え隠れするが、これはこれで、これまでの上原ひろみの個性とは全く異なり、なんだか、どこかから借りてきた様な、ちょっとした違和感を感じたりもする。
以前、「Return of Kung-Fu World Champion」で披露して話題をさらった、シンセの音とフレーズもさすがに手垢が付いた感があって、ちょっと新鮮味を薄れてしまっている。確かに、上原ひろみのシンセは、ピアノと違って、ちょっと一本調子になりつつある。もう一工夫、もう一味、もう一捻り、欲しいなあ。
パーソネルを見渡すと、上原ひろみ (p), Anthony Jackson (b), Simon Phillips (ds)。リズム&ビートを担う2人が凄い。この2人をバックに擁してのピアノ・トリオである。もっと「なんか出来た」ような気がする。
それまでの上原ひろみの個性の延長線上の、安全運転よろしく既定路線の演奏で終わらせるのは勿体無い。上原ひろみの「もっと凄い何か」を引き出せるようなユニットである。今回のアルバムの内容は、まだまだ「ほんの小手調べ」の様な雰囲気が頼もしい。
このアルバムの音世界は、良い意味で「ワンパターン」。現時点で成熟しきった、上原ひろみの個性を上からなぞった感じが強い。安全運転に徹した、コンテンポラリーなピアノ・トリオ。なんとなく不完全燃焼な感じが残るところが惜しい。何を急いでいるのだろうか。若しくは、もしかしたら「迎合している」のかもしれない。
もっとノンビリとリラックスして弾いた彼女のピアノを聴いてみたいなあ。切れ味鋭く、常に「真剣勝負」的なテンションの高い演奏は凄いし素晴らしいが、長く聴き親しむには、ちょっと辛い。彼女のピアノは、こんなものではないだろう。
排気量の大きい車がゆっくりとしたスピードで走るような、余裕をガッツリかました、良い意味でノンビリ、ほのぼのとした上原ひろみのピアノを聴いてみたいと思う今日この頃。まだまだ期待できる有望株である。次作を期待したい。
大震災から1年。決して忘れない。常に関与し続ける。
がんばろう東北、がんばろう関東。自分の出来ることから復興に協力しよう。
★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」。「@v_matsuwa」で検索して下さい。
« 朗々と鳴り響くワンホーン・テナー | トップページ | Stevie Wonderの「最初の成果」 »
コメント