優れたプログレ的な『Tommy』
1970年代のロックにおいて、今もって不思議なことが幾つかある。例えば、今日のブログの話題になる「The Who(ザ・フー)」について言えば、日本で不当なまでに評価が低いのだ。不思議である。
個人的には、高校時代に、追いつく形でリアルタイムにザ・フーを経験した。何枚か彼らのアルバムを聴いて、その演奏力や曲の構成や内容の素晴らしさにビックリしたクチなので、未だに、何故、こんなに評価が低いのかが判らない。英米では、ローリング・ストーンズ、ビートルズ、と並んで「UK三大ロックバンド」と評価されているのになあ。
日本におけるルックス的な評価は、ローリング・ストーンズだってイマイチで、その辺はザ・フーと同じ。僕の場合、ルックス的な評価は範疇外なので、アルバムの内容が全てとなるんだが、このアルバムの内容についても、ザ・フーについては何かとネガティブな評価がついて回る。
特に、この1969年5月に発表された、ザ・フーの4枚目のオリジナル・アルバム『Tommy』(写真)に対する評価は真っ二つに分かれる。
恐らく、このアルバムは「ロック組曲」「ロックオペラ」という触れ込みで語られることが多く、この「組曲」「オペラ」という部分が、骨太なロック・ファンのお気に召さないところ。
確かに、ザ・フーはモッズ系バンドとしては伝説的な存在であり、モッズは、イギリスの若い労働者がロンドン近辺で1950年代後半から1960年代中頃にかけて流行した音楽やファッションをベースとしたライフスタイル、およびその支持者を指す訳で、所謂、上流階級〜中産階級が好むとされる「クラシック音楽」的な臭いがする「組曲」「オペラ」を忌み嫌うことは理解できる。
しかし、この『Tommy』は、三重苦の少年トミーを主人公とした物語という、確固たるテーマを持った「コンセプト・アルバム」であり、内容的には、日本で評価・ジャンルが定着した「プログレッシブ・ロック」の内容に近似するものだ思う。
精神的に自分自身を閉ざし、見えず、聞こえず、話せない主人公トミーを取り巻く人々とトミーの再生を描いていて、トミーを取り巻く奇怪で醜悪な登場人物たちは現代社会を醜態を象徴しており、そういう観点では、このコンセプト・アルバムにおいても、ザ・フーはモッズ系バンドとしての個性を振りまいていると言えるのではないだろうか。
アルバムの内容については、コンセプト・アルバムの構成が圧倒的に素晴らしい。そして、それに応える演奏力も素晴らしいもので、これがモッズ系ロックバンドの実力なのか、と逆に驚いてしまう。素晴らしくアカデミックで、素晴らしくアーティスティックな演奏が凄い。
冒頭の「オーバーチュア」の暗く悲しげではあるが力強いオープニングから、思いっきり「掴まれる」。そして、ラストの「シーミー」までの曲の流れに、確固たる一貫性があって、綿密に計算され、丁寧に製作されたアルバムだということが良く判る。このアルバムの圧倒的な内容こそが、ザ・フーの真の実力なのだと僕は改めて実感した次第。
この『Tommy』は、英米ではリリース時より、高い評価を得ており、セールス的にも全英2位・全米4位と成功を収めている。また、ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・ベストアルバム500においては、96位にランクインしている。そういう意味でも、このアルバムを「モッズらしくない俗物的なロック」として遠ざけるには「勿体ない」。
ロック史上における、優れたプログレ的な「コンセプト・アルバム」の一枚として、はたまた、ロックの歴史的成果のひとつとして、諸手を挙げて評価できる、実に優れた内容のアルバムだと思います。
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