チューリップ・マニアの「踏み絵」
デビューアルバム『魔法の黄色い靴』から、僅か半年後に発売されたセカンドアルバム『君のために生れかわろう』(写真左)。1972年12月20日のことであった。といっても、僕はこのアルバムはさすがにリアルタイムには聴いていない。耳にしたのは、その3年後、高校2年の冬であった。
このセカンド・アルバムは、全13曲でありながら、トータルの収録時間は30分弱。LPのA面、B面それぞれで15分弱とかなり短い。デビューアルバムから僅か半年での制作が故、曲のアレンジや構成に時間をかけることが出来なかったと思われる。しかし、今では考えられない制作スパンである。
かなりの「急造アルバム」ではあるが、それぞれの曲については、チューリップの「音」を構成する様々な個性のパーツが、宝石の原石の様に加工されないそのままのイメージで、そこかしこに転がっている。チューリップというバンドの個性、特徴を感じ取るには、格好のオリジナル・アルバムとなっている。
でも、当時はなかなか手を出せなかったなあ。このアルバム・ジャケットがなあ。なにか「こっ恥ずかしくて」、レコード屋のカウンターになかなか持っていけなかった(笑)。
まあ、タイトルが「君のために生まれかわろう」やからなあ。高校時代の僕には、大変勇気がいることでした、このアルバムを購入するのは・・・。いつも通っていたレコード屋では無くて、となり駅のレコード屋まで、わざわざ買いに出かけたなあ(笑)。
さて、デビューアルバム『魔法の黄色い靴』では、当時の様々な洋楽の要素がごった煮で入っていたが、このセカンドアルバム『君のために生れかわろう』では、ビートルズの要素に的を絞って、チューリップの個性に昇華させている。練られていない部分もあるにはあるが、概ね、成功裡にチューリップの個性として反映されている。見事である。
チューリップマニアからすると、このセカンドアルバムは、絶対に外せない「キー・アルバム」であるが、当時、このセカンドアルバムのセールスは全く芳しく無かった。
加えて、このアルバムからシングル・カットされた『一人の部屋』についても同様。特に、このシングル・カットされた「一人の部屋」は、今の耳で聴いても傑作だと思うんですがね〜。曲全体がちょっとシンプル過ぎるのが「玉に瑕」ですが・・・。
このセカンドアルバムのリリースは、1972年。日本の音楽界は、歌謡曲とフォーク・ソングの時代。このビートルズ基調のフォーク・ロック若しくは、ポップ・ロックな感覚は「新しすぎた」のかもしれない。
少なくとも、微妙にビートルズと距離を置きつつ、洋楽中心に音楽に親しんでいる輩でないと理解しにくかったかもしれない。ビートルズ・マニアからすると、チューリップを聴くと、直接的に「ビートルズのパクリやん」で終わる。そうやないんやけどな〜。ビートルズの要素に的を絞って、チューリップの個性に昇華させているんやけどなあ。
このアルバムは、チューリップ・マニアにとっては「原点」の様なアルバムである。いつかきっと、チューリップ・マニアを自認するからには、どこかでこのアルバムを手に入れ、このアルバムを聴き込む時期が必ず来る。
そして、このアルバムが良ければ、チューリップ・マニアとして、以降ずっと、チューリップを聴き続けるだろうし、このアルバムが気に入らなければ、チューリップから離れていく。そういう意味では、この『君のために生れかわろう』というアルバムは、チューリップ・マニアとしての「踏み絵」の様なアルバムである。
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リアルタイムで踏みました(^O^)「魔法の黄色い靴」「一人の部屋」も「擦り切れるまで」聴き、アルバムは全部そろえました。でも「心の旅」で全国区になる前のほうが好きでしたが。
投稿: y.y. | 2012年1月30日 (月曜日) 11時20分
はじめまして、y.y.さん。松和のマスターです。
そうですか、y.y.さんはリアルタイムで踏まれたのですね。素晴らしい。
僕は遅ればせながら、踏んだのは3年後でした。
今の耳で聴いても、個性溢れる良い曲ばかりですよね。聴き直してみて、
改めてそう思いました。
投稿: 松和のマスター | 2012年1月30日 (月曜日) 21時04分