ジャズとジミヘンとクラプトン
1960年代後半。マイルスやギル・エバンスなど、ジャズを牽引する先進的なミュージシャンに着目され、その共演を望まれたジミ・ヘンドリックス(略してジミヘン)。
黒人のジミヘンの相対して、白人のエリック・クラプトンという対比がある。エリック・クラプトンは、今では好々爺したブルース・ロックをベースとした懐メロ中心に歌い継ぐ歌手、という感じになってしまったが、1960年代後半は、クリームというトリオ・バンドを組んで、過激なギター・インプロビゼーションをガンガンに弾きまくり、巷では「Clapton is God」ともてはやされた。
過激なギター・インプロビゼーションという点ではジミヘンと変わらないのだが、クラプトンは、マイルスやギル・エバンスなど、ジャズを牽引する先進的なミュージシャンに着目されることは無かった。それは何故か。それには、クリーム時代のライブ盤で、クラプトンのギター・インプロビゼーションを体験する必要がある。
『Live Cream, Vol. 1』(写真左)というライブ盤がある。このライブ盤を聴くと、クラプトンのギター・インプロビゼーションの特徴が良く判る。
クリームは、ベーシスト兼ボーカリストのジャック・ブルースとギタリスト兼ボーカリストのエリック・クラプトン、ドラマーのジンジャー・ベイカーのトリオ編成。この3人が、ブルース・ロックを基調とした演奏を繰り広げ、長尺なジャム・セッションを繰り広げる。そこでのクラプトンのギター・インプロビゼーションが「ヘビーかつ技巧的」として、高く評価された。
確かに「ヘビーかつ技巧的」ではあるが、ヘビーという点では、ギター・ストロークの重心が相当に低く、低音の響きがボディー・ブローの様に響くジミヘンに軍配が挙がる。技巧的という点でも、ジミヘンの方が一歩先を行く。但し、クラプトンのギター・インプロビゼーションの方が耳当たりが優しく、ギターが生み出すビートやジミヘンと流行らせたワウも、粘りが少なく、ソリッドな分、取っつき易い。
ジャズとシンクロすることを前提とすると、圧倒的にジミヘンの方がビートに粘りがあって、ワウワウも前衛的。特に、ブルース・ロックの演奏の時のオフ・ビートが強烈で、ジャズのリズム&ビートに乗った時のギターのイメージが実にし易い。テクニック的にも、ジャズ・ギタリストと比しても遜色無く、革新性という点では、当時のジャズ・ギタリストを凌駕する。
クラプトンは、ブルース・ロックの演奏の時のオフ・ビートが軽やかで、ジャズのリズム&ビートに乗った時のギターのイメージが実にし難い。誤解しないで欲しいのだが、クラプトンが劣っていると言っているのでは無い。ジャズとシンクロすることを前提に考えると、ジミヘンの方がイメージし易く、その成果が具体的に想像できる、ということを言いたいだけ。
恐らく、クラプトンは「ロックなビート」を演奏の底に常に持ちつつ、ロックのリズム&ビートを前提に、ブルースとハードロック、サイケデリックロックを展開する、徹頭徹尾「ロックな資質を持ったロック・ギタリスト」と言えるのだろう。
1960年代後半、ジミヘンとクラプトンは共に当時のロック・シーンに多大な影響を与え、共にワウワウを流行らせ、ロックはヘビーであり技巧的でなければならない、という基本方針を提示した。この基本方針は、1970年代、ハードロックというジャンルに受け継がれることとなる。
でも、クラプトンは、ハードロックに走らず、米国南部のルーツロック「スワンプ」に走り、後に「レイドバック」した。そして、ジミヘンは、1970年9月18日、オーバードーズが原因で急逝。帰らぬ人となった。1970年代のハードロック・シーンに、ジミヘンとクラプトンは存在しなかった。
しかし、不思議なことに、ジミヘンはジャズの素材として採り上げられることがあるが、クリームやクラプトンは、ジャズの素材として採り上げられることは無い。事実として、この対比も面白い。
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