« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

2011年9月の記事

2011年9月30日 (金曜日)

フリー・ジャズを理解するには

ジャズを聴き始めてから、20年位経った頃だろうか。突如として、フリー・ジャズの良し悪しが何となく判るようになった。というか、フリー・ジャズを楽しんで聴くことが出来るようになった。不思議な話だが本当の話だ。

ジャズを聴き始めた頃、フリー・ジャズは別に苦にはならなかった。クラシック・ピアノをやっていたせいもある。クラシックの不協和音については違和感が無く、クラシック系の現代音楽もFM放送を通じて、子供の頃から耳にしていたので、フリー・ジャズのアブストラクトな面には違和感は無かった。当然、うるさい演奏とも思わなかった。

しかし、何が良くて何が悪いかが良く判らない。演奏テクニックという面では、フリー・ジャズは純ジャズと同様、判別することが出来る。でも、フリー・ジャズの良し悪しは「演奏テクニック」だけでは無い。フリー・ジャズの良し悪しを判別する基準とは何か。これが、ジャズを聴き始めてから20年間、さっぱり判らなかった。よって、フリー・ジャズを聴いていても面白くない。

が、40歳を越えた頃だろうか。恐らく、聴く側に心の余裕が出来てきたのだろう、フリー・ジャズの演奏フレーズをじっくりと聴き分けられるようになった。
 
そして、フリー・ジャズって、本能の赴くまま、感情の赴くまま、楽器を吹きまくっているのではなくて、しっかりと音楽としての演奏のベースを押さえつつ、フリーキーに吹きまくる部分はあるけど、最後は必ず、従来の音楽演奏の基本に戻って、結果として、しっかりと「音楽」として「演奏」としての形態をキープしている。そんな当たり前のことが、40歳を過ぎた頃にやっと判った。

そりゃあそうで、フリー・ジャズとは言え「音楽」やもんな。音を楽しむには、最低限の音楽演奏のマナーはキープしていないと、音は楽しめない。フリー・ジャズを演奏する方は、それを十分判っていただろうが、ジャズを聴き始めた頃は、僕にはそれがさっぱり判らなかった。フリー・ジャズとは言え「音楽」である。それが理解出来て以来、フリー・ジャズの良し悪しが何となく判るようになった。
 
Spiritual_unity
 
その切っ掛けになったアルバムが、Albert Aylerの『Spiritual Unity』(写真左)。バリバリのフリー・ジャズの名盤である。相当にアブストラクトな演奏ではあるが、そのアブストラクトな演奏の中に、しっかりと歌心を湛えた、極上のフレーズが突如として現れたりする。
 
フリーに吹きまくっているように聴こえるが、フリーなブロウの底に、しっかりとリズム&ビートを押さえている冷静な部分があって、どれだけフリーに吹きまくっても、演奏全体が「音楽」として破綻することは無い。

これが、優れた「フリー・ジャズ」というものなんだ、ということが、やっとのことで、ジャズを聴き始めて20年経って判った。アブストラクトでフリーキーな演奏で、一聴すると「やかましい」が、暫く聴き進めて行くと、極上のフレーズに出くわし、素晴らしいテクニックに出くわし、ジャズの基本である、躍動感溢れるリズム&ビートを感じる。

フリー・ジャズとは言うが、本能の赴くまま、感情の赴くまま、楽器を吹きまくっているのではない。しっかりと「音楽」の基本を押さえつつ、「演奏」としての形態をキープしながら、最大限の自由を表現するものだということが判ってからと言うもの、フリー・ジャズも心から楽しめる様になった。
 
特に、アブストラクトでフリーキーな演奏の中に、極上のフレーズに出くわした時の快感と言ったらもう、それはそれは幸せな気分になれる。

どうも、フリー・ジャズを理解するには、聴く側に心の余裕が必要な様だ。その心の余裕も得るには、通常、年齢の積み重ねということが必要なようだ。そう考えると、年齢を重ねることも悪くは無いなあ、と思えるようになった(笑)。
 
 
 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3

がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。

2011年9月29日 (木曜日)

9月28日、マイルスの命日

1991年9月28日、ジャズの帝王マイルス・デイヴィスの命日である。あの日はショックやったなあ。ジョン・レノンの命日に匹敵する衝撃だった。早20年が経つ。マイルスの命日になると、いつも思い出すことがある。マイルスのアルバムを自腹を切って初めて買った時のこと。

僕が初めて自腹を切って買ったマイルスのアルバムは『Circle In The Round』(写真)。LP2枚組。1979年11月のことである。当時、僕はジャズ者初心者も初心者、ジャズを本格的に聴き始めて、約1年位経った頃かな。

マイルスのアルバムについては、「アガ・パン」についてはカセットテープでエアチェックして持っていた。当然、愛聴盤である。あと「ビッチェズ・ブリュー」もカセットテープでダビングして貰って持っていた。これも、当然、愛聴盤である。そんな状態の中、自腹を切って、マイルスのアルバムを自らが買ってみようと思った。

実は、この『Circle In The Round』が、未発表演奏のオムニバスとは知らなかった。というか、ジャズを聴き始めて1年も経っているのに、ジャズにはアルバムに収録されなかった未発表音源が多々存在していて、それを集めてアルバム化するなんていう、ジャズ界きっての「掟」を知らなかった(笑)。

でも、この『Circle In The Round』、スイング・ジャーナルのゴールドデスクに選定されていて、触れ込みを読むと「マイルスのアコースティック時代からエレクトリック時代のマイルスが横断して経験できる」とある。まあ、あの頃は、コンビニでバイトしていたこともあって懐は温かい。大枚叩いてLP2枚組を購入した。
 
しかし、聴いて見て、当時は「難解」だったなあ(笑)。何が良いのか判らない(笑)。でも、エレ・マイルス初期の頃の「Circle in the Round」や「Splash」「Sanctuary」「Guinnevere」が思いのほか気に入った。どうも僕の耳には、エレ・マイルスが良いらしい。
 
Circle_in_the_round

 
とにかく限りなくフリーだが、しっかりと伝統のジャズのフォーマットに則りながら、それまでに無い、全く新しい音の響きを撒き散らしているエレ・マイルスの世界。当時、没頭しました。

実は、アコ・マイルスの収録曲も隅に置けない。しかし、それが判ったのは、ジャズ者初心者の頃からずっと後のこと。

冒頭の「Two Bass Hit」は、コルトレーンもマイルスも、インプロビゼーション部の演奏がイマイチで、お蔵入りになったことも当然かと思う。しかし、次の「Love for Sale」は絶品。何故、この「Love for Sale」がお蔵入りになったのか、不思議でならない。恐らく、収録時間が11分52秒もあり、編集しようにもカットする箇所も見当たらず、このままLPに収録するには時間が長すぎる。CD時代だったなら、おそらくきっと正式なアルバムに収録されただろう。

続く「Blues No. 2」も、モード奏法を駆使したブルースで出来は良い。お蔵入りになった理由が判らない。プロデューサーのテオ・マセロが忘れていただけじゃないのかしら。

ジャズを聴き始めて1年くらい。マイルスのことも、ジャズの「掟」のことも、当時、情報不足であまり判らなかった頃。初めて自腹を切って買ったマイルスのアルバム『Circle In The Round』。今では、様々な未発表音源を詰め込んだボックス盤のリリースで、この『Circle In The Round』の存在価値は全く無くなってしまった。

でも、日本仕様のアルバム・ジャケット(写真左)を見る度、ジャズを聴き始めた、マイルスを聴き始めたあの頃を思い出す。そして、このマイルスの『Circle In The Round』は、ジャズの表現の限りない「幅」と「深さ」と。そして、マイルスの先取性と限りない芸術性の「高み」を教えてくれた、僕にとって貴重なアルバムでした。今でも「密かな愛聴盤」です。

ちなみに、この『Circle In The Round』のアルバム・ジャケットのデザインは2種類あります。左が日本盤独自のデザイン。右が米国リリースのデザイン。米国リリーズのデザインもマイルスの写真もちょっとだけ魅力的ですが、デザイン的には、圧倒的に僕は左の日本盤独自のデザインが好みです。格好良いやないですか。

 
 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3

がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。

2011年9月28日 (水曜日)

歌伴上手は「一流」の証

ジャズの世界で「歌伴」は非常にテクニックが必要になる。「歌伴」なのだから、自分が目立ってはいけない。あくまで、メインのボーカリストを盛り立てて、盛り立てる中で、そこはかとなく、自らの存在をアピールする。そんな「人格」溢れる演奏テクニックが必要になる。

ここに『That's Him』(写真左)というアルバムがある。女性ボーカリスト、アビー・リンカーン(Abbey Lincoln)の代表作の一枚である。アビー・リンカーンはビリー・ホリデイを敬愛、しばしばビリーの後継者と評価される。確かに「似ている」。しかし、ビリーより、雄々しく、力強い。アビーは、女優としても活躍し、公民権運動の活動家としても知られている。惜しくも、昨年、2010年8月に鬼籍に入った。

ちなみに、この『That's Him』は、1957年10月の録音。パーソネルは、Kenny Dorham (tp) Sonny Rollins (ts) Wynton Kelly (p -1/6,8, b -7) Paul Chambers (b -1/6,8) Max Roach (ds) Abbey Lincoln (vo) 。トランペットのケニー・ドーハムとテナーのソニー・ロリンズが歌伴を務めている。この二人の「歌伴」が秀逸なのだ。

特に、テナーのロリンズの歌伴が素晴らしい。時にアビーに寄り添うように、時にアビーに相対し、時にアビーとユニゾンし、時にアビーを盛り立て、時にアビーに挑みかかる。それはそれは素晴らしい歌伴テナーである。

実は、ソニー・ロリンズが歌伴を務めるのは、この『That's Him』のみ。確かに、ソニーの歌伴は素晴らしいのだが、ソニーのテナーは歌心抜群。テナーで歌を唄うような感じで、これがまた素晴らしいのだ。優れたボーカリストの様なテナーの唄いっぷりは、そんじょそこらの普通のボーカリストはかき消されてしまう位の素晴らしさなのだ。
 
Thats_him
 
アビーくらい、雄々しく、力強いボーカルであれば、ロリンズの歌伴テナーに対抗し、バックに従えることができるのだろうが、普通のボーカリストでは、ちと荷が重い。僕がボーカリストだったら、ロリンズを歌伴に選ばないな。

ロリンズはしっかり「歌伴」してくれる素晴らしいテナーマンなんだが、彼の持つ溢れんばかりの歌心が曲者。知らず知らずのうちに、メインのボーカリストよりも、歌伴のロリンズのテナーに耳を傾けていたりするからだ。
 
実は、このアビーの『That's Him』でも、知らず知らずのうちに、ロリンズのテナーに耳を傾けている自分に気付いて、ちょっと気まずい思いになるのだ(笑)。

実は、トランペットのケニー・ドーハムもなかなかに素晴らしい歌伴ペットを聴かせてくれている。ケニーがこれだけ素晴らしい歌伴ペットを聴かせてくれるとは思っていなかった(ケニーごめん)。
 
実は、始めて、この『That's Him』を聴いた時、トランペットに心当たりが無くて、「誰やこれ?」と思ってしまった。それほどまでに、素晴らしい歌伴ペットなのだ(ごめんケニー)。

歌伴上手は「一流」の証。この『That's Him』でのロリンズは素晴らしい。他のボーカリストが声をかけなかった訳が良く判るし、ロリンズも受けなかったのも良く判る。ロリンズはテナーを通した「最高のボーカリスト」なのだから。
 
 
 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3

がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。
 

保存

2011年9月27日 (火曜日)

ジャンル不詳のバンドである

Tower of Powerは、70年代初頭のオークランドをベースにしたさまざまなバンドで構成された、ロック・ホーン・バンド、若しくはR&Bのバンド。カリフォルニア州オークランドで結成しその後活動の拠点をサンフランシスコに移し、1970年にデビューなので、西海岸ロックの範疇に入る。

しかし、ロックというには、ちょっと違うなあ。ファンクネス溢れるリズム&ビート、輝かしいばかりのブラスの響き、R&Bとファンキー・ジャズとソウル・ミュージックなどが「ごった煮」になった、ファンク・クロスオーバーな音楽性。独特である。

日本ではジャンル不詳のバンドとして、レコード屋では、ある時は「R&B」、ある時は「ソウル」、ある時は「ロック」、ある時は「ブラコン」、ある時は「ジャズ」と、Tower of Powerは様々な音楽ジャンルにたらい回しにされた不幸なバンドである。でも、確かに、特定のジャンルには納め難い、多様な音楽性を誇るTower of Powerではある。

そのTower of Powerの代表的名盤の中で、僕のお気に入りが『Back to Oakland』(2010年6月23日のブログ参照・左をクリック)と『Urban Renewal』(写真左)。
 

Urban_renewal

 
この『Urban Renewal』でのTower of Powerは成熟の極みに達している。実に趣味の良い、適度なファンクネスを湛えた良質なブラス・ファンク・フュージョンとなっている。

この音は聴いていただくのが一番なんだが、実に個性的である。ファンキー、ブラス、ソウル、ジャズ、ロック、それぞれの音楽の要素がごった煮になった個性は唯一無二。Tower of Powerならではのものである。

このアルバムでも、インスト・ナンバーが秀逸。ラストの「Walkin' Up Hip Street」。素晴らしいファンクネス。輝かしいブラスの響き。うねるようなリズム&ビート。切れ味抜群のギターのカッティング。ジャジーであり、ファンキーであり、ソウルフルである。

ボーカル入りの曲もどれもが素晴らしい。特に、7曲目の「Willing to Learn」は極上のバラード。メロディ的にキャッチな曲が魅力的。ストリングスの使い方も上手く抑制されていて趣味が良い。実に説得力のある名唱である。

いや〜、Tower of Powerって本当に良い。ブラス・ロック+R&B+クロスオーバー=Tower of Power。Tower of Powerって、その音楽性が楽しい。 

 
 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3

がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。
 

2011年9月26日 (月曜日)

1973年のエレ・マイルス

久々にジャズ関係で楽しみな番組を見つけた。NHK総合テレビ・10月1日(土)前1:40〜2:40(9月30日(金)深夜)『マイルス・デイビス・イン・トーキョー1973』。

紹介文に「1973年7月1日に、その一部がNHK『世界の音楽』という番組で放送されながら、長らくテープが行方不明になっていた、エレクトリック・マイルス最盛期の1973年東京・厚生年金会館での伝説のライブをデジタル・リマスター版で放送!」とある。

1973年のエレ・マイルス。興味津々である。『On The Corner』や『In Concert』のリリースが1972年。1973年は、その次の年になる。1973年は単独での正式なスタジオ録音盤が無い。一番近いスタジオ録音盤は『Get Up With It』になる。

ジャズの大本は「アフリカン・ミュージック」つまり、アフリカン・ネイティヴなビート&リズム。スタジオ録音については、それを前面に押し出して、というか、それだけをエレクトリック・ジャズで表現した、そんな「ジャズの根幹」を表現した、ジャズ界最大の「問題作」であり、エレクトリック・マイルスの「基準」である『On The Corner』に端を発し、『Get Up With It』で成熟を迎える。

そして、ライブ録音については、『On The Corner』のコンセプトと踏襲したライブ録音盤『In Concert: Live at Philharmonic Hall』を手始めに、『On The Corner』で提示された「リズム&ビート」を前面に押し出した、ネイティブ・アフリカンなエレクトリック・ジャズを推し進めていく。

1973年は、エレクトリック・マイルスの最初のピークに向かって、加速をかけ始めた時期で、1973年のエレクトリック・マイルスのライブは重要。それが映像で見られるのだから、NHKもなかなかやるなあ(笑)。
 
放送前に、1973年のエレ・マイルスをおさらいするのに『The Complete Miles Davis at Montreux 1973-1991』(写真左)のDisc 1と2を引きずり出してきた。
 
 Miles_1973
 
ブート盤は素人の我々には手にし難いので、この『The Complete Miles Davis at Montreux 1973-1991』 、このCD20枚組の超豪華ボックスは貴重な存在。しっかりと1973年のエレクトリック・マイルスのライブ録音を収録してくれている。

しかし、改めて聴いてみて、1973年のエレクトリック・マイルスは凄まじい。エレクトリックでファンクなリズム&ビートの嵐。エッジが立ちまくって、切れ味鋭く、聴く方としては、かなりの覚悟がいる。生半可な気持ちで接すると、一瞬にして吹っ飛ばされる。大衆性や聴き易さとは全く無縁のストイックで正統でジャジーな音世界。

ドラムとパーカッションのリズム&ビートの洪水。なたで切り裂く様なエレギのシャッフル&カッティング。ズンズンと響く重心低くファンキーなベース。そして、そのバックの怒濤のようなリズム&ビートに乗って、マイルスのワウワウ・トランペットが唸りを上げる。

浮遊感漂い、空間を切り裂き、エモーショナルに、アブストラクトに、縦横無尽に、マイルスのエレクトリック・トランペットが雄叫びを上げる。まだ、マイルスのオルガンは活躍するまでに至ってはいないが、Disc 2の「Calypso Frelimo」では要所要所で、実に魅力的な音を奏でている。

ムトゥーメのパーカッションとアル・フォスターのドラムが素晴らしい。マイルスにとって、この二人のリズム&ビートに恵まれたのが幸いであった。とにかく凄まじいグルーブを生み出している。エレクトリック・マイルスのグルーブの源は、ドラムとパーカッションである。

1973年のエレ・マイルスの振り返りは久し振りになる。翌々年、1975年1月には、あの伝説の「アガ・パン」が控えているので、この1973〜74年のエレ・マイルスを確認しておくことは重要です。今週の「ジャズのお勉強」テーマです。 
 
 
 
★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3

がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。

2011年9月24日 (土曜日)

ミンガス楽団の傑作ライブです

ジャズを聴き馴れた頃、ジャズを聴き始めて10年位経った頃だっただろうか、突如として、チャーリー・ミンガスに開眼した(笑)。

雰囲気的になんだか難解な印象で、しかもバリバリ硬派な純ジャズ。時々、フリー・ジャズ的な雰囲気も時々不意を突くように入る。不協和音前提のユニゾン&ハーモニーは十八番中の十八番。振り返れば、実にジャズらしいジャズのひとつだと思うんだが、ジャズを聴き始めた頃は、このミンガス・ミュージックは実に「敷居が高い」。

しかし、ジャズを聴き始めて10年位経った頃だったか、ある日突然、ミンガス・ミュージックがなんとなく理解できるようになり、不意を突くようなフリー・ジャズ的な雰囲気も、不協和音前提のユニゾン&ハーモニーも全く気にならなくなったどころか、ミンガスのアルバムを聴くにつけ、ミンガス・ミュージックには不可欠で、それらを心待ちにするようになったのだから不思議。

そんなこんなで、その頃出会って、今でもちょくちょく気軽に聴くミンガスのライブ盤が『Charles Mingus In Europe Vol.1』(写真左)。1964年4月26日、西ドイツ(当時)でのライブ録音。ちなみにパーソネルは、Johnny Coles (tp), Eric Dolphy (as, bcl, fl), Clifford Jordan (ts), Jaki Byard (p), Charles Mingus (b), Dannie Richmond (ds)。
 
Mingus_in_europe_1
 
今から思えば「黄金のメンバー」である。渋いペットが身上のジョニー・コールズが、ミンガス楽団のフロントの一角を占めていたのにはちょっとビックリ。しかし、エリック・ドルフィーとクリフォード・ジョーダンの2管は超弩級のフロント・サックスであり、これは「無敵」ですね。ピアノに、オールラウンド・プレイヤーであるジャッキー・バイアードが座り、ドラムには、永遠のミンガスのパートナー、ダニー・リッチモンドが控える。

この「黄金のメンバー」で、かの有名な「Fables Of Faubus(フォーバス知事の寓話)」のライブ・バージョンが聴けるのが嬉しい。『Presents Charles Mingus』で聴くことの出来る、オリジナルの「Fables Of Faubus」は、スタジオ録音だけに整い過ぎて、ちょっと温和しめの演奏が不満と言えば不満。やっぱり「Fables Of Faubus」はライブ・バージョンが良い。躍動感溢れ、ドラスティックな展開が凄い。

2曲目の「I Can't Get Started (Starting)」のドルフィーのフルートの美しいことといったら。ミンガスとのデュオ。何度聴いても聴き耳を立ててしまいます。そして、ラストの「Meditations」は「ミンガス楽団のショーケース」の様な、リレー方式のインプロビゼーションの嵐。メンバーそれぞれの個性が非常に良く判って楽しい。ジャズのインプロビゼーションってこんな感じ、って言いたくなるような「絵に描いた様な」アドリブの嵐。

いや〜、今、聴いても凄いライブ盤ですね。ジャズを聴き始めて、最初の頃は苦労もしたけれど、なんとか、こんな素晴らしいジャズが聴くことが出来る様になって良かったなあ、って心から思います。
 
 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3

がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。
 

2011年9月23日 (金曜日)

ジャズ喫茶で流したい・29

久々に「ジャズ喫茶で流したい」シリーズです。今日は第29回目。今までの「ジャズ喫茶で流したい」の記事は、このブログの右のガイドの「カテゴリー」で、ここの「ジャズ喫茶で流したい」をクリックしていただければ、今までの記事が検索できます。過去の記事もよろしければお楽しみ下さい。

さて、長年、ジャズを聴いていると、全く前触れ無しに「これは」と思うアルバムに出くわすことがある。しかも、それがジャズ本やジャズ雑誌などでほとんど採り上げられること無いアルバムであればあるほど、その出会いはもう痛快ですらある。

David Murray『Morning Song』(写真左)。Ed Blackwell, John Hicks, David Murray, Reggie Workmanと強面な面子が並ぶが、ガッツの入った純ジャズ。1983年の録音。

Ed Blackwell(エド・ブラックウェル)。自由度が高く、限りなくフリーキーでありながら、その根底に伝統的でアーシーなフィーリングを持ったドラミングが特徴。フリージャズの鬼才テナー、オーネット・コールマンやアーチー・シェップとの共演歴が目を惹く。フリージャズの黎明期から発展期のキーポイントとなるアルバムに参加している。

John Hicks(ジョン・ヒックス)。なんしか、エネルギッシュなピアニストだったなあ、という思い出が先に立つ。ファラオ・サンダースのカルテットへの参加が印象的。ばりばりアーシーでリリカルな音を出しつつ、強烈なドライヴ感を醸し出すパワー・プレイが特徴。「ミニ・マッコイ・タイナー」と評されたことも。

Reggie Workman(レジー・ワークマン)。1960年代、ハードバップ後期から活躍しているベテラン・ベースマン。ジョン・コルトレーンのカルテットに加入、アーチー・シェップとの共演など、伝統的なプレイに留まらず、新しい音世界へのチャレンジが印象的。

David Murray(デビッド・マレイ・写真右)。爆裂な最低音。何処までも伸びていくフラジオ奏法。演奏可能な全ての音を活かして表現するアヴァンギャルド・テナー。アルバート・アイラーに影響を受けたものだと評される。瑞々しく輝く様に鳴り響くビッグ・トーン。スピリチュアルでエモーショナルなブロウ。限りなく湧き出るイマジネーション。初めて聴いた時は度肝を抜かれた。
 
Morning_song
 
そんな、Ed Blackwell, John Hicks, Reggie Workman, David Murray という面子の名前をしげしげと眺めていると、叫ぶような、本能の赴くままのフリージャズが聴こえてきそうだが、意外とそうでは無いんですね。この『Morning Song』というアルバム全編に渡って、歌心をしっかりと押さえた演奏は、しっかりとした純ジャズです。面子の名前を見ただけの先入観は良くないですね。

基本的には、デビッド・マレイのワンホーン・カルテットの構成なので、やはりマレイのテナーが中心です。マレイのテナーのイメージとしては豪快に吹きあげる、エモーショナルなテナーという印象が強いのですが、このアルバムでは、しっかりと自らを抑制して、ブリリアントでリリカルなフレーズをそこかしこに見せつつ、ポイント、ポイントで一気に豪快に吹き上げるという、実にメリハリの効いた、硬軟自在なブロウを聴かせてくれています。マレイのムーティーでリリカルな面が垣間見られる好盤です。

珍しくレジー・ワークマンのベース・ソロとエド・ブラックウェルのドラム・ソロもしっかりと時間を与えられて収録されていて、実に興味深く、じっくりと聴くことが出来ます。アルバム全編に渡っては、リズム・セクションとして好サポート。ワークマンのベースもブラックウェルのドラムも、フロントのマレイと同様、しっかりと自らを抑制して、端正で骨太なバッキングを提供しています。

そうそうピアノのヒックスも、ブリリアントでリリカルな面が印象的。2曲目の「Body and Soul」でのマレイとのデュオでは、それはそれはリリカルで内省的なピアノを聴かせてくれます。これがヒックスとは最初、思いませんでした(汗)。有名な4曲目の「Jitterbug Waltz」でも、弾むようなブリリアントなバッキングを聴かせてくれていて、なんだか「可愛い」ヒックスです(笑)。

良いアルバムです。マレイのメインストリーム・ジャズ的テナーが十分に楽しめます。決してエモーショナルな演奏に走らず、限りなくフリーなブロウになりつつ、しっかりと伝統的なジャズの範疇にしっかりと軸足を置いたマレイのブロウは、なかなかに素晴らしい。

流石に、一癖も二癖もある面子でのカルテット演奏。良い意味で完全に期待を裏切られました。アルバム全編に渡って、歌心をしっかりと押さえた演奏は、しっかりとした純ジャズです。面子の名前を見ただけの先入観は良くないですね。

 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。
 

保存

2011年9月22日 (木曜日)

ロックの側からのアプローチ

ジャズ批評・最新号の特集のお陰で「ジャズロック」の研究を始めた。と言って、「ジャズロック」は初めてでは無い。1970年代前半、クロスオーバー・ジャズが一世風靡した時代から「ジャズロック」を聴いていて、今回は、ちょっと体系立って、理屈を持って聴いてみようと思った。

今日は、サンタナの『Caravanserai』(写真左)。ロックから見て、ジャズ畑のジャズロック・マニアに聴いて欲しい、ロックの中での「ジャズロック」なアルバムの一枚として、このサンタナの『Caravanserai』が紹介されている。

判るなあ。このサンタナの『Caravanserai』って、インスト中心のアルバム構成なんだが、このインストが素晴らしい。スピリチュアルな側面あり、リズム&ビートが中心のエレ・マイルスな側面あり、アルバムのそこかしこに、マイルスやコルトレーンからの影響が感じられる。って気が付いたのは、かなり時間が経ってからだけどね。

3曲目の「Look Up (To See What's Coming Down)」の冒頭のアプローチなんて、これはマイルスの『オン・ザ・コーナー』のマナーを踏襲している。1曲目の「Eternal Caravan Of Reincarnation」の虫の音から始まり、ひしゃげた叫びの様なギターの音は、明らかに、コルトレーンの世界。

しかし、サンタナの優れたところは、エレクトリック・マイルスやスピリチュアル・コルトレーンを踏襲してはいるが、決して、コピーに走らない。ロック・ギタリストとして、ロックの側からジャズにアプローチして、ロックの真髄である「キャッチ&ポップス」な、聴き易く印象的なフレーズを繰り出して、誰にも判り易い「芸術性」を演出しているところが、ジャズ畑のミュージシャンとは一線を画する絶対的な個性である。
 
Cravanserai
 
確かに、4曲目の「Just In Time To See The Sun」などは、明らかに、エレクトリック・マイルスのアプローチなんだが、リズム&ビートがロックで、繰り出されるフレーズがキャッチャーで親しみ易い、そして「乗りやすい」。この「乗りやすい」ところが、ロックならではの「キャッチ&ポップス」が成せる技で、ジャズ畑には、なかなかこうはいかない。

5曲目の「Song Of The Wind」なんぞは、これはもう「サンタナ・オリジナル」。ジャジーでスピリチュアルではあるが、ロックギタリストならではの個性的フレーズを繰り出す繰り出す(笑)。マイルスやコルトレーンのリスペクトの念を抱きつつ、決して迎合すること無く、ロック・ギタリストとしての「ジャズロック」を表現する。そんなところに、サンタナの「矜持」を感じる。

1970年代、リアルタイムでこのアルバムを聴いていた時代は、トータル・コンセプトに基づいたドラマチックかつプログレッシヴな展開を捉えて、「サンタナのプログレッシブ・ロック」として扱われていたが、今の耳で聴くと、ロックの側からアプローチした「ジャズロック」だろう。

良いアルバムです。ジャズ者の方々の中に、ロックって「単純な大衆迎合な音楽」と安易に切り捨てる方もいらっしゃいますが、このサンタナの『Caravanserai』などは、内容的にジャズに十分対抗し、「キャッチ&ポップス」という点ではジャズを凌駕する、全編に「アーティスティック性」と「ポップス性」を両立させた、実に内容の濃いアルバムだと思います。

ロックだからといって馬鹿にするなかれ。理由無き、体験すること無き先入観はいけません。まずは聴くこと。聴いてから「切り捨てる」のは人それぞれ。罪作りなのは、体験無き先入観だけで「切り捨てて」しまうこと。ロックの名盤の中には「芸術性」豊かなアルバムが多々あります。

   

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。

2011年9月21日 (水曜日)

ロリンズの胡散臭いアルバム

ソニー・ロリンズ名義のアルバムの中で、一番「胡散臭い」アルバムは『Sonny Rollins Plays』(写真左)。僕は常々そう思ってきた。だって、まずジャケットデザインを見て欲しい。高校の美術室にあるような石膏像がテナーをくわえている。何の意味があるんや。おかしいやろ。しかも、かなりの手抜きのデザイン。ほんまにこのアルバム、ソニー・ロリンズ名義のリーダー作なん?

そう思っても不思議は無い。この『Sonny Rollins Plays』ってアルバム、ソニー・ロリンズ名義でありながら、半分は,トランペッターのサド・ジョーンズのセッション。なんやなんや、何の脈略も無いカップリングやないか。そもそも素性からして怪しい。この『Sonny Rollins Plays』は、Period原盤でFresh Soundから再発されたもの。まず、Period原盤に馴染みが無く、Fresh Soundってどこや、って感じ(笑)。

じゃあ、なんでこのアルバムが、ソニー・ロリンズのアルバム紹介に名を連ねているのか、って思いますよね。それは聴けば判ります。1957年11月の録音で、この頃のロリンズの安定感は抜群。このアルバムの前半部のロリンズ名義の3曲が、それはそれは愛でるに相応しい、ロリンズの名演となっているからです。

ロリンズ名義の3曲とは、(1)Sonnymoon For Two (2)Like Someone In Love (3)Theme From Pathetique Symphony の3曲、ちなみにパーソネルは、Sonny Rollins(ts), Jimmy Cleaveland(tb), Gil Coggins(p),Wendell Marshall(b), Kenny Dennis(ds)。

Sonny_rollins_plays  

さすがに弱小レーベルへの吹き込み。ロリンズ以外は、ほとんど無名に近いミュージシャン。ベースのマーシャルは聞いたことがあるな。でも、ピアノとドラムの担当については僕は知らない。

ほとんど無名とは言え、バックのリズム・セクションはなかなかしっかりとバッキングの任を果たしており、その形式的で堅実な演奏は、まずまず評価することができます。そんなバックを従えて、ロリンズは朗々とテナーを気持ちの赴くままに吹き上げていきます。

朗々と豪快に吹き上げる、そして、イマージネーション溢れるアドリブ、聴き易くキャッチーな展開。ロリンズのテナーの良さが、このロリンズ名義の3曲に溢れています。なろほど、この3曲だけで、この「胡散臭い」アルバムは「買い」ですね。しかし、予備知識無しに、このアルバムはなかなか手にし難い。それほど、怪しげなジャケット・デザインではありますね(笑)。

逆に,サド・ジョーンズの演奏の方もなかなか聴き応えがあります。リーダーのサド・ジョーンズのペットは快調。他のメンバーそれぞれのソロも良い。アルバムラストのバラード・メドレー「allad Medley : Flamingo - If You Were Mine - I'm Through With Love - Love Walked In」は聴き応えがあります。

昔からの有名盤ばかり紹介されても有り難くもなんとも無い。 予備知識が無くては、なかなか手にできない「胡散臭い」アルバム。こういう時にこそ、アルバム紹介の本やサイトが必要なんですよね。

 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。

2011年9月20日 (火曜日)

ビル・エバンスの初来日を捉える

ビル・エバンスが初来日を果たしたのは1973 年1月。エディ・ゴメス(b)、マーティ・モレル(ds)とのトリオでの来日で、全11回の公演を行った。エバンスは、日本における自分の人気に驚くことになる。

その時の様子が窺い知れるライブ盤がある。『Tokyo Concert』(写真左)。1973年1月20日、東京郵便貯金ホールでの演奏を収録したもの。初来日の様子を捉えた貴重なライブ盤。エバンスをジャズ・ミュージシャンとして、アーティストとしてリスペクトし、エバンスの演奏を心から愛する日本の聴衆の気持ちが、このライブ盤から伝わってくる。

タッチの強い、バップ系なスタイルのビル・エバンスの本質を感じるには、1970年前半の録音のライブ盤が良い。ハードボイルドにリリカルに、限りなく美しい。

しかし、この1973年の日本公演のライブ盤は、そんなエバンスの本質を十分に感じることが出来る上に、他の同時期のライブ盤には無い、エバンス・トリオの、誠実で丁寧で、かなり気合いの入った様子が、ビンビンに伝わってくる。これだけ素晴らしい聴衆に恵まれているのである。気合いを入れて演奏しない方がおかしい(笑)。

司会者(いソノ・てルヲ氏だったと思う)のメンバー紹介から割れんばかりの嵐のような拍手。この拍手が凄い。聴衆の想いが伝わってくる。そして、一瞬の静けさ(この静けさが日本独特)があって、演奏する方、聴く方、双方の集中力が高まって、静かに。トリオの面々が囁くように始まるのが「モーニング・グローリー」。素晴らしいテンション、素晴らしい集中力。
 
  
Bill_evans_tokyo
 
 
以降、ラストの「グリーン・ドルフィン・ストリート」まで、この素晴らしいテンション、素晴らしい集中力、誠実で丁寧で、気合いの入った演奏が続きます。しかし、誠実で丁寧な演奏なので、聴き疲れすることは全く無い。素晴らしいライブ盤です。ビル・エバンスの屈指のライブ盤です。その場に居合わせたかったなあ。

なお、この初来日時の有名なエピソードに、ビル・エバンスの風貌の話がある。ビル・エバンスの風貌と言えば、『ポートレイト・イン・ジャズ』や『エクスプロレーション』のジャケ写真にあるように、ポマードで髪をビシッと撫で付けた、求道者風で哲学的なイメージが強い。

しかし、初来日時は、そんなストイックなイメージとは裏腹に、ロング・ヘアーにチョビ髭という風貌で現れ、当時のビル・エバンス者たちは戸惑いに戸惑ったそうである(笑)。

でも、ロング・ヘアーにチョビ髭というワイルドな風貌でも、エバンスの知的でクールなイメージは変わりは無いように思いますが。その初来日時の風貌は、このライブ盤『Tokyo Concert』のジャケ写真で確認することが出来ます。

なお、エバンスは、マーク・ジョンソン(b)、フィリー・ジョ-・ジョーンズ(ds)とトリオを組んで、1978年に2度目の来日を果たしています。この時のライブ盤が無いのが惜しい。ブート盤にはあるのかな。一度は聴いてみたいですね。
 
 
 
★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
  
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。

保存

2011年9月19日 (月曜日)

夏はボサノバ・ジャズ・その7

今日は午前中はまだまだ夏の雰囲気で、日が照ると「暑いなあ」って感じだったが、午後、日が傾くにつれて、北寄りの風に変わった途端、ググッと涼しくなった。日が暮れて、完全に秋の涼しさになって、ほっと一息の我が千葉県北西部地方である。

北東に去った台風16号の影響だと思うが、夕方になって風が強くなった。しかも、北寄りの風になって、急に涼しくなった。秋の涼しさ。虫の声も落ち着いて聞くことができる涼しさ。これだけググッと涼しくなると、ボサノバ・ジャズのシーズンもそろそろ終わりかなあ、と万感の思いがこみ上げてくる(大袈裟か・笑)。

ということで、今日はボサノバ・ジャズの特集。今日のボサノバ・ジャズのアルバムは、Astrud Gilberto & Shigeharu Mukai『SO & SO - Mukai Meets Gilberto』(写真左)。日本のジャズ・トロンボーンの第一人者、向井滋春が、ボサノバの歌姫アストラット・ジルベルトと共演した、1982年はニューヨーク録音の作品である。

ちなみにパーソネルは、Astrud Gilberto (vo); Shigeharu Mukai (tb), Jeff Mirinov (g); Denny Morouse (ts, fl); Jorge Dalto, Eliane Elias (p); Anthony Jackson (b); Omar Hakim (ds); Manolo Badrena, Duduca Fonseca, Guiherme Franco (per)。目立ったところでは、ピアノにイリアーヌ、ドラムにオマー・ハキム、ギターにジェフ・ミロノフ、ベースにアンソニー・ジャクソンといった腕利きどころがズラリ。なんとも豪華なボサノバ・ジャズ盤である。
 
Mukai_meets_grberto
 
向井のトロンボーンは絶好調で、聴きどころ満載。向井のトロンボーンが堪能できるアルバムって、そうそう多くは無いから、このアルバムは貴重。トロンボーンの音色とブロウって、ボサノバに合っているようで、丸くゆったりと大らかなトロンボーンが、アルバム全編に渡って響き渡る。向井滋春本人も、このアルバムをお気に入りの一枚としているようである。

パーソネルを見渡しても判るように、このアルバム全体の演奏は、意外にも硬派なコンテンポラリー・ジャズで、なかなか聴き応えがある。ボサノバ・ジャズのアルバムだからといって、気安く入ると、いきなり冒頭の「Champagne and Caviar」のリズム・セクションの硬さに驚くことになる。とにかく、リズム・セクションが硬質でタイト。ガッチリ締まって、フロントを煽る。

逆に、この硬質でタイトなリズム・セクションは、アストラット・ジルベルトのホンワカ暖かくチャーミングな「ヘタウマ・ボーカル」には、ちょっとハードかなあ。向井のトロンボーンにはバッチリなハードさではある。

リズム・セクションが硬質でタイト、逆に、フロントのトロンボーンとボーカルが、伸び伸び、ゆったりと大らかで、暖かくてチャーミング。フロントとバックの対比がなかなか上手くマッチングしていて、聴き応えのある、コンテンポラリー・ジャズ的な要素が強い、ボサノバ・ジャズである。これってありそうで中々無い。このアルバムの雰囲気は個性的。

アルバム全編が37分弱と短く、現在、廃盤状態で入手するには中古盤を探すしか無い、というところが、このアルバムの唯一の難点かな。良いアルバムです。
 
 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。

2011年9月17日 (土曜日)

芸術的で美しいテナーの最高峰

希有の天才テナー奏者、Stan Getz(スタン・ゲッツ)の遺作『People Time』の完全版。正式なタイトルは、Stan Getz & Kenny Barron 『People Time - The Complete Recordings』(写真左)。1991年3月3日から6日。デンマークはコペンハーゲンの「Jazzhus Montmartre」でのライブ録音。

以前は、この『People Time』はCD2枚組。コペンハーゲンの「Jazzhus Montmartre」のライブ録音からピックアップされたものだった。ちなみに、この『People Time』は、スタン・ゲッツの生涯の最高傑作。このCD2枚組でも、スタン・ゲッツのテナー・ブロウの凄さが体験できた。

しかし、今回、このCD7枚組のボックス盤にて、1991年3月3日から6日。デンマークはコペンハーゲンの「Jazzhus Montmartre」でのライブ録音のほぼ全てを体験できることとなった。

ジャズは即興演奏が基本の演奏形態が故、演奏それぞれに「当たり外れ」が発生する。特にライブではそうだ。

通常、ライブ・アルバムの収録曲については、できる限り、ライブ演奏の全てについて録音テープを回しておき、後で聴き直しながら、その「当たり外れ」を判定して、「当たり」のライブ演奏をチョイスして、ライブアルバム化する。
 

People_time

 
つまりは、ライブ録音のマスターテープには、「当たり」と「外れ」の演奏がごった煮で入っていて、マスターテープの全てをアルバム化することは、そのミュージシャンを深く知る上での「資料」としての価値はあるが、演奏の「外れ」の部分は敢えて通常のジャズ者の方々には不要のもの、という考え方が通例。

しかし、このPeople Time - The Complete Recordings』には「外れ」の演奏が無い。どれもが最高の演奏がズラリと並んでいる。このライブ盤については、どの演奏がそれぞれ、どうこうと言うのは、激しく野暮な行為に値する。どれもが素晴らしい演奏なのだ。これは奇跡に近い、ジャズ界の中でも希なこと。

このスタン・ゲッツの遺作となったライブ盤は、スタン・ゲッツのテナー奏者としての大変優れた能力を再認識すると共に、伴奏者である、ピアノのケニー・バロンの決定的名演を捉えたライブ盤だと言える。

もっと言ってしまうと、ジャズという即興演奏が基本の演奏形態において、テナー・サックスとピアノの、それぞれの演奏の美しさと高いアーティスティック性を捉えた、素晴らしい内容のライブ盤である。少なくとも、テナーとピアノのデュオという演奏フォーマットにおいては、この『People Time - The Complete Recordings』の内容を超えるデュオ演奏は、暫く無いだろう。

このCD7枚組のボックス盤は、全てのジャズ者の方々に、一度は聴いていただきたい内容です。ジャズの美しさ、ジャズの高い芸術性がギッシリと詰まっています。聴けば判る。ジャズ・テナーがこんなにも美しく優しい音色を出し続けるパフォーマンスの記録。素晴らしいライブ盤です。

 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。
 

2011年9月16日 (金曜日)

う〜ん、どうしたもんかなあ

Hannibal Marvin Peterson(ハンニバル・マービン・ピーターソン)。ギル・エヴァンス・オーケストラのレギュラー・トランペッターとしても活躍し、「トランペットのコルトレーン」「ジャズ・トランペット界のモハメッド・アリ」とも称されるトランペット奏者。

僕は、ギル・エヴァンス・オーケストラのレギュラー・トランペッターとしてのハンニバル・マービン・ピーターソンとして出会った。ハイノートが魅力的で、ほとんどフリーキーでエモーショナルなトランペットが魅力的で、いつか彼のとソロ・アルバムを聴いてみたいと思っていた。

どのジャズ盤紹介本も、ハンニバル・マービン・ピーターソンのソロ・アルバムの代表的名盤は、MPS 盤『ハンニバル』を挙げるのだが、このアルバムはCDとして廃盤になって久しい。中古LPも数が少なく、どうしたもんか、と長年、悩み続ける。

そして、最近、ネットを徘徊していて、見つけたハンニバル・マービン・ピーターソンのアルバムが『Hannibal In Antibes』(写真左)。こちらはenja盤。ちなみにパーソネルは、Marvin ‘Hannibal’ Peterson (tp), George Adams (fl, ts), Diedre Murray (cello), Steve Neil (b), Makaya Ntshoko (ds)。1977年7月20日、Antibes Jazz Festivalでのライブ録音である。

しかし、う〜ん、どうしたもんかなあ、このライブ盤では、ハンニバル・マービン・ピーターソンはあまり前面で出てこない。冒頭は、フリーキーなドラムソロが延々と続く。このライブ盤で一番目立っているのは、テナー&フルートを担当するジョージ・アダムス。といって、ジョージ・アダムスだって、ハッとするような瞬間は無い。
 

Hannibai_in_antibes

 
ハンニバル・マービン・ピーターソンは吹くには吹くが、こちらもハッとするような瞬間は無く、伝統のジャズ・フォーマットの範囲内で、なんとかフリーなブロウイングを繰り広げるだけ。もともとトランペットは、その構造上、長時間のブロウがし難い楽器なんだが、このライブ盤では、ハンニバル・マービン・ピーターソンはちょっと苦しい。

このライブ盤ではハンニバル・マービン・ピーターソンのフリーなトランペットを聴いていると、何故か、マイルスのフリー・ブロウイングが、マイルスのトランペットのテクニックが如何に優れているか、をいうこと再認識する。

例えば、マイルスの伝説的なライブ大名盤『Live At The Pluggednickel』での、伝統の範囲には留まってはいるが、限りなくフリーに近い、自由闊達、縦横無尽、かつエモーショナルで前衛的なマイルスのトランペットは、この『Hannibal In Antibes』でのハンニバルの比では無い。

フリー・ジャズにおける寅ペット奏者は実に数が少ない。ハンニバル・マービン・ピーターソンはその数少ない、フリー・ジャズにおけるトランペット奏者ではあるが、このアルバムを聴く限り、マイルスの足下にも及ばないのは残念な限り。

ちょっと辛口で申し訳ないが、一言で言って、この『Hannibal In Antibes』は、ハンニバル・マービン・ピーターソンのソロ作としても「普通」の類だろう。といって内容的に良くないか、と言えばそれは違う。共演者のパフォーマンスを含めて「普通」の内容です。突出したものが希薄。

ハンニバル・マービン・ピーターソンの魅力を感じるには、ギル・エヴァンス・オーケストラの諸作を聴いた方が良いと思います。安易に手に入れなくても「心痛まない」ライブ盤なので、入手し易いからと言って、無理に手にしなくても良いかと思います。

このライブ盤のみで、ハンニバル・マービン・ピーターソンのトランペットの力量を判断される方が、僕はハンニバル・マービン・ピーターソンにとって不幸ではないか、と思います。

 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。

2011年9月15日 (木曜日)

ジャズとジミヘンとクラプトン

1960年代後半。マイルスやギル・エバンスなど、ジャズを牽引する先進的なミュージシャンに着目され、その共演を望まれたジミ・ヘンドリックス(略してジミヘン)。

黒人のジミヘンの相対して、白人のエリック・クラプトンという対比がある。エリック・クラプトンは、今では好々爺したブルース・ロックをベースとした懐メロ中心に歌い継ぐ歌手、という感じになってしまったが、1960年代後半は、クリームというトリオ・バンドを組んで、過激なギター・インプロビゼーションをガンガンに弾きまくり、巷では「Clapton is God」ともてはやされた。

過激なギター・インプロビゼーションという点ではジミヘンと変わらないのだが、クラプトンは、マイルスやギル・エバンスなど、ジャズを牽引する先進的なミュージシャンに着目されることは無かった。それは何故か。それには、クリーム時代のライブ盤で、クラプトンのギター・インプロビゼーションを体験する必要がある。

『Live Cream, Vol. 1』(写真左)というライブ盤がある。このライブ盤を聴くと、クラプトンのギター・インプロビゼーションの特徴が良く判る。

クリームは、ベーシスト兼ボーカリストのジャック・ブルースとギタリスト兼ボーカリストのエリック・クラプトン、ドラマーのジンジャー・ベイカーのトリオ編成。この3人が、ブルース・ロックを基調とした演奏を繰り広げ、長尺なジャム・セッションを繰り広げる。そこでのクラプトンのギター・インプロビゼーションが「ヘビーかつ技巧的」として、高く評価された。

確かに「ヘビーかつ技巧的」ではあるが、ヘビーという点では、ギター・ストロークの重心が相当に低く、低音の響きがボディー・ブローの様に響くジミヘンに軍配が挙がる。技巧的という点でも、ジミヘンの方が一歩先を行く。但し、クラプトンのギター・インプロビゼーションの方が耳当たりが優しく、ギターが生み出すビートやジミヘンと流行らせたワウも、粘りが少なく、ソリッドな分、取っつき易い。

Live_cream_vol1

ジャズとシンクロすることを前提とすると、圧倒的にジミヘンの方がビートに粘りがあって、ワウワウも前衛的。特に、ブルース・ロックの演奏の時のオフ・ビートが強烈で、ジャズのリズム&ビートに乗った時のギターのイメージが実にし易い。テクニック的にも、ジャズ・ギタリストと比しても遜色無く、革新性という点では、当時のジャズ・ギタリストを凌駕する。

クラプトンは、ブルース・ロックの演奏の時のオフ・ビートが軽やかで、ジャズのリズム&ビートに乗った時のギターのイメージが実にし難い。誤解しないで欲しいのだが、クラプトンが劣っていると言っているのでは無い。ジャズとシンクロすることを前提に考えると、ジミヘンの方がイメージし易く、その成果が具体的に想像できる、ということを言いたいだけ。

恐らく、クラプトンは「ロックなビート」を演奏の底に常に持ちつつ、ロックのリズム&ビートを前提に、ブルースとハードロック、サイケデリックロックを展開する、徹頭徹尾「ロックな資質を持ったロック・ギタリスト」と言えるのだろう。

1960年代後半、ジミヘンとクラプトンは共に当時のロック・シーンに多大な影響を与え、共にワウワウを流行らせ、ロックはヘビーであり技巧的でなければならない、という基本方針を提示した。この基本方針は、1970年代、ハードロックというジャンルに受け継がれることとなる。

でも、クラプトンは、ハードロックに走らず、米国南部のルーツロック「スワンプ」に走り、後に「レイドバック」した。そして、ジミヘンは、1970年9月18日、オーバードーズが原因で急逝。帰らぬ人となった。1970年代のハードロック・シーンに、ジミヘンとクラプトンは存在しなかった。

しかし、不思議なことに、ジミヘンはジャズの素材として採り上げられることがあるが、クリームやクラプトンは、ジャズの素材として採り上げられることは無い。事実として、この対比も面白い。

 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。

2011年9月14日 (水曜日)

ジミヘン体験は必須のアイテム

マイルスは、エレクトリック・ジャズを展開する際に、ギタリストには「ジミ・ヘンドリックスの様に弾け」と言った。そのニュアンスは、実際にジミヘンを聴かないと判らない。エレクトリック・マイルスを理解するには、ジミヘン体験は必須のアイテムである。

ということで、久し振りにジミヘンを聴き直して見た。特に今日聴き込んだのは『Jimi Hendrix Live at Woodstock』(写真左)。有名なウッドストックでのコンサートを記録したライブ盤。CD2枚組のてんこ盛り。全編で1時間30分強のボリュームである。ジミヘンのエレギを感じるには十分なボリュームである。

マイルスが見染めただけはある、凄まじいエレギ・パフォーマンスである。自由闊達な、硬軟自在、伸縮自在なエレギのフレーズ。そして、ファズをはじめとするアタッチメントを介して、アンプから出てくる暴力的でノイジーな音。

そして、当時のロック界において、他に追従を許さない、その突出したテクニック。黒人のジミヘンの相対して、白人のクラプトンという対比があるが、このジミヘンのパフォーマンスについては、クラプトンの比では無い。

しかし、バックのベースとドラムについては、単純なロックビート、つまりは単純な8ビートを叩き続けるだけで、リズム&ビートはかなり稚拙。この単純な8ビートに乗ったジミヘンのエレギを聴き続けると、基本的に「飽きる」。リズム&ビートが余りに単純で稚拙なので、ジミヘンの天才的フレーズのバリエーションが限定される。恐らくそれが、ここでライブ演奏が単調になる「元凶」だろう。

Jimi_hendrix_woodstick

逆に、ブルージーで柔軟でジャジーなリズム&ビートに乗った時のジミヘンって、それはそれは凄いパフォーマンスを展開したに違いない。想像するだけでワクワクする。そして、そのエレギとマイルスのトランペットがシンクロしたら。それはそれは、凄いパフォーマンスになっていただろう。

実際に、マイルスとの共演のセットアップが進んでいたという。しかし、マイルスとの共演が実現する前に、ジミヘンはオーバードーズが原因で、あの世に旅立った。マイルスはそれ以来、マイルスの頭の中にだけある、ジミヘンとの共演のイメージを実現する為に、ギタリストの調達に腐心することとなる。

マイルスが後に語っている。「ジミは独学の、偉大な、天性のミュージシャンだった。……ピアノかトランペットで演奏してやると、誰よりもすばやく理解してしまうんだ。あんな奴はいない。彼は音楽を聴くための天性の耳を持っていた。」(マイルス・デイビス自叙伝〈2〉宝島社文庫 マイルス デイビス (著), クインシー トループ (著),中山 康樹 (翻訳) から抜粋)。

聴いてみたかったなあ、体験してみたかったなあ、マイルスとジミヘンのコラボ。

しかし、エレクトリック・マイルスを理解するには、ジミヘン体験は必須のアイテムである。このジミヘン体験を通じて、僕たちは、エレクトリック・マイルスのギタリストを吟味する。それが、エレクトリック・マイルスのギタリストに対する正しい姿勢である。

 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。

2011年9月13日 (火曜日)

孤高のエレ・マイルスの音世界

Miles Davis(マイルス・デイヴィス)の『Get Up With It』(写真左)。マイルスのスタジオ録音の最高傑作の一枚。とにかく凄い内容の当時LP2枚組。

1974年に2枚組で発表された作品集。1970年、1972年、1973年、1974年に録音された8曲を収録。しかしこの理路整然とした統一感は凄い。1970年〜1974年の間に、マイルスは、1972年の『On The Corner』を通過点して、リズム&ビートを基軸とした、限り無くフリーでモーダルなエレクトリック・ジャズを自家薬療中のものとしたことが窺い知れる。

しかし、凄い内容だ。ジャズはもとより、クラシック、ロックなど、おおよそ既存の音楽のジャンルを超えて、この先進的で先鋭的な内容を誇る音楽は他に例を見ない。マイルスの如何に突出した音楽家だったか、イノベーターだったかを思い知る、凄い内容になっている。

冒頭の「He Loved Him Madly」がその代表的な例だ。前半部、水面に墨が流れ拡がる様な幽玄な音世界。幽玄さの中に、言いようのない「悲しみ」。声を殺しつつ、心で泣き叫ぶ様なオルガンの音。ジャズ界の巨人、デューク・エリントンへの追悼曲である。

この演奏は凄い。クラシック、ロックなど、おおよそ既存の音楽のジャンルを飛び越えて、超然とそびえ立つマイルスの音世界。当時、ロックの世界で一世を風靡したプログレッシブ・ロックなど、束になってもかなわない、とてつもないプログレッシブな音世界が32分超の長尺に渡って繰り広げられる。幽玄とエレ・ファンクが共存する音世界。マイルスはペットをほとんど吹かない。

もうひとつ、このアルバム『Get Up With It』で凄いのは、マイルスのオルガン。マイルスがエレクトリック・ジャズに手を染めて以来、様々なキーボーティストを採用し、成果を挙げてきた。チック・コリア、ハービー・ハンコック、ジョー・ザビヌル、キース・ジャレット等々。しかし、それでもマイルスはキーボードの音に対して、満足することは無かった様だ。ついに、自らがキーボーティストとしてオルガンを弾きまくる様になった。
 
Get_up_with_it
 
このマイルスのオルガンが凄い。「Rated X」では、このマイルスのオルガンを堪能することが出来る。先進的で先鋭的で、限り無くフリーで、限り無くモーダルで自由なオルガン。このマイルスをオルガンを聴いていると、歴代のエレ・マイルス・バンドのキーボーティストが霞んでしまう。あのチックですら、キースですら、霞んでしまう。マイルスのオルガンは凄い。アグレッシブでプログレッシブなジャズ・オルガンとしては最高峰のパフォーマンス。

特にLP2枚目を占めた「Calypso Frelimo」「Red China Blues」「Mtume」「Billy Preston」では、そのマイルスのワウワウ・トランペットとオルガンの両方を心ゆくまで堪能出来る。演奏を覆うテンションも限りなく高く、触れば切れるような先鋭感。聴き通せば、ぐったりとするような爽快感。

そして、当時、賛否両論だったワウワウ・トランペットも完成の域に達している。ロックのエレクトリック・ギターに対抗した、歪んで捻れて、くすんで拡散して、肉声に限りなく近く、限りなくエモーショナルな音色を、自分の担当楽器であるトランペットで出すとしたら。マイルスの出した答が「ワウワウ・トランペット」。エレクトリック・マイルスの世界で、マイルスの眼鏡にかなったギタリストが登場するまでの期間、この「ワウワウ・トランペット」は、エレ・マイルスの世界では必須のアイテムだった。

この『Get Up With It』に収録された、どの曲がどうというのでは無く、収録された全ての曲が演奏が凄い。他に追従を許さない、というか、全く異次元の高みに達した、孤高のエレ・マイルスの音世界が、このアルバムにギッシリと詰まっている。スタジオ録音でのエレクトリック・マイルスの完成形がこのアルバムにギッシリ詰まっている。

この『Get Up With It』は、マイルスのスタジオ録音の最高傑作の一枚。とにかく凄い内容です。聴けば判る。しかし、生半可な気持ちで聴くと精神が吹っ飛び、感性が粉々になって、しばらく立ち直れなくなります(笑)。

この『Get Up With It』は、35年以上前に作られたアルバムです。しかし、その内容は、今のジャズを持ってして凌駕することは出来ていません。それほど、先進的で先鋭的な内容です。これ以上、恐ろしいほどパワフルなエレクトリック・ジャズは、他に無いと僕は思っています。

 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。
 

2011年9月12日 (月曜日)

調性と非調性の間で揺れ動く

このアルバムを手にして、初めて聴いた時の「衝撃」は忘れない。『The John Coltrane Quartet Plays』(写真左)。冒頭に、映画「メリーポピンズ」でジュリー・アンドリュースが歌って一世を風靡した「Chim Chim Cheree」の正式録音が収められている。

その「Chim Chim Cheree」の収録を見て思い出したのが、コルトレーンのカバー曲の代表である「My Favirite Things」。これも映画「サウンド・オブ・ミュージック」でジュリー・アンドリュースが歌って一世を風靡した名曲である。イメージ的には、この「Chim Chim Cheree」は、この「My Favirite Things」の再来。期待感バリバリで、はやる心を抑えつつ、LPに針を降ろした。

しかし、この「Chim Chim Cheree」、あのちょっと哀愁感漂うキャッチャーなテーマがチョロリと演奏されるだけで、いきなりフリーキーなインプロビゼーションが展開する。フリーキーとはいえ、中身はコルトレーンお得意の高速「シーツ・オブ・サウンド」。複雑な展開を見せるモーダルなアドリブと共に、これは従来の純ジャズのフォーマットに留まってはいるが、フリー寄りのハードバップ的な演奏に終始している。これには「たまげた、驚いた」(笑)。

このアルバム『The John Coltrane Quartet Plays』は、作品的には『至上の愛(1964年12月)』と『アセンション(1965年6月)』の間に当たる。『アセンション』が調性を意識的に排除、純ジャズのフォーマットから離れて、とは言いながら、事前に準備された、限りなくフリーに近づいたモーダルな演奏へのチャレンジということを鑑みると、この『The John Coltrane Quartet Plays』は、調性と非調性の間で、中途半端に揺れ動く、過渡的な作品と言える。

コルトレーンのフリーキーな演奏は、決して、フリー・ジャズ的な演奏では無い。コルトレーンお得意の高速「シーツ・オブ・サウンドをベースに、意識的に調性を排除した、複雑な展開を見せるモーダルなインプロビゼーションが基本。意識的に調性を排除しているので、非調性的なインプロビゼーションのところどころに「調性」が顔を出して、かなりの違和感を醸し出す。

The_john_coltrane_quartet_plays

「Chim Chim Cheree」と「Brazilia」が、その「違和感」の代表格。「シーツ・オブ・サウンド」の延長線上にありながら、調性を排除するので、調性を前提としている「西洋音楽楽器」であるサックスの響きが異常な響きに聴こえる。さらに、モーダルな演奏については、調性を排除する故に基音を失い、右往左往するにぶれが大きく、彷徨うように漂う様に、とりとめもない垂れ流しの様なインプロビゼーションが連続する。

決して、僕としては音楽的には成功しているとは思えないが、フリー・ジャズ的な演奏は調性を排除するところにある、と仮置きしてチャレンジするところに、コルトレーンの先取性を十分に感じる。

3曲目の「Nature boy」は、出だしは、ストレートなトーンで叙情的に吹き上げるコルトレーンのバラードが美しく響くが、途中から、いきなりアブストラクトな展開に激変する。ここでのアブストラクトな展開は「現代音楽」の響きを宿しており、調性の排除の上を行く「尖り方」。流石に、この演奏はフェードアウトされる。

ラストの「Song Of Praise」は、ギャリソンのベースをメインに、カルテット一体となって、「現代音楽」的な響きにチャレンジする。なんだか「ジャズで現代音楽が出来るか」なんて「お題」を貰って、カルテット全体で無理矢理チャレンジする「強引さ」が凄い。この「強引さ」は、次作の『アセンション』に引き継がれていく。

この『The John Coltrane Quartet Plays』は、コルトレーンの諸作の中でも評価が難しい。このアルバムを手放しで評価する向きもあるが、僕は、このアルバムは、調性と非調性の間で、中途半端に揺れ動く、過渡的な作品だと思っている。

とにかく、ジャズ者初心者の方々やジャズにポップス性やエンタテインメント性を求める向きには、お勧めしかねるアルバムですね〜。1曲目の「Chim Chim Cheree」のタイトルに惹かれただけでは、決して手にしてはいけないアルバムでしょう。

このアルバムを聴き通すには、ある種の「覚悟」が必要です。逆に、コルトレーン・マニアの方には必須アイテムです。良きにつけ悪きにつけ、コルトレーンの先取性を十分に感じとることが出来ます。

 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。

2011年9月11日 (日曜日)

ザ・バンドの原点を再確認する

ライブ盤『ロック・オブ・エイジス』のリリースで、バンドのキャリア第1期の総括をすませた、我らが「The Band」。

総括を済ませて、一服している間に、ロビー・ロバートソンのソング・ライティングのモチベーションが低下。有名になった分、次なる新作の期待に高まるプレッシャー。そんな中、ザ・バンドは、再び、第1期の総括として、全曲ロックンロールやR&Bのオールディーズの名曲に彩られたカバー集を選択した。

1973年発表作品。チャック・ベリー、エリヴィス・プレスリー、ファッツ・ドミノなどの名曲カヴァーで構成されたアルバム『Moondog Matinee』(写真)。

リーダーのロビー・ロバートソンいわく、「このアルバムは単なるオールディーズのカバー集ではなく、オリジナル曲が充分表現できなかった部分を補おうとしたものだ」。これはちょっと格好つけ過ぎかと思うが、この『Moondog Matinee』は、形こそカバー集ではあるが、ザ・バンドの原点を再確認出来る、ザ・バンドとしての重要な位置付けの作品であり、傑作である。

このアルバムでは、ザ・バンドは、オリジナル曲それぞれに、ザ・バンド風の解釈とアレンジを施すことによって、オリジナルな演奏とは異なる「音の魅力」を引き出し、単なるカバー集ではない、ザ・バンドの解釈とアレンジを前面に押し出した「オリジナル越えのカバー集」を狙ったということだろう。
 

Moondog_matinee

 
この目論見は成功している。カバーした曲は、どれもが「ザ・ ホークス」と名乗っていた、ロニー・ホーキンスのバック・バンド時代から馴れ親しみ、曲の魅力を熟知したR&B、オールティズ、ロックンロールである。ザ・バンドならではの解釈とアレンジは秀逸で、アルバム収録における音作りにも様々な手を加えており、メンバーそれぞれが活き活きと演奏している様が感じ取れる。

マニュエル節炸裂の 「Share Your Love」「Great Pretender」。ダンコの名唱中の名唱「Change Is Gonna Come」。レヴォンの唄うロックンロール・ナンバーも味があって聴き応え十分。こうやって並べてみると、ザ・バンドで優れたボーカリストが3人もいたんやなあ〜、と改めて感心する。

R&B、オールティズ、ロックンロールの名曲をカバーしているが、全然黒っぽさがない。むしろフォーキーでサラリとしている。当時、スワンプ・ロック系の演奏は「米国南部のルーツ音楽的なねちっこい音」を目指していたんですが、ザ・バンドは、意外とあっさりしていて、乾いた音なんですね。この個性が、当時、クラプトンやハリスンらがはまった「スワンプ」とは一線を画するところで、ザ・バンドが「米国ルーツ・ロックの祖のひとつ」と位置づけられる所以かと思います。

アルバム・ジャケットもなかなか凝っていて、もとのスリーヴは黒地に文字が入っているだけのシンプルかつ地味なものですが(写真右)、そのスリーヴに、オールディーズ時代の街の風景とバンドのメンバーが要所要所に配置されたイラストポスターが巻かれていて(写真左)、実に素敵な、アメリカン・チープなジャケットに仕上がっています。日本の紙ジャケにて、このLPの凝ったジャケットが、ほぼ忠実に再現されているので、興味のある方は、この紙ジャケを探されてみてはいかがでしょう。

 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。
 

保存

2011年9月10日 (土曜日)

マーキュリー時代の最高傑作

ロッド・スチュワート(Rod Stewart)のソロ・セカンド・アルバム『Gasoline Alley』。ロッドのアルバム紹介本では名盤だ、名盤だと紹介されるが、チャート的には全英62位・全米27位。セールス的には「イマイチ」な結果だった。

僕は、この『Gasoline Alley』については、内容的に悪くは無いが、いろいろと違和感が残る、力でねじ伏せたような、ロッドの力業を感じる事ができるアルバムだと思っている。無理矢理キャッチャーにした雰囲気がなあ。もう少し自然で円やかな表現にならないか。

その不満については、サードアルバム『Every Picture Tells a Story』(写真左)で、ロッドはさらりと解決してしまいます。僕は、『Gasoline Alley』ではない、この『Every Picture Tells a Story』こそが、英国時代、マーキュリーレーベルでの最高傑作だと思っている。このアルバムは1971年の発表。全英1位・全米1位に輝いている。また、英国では、45週連続でチャート・インというロング・ヒットとなった。

このアルバムには、ロッドの趣味、ロッドの趣向がギッシリと詰まっている。それらが、非常にセンスの良いアレンジメントとプロデュースによって、全く不自然無く、全く自然に耳に響いてくる。英国人のロッドがR&Bをはじめとする、米国ルーツ・ミュージックに手を染めるのだ。違和感があって当然。しかし、このアルバムにはその違和感が無い。良くプロデュースされた名盤である。

収録されたそれぞれの曲が、全てに、米国ルーツ・ミュージックの要素を反映している。ロッドの大好きなR&B、ロックンロール、そして、米国南部の、後のサザンロックのベースとなるゴスペル、ファンク。そして、カントリー&ウエスタンな曲調にもチャレンジしている。
 

Every_picture_tells_a_story

 
1971年当時、英国ロック界は、デラニー&ボニー&フレンズの英国ツア-を切っ掛けに、米国ルーツ・ミュージックをベースとした「スワンプ」の流行が吹き荒れていたが、その「スワンプ」に迎合すること無く、ロッド固有の米国ルーツ・ミュージックの取り込みと解釈を見せつけたこの『Every Picture Tells a Story』については、ロッドの独自性について、もっと評価されても良い名盤である。

収録されたどの曲も出来が素晴らしいが、やはりシングルカットされ、全英5週連続1位・全米5週連続1位という素晴らしい成果を挙げた「Maggie May(マギー・メイ)」が最高だろう。こっそりとアメリカン・トラッドな「Amazing Grace」を織り込んでいるところがニクイ。 

バックは、ロッドの参加するFacesの連中が中心なのだが、Facesのバンドらしい音を引きずりながらも、ロッドのソロ・アルバム独特のトーンが引き出されているところに、ロッドのボーカルの強さを感じる。明らかに、Facesとは違う音作り。英国人のロッドがR&Bをはじめとする、米国ルーツ・ミュージックにドップリと浸かった音。このアルバムを聴いていると、以降、Facesと袂を分かつロッドの立ち位置というものを十分に感じ取る事が出来る。

大名盤の内容の割に、なぜか日本のロッドの名盤紹介に、あまり名を連ねることの無い『Every Picture Tells a Story』。恐らく、タイトルが英語のままで、かつ、長すぎたんだろうな。1970年代、日本でのLPリリースでよくあった「印象的な邦題」もついていない。恐らく、タイトルとちょっと渋いアルバムジャケットが、このアルバムの印象を薄くしているように思う。

しかし、この『Every Picture Tells a Story』は大名盤である。ロッドのというより、1970年代、米国ルーツ・ミュージックの要素とした、米国ルーツ・ロックの名盤として、もっともっと評価されるアルバムだと思います。ロッドの英国時代、マーキュリーレーベルでの最高傑作だと思います。

 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。
 

2011年9月 9日 (金曜日)

The Return Of Art Pepper

僕がジャズを聴き始めた頃、1970年代から1980年代前半は、米国西海岸ジャズはマイナーな扱いだった。ジャズと言えば、米国東海岸がメジャー。西海岸ジャズの事を訊くと、硬派なジャズ者の先輩は眉をひそめたものだった。肩身の狭い思いをしながら、独学で聴き進めていたなあ。

『スイング・ジャーナル・プレゼンツ/ザ・ウエスト・コースト・ジャズ』がリリースされてからじゃないだろうか。米国西海岸ジャズが陽のあたる場所へ出るようになったのは。1991年11月のリリースだったかと記憶している。当然、しっかりと所有していますよ(^_^)v。

しかし、1970年代後半、僕がジャズを聴き始めた頃は、米国西海岸ジャズはマイナーな存在。僕が米国西海岸ジャズに興味を持ったのは、アルトのアート・ペッパーの存在。ひょんなことから、『Art Pepper Meets The Rhythm Section』を手に入れたことが切っ掛け。でも、このアルバム、どう聴いても、米国西海岸ジャズの特徴を宿していない。

数少ない米国西海岸ジャズを語った書籍を紐解きながら、米国西海岸ジャズは、お洒落にアレンジされた、聴き心地の良いジャズだということが判ってきて、それってどんな音なの、なんて想像しながら、それを確かめる術がなくてイライラしていた。

そこで、このブログに時々出てくる、大学時代の「秘密の喫茶店」のお世話になる。喫茶店のママさんに、米国西海岸ジャズのことを話したら、クスッと密かに笑って、いくつかのアルバムを聴かせてくれた。

おおっなるほど、お洒落にアレンジされた、聴き心地の良いジャズとはこのことか〜。心地良いユニゾン&ハーモニー。インプロビゼーションのキャッチャーな展開。とにかく良くコントロールされてはいるが、ジャズの躍動感はしっかりとキープされている。なんだなんだ、ジャズ者の先輩達が眉をひそめるほどのものではないではないか。というか、なかなかにクールである。
 
The_return_of_artpepper
 
というのも、「秘密の喫茶店」のママさんが、それはそれは、米国西海岸ジャズの良いところを聴かせてくれたんですね。これは、それから10年位経って判りました(笑)。

そんな米国西海岸ジャズの良いところのアルバムの中で、一番印象に残ったアルバムが『The Return Of Art Pepper: The Complete Art Pepper Aladdin Recordings, Vol. 1』(写真左)。なんとも長いタイトルなので、以降、『The Return Of Art Pepper』と省略する。ちなみにパーソネルは、Jack Sheldon (tp) Art Pepper (as) Russ Freeman (p) Leroy Vinnegar (b) Shelly Manne (ds)。1956年8月、ハリウッドでの録音。 

これがまあ、絵に描いた様な米国西海岸ジャズで、冒頭の「Pepper Returns 」を聴けば、たちどころに「これは米国西海岸ジャズだ」と判る位の特徴的な演奏が繰り広げられている。心地良いユニゾン&ハーモニー。インプロビゼーションのキャッチャーな展開に加えて、程良くアレンジされた「チェイス(追っかけるように同じフレーズを演奏すること)」。この「チェイス」が格好良い。米国西海岸ジャズの「粋」である。

しかも『The Return Of Art Pepper』というタイトルが格好いいじゃないですか。「アート・ペッパーの帰還」。でも、これって、後に判ったんですが、ペッパーって札付きのジャンキーで、あまりのジャンキーさに、遂にパクられて、麻薬療養刑務所に放り込まれて、やっとそこからシャバに出てきた。それを記念して『The Return Of Art Pepper』なんですね(笑)。

このアルバム、アート・ペッパーの硬派なアルトが堪能出来ます。けっして緩まない、実に真摯な演奏を展開している、アルト・サックスの天才、アート・ペッパーの真髄に振れることが出来る名盤だと思います。僕は、このアルバムを例の「秘密の喫茶店」で聴かせて貰って以来、大のお気に入りです。でも、当時は手に入れる術が無くて、ママさんにカセットにダビングさせて貰ったものをズッと聴いていました。このアルバムのCDを手に入れることが出来たのは、1990年代に入ってからでした。

ジャケットもシンプルで格好良い。ポートレイトとしてジャケットに鎮座まします、ペッパーの写真も中々に格好良い。ジャケット良し、タイトル良し。ジャケ買い、タイトル買いの一枚です。しかも、中身は正統派の米国西海岸ジャズ。加えて、ペッパーのアルトは、切れ味鋭く、しっかりと着実に、天才的なフレーズを紡ぎ上げている。これ、名盤だと思います。

 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。
 

2011年9月 8日 (木曜日)

密かに愛でるコルトレーン盤

朝晩は涼しくなった。いよいよ秋の雰囲気が忍び寄る、という感じになってきた。ジャズも暑さ故、聴き易いものばかり選んでいたが、 やっと、色々なバリエーションのジャズ盤を選択しようという気になってきた。久しくフリージャズ系からはご無沙汰。そろそろ触手が伸びるかな。

と思っていたが、いきなりフリー・ジャズも刺激が強すぎるか、と思い直し、コルトレーンの聴き直しを再開することとした。

今日は、John Coltrane『Crescent』(写真左)。1964年4月27日の録音。ちなみにパーソネルは、John Coltrane (ts) McCoy Tyner (p) Jimmy Garrison (b) Elvin Jones (ds)。黄金のカルテットである。

この 『Crescent』は、かの大名盤『A Love Supreme(至上の愛)』の8ヶ月前の録音。さぞかし、モードばりばりのフリー一歩手前のハードな内容だろうと思いきや、相当に正統で純ジャズな内容になっている。

このアルバムでは、コルトレーンは決してフリーキーなトーンでテナーを吹かない。しかも、シーツ・オブ・サウンドを駆使して、聴き手を振り切って、テナーを吹きまくることも無い。このアルバムでのコルトレーンのテナーは、ハードボイルドではあるが、とても心地良く響く。
 
Crescent
 
冒頭のタイトル曲「Crescent」がとても素敵。「Crescent」という単語は、故あって、個人的に馴染みのある単語なので、ジャズを聴き始めたジャズ者初心者の頃から、ずっと聴き続けている「お気に入りの曲」。

ここでのコルトレーンのブロウは正統派。テナー・ジャイアントの面目躍如。テナーを朗々とならしつつ、超絶技巧なテクニックを駆使して、コルトレーンしか鳴らせない、個性溢れるソロを聴かせてくれる。冒頭の「Crescent」と同様、2曲目以降、「Wise One」「Bessie's Blues」「Lonnies Lament」 と、コルトレーンの王道を行く朗々たるブロウを心ゆくまで堪能出来る。

ラストの「The Drum Thing」のみ、コルトレーンは相変わらず朗々とテナーを吹き上げているが、このアルバムで、徹頭徹尾、王道を行く正統派ブロウを続けるコルトレーンにストレスを感じたのか、ドラムのエルヴィン・ジョーンズだけが、鬱憤を晴らすかのような、フリーキーで激しいドラミングを繰り広げる。

この『Crescent』というアルバム、コルトレーンの名盤紹介にはほとんど名前が挙がらないが、僕が長年、密かに愛でるコルトレーン盤のひとつである。

 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。

2011年9月 7日 (水曜日)

これぞ米国西海岸ジャズの一枚

さすがに9月に入って、朝や夜は涼しくなって、凌ぎ易くなってきた。凌ぎ易くなって、やっとジャズについても、色々なバリエーションのジャズが聴けるよう になった。

今日は米国西海岸ジャズ。アート・ペッパー中心に聴き込んでいる。お洒落にアレンジされた、聴き心地の良いジャズ。秋にピッタリ。

選んだアルバムは、Art Pepper & Ted Brownの『The Complete Free Wheeling Sessions』(写真左)。パーソネルは、Art Pepper (as) Ted Brown, Warne Marsh (ts) Ronnie Ball (p) Ben Tucker (b) Jeff Morton (ds)。1956年11月26日のロサンゼルスでのセッションを集めたもの。

以前にリリースされたアルバムとしては、Ted Brown名義の『Free Wheeling』と、アート・ペッパー名義の『The Way It Was!』と『Art Pepper With Warne Marsh』の3枚にまたがる。

この『The Complete Free Wheeling Sessions』は、CD時代の賜といえる。Art Pepper & Ted Brownのコラボのセッションの全てを、収録時間的に言って、CDの時代だからこそ、コンプリートに収録できる。
 

Complete_free_wheeling

 
この『The Complete Free Wheeling Sessions』には、当時の米国西海岸ジャズの個性の全てがギッシリと詰まっている。テッド・ブラウンの秀逸なアレンジ。音の重ね方が実にお洒落なユニゾン&ハーモニー。

そして、インプロビゼーション部に入って、縦横無尽、自由闊達に吹きまくるアート・ペッパーのアルト・サックスが凄い。切れ込むような、切れ味鋭い、良く伸びるアルトのブロウ。低音をしっかり押さえつつ、太くて面積の広い、きめ細やかではあるが大らかなマーシュとテッドのテナー。アルトとテナーの対比が、その音の個性が美しい。

アップテンポの軽快な曲も、印象的な緩やかなテンポのバラードも、しっかりと米国西海岸ジャズ独特のアレンジに乗って、とても洒脱に響く。米国東海岸ジャズの「煙と汗」に相対して、「カクテルとダンス」。意外と当時の米国西海岸ジャズは「踊れる」。洒脱という言葉がピッタリのアレンジの妙。

アルバムの全ての演奏が、米国西海岸ジャズの好例。1950年代の米国西海岸ジャズを体験するのに、実に最適なアルバムだと思います。アート・ペッパーのマニアの方にも大のお勧め。絶好調のペッパーのアルトを聴くことが出来ます。

 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。




2011年9月 6日 (火曜日)

ナベサダさんの第2の出発点

ジャズを聴き始めた大学時代、渡辺貞夫さんの存在は、日本人の僕にとって「励み」になる存在だった。

ジャズは本来、米国黒人のものであって、日本人にとっては遠い存在なのでは、という想いがあった。しかし、渡辺貞夫さんや秋吉敏子さんの存在と活躍は、ジャズは米国だけのものでは無い、ジャズは世界の皆で共有できるものなんだ、という想いを強く持たせてくれた。

渡辺貞夫さん、愛称ナベサダさん。ナベサダさんのジャズの個性の一つに「ワールドミュージック系フュージョン」っていうのがある。『Kenya Ya Africa』辺りから、アフリカのネイティブ・ミュージックを取り入れた、ナベダサさん独特の「ワールドミュージック系フュージョン」が展開されていた。

そんな「ワールドミュージック系フュージョン」の集大成が、『 Pamoja(パモジャ)』(写真左)である。米国留学から日本に戻り、日本の中で活動し、「ワールドミュージック系フュージョン」を自家薬籠中のものとした。その成果が、この 『 Pamoja(パモジャ)』の中にぎっしりと詰まっている。

1975年10月27日、東京の読売ホールでのライブ録音になる。ちなみにパーソネルは、渡辺貞夫 (as,fl,) , 福村博 (tb) , 増尾好秋 (g), 本田竹曠 (p) , 鈴木勲 (b) , 村上寛 (ds) , 富樫雅彦 (per)。当時の日本ジャズ界の腕利きばかりがズラリと並ぶ。
 
Pamoja
 
冒頭の「Vichakani」から、ナベダサさん独特の「ワールドミュージック系フュージョン」が炸裂である。バックの演奏もレベルが高い。このライブ演奏を聴いて、1970年代後半、日本のジャズ演奏のレベルは米国のレベルに追いついた、と実感したものだ。ちょっと野暮ったい面も見え隠れするが、演奏全体は堂々としたものだ。素晴らしい。

続く「Musitoni」「Pamoja」もナベダサさん独特の「ワールドミュージック系フュージョン」がてんこ盛り。バック演奏の健闘も含め、ナベサダさんのアルト・サックスの切れ味抜群。日本での活動の集大成とも言える熱演である。

この『 Pamoja(パモジャ)』は、日本が誇るジャズ・レーベル、イースト・ウィンド移籍後の初のライブ・レコーディングでもある。この後、ナベサダさんは、このイースト・ウィンドに、優れたリーダー作を多々残してくれた。

この『 Pamoja(パモジャ)』を第2の出発点として、ナベダサさんは米国に渡る。そして、米国フュージョンの名プロデューサーの一人、デイブ・グルーシンと組んで、『My Dear Life』を制作する。この『My Dear Life』は、ナベダサさん独特の「ワールドミュージック系フュージョン」と、ナベサダさん独特の「米国フュージョン・ジャズ」の架け橋に位置づけられるアルバム。ナベサダさんの「Pacific Crossing」である。

そして、デイブ・グルーシンと組んで、米国フュージョン・ジャズの名作『California Shower』をリリースする。そして、ナベサダさんの「米国フュージョン・ジャズ」の世界での快進撃が始まるのだ。 

 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。
 

2011年9月 5日 (月曜日)

夏はボサノバ・ジャズ・その6

ボサノバの女王といえば、アストラッド・ジルベルトですが、このアストラッドが唄う、実にポップで可愛いアルバムがあります。この季節に、ゆったりとリラックスしたい時のお気に入りの一枚です。

ボサノバって、第一印象で、ちょっと取っつきにくい感じがありませんか。確かに、正統派のボサノバはその定番曲の曲名についても馴染みの薄いものが多いですし、ちょっと試聴してみると、独特のリズムなのでなかなか馴染めない。ボーカルは柔らかく、優しく、フワフワしてますしね。

そんな方には、こんなアルバムから、ボサノバ・ジャズに入っていくってどうでしょう。Astrud Gilbertoの『Windy』(写真左)。このアルバムは、ボサノバのみならず、当時のポップス・ヒットも取り上げた、ポップで楽しいボサノバ・ジャズの佳作です。

スタンダードなボサノバ・ナンバーをはじめとして、60年代中期のアメリカン・ポップスやビートルズ・ナンバーのカバーも織り交ぜた、1967年発表の作品。

Windy

僕は何を隠そう、9曲目の「イン・マイ・ライフ」(ビートルズ「ラバー・ソウル」に収録されている、ジョン・レノンの名曲)を試聴して、このアルバムの購入を決めました(笑)。

良い雰囲気です、このアルバム。決して、ボサノバ・ジャズの名盤でもありませんし、当然、ボサノバというジャンルの中でも名盤ではないでしょう。でもねえ、このアルバム全体の雰囲気が良いんですよ。アストラッドの声はかわいいし、聴いているだけで、海沿いのバルコニーで、爽やかな風に吹かれているような心地良い気分になる。

1960年代中期のアメリカン・ポップス、アソシエイションのヒット曲「ウインディ」「かなわぬ恋」も良いし、まあ、彼女にかかれば、何を題材にしても、ボサノバ的雰囲気になってしまうのだから面白い。

夏の夕暮れ時、ビール片手に耳を傾ければ、それはそれは爽やかな雰囲気のアルバムです。

 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。

2011年9月 4日 (日曜日)

夏はボサノバ・ジャズ・その5

ブルーノートというレーベル(レコード作成会社とでも言いましょうか・・・)、このレーベルは、とっても、ジャズジャズしていて、黒くて、ファンキーで、アルバムデザインがとても渋くて、僕のお気に入りのレーベル。

このブルーノート・レーベルのレコードを眺めていたら、「おお、このアルバムを忘れておった」。ブルーノートは、ジャズの、その時代ごとのトレンドにビビットに反応したアルバムを製作しているが、このアルバムもそのひとつ。Ike Quebec(アイク・ケベック/写真右)の『Bossa Nova Soul Samba』(写真左)。

この『Bossa Nova Soul Samba』は、ブルーノートの4114番。1962年10月の録音。ボサノバ・ジャズ・ブームの真っ只中。ちなみにパーソネルは、ke Quebec (ts) Kenny Burrell (g) Wendell Marshall (b) Willie Bobo (ds) Garvin Masseaux (chekere)。

珍しい楽器として、chekere=シェケレとあるが、これは、西アフリカ起源の伝統的な民俗音楽の楽器で、大きな中空の瓢箪の周りに植物の種子・豆・ビーズ・貝などを通した網を編んで張り巡らせた打楽器(Wlkipediaより抜粋)。まあ、このアルバムでは主役の様な存在ではないので、このシェケレに関するコメントは割愛する。

さて、ゲッツのボサノバを、ポップスに寄った「ボサノバ・ジャズ」の典型的な例とすると、このアイク・ケベックのアルバムは、あくまで、ジャズの中でボサノバをやるとこうなる的な、いかにもブルーノートらしい、ボサノバ・ジャズのアルバムと言える。
 
Bosanoba_soul_samba
 
まず、ケベックのサックスと、ケニー・バレルのギターが「黒い」。ゲッツのボサノバ・アルバムは「ブラジル」という感じだが、このケベックのボサノバ・アルバムは「米国東海岸」。

この「黒さ」の中で、ボサノバのアレンジ、フレーバーが、洗練された、インテリな雰囲気を醸し出して、なんとも言えず、味のある、品の良いアルバムに仕上がっている。

曲を見渡してもそうだが、ボサノバと聞いたとき、必ず、頭の中に浮かぶ名曲、先に紹介した「イパネマの娘」や「黒いオルフェ」、「ワン・ノート・サンバ」などを取り上げず、ドヴォルザークの交響曲第9番第2楽章の「家路」(とーおきやーまにひーはおちてーってやつ)、リストの「愛の夢」のようなクラシックの名曲を、ボサノバやサンバのフレーバーでアレンジしてみせる。

しかも、このアルバム全般に言えることなのだが、アイク・ケベックのテナーが素晴らしい。テナーのフレージングに聴き応えのある、オーソドックスな、それでいて、ボサノバ・サンバという、都会的な雰囲気を宿した、毎日流しても飽きない名盤と言えます。

晩夏のこの季節、夕食後に一杯やるときに、風呂上がりのあと、床に入るまでのひとときに、朝食の後の紅茶のひとときのBGMとして格好の名盤といえるのではないでしょうか。

 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。

2011年9月 2日 (金曜日)

山中千尋の初リーダー作

山中千尋の新作はとても良い。彼女のコンポーザー&アレンジャーの才能全開で、聴いていて、とても楽しい。ジャズにおける新スタンダードと言う議論がなされて久しいが、その回答の一つと捉えて良いのではないか。とにかく痛快な内容だ。いま、ヘビー・ローテで聴き込み中。しっかり聴き込んで、近いうちにこのブログで語ってみたい。

ここで今一度、山中千尋のデビュー作を振り返ってみたい。デビュー作にこそ、そのミュージシャンの個性が露わに反映される、と思っているが、山中千尋の場合、どうだったんだろう。我がバーチャル音楽喫茶『松和』の「ジャズ・フュージョン館」、2002年4月の「ジャズの小径」の原稿を読み直してみた。

以下、2002年4月の「ジャズの小径」でご紹介した、2001年10月リリースの山中千尋の初リーダー作『Living Without Friday』の感想文である。

山中千尋の初リーダー作『Living Without Friday』(写真左)は、実に心地よく、ガッツのあるアルバムを見つけた、という感じがする、久々のバーチャル喫茶「松和」の新作推薦盤だ。

山中千尋。NYで活躍する若手ジャズピアニスト。何が素晴らしいのか。まずは、アルバム全体を流れる「テンポ」である。ゆったりと歩くかの如き、ノビノビとしたスイング感。春の煌めく木漏れ日の中、微風に吹かれて、ゆったりと歩くような心地よい爽快感。
 
その代表的な演奏が、1曲目の「Beverly」。この曲は、山中千尋のオリジナル。ゆったりとした、ソフトなスイング感。明るい南欧、地中海を思わせるような、日本で言えば、春の晴れ渡った瀬戸内海を思わせるような、そんな開放感と心地よさが聴く者を魅了する。
 

Living_without_friday

 
バックのリズムセクションもなかなかのもので、ベースのRay Parker は骨太なベースで、トリオの底辺を支え、ドラムのLaFrae Olivia Sci(なんて読めばよいのか)は、芯の入ったスティッキングと変化に富んだ柔軟なドラミングでトリオに彩りを添える。

このアルバムの演奏をCDショップで初めて聴いたとき、こんなに柔軟で芯がありながらも、こまやかでしなやかなドラミングを披露する輩はだれだ、と思って、ジャケット写真を見たら女性でした。至極納得。

この山中千尋トリオは、心地よいスイング感だけがウリではない。芯の入ったガッツある演奏もまた、このトリオの特徴なのだ。その良い例が、2曲目の「Girl From Ipanema」。いわゆる「イパネマの娘」だが、このボサノバの名曲が、芯の入ったダイナミックな演奏によって、硬派なジャズ・スタンダードに変身する。

山中千尋のタッチは、しっかりと鍵盤を押さえきっているところに良さがある。強い音も弱い音も大きい音も小さい音も、変わりなくしっかりと音を出しているので、耳障りじゃないのだ。

そのダイナミックさは、4曲目の「Living Without Friday」で最大限、発揮されている。そして、3曲目の「A Sand Ship」、これは知る人ぞ知る、中島みゆきの「砂の船」のジャズ化。素晴らしいアレンジに、嬉しい驚きは隠せない。

硬軟緩急自在、「いっちょ気張って、ちょっとまとめてみました! いかがっすかあ」って感じの、爽快で素敵なデビュー・アルバム。これから先のリリースが楽しみだ。

今の耳で聴いても、9年前の印象は変わらない。良いアルバムです。 

 

★Twitterで、松和のマスターが呟く。名称「松和のマスター」でつぶやいております。ユーザー名は「v_matsuwa」、「v_matsuwa」で検索して下さい。

Fight_3
 
がんばろう日本、がんばろう東北。自分の出来ることから復興に協力しよう。

« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

リンク

  • まだまだロックキッズ(バーチャル音楽喫茶『松和』別館)
    この「松和・別館」では、懐かしの「1970年代のロック」盤の感想や思い出を率直に語ります。これまでの、ジャズ喫茶『松和』マスターのひとりごと・ブログの中で不定期に掲載した、70年代ロックの記事を修正加筆して集約していきます。
  • 松和の「青春のかけら達」(バーチャル音楽喫茶『松和』別館)
    この「松和・別館」では、懐かしの「1970年代のJポップ」、いわゆるニューミュージック・フォーク盤の感想や思い出を率直に語ります。これまでの、ジャズ喫茶『松和』マスターのひとりごと・ブログの中で不定期に掲載した、70年代Jポップの記事を修正加筆して集約していきます。           
  • AORの風に吹かれて(バーチャル音楽喫茶『松和』別館)
    AORとは、Adult-Oriented Rockの略語。一言でいうと「大人向けのロック」。ロックがポップスやジャズ、ファンクなどさまざまな音楽と融合し、大人の鑑賞にも堪えうるクオリティの高いロックがAOR。これまでの、ジャズ喫茶『松和』マスターのひとりごと・ブログの中で不定期に掲載した、AORの記事を修正加筆して集約していきます。  
2021年4月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

カテゴリー