忘却の彼方・伝説のギタリスト
70年代前半、英国ロックに「フリー」というバンドがあった。完璧にブルースを基調にしたロックバンド。しかも当時としてはハイテク集団。1967年に結成、1度解散、72年に再結成されたが、結局1973年に解散。
デビューが早すぎた早熟なギター・バンドと言える。今の耳で聴けば、それはそれは内容のあるパフォーマンスを繰り広げている。当時は、録音環境も悪かったし、特に再生系の問題は大きかった。今では、リマスタリングの施されたCDが出回っており、演奏の詳細に渡って、十分に聴き込める環境になった。「フリー」はもっと評価されるべきだと思っている。
そんな「フリー」のオリジナル・ギタリストがポール・コゾフ。コゾフが真っ当な人間であれば、ペイジ、クラプトン、ベックという「三大ロックギタリスト」に比肩するギタリストとして勇名を馳せいていたと思う。しかし、彼は筋金入りのジャンキーだった。結局、ドラッグ癖が原因で1976年、心臓病により死去してしまった。
しかし、まともな時のポール・コゾフは凄い。完璧にブルースを基調とした、クールな「泣きのギター」が特徴。他のブルース基調のギタリストは、ウェットに泣くギターで、ややもすれば「演歌っぽい」べったべたな響きが個性ではあるが、ポール・コゾフの「泣きのギター」は乾いている。実にクールなのだ。このクールさが堪らない。
そのクールな「泣きのギター」が堪能出来る、ポール・コゾフのソロアルバムが『Back Street Crawler』(写真左)。1973年のリリース。このソロ・アルバム一枚で、ポール・コゾフの「泣きのギター」の魅力が存分に楽しむことが出来る。
冒頭のインストナンバー「Tuesday Morning」が堪らない。18分弱に及ぶ長尺のインスト。「まともな」コゾフの「泣きのギター」が凄い。しかも乾きながら、マイナーにむせび泣く。ミディアムなテンポで紡ぎ上げるソロ・フレーズが実に格好良い。
コゾフに関してネットでいろいろ調べていたら、面白い話が掲載されていた。コゾフのギターの弦はセット弦ではなく、意識して「意図に合った」弦を張っていたらしい。6弦〜4弦はギブソンのミディアムゲージ、3弦には何とハワイアンギターで使われる巻き弦、そして1弦と2弦はギブソンのライトゲージ。
多くのギタリストはチョーキングがし易いよう、エキストラ・ライトゲージを使うのに対して、コゾフの弦は太い。しかし、チョーキングの要である3弦にハワイアンギターの巻き弦を使用することで、あの独特なチョーキングの音を醸し出していたのだ。
なるほど、1弦と2弦のライトゲージが肝なんやなあ。乾いた雰囲気は、この太い弦のチョーキングから来るものなのか。しかも「泣きのギター」を印象づけるのが、3弦のハワイアンギターで使われる巻き弦なのかあ。昔は、コゾフって、単なるジャンキー野郎かと思っていたが、やっぱり繊細な感性の持ち主だったんやなあ。こんなに、きめ細やかな弦の工夫をしているギタリストはそうそうはいない。
全編に渡って、コゾフのギターの個性が詰まっているソロ・アルバム。このコゾフのギター中心の演奏を聴いていると、やはり「フリー」というバンドは、このコゾフのギターがあってこそのブルース・ロック・バンドだったんやなあ、と単純に感心したりする。
もうほとんどのロック・ファンからは忘れ去られたソロ・アルバムだと思う。既に、1970年代ロック・ファンの中でも、マニアと類する方々の中にしか、記憶に留められていないソロ・アルバムだと思う。でも、そのアルバムの中には、1970年代前半、ブルース・ロックの素晴らしい成果の一つがギッシリと詰まっている。
最近、リマスター再発盤やアウトテイクを追加収録したデラックス盤もリリースされている。今一度、忘却の彼方に置き去りにされた伝説のギタリスト、ポール・コゾフを追体験してみてはいかがかと・・・。そして、僕は今一度、「フリー」にも目を向けてみたいと思い出した。
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