「聴かせる」ジャズ・ピアノ
先週は、レイ・ブライアントの追悼週間だった。レイ・ブライアントのピアノは、演奏を如何に聴かせるかという「鑑賞」の世界への適用に重点が置かれている。そこが、当時の流行だった、技を徹底的に追求する「パウエル派」とは全く違う点である。
ブライアントのピアノは、オフビートを強調した、アーシーでゴスペルタッチなピアノが特徴で、その強調はタッチの強い、テンションの強い右手と、低音の響きを活かしたハンマー打法の様な左手の使い方が実に印象的。このブライアントを聴くと、僕は決まって、「エロール・ガーナー」と「ミシェル・ペトルシアーニ」を思い出す。
今日はその「エロール・ガーナー」について語りますね。エロール・ガーナーとは、1921年生まれ。1977年1月没。左手のベースラインをメインに、メロディを弾く右手は自由自在にタイム感を後ろにずらす「ビハインド・ザ・ビート」が特徴。左手のベースラインがメイン、というところが、もう既に「バド・パウエル」とは異なるアプローチ。
1940年代後半〜1950年代前半、ビ・バップの時代は、ジャズ・ピアノは「バド・パウエル」が全てとされる。しかし、同時代に活躍したエロール・ガーナーは、この「バド・パウエル」の影響を全く受けない、唯一無二な個性を展開した。
まあ、日本のジャズ・シーンでは、「バド・パウエル」がジャズ・ピアノの祖としてもてはやされており、「バド・パウエル」の影響を全く受けないエロール・ガーナーは「異端」とされた。技を主体とする「バド・パウエル」は正統であり、「聴かせる」エンタテインメントの「エロール・ガーナー」は異端とされた。
でも、僕は、このエロール・ガーナーが好きなんですよね。やっぱり、音楽は「技」よりも「エンタテインメント」でしょう。「バド・パウエル」だって、僕は「エンタテインメント」だと思っている。
そんなエロール・ガーナー、なかなかまとまったアルバムを残していなくて、どれが入門盤なのか、選択肢が狭くて困るのだが、世の中のジャズ本を紐解くと、決まって「コンサート・バイ・ザ・シー」というライブ盤を挙げているが、僕はこのライブ盤、音があまり良くない。良くないと、ガーナーの「ビハインド・ザ・ビート」が良く聞き取れ無い。
そんなエロール・ガーナーを愛でるには、僕はこのアルバムを真っ先にかける。そのアルバム名は『Contrasts』(写真左)。エロール・ガーナーのスタジオ録音盤なんだが、音も良好、エロール・ガーナーの「ビハインド・ザ・ビート」が心ゆくまで感じる事ができる。
1954年7月、ジャズ界はビ・バップ時代後半の録音。ちなみにパーソネルは、Erroll Garner(p), Wyatt Ruther(b), Eugene "Fats" Heard(ds)。ベースとドラムは、僕にとって全くの無名。リズム・キープは堅実だが、ここでのリズム・セクションはそこまで。このアルバムは、徹頭徹尾、エロール・ガーナーのピアノを愛でることのみに存在する。
エロール・ガーナーは、生涯楽譜が全く読めなかったとのことだが、ジャズも場合、それは全く関係無い。ジャズとは「感性」の音楽である。二度と同じフレーズが無い、究極の即興演奏がこのスタジオ盤に詰まっている。
硬質なタッチ。左手のベースラインをメインに、メロディを弾く右手は自由自在にタイム感を後ろにずらす「ビハインド・ザ・ビート」。聴かせるジャズ・ピアノ。エンタテインメント性バリバリのジャズ・ピアノ。一度填れば、暫く「病みつき」になる。そんな妖しい魅力を持った、打楽器的ピアノ・エンタテインメント。
ちゃんと「Misty」も入っています。パキパキのタッチでありながら、溢れ流れるようなバラード演奏。これ、本当に名演です。ついつい聴き惚れてしまいます。「聴かせる」ジャズ・ピアノの面目躍如です。
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