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2011年6月 4日 (土曜日)

Coda:誤訳だけれど「最終楽章」

レッド・ツェッペリン(略称:ZEP)のスタジオ録音盤の最終回。1982年11月に発売された『Coda(邦題:最終楽章)』(写真左)。しかし、このアルバムが、ZEPの正式なスタジオ録音盤とするには、ちょっとばかし異論がある、このZEPの最後のアルバムは、ジャズでいう「アウトテイク集」である。

しかし、1980年9月24日のドラマーのジョン・ボーナムの事故死は突然だった。しかも、その死因が、過剰飲酒後の就寝時に吐瀉物が喉に詰まったための窒息死、という、ちょっと「おマヌケ」なもので、それはそれでショックだった。ボーナム一人の個人的な理由、そんなつまらない理由で死んでしまって、しかも、そのお陰で、ZEPの活動は停止するに至った。事実、ZEPは、1980年12月4日に解散を表明した。

確かに、ボーナムのドラミングは唯一無二であり、ZEPの音楽に必要欠くべからざるものである。ボーナムを失って、ZEPの音が出せない、だから解散する。この理由はZEPファンにとっては、至極当たり前の、至極説得力のある解散の理由だった。

その解散から、おおよそ2年後、解散したはずのZEPは突如としてアルバムをリリースする。レコード会社との契約が理由なんだが、ロックの世界では、ほとんど前例の無い、「アウトテイクを集め、編集し、オーバーダブを施して、アルバムに仕立てる」ってなことをZEPの残った3人は行った。その成果が、この『Coda(邦題:最終楽章)』である。しかも、2年も経っていながら、副題に「ジョーン・ボーナム追悼盤」というオマケまでついた。全く持って商魂たくましいものである(笑)。

ジミー・ペイジが、1969年〜78年の間の録音から選曲している。先にリリースした『フィジカル・グラフィティ』にも、過去のアウトテイクを持ってきて、2枚組の大傑作に仕立て上げた経緯があり、さすがにあまり良い出来の曲は残ってなかったようだ。個々の曲を見渡して見ると・・・。

Side A
1.ウィアー・ゴナ・グルーヴ:
1970年1月9日のロイヤル・アルバート・ホールでのイブ。
2.プア・トム:1970年6月5日、オリンピック・スタジオで録音。
3.君から離れられない:
1970年1月9日、ロイヤル・アルバート・ホールでのライブ。
4.ウォルターズ・ウォーク:
1972年5月15日、スターグローヴスで録音。

Side B
1.オゾン・ベイビー:1978年11月14日、ポーラー・スタジオで録音。
2.ダーリーン:1978年11月16日、ポーラー・スタジオで録音。
3.モントルーのボンゾ:
1976年9月12日、モントルーのマウンテン・スタジオで録音。
4.ウェアリング・アンド・ティアリング
:1978年11月21日、ポーラー・スタジオで録音。
 

Coda
 
ちなみに、A-2の「プア・トム」は『Ⅲ』のアウトテイク。A-4の「ウォルターズ・ウォーク」は『聖なる館』のアウトテイク。B面になると、これはもうあからさまなアウトテイク集で、B-3の「モントルーのボンゾ」以外の3曲は、前作『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』のアウトテイクである。

なお1993年9月、『コンプリート・スタジオ・レコーディングス』ボックス・セットが発売された際、上記8曲に加えて次の4曲のアウトテイクが本アルバムに一緒に収録されている。しかし、この4曲のアウトテイクは、このボックスセットと、2007年に日本で紙ジャケ仕様で発売された盤以外は収録されていない模様。購入時には十分収録曲を確認して、後悔の無いようにして欲しい。

1.ベイビー・カム・オン・ホーム:
1968年10月10日、オリンピック・スタジオで録音。
2.トラベリング・リバーサイド・ブルース:
1969年6月23日、BBCのスタジオで録音。
3.ホワイト・サマー/ブラック・マウンテン・サイド:
1969年6月27日、ロンドンのプレイハウス・シアターで録音。
4.ヘイ・ヘイ・ホワット・キャン・アイ・ドゥ:
1970年、アイランド・スタジオで録音。

さすがに、曲の出来、演奏の内容は、既出のスタジオ録音盤に収録されている曲や演奏と比べると、1段から数段落ちるのは否めない。アウトテイク集なので、ハイライトとなる楽曲が無く、アルバム全体にメリハリが効いておらず、聴き通すのがちょっと辛いところもある。編集もオーバーダブも平凡なものであり、この時点でもジミー・ペイジは不調から脱していなかったことが想像できる。

このアルバムがリリースされた頃は、僕はもう社会人でした。この『Coda(邦題:最終楽章)』リリースの報に触れた時は、「何をいまさら・・・」と思いました。発売当時は完全無視。ZEPのアルバムの中で、発売のタイミングで購入に至らなかったZEPのアルバムは、後にも先にもこの『Coda』だけです。それだけ、ZEPの解散はショッキングな出来事でしたし、ZEPの解散で、なぜか「これで1970年代ロックは終わった」と強く思いました。

『Coda(邦題:最終楽章)』を初めて手にして、初めて聴いたのは、1993年9月、『コンプリート・スタジオ・レコーディングス』ボックス・セットを購入した時点でした。確かに、演奏については、ZEPとしては「ちょっぴり平凡」。

それでも、さすがZEPと思わせてくれたのは、この様々な時期からの音源のチョイスなのにも拘わらず、しっかりとした、ZEP色とでも言おうか、ZEPならではの「音の統一感」が存在するということ。このアウトテイク集も、どの曲から聴いても、どの曲だけ聴いても、ZEPの手なる演奏であるということは、ワンフレーズ〜数フレーズ聴くだけで判別できる。この「個性」は永遠に素晴らしいものであり、この「個性」は孤高のものであり、ロック界を見渡しても「唯一無二」のものであった。
 
ちなみに、アルバムタイトルの「Coda(コーダ)」であるが、邦訳が「最終楽章」とあるが、これは間違い。「コーダ」とは、音楽用語で「楽章終結部」の意であって「最終楽章」では無い。どう見ても「誤訳」なんだが、雰囲気が伝われば良い、という、実に日本のレコード会社らしい安易さである。
 
 

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