コテコテのファンキー・ジャズ 『The In Crowd』
さすがに昨日、家に帰り着いた時は「疲れたな〜」と思った。体力的なものはともかく、精神的にいろいろと疲れた。被災地の方々とは比べものにならないとは思っているが、意外と疲れたらしい。
朝、起きたら、結構辛い鼻風邪をひいていた。それでも、朝から整骨院に行ったり、髪を切りに行ったり、先週の土曜日に出来なかった用事を粛々とこなす。東北関東大震災から1週間と1日が経過。今日は、余震については大人しかったんだが、先ほどドカンと来た。大きな余震は、まだ一日に1〜2回はくるということか。我が千葉県北西部地方でも震度4。ちょっと揺れが大きくて身構えた。
精神的な疲れを癒すには、コテコテのファンキー・ジャズに限る。コテコテのノリの良さ、あからさまに強烈なオフ・ビート。Ramsey Lewis(ラムゼイ・ルイス)の『The In Crowd』(写真左)。1965年3月13〜15日、Washington,D.C.の「Bohemian Caver」でのライブ録音。ちなみにパーソネルは、Ramsey Lewis (p), Eldee Young (b,cello), Red Holt (ds)。
「コテコテ」の「こて」は「こってりした」という形容詞から来ています。料理の味付けが濃い場合に「こってりした味」と言う表現を使いますよね。「味が濃い、くどい」とか「嫌というほど」といった感じで使われます。つまり「コテコテ」とは「こってりこってり」の詰まった言葉であり、「とても濃厚でくどい様子」を指す言葉です。
つまりは、このラムゼイ・ルイスのライブ盤『The In Crowd』での演奏は、「とても濃厚でくどい」ファンキー・ジャズなんですね。どれもが「コテコテ」のファンキー・ジャズです。この「コテコテ」のノリは黒人ならではのものでしょう。とにかく「粘り」が凄い。この「粘り」は日本人では出ないなあ。
冒頭のタイトル曲「The 'In' Crowd」が象徴的な演奏。これは文章で書いた印象よりは、実際に聴いていただいたほうが直ぐに感じることが出来るんだが、これが「コテコテ・ファンキー」なノリである。単に「ファンキー」では無く、「コテコテ」が頭につくところが「ミソ」。ややハイテンポな演奏が、そんな「コテコテ」のファンキーさに拍車をかける。聴衆も最早「熱狂」寸前のノリ。とっても楽しそうです。
ラムゼイ・ルイスのピアノは「独特の泥臭さ」を宿していて、テクニックはそこそこだが、強烈なオフ・ビートを効かせたピアノは独特の響き。これはノリますね。バックのリズム・セクションも、そのピアノの強烈なオフ・ビートに思いっきり乗っかって、そのオフ・ビートをさらに増幅させる。
聴衆の盛り上がりも「興奮の坩堝」という表現がピッタリ。このライブ盤の曲順が、実際のライブでの演奏順なのかどうか判らないので曖昧なのですが、曲が進むにつれて、聴衆の興奮度合いが徐々に上がっていくように感じます。
ジャズ・ロックの名盤として、ジャズアルバムの紹介本に必ずといって挙がる人気盤『The In Crowd』。確かに、このライブ盤の内容は、その期待をその評判を裏切ることはありません。ジャズの「芸術性」という面では劣る部分があるかもしれませんが、「大衆性」という面では、このアルバムはピカイチの内容です。
コテコテのファンキー・ジャズに元気をもらう。今日の被災地からのニュースを見ていると、復興への動きが少しずつ出てきている。心強い限りだ。僕も出来ることから始めている。まだ少し残っている家の中の片付け、節電、ネットでのメッセージ発信。
復興に向けて、出来ることから始めよう。今回の震災については、東北から関東の太平洋岸の被災地での「被災の度合い」とは比べものにならないけれど、帰宅難民、計画停電、計画停電通勤、被害を受けた家の中、延々と続く余震、僕たちだって「被災」した。その「被災」の実体験は、さらに重度の被災地の方々へ、実感を伴った「思い」を馳せさせてくれる。頑張りましょう。
それから、高校時代の友人達の有形無形の暖かい支援も嬉しい出来事。改めて思う。持つべきは友である。
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