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2010年11月の記事

2010年11月30日 (火曜日)

初めての日野皓正...

最近、日本女子を中心に日本ジャズ界が活気づいている。我も我もという感じで頭角を現す日本女子。そのリーダー作は、意外と言っては失礼だが、内容のあるものが多々輩出されている。聴き応えのある演奏は、それはもう、その将来が楽しみで仕方が無い。

で、日本ジャズの草分けは、というノリで、日本ジャズ界の歴史を遡ってみた。僕にとって初めての日本ジャズは「ナベサダさん」。そして「秋吉敏子さん」。そして、フュージョン界では「渡辺香津美さん」。そして、トランペットの「日野皓正さん」。この4人は、1978年にジャズを聴き始めて、真っ先に覚えた日本人ジャズ・ミュージシャン。

その日野皓正さんを初めて経験したアルバムは何だったか、と思い出そうと考えていたら、はた、と思い当たった。1975年4月8日録音のライブ盤『Wheel Stone(車石)』(写真左)である。日野皓正の米国移住前のサヨナラ公演のライブ音源である。ちなみにパーソネルは、日野皓正(tp), 宮田英夫(as), 板橋文夫(p), 杉本喜代志(g), 岡田勉(b), 日野元彦(ds), 今村祐司(per)。当時、日本ジャズの実力者ミュージシャンがズラリである。

このライブ盤は、当時、FMでエアチェックさせて貰った。当時、僕はジャズ者駆け出し初心者。 ジャズがなんであるかも良く判らない頃。日本ミュージシャンの代表格の一人として日野皓正の名前を覚えたての頃。FMの番組雑誌でその名を見つけて、エアチェックさせて貰った。

当時、FMエアチェック全盛時代で、FM番組の方も大らかな時代で、新譜のアルバムを全部オンエアしたり、それがちょっとまずければ、同系列の番組で、それぞれLPのA面、B面を別々にオンエアして、合わせると一枚のアルバムが完成する、なんていう「粋な」番組構成も多々あった。それだけ当時、FMは、僕たち貧乏人ジャズ者初心者の力強い味方であった(笑)。
 

Hinoteru_live_in_nemuro

 
ちなみに僕はこのライブ盤『Wheel Stone(車石)』は、FMの番組で全編オンエアで、カセットにダイレクトにエアチェックさせて貰った。当時、オンタイムでのエアチェックは当然、リアルタイムで聴きながらのエアチェックになるんだが、もうリアルタイムでFM放送で聴いているそばから、このライブ盤は凄い演奏だとビックリした。

なんせ、1曲目(と言っても全2曲しかないが・・・)の「Mocco(モッコ)」の日本の祭りのようなリズムセクションが叩き出すビートだけで仰け反った。そして、その日本的なビートをバックに、日野皓正、愛称ヒノテルが吹きまくる。アルトの宮田も吹きまくる。そして、個人的にはこの人のソロ・パフォーマンスが今では一番のお気に入りだが、板橋文夫のピアノ。ギターの杉本も「間」を活かしたエレギソロは実に個性的だった。これが日本のジャズの今なんだ、と激しく感動したのを、昨日のことの様に思い出す。1978年のことである。

今の耳で聴いても、このライブ盤『Wheel Stone(車石)』は秀逸。ビートを活かした、限りなくフリーではあるが、最低限のレベルで制御されたインプロビゼーション。マイルスの手法であるが、それを自分なりに解釈し、日本的な音楽的雰囲気をシッカリと活かした、類い希な「日本独自の」コンテンポラリーなジャズがここにある。これは今でもなかなか無いよ〜。これだけのオリジナリティー溢れる日本ジャズは、今でもなかなかお目にかかれない。

このアルバムでの「日野皓正」が、僕にとって初めての「日野皓正」だった。この秀逸な内容の「日野皓正」が僕にとって初めての「日野皓正」で良かった。

このライブ以降、日野皓正は米国に渡って、遂にはフュージョン・ジャズに手を染めるのだが、この純ジャズな「日野皓正」を事前に体験していたので、フュージョンな「日野皓正」を聴いても、「日野皓正」を間違って解釈することは無かったのである。 
 
 
 
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2010年11月29日 (月曜日)

ジャズ・ギターの可能性

よくよく考えてみると、ジャズ・ギターって、まだまだ表現上の可能性がある楽器である。特にエレギは、その可能性の範囲が広い。奏法面は成熟しつつあるが、音色や響きについては、まだまだ開拓の余地がある。ジャズ・ギターも「深化」の過程に入りつつある、とも言える。 
  
ちょっと昔になるが、1985年、Marc Johnson (b)をリーダーに, Peter Erskine (ds), John Scofield (g), Bill Frisell (g)のメンバーで結成された「Bass Desires」。そのファースト・アルバムが、その名もズバリ『Bass Desires』(写真左)。
 
ジャズ・ギター界きってのスタイリスト、というか「ねじれギター」の最右翼、ビル・フリゼールとジョン・スコフィールドのダブルギターに、ウエザー・リポート黄金時代のドラマー、ピーター・アースキン、そして、ビル・エバンス・トリオ最後のベーシスト、重量級ベースのマーク・ジョンソン。今、振り返ると、いやはや凄まじいメンバー構成である。
 
特に、フロントを張るギタリスト二人の個性が凄まじい。フリゼールの浮遊感あふれるギターが演奏全体の雰囲気を支配し、ねじれに捻れたジョンスコのギターが、その浮遊感をバッサリと切り裂く。フリゼールが捻れたギターで応酬すれば、ジョンスコが包み込むような拡がった音色でフリゼールのギターを包み込もうとする。そうはさせじとフリゼール。完全フリーでフォーキーなギターで全くの異次元にワープ。逃がすまじとジョンスコが同じ土俵で完全フリーなギターで応戦。いやはや、凄まじいギターバトル。
 
これだけギターが丁々発止と秘術を尽くした演奏を繰り広げられるのは、バックのドラムとベースの卓越したバッキングのお陰。さすがに、ウェザー・リポート黄金時代を支えたドラマー、ピーター・アースキン。このアースキンのドラムが凄い。パンパンと明快に力強くドラムを打ち抜きながら、凡人にはどうやって叩いているのか判らないほどのポリリズム。加えて、判り易い順なリズム。ポリリズムと素直な単純なリズムの合成がアースキンの真骨頂。
 

Bass_desires
 
 
そして、リーダーのマーク・ジョンソンのベースが全体の演奏をガッチリと引き締める。野太いベース、カッチリとした判り易いベースライン。個性派二人のギタリストの音に決して負けないどころか、ギタリスト二人の音を弾かんばかりのジョンソンのベース。そんなジョンソンのベースのアースキンのドラム。この2人のリズムセクションは、決して、フロントの個性派二人のギタリストに負けない。これが凄い。これが、このアルバムの素晴らしさを現出している。
 
このアルバム全編に渡って、素晴らしい演奏が繰り広げられているが、特に、その素晴らしさの象徴が、2曲目。コルトレーンの「至上の愛」からの「Resolution」であろう。この「Resolution」がギター2本でここまでの表現が出来るとは。感動である。この「Resolution」は聴きものである。

この類い希な演奏を聴くと、このコルトレーンの「Resolution」が時代やスタイルを超えた、とてつもなく優れた楽曲であることが判る。そして、その「とてつもなく優れた楽曲」を自らの個性で染めんとする4人の類い希な個性を有したミュージシャン達。

素晴らしいアルバムです。1985年、ハード・バップ復古、純ジャズ復古の時代、そんなトレンドにも我関せず、今で言うコンテンポラリー・ジャズ、先進的な純ジャズを思いっきり捻れながら、4人で活き活きと「やってます」。とにかく、その躍動感と疾走感、そしてテンションの高さ、イマージネーションの拡がり、どれをとっても素晴らしいものです。
 
ちょっとべた褒めでしたでしょうか。それほど、このアルバムは今の耳で聴いても、アグレッシブであり、プログレッシブである。さすがECMレーベル、懐が深い。凄いアルバムを残してくれたもんです(笑)。 
 
 
 
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2010年11月28日 (日曜日)

深町純さんの訃報...

今日のお昼過ぎ、ネットを流していて、深町純の訃報に気が付いた。11月22日に都内の自宅にて、大動脈解離による心嚢血腫のため64歳で逝去とのことです。
 
深町純と言えば、日本のシンセサイザー奏者の草分けの一人。僕も学生時代、日本のシンセサイザー奏者ということで、何枚かアルバムを購入した思い出があります。最近、1970年代のアルバムが再発され出して、再評価の機運が盛り上がり始めた矢先だけに残念です。
 
僕にとっての深町純の印象は、シンセサイザーをシンセサイザーらしく鳴り響かせ、明らかに「これはムーヴ」「これはアープ」と判る奏法の持ち主で、シンセサイザーの音を聴く楽しさを与えてくれるキーボーティストでした。逆に、シンセサイザーの持つ特徴をあからさまに全面に押し出すので、シンセサイザーの音が耳につくような音楽にはちょっと不向きかなあ、と思っていました。
 
僕が「深町純」の名前を聞いて、いの一番に思い出すアルバムが『Jun Fukamachi & The New York All Stars/Live』(写真左)です。このライブ盤は外せない。なんせフュージョン・ブーム真っ只中の1978年9月後楽園ホール及び郵便貯金小ホールで行なわれた伝説のライブを収録しているからです。さすがに、当時、ジャズ者駆け出しの僕でも、このライブについては事前に情報を仕入れていました。でも、さすがに当時、東京は遠い。「いいな〜」と指をくわえて見ているだけでした。
 
よって、この伝説のライブを収録したLPが出た時は、飛びつこうと思ったら、行きつけの「秘密のジャズ喫茶」で購入されていたので、暫く通い詰めて聴かせて貰い、最後はカセットにダビングして貰い、暫く、毎日聴いていました。えっ? どの辺が「伝説のライブ」なのかって?
 
このライブのパーソネルを見ると「伝説のライブ」と言われる所以がお判りになるかと。Jun Fukamachi(key), Randy Brecker(tp), David Sanborn(sax), Michael Brecker(sax), Steve Khan(g), Richard Tee(key), Anthony Jackson(b), Steve Gadd(ds), Mike Mainieri(vib, perc)。
 
Jun_fukamachi_nyallstars
 
どうです、凄いでしょ。スタッフのリズムセクションに、ブレッカーブラザースの兄弟フロントに加えて、フュージョン・アルトの第一人者。フュージョン・ヴァイヴの若手気鋭に、フュージョン・ギターの人気者、そして、我が日本からは、シンセサイザー・キーボーティストとして深町純が参戦。このメンバーのそれぞれが自分の持つ演奏能力をほぼ最高に近い形で出したら、それはそれは、かなり凄いライブになるというのは想像に難くないかと。
 
その幸せな瞬間を記録したライブ盤のひとつがこの『Jun Fukamachi & The New York All Stars/Live』です。とにかく、メンバー全員がコンディション好調で、実に内容のある、充実した演奏を繰り広げています。様々な音楽ジャンルの要素を集めてひとつとしたようなフュージョン・ジャズ。そんなフュージョン・ジャズの演奏サンプルのような「これぞフュージョン」という演奏がギッシリと詰まっています。
 
日本から唯一参戦の深町純もシンセサイザー一本で健闘しています。さすがに、これだけのフュージョン・ジャズを代表するメンバー構成なので、常に全面に出て、全体をリードするという訳にはいかないのですが、担当のソロスペースでは、なかなか個性的なシンセサイザー・ソロを聴かせてくれます。
 
面白いのは、深町純のシンセサイザーの音は、一聴したら「それ」と判る個性的な音で、加えて、深町純がシンセサイザーのソロを始めると、全体の演奏の雰囲気がガラっと変わって、なぜか「ロック調」一色になります。これが意外と面白い。
 
フュージョン・ジャズのメンバーはなんやかんや言ってもジャズ畑出身のメンバーなので、どれだけロック調で演奏しても、その底は「ジャズ」なんですが、深町純のシンセサイザーはちょっと違う。その底の「ジャズ」がとても「あっさり」しているんですね。あっさりとフュージョンの8ビートに乗るから、「ロック調」の雰囲気が一気に全面に出るんでしょうね。この変化が面白いし、この変化を受け入れ、受け止めるから、フュージョン・ジャズって面白い。
 
今日は午後から、この『Jun Fukamachi & The New York All Stars/Live』を、深町純の追悼として、ヘビーローテーションでした。また一人、1970年代から活躍した日本人ミュージシャンが鬼籍に入りました。淋しい限りです。ご冥福をお祈りします。合掌。 
 
 
 
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2010年11月27日 (土曜日)

ジャズの小径・11月号の更新です

我がバーチャル音楽喫茶『松和』の「ジャズ・フュージョン館」、月次更新のコーナー「ジャズの小径」の11月号の更新です。今回はちょっと更新が遅れました。ちょっと体調が良くなかったのですが、この1週間前辺りから、体調も上向きになりつつあったので、今日、一気の更新になりました。
 
今月の「ジャズの小径」のコーナーのテーマは「かつて一世を風靡したグループの再結成」です。「昔の夢よもう一度」風や「昔の名前で出ています」風な、明らかに金儲けの匂いがプンプン漂ってくるような「ミエミエ」の再結成もあるにはあるが、ジャズ世界の場合、この再結成についてはそれぞれ内容も良く、長年の時を経てでのグループの再結成については、僕は良いことだと思っています。
 
特に、ジャズの場合は、その演奏内容などについては、年齢を重ねることによる「熟練の味」「演奏の余裕」「演奏の落ち着き」が良い効果を発揮して、再結成後の演奏の内容の方が、以前、現役だった若かりし頃より、深みのある演奏をしていることが結構あり、長年の時を経てでのグループの再結成には、必ず、この「良い効果」がかなりの確立で作用します。
 
今回、その「良い効果」の作用の例として、チック・コリアが以前率いた「リターン・トゥ・フォーエバー(Return to Forever : 以下RTFと略)」。このRTFが、2008年久しぶりに再結成されました。同時に、再結成の記念として、久方ぶりに「リターン・トゥ・フォーエバー」名義のライブアルバムをリリース、今回は、その2008年版リターン・トゥ・フォーエバーのライブ盤『Returns』をご紹介しています。

Rtf2008
 
最初はちょっと胡散臭かったんですが、このライブ盤を聴いて、決して「昔の夢よもう一度」風や「昔の名前で出ています」風な、明らかに金儲けの匂いがプンプン漂ってくるような「ミエミエ」の再結成ではありません。以前のRTFよりも何段階かグレードアップしています。
 
また、今回、「ジャズの小径」のコーナーの更新に合わせて、「ジャズへの招待状」のコーナーの「サックス」のコーナーへの入り口をリニューアルしました。そして、ジョン・コルトレーンの特別サイトへのリンクを新たに貼りました。
 
今回、ジャズ・ジャイアントと呼ばれるジャズ偉人達の専用ホームページを立ち上げることにしました。ジャズ偉人達の代表的名盤はかなりの数に及ぶ。ジャズ者初心者向けのアルバムに絞り込んでも
2~3枚という訳にはいかず、ざっと選んでも最低10枚程度に及びます。それを体系立てて、別サイトでの運営としました。
   
第1弾が「ジョン・コルトレーン」。ジャズ初心者の方々に向けての「コルトレーンのアルバム紹介」をまとめました。僕のコルトレーン・ジャズ体験の集大成として、コルトレーンと格闘しているジャズ初心者の方々にとって、なんらかの参考になれば幸いです(2010年10月31日のブログ参照・左をクリック)。
   
なお、直接、飛びたい方は、以下のサイト名をクリックして下さい。
   
「ジョン・コルトレーンの特別サイト」(左をクリック)
   
一度、我がバーチャル音楽喫茶『松和』までお越し下さい。月次更新の名物コーナー「ジャズの小径」は、「ジャズ・フュージョン館」の主要コンテンツの中で確認できます。
 
 
  
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2010年11月25日 (木曜日)

ジャズ・アコギの真髄

昨日、リー・リトナーのアコギの名演を聴いていて、どうしてもジャズのアコギの傑作を聴きたくなった。
 
ジョン・マクラフリン(John McLaughlin)、アル・ディ・メオラ(Al Di Meola)、パコ・デ・ルシア(Paco de Lucía)という3人のギタリストが集って「スーパー・ギター・トリオ」を結成した時期がある。アコースティック・ギター3本だけの常識を超越した超絶技巧な演奏。ジャズ・ギターとフラメンコ・ギターの邂逅。そのライブ盤とは『Friday Night In San Francisco』(写真左)。このブログでは過去にご紹介したかと思うが、再度、このライブ盤について語りたい。
 
ジャズ・ギタリストの演奏テクニックが、ロックはおろかクラシック・ギターの世界を凌駕するばかりのテクニックを保持していることを知らしめた、聴いていて唖然とする超絶技巧なアコギの世界。このアルバムを聴けば、ジャズ・ギターをやってみようという意欲が全く萎えてしまうほどの、常人のテクニックを大きく超越した、ほとんど「神」の領域。
 
冒頭の「Mediterranean Sundance〜Rio Ancho」の前半3分位を聴いただけで、人前で一丁前にアコースティック・ギターを弾いたことがある人間ならば、この演奏の凄まじさが判るはずだ。唖然とする。このテクニックは何なんだ。凡人をしてギターを弾くことが虚しくなるような超絶技巧なテクニック。しかも、インプロビゼーションの部分の歌心も満点。本当に凄い。目眩くギター・バトルの世界である。
 
このライブ盤の演奏内容には、当時たまげた。というかビックリした。というか「何なんだこれ」という感じで、にわかにその凄さが言葉で表現できなくて、アワアワしていた(笑)。それほど凄い内容である。
 
 Friday_night_in_sfo
 
1980年当時のジャズ界においては、アコースティック・ギター3本だけの演奏時代が画期的だった、というか、その後、この「スーパー・ギター・トリオ」を凌駕するアコギ3本の演奏はお目にかからないし、恐らく、この「スーパー・ギター・トリオ」が唯一無二だろう。
 
今の耳で聴くと、この「スーパー・ギター・トリオ」の演奏はしっかりと「純ジャズ」なんだが、当時はにわかに「純ジャズ」とは認識されず、パコ・デ・ルシアの存在を理由に「フュージョン・ジャズ」として紹介されていたのは、今となっては「乱暴」なことであった(笑)。譲っても、今で言う「コンテンポラリー・ジャズ」である。「フュージョン・ジャズ」とは、ちと違う。
 
改めて、この『Friday Night In San Francisco』を聴くと、ジョン・マクラフリン、アル・ディ・メオラ、パコ・デ・ルシアの3人のギタリストの相性が抜群なのが良く判る。パコは、もともとが著名なフラメンコ・ギタリスト。ディ・メオラは、チック・コリアのRTFに在籍していたように、そこはかとなくスパニッシュ・フレイバーのフレーズが特徴。マクラフリンは、ヨーロッパ独特の民俗音学的なフォーキーな響きが根底に流れる、独特なフレーズが特徴。パコのフラメンコの雰囲気に、ディ・メオラ、マクラフリンはピッタリと「はまった」。
 
まあ、とにかく、凄い内容の目眩くギター・バトルの世界である。しかも、アコギの世界。このライブ盤を聴いて、もうロックの世界に戻りたいと思わなくなったし、自分の根底にあったクラシック至上主義からもやっと抜け出した。音楽とは自分の耳で聴いて「良い」と思ったものは、単純に「良いもの」だと思うようになった。
 
音楽を文字で表現する便宜上、「ジャンル分け」は役にたったりするので全面的に否定するものではありませんが、音楽を聴く上では、音楽のジャンル分けが全く意味をなさないものだ、ということを、やっと心から理解した。それほど、このライブ盤の音世界は凄まじいものがあります。今でも聴く度に感動します。
 
 
 
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2010年11月24日 (水曜日)

リー・リトナーのAORな傑作

1970年代に入って、ロックとジャズとの融合ということで、クロスオーバーというジャンル言葉が流行った。簡単に言ってしまうと、電気楽器を中心とした8ビート基調のジャズなんだが、これが1970年代前半を席巻した。
 
そして、1970年代半ばから、電気楽器を中心とした8ビート基調のジャズに、ソウル・ミュージックの要素とR&Bの要素が融合され、そこにソフト&メロウなAORな要素が合体して、フュージョンというジャンル言葉が確立した。1970年代後半から1980年代前半にかけての流行である。
 
私こと、松和のマスターは、このフュージョンの時代、学生時代ど真ん中、フュージョンの名盤、名曲を完全にリアルタイムで体験することになった訳ですから、フュージョン・ジャズに、ちょっとは造詣が深いのは当たり前と言えば当たり前。よって、フュージョン・ジャズやクロスオーバー・ジャズは意外と詳しかったりするんですよ、これが(笑)。
 
そんなフュージョン・ジャズの時代、フュージョン・ギターのヒーローの一人が「リー・リトナー(Lee Ritesour)」。リトナーのギターはフュージョン・フリークのヒーローでした。フュージョン・ギターを志す者は、猫も杓子もリトナー、猫も杓子もカールトン。1970年代後半当時は、僕は、リトナー派でしたね〜。今ではカールトンも好きですが、当時は、カールトンはお行儀が良すぎて、ちょっと敬遠していました。う〜ん、まだまだ「お子様」だったのかな〜(笑)。
 
さて、そんなフュージョン・ギターのヒーロー「リー・リトナー」。そんなリトナーのAORな傑作が『Feel the Night』(写真左)。1979年の発表でした。ソロのリーダー作としては「ファースト・コースト」(1976年)、「キャプテン・フィンガーズ」(1977年)、「キャプテンズ・ジャーニー」(1978年)に次いで、4作目になるのかと思います。

この『Feel the Night』は、当時、聴きまくった一枚です(笑)。全編に渡って、リトナーのギターの全てが詰まっています。それも、極上のフュージョン・ギター。テクニック抜群、歌心抜群、イマージネーション抜群、アレンジ抜群。フュージョン・ジャズの世界の中で、名盤中の名盤の一枚に位置づけられる、類い希な出来を誇る、今でも無敵なフュージョン・アルバムです。
 

Lee_feel_the_night
 
 
何が良いって、このアルバムには、フュージョン・ジャズの特徴の全てが詰まっているんですよ。フュージョン・ジャズってどんな音なんですか、と聴かれたら、まずはこのアルバムあたりを黙ってかけます。音楽っていうのは「理屈やうんちく」よりは、まずは聴くことですよね。その目的の音がズバリ体験できるアルバムを聴くことで、その目的の音がズバリ判る。音楽ってそんなもんですよね。
 
冒頭のタイトル曲「Feel The Night」の出だしのブラスセクションの分厚い音と共に滑り出てくるリトナーのちょっと太いエレギの響き。当時、どれだけ繰り返し聴いたんだろう。このアルバムでのリトナーのエレギは、実に伸びやかで、ちょっと野太く、歯切れが良い。なんだか、吹っ切れたように自信満々にエレギを弾きまくる。そんなリトナーが頼もしく、美しく、格好良い。とにかく、リトナーのエレギの格好良さが際立つ名盤だと思います。
 
この『Feel the Night』が、かなりAORよりなアレンジになったのは、ディヴィッド・フォスターと組んだこと。それまで、デイブ・グルーシンと組むことが多かったのですが、ディヴィッド・フォスターと組むことで、AOR的な雰囲気が全面に押し出されました。これがこのアルバムが成功した大きな要因でしょう。
 
レオ・セイヤーの大ヒット曲のカバー「You Make Me Feel Like Dancing」でのパティ・オースチンのパンチのあるヴォーカルも実に良い感じです。そして、通好みのスティーブ・ガットのドラムとエイブラハム・ラボリエルのベースが織りなすリズムセクションの、しなやかで粘りのあるパンチの効いたビートは「心地良し」の一言。やはり、純ジャズもフュージョン・ジャズも名盤と呼ばれるアルバムのセッションには、優れたリズム・セクション有り、ですよね〜。
  
フュージョン・ジャズってどんな音なんですか、と聴かれたら、まずはこのアルバム。良いアルバムです。そして、この晩秋の夜長には、アコースティックサウンドが沁みる、極上のバラード曲「Midnight Lady」に耳を傾けて、心からしみじみして、遠く過ぎた若き日の、悲しき恋などを思い出して、ちょっとニヤニヤしてしまったりするのだ。
 
 
 
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2010年11月23日 (火曜日)

適正なリマスターの威力

リマスターが注目された久しい。もうかれこれ15年位になるだろうか。アナログ・マスター・テープからCDへの移行、CDにはCDの特性を踏まえたリマスタリングが必要だ、ということは、今では常識となっている。

リマスターに対するケアが当たり前になった時代、今では、どのようなリマスターを施すのか、という「リマスターの思想」が重要視されるようになった。

つまりは、適正なリマスターを施されたCDは、アナログ時代の音がそのまま再現される。しかし、過度のリマスターを施されたCDは、アナログ時代の音とはほど遠い音に変質してしまう。つまり、過度のリマスターは、音楽の歴史をねじ曲げてしまうのと同様の、後生の人間としてやってはならないことをやってしまうことになる。

10月17日のブログ(左をクリック)にてご紹介したが、ジョン・レノンのオリジナル音源がリマスター再発された。そのブログでも速報でご紹介したが、ジョンのソロアルバムとして、やっとLP時代の音と比べて、違和感の無いCDがリリースされたと言って良いくらい、素晴らしいリマスターだった。

リマスターの方法としては、2009年ビートルズリマスター盤の制作方針と同様で、テープノイズの除去やピーク・リミッターを必ず使用する、従来のリマスターの踏襲では無く、ノイズの除去とピーク・リミッターの仕様は極力控えめにし、音圧の向上も必要最低限に留める、という、あくまで、アナログ・マスター・テープの音を尊重する方針です。

僕は、この方針については全面的に指示しているので、今回のジョンのオリジナル音源のリマスター再発については全く文句は無いのだが、その「適正なリマスターの威力」が最大限に発揮されたアルバムが『Imagine』(写真左)だろう。

John_lennon_imagine

この『Imagine』は、ジャケット写真のイメージと同様、うっすらとベールがかかったようなエコーとホワイトノイズの存在が特徴の、制作者の意図が十分反映されたミックスとなっている。2000年のミレニアム・エディションは、過度なリマスターのみならず、リミックスまで施した、アルバムがリリースされたアナログ時代の音とは全く違った「デジタルで過度のダイナミックな音」に変身してしまった。これはもちろん、アナログ時代のオリジナル音源の音に親しんだ我々に取っては認められる音では無い。

しかし、今回のリマスターは秀逸。アナログ・オリジナル音源を尊重し、うっすらとベールがかかったようなエコーとホワイトノイズをしっかりと残し、特に、ホワイトノイズについては、音の雰囲気が損なわれないだけの最低限のノイズ除去に留めており、バックの楽器の輪郭がクッキリと浮かび上がると同時に、このアルバムの持つ独特のうっすらとベールがかかったような、柔らかでシルキーなエコーはしっかりと残っているところは心から感心する。

アナログ時代の音がほとんどそのままに残っている素晴らしいリマスターである。しかも、出来る限り、それぞれの楽器の音の輪郭が浮き出てくるような、必要最低限のノイズ除去が実に職人芸である。それぞれの楽器の音の輪郭が浮き出てくることによって、それぞれの楽曲について、音のメリハリが全面に出て、実にポジティブな音の輪郭になっている。

今回のリマスターCDによって、この『Imagine』をやっと聴き直すことができた。なんせ、2000年のミレニアム・エディションは1回聴いただけで「お蔵入り」だったからなあ。やっと、繰り返し聴き返すことの出来る、やっと繰り返し「愛でる」ことのできる『Imagine』が手元にある。長生きはしてみるものである。実に幸せなことである。 
 
 
 
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2010年11月22日 (月曜日)

懐かしの「ガッド・ギャング」

さすがに寄る年波に勝てないのか、スティーブ・ガッドの衰えが目立つ。基本的にはパワーで押すドラマーなので、力を抜いての「小粋な」ドラミングに移行するには無理がある。
 
もう、あの縦ノリのデジタルなパワードラミングは聴くことができないのか、とちょっと淋しい気分にドップリな時に、ガッドの新しいアルバムがリリースされた。今年の7月、スティーブ・ガッドがリーダー名義のライブ盤『Live at Voce』(写真左)。邦題は単純に『ガッド・ライヴ!』。これでは面白くも何ともない。日本のレコード会社の、ガッドに対する気合いの無さが良く判る邦題である(笑)。
 
さてさて、この『Live at Voce』であるが、2009年11月17日、アリゾナのVoce Restaurant でのライブ録音。ちなみにパーソネルは、Steve Gadd(ds), Joey Defrancesco(Hammond B3, tp), Ronnie Cuber(bs), Paul Bollenback(g)。
 
ガッド・ギャング時代からの盟友、バリトン・サックスのロニー・キューバが懐かしい。そして、ジョーイ・デフランセスコのオルガンが、どこまでガッドとの相性を感じさせてくれるのか、加えて、ポール・ボーレンバックのギターはどうなのか。このパーソネルを見ると、今までに無い、新しい音世界を体験することが出来るのではないか、という期待感がふつふつ湧いてくる。
 
さて、このライブ盤、ジャズやR&Bの懐かしいスタンダード曲を演奏しているので、はたまた、ガッド・ギャング時代の手慣れた曲を結構演奏しているので安定感がある。特に、ガッド・ギャング時代の演奏曲では、さすがにバリトン・サックスのロニー・キューバが活き活きと演奏している。フュージョンのオールドファンとしては、懐かしの「ガッド・ギャング」である。
 
Stevegadd_liveatvoce
 
このライブ盤を聴き通して思うのは、やっていることは、ガッド・ギャング時代の演奏の雰囲気とほとんど変わらない。R&Bを基調としたシンプルなフュージョン路線が基本である。それでも、4ビート基調曲が半分ぐらいあって、ライブ全体の演奏の雰囲気はフュージョンっていう感じではない。ライトなコンテンポラリー・ジャズって感じかな。
 
ジョーイ・デフランセスコのオルガンはシンプルな響きで、オルガン独特の「こてこてファンキー」な雰囲気は全く無い。「こてこてファンキー」というよりは、あっさりとしたフラットな響きの中に、そこはかとなくファンキーな雰囲気がうっすらと漂うって感じかな。それでいて、紡ぎ出すフレーズは鋭角で先鋭的な響きを宿しており、ジョーイ・デフランセスコのオルガンは、実にプログレッシブな響きが特徴。ジャズ・オルガンにもいろいろあって楽しい。
 
主役のスティーブ・ガッドのドラミングと言えば、なかなかに健闘していると思います。懐かしの「ガッド・ギャング」の雰囲気を踏襲しているので、実にリラックスして楽しそうにドラムを叩いている様子が感じられて微笑ましいですね。さすがにリーダー作なので、ドラミングの見せ場はそこここに感じられるし、4ビート部分のバッキングも往年の雰囲気を醸し出していて、実に格好良い。
 
バリトン・サックスのキューバも、ライブだけあって、豪放磊落、バリサクを吹きまくって、それはそれは豪快極まりないし、フランセスコはどの曲も終始ノリノリに弾きまくって良い感じ。僕はあまり良く知らなかったが、ギターのボーレンバックも、場面場面で効果的にR&B的なフレーズを繰り出しながらも、基本的には、正統派スウィンギーなギターが良い感じ。
 
最近のスティーブ・ガッドとしては、なかなかの内容のライブ盤だと思います。音的には、キューバのバリトン・サックスとスティーブ・ガッドのバスドラ、デフランセスコのオルガンのベース音、と低音が「肝」のライブなので、このライブ盤の音は、低音の響きが「キー」です。低音がしっかり出せる、まずまず以上のステレオ装置で聴くことをお勧めします。低音がしっかり出ないと、アルバム全体の音が細る感じになって、ちょっと不満が出たりします。
 
 
 
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2010年11月21日 (日曜日)

『Band On The Run』特別盤

ポール・マッカートニー&ウイングス(Paul McCartney & Wings)の『バンド・オン・ザ・ラン』(写真左)がデラックス・エディション化されました。当初は8月リリースの予定でしたが11月まで延期となり、やきもきしましたが、なんとか無事発売にこぎ着けた様です。
 
レーベル移籍に伴ってデラックス・エディション盤としていリリースとのことですが、この『バンド・オン・ザ・ラン』って、手を変え品を変え再リリースされるアルバムで、最近では「25周年記念ボックス盤」なんてものもありました。
 
今回の再発は、以下の様に4種類のバージョンがあります。日本ではLPバージョンは発売されませんでした。しかも「3CD+1DVD」と「2CD+1DVD」については、呼び名に微妙な「ずれ」があって、ちょっと混乱します。日本盤の方の呼び名の方に問題有りだと僕は思います。
 
もう「英語表記」で統一しても良いのでは無いでしょうか。「Deluxe」と「Special」の意味合いの差が判らない年代って、そうとうお年を召した年代に限られるのではないでしょうか。とにかく判りづらい。
 
3CD+1DVD:国内盤=スーパー・デラックス・エディション・輸入盤=Deluxe Edition
2CD+1DVD:国内盤=デラックス・エディション・輸入盤=Special Edition
1CD:国内盤=通常盤・輸入盤=Standard Edition
LP:国内盤=発売無し・輸入盤=Vinyl Edition
 
最初は奮発して、3CD+1DVDの「Deluxe Edition」を購入しようと思ったんですが、CD3枚目のオーディオ・ドキュメンタリーは一度聴いたら、恐らくほとんど聴かないだろうなあ、しかも、ブックレットも一度読んだら、恐らくほとんど読まないだろうなあ、と思って、最終的には、2CD+1DVDの「Special Edition」(写真右)にしました。
 
Band_on_the_run_special
 
CD1枚は当然のごとく、オリジナルの『Band On The Run』。SHM-CD仕様での提供とは知らなかったので、お買い得感有りでした。CD2枚目はボートラ集。英国盤未収録のシングル曲「Helen Wheels」を始め、ドキュメンタリー映像「ワン・ハンド・クラッピング(One Hand Clapping)」からのオーディオ・トラックなど、全9曲収めています。まあ、これは明快に「ボートラ」的なもの。
 
DVDには、プロモーションビデオやドキュメンタリー映像「ワン・ハンド・クラッピング」、レコーディング・セッション映像、アルバム・ジャケットの撮影風景などが収録されます。これは、ポールのファンであれば、ポールを知りたい方々であれば、見ていて楽しいと思います。逆に、ポール自身のキャラに、あまり興味の無い方々には、あまり有り難みが無いかも。
 
CD1枚目のオリジナル盤の音は、現時点で最高だと評価しています。リマスターの方法としては、テープノイズの除去やピーク・リミッターを必ず使用する、従来のリマスターの踏襲では無く、2009年ビートルズリマスター盤の制作方針に準拠しながら行なわれたとのことです。僕は、2009年ビートルズリマスター盤の制作方針を支持していますので、今回のオリジナルの『Band On The Run』のリマスターには大満足です。
 
とにかく、オリジナル盤の今回のリマスターは「買い」だと思います。一般の70年代ロック者の方々であれば「Standard Edition」、一般のポール者の方々であれば「Special Edition」、コアなポール命の方々であれば「Deluxe Edition」がお勧めでしょうか。

「Deluxe Edition」は、約1万円と高額ですので(日本盤の「スーパー・デラックス・エディション」も同程度)、この1万円の価値をどう見るかで、「Deluxe Edition」の評価が分かれるでしょう。 
  
 
 
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2010年11月20日 (土曜日)

晩秋の「ゴルソン・ハーモニー」

ファンキーで郷愁感漂う雰囲気が独特なグルーブを供給する。ふくよかで、特徴的な中低音のユニゾン&ハーモニー。一聴すれば、直ぐにそれと判る。「ゴルソン・ハーモニー」の特徴である。

サックス奏者であるベニー・ゴルソン(Benny Golson)の必殺の「編曲」技なのだが、このベニー・ゴルソンって人、テナー奏者としてよりは、アレンジャーとして優れた才能を発揮したことで知られています。ちなみにベニー・ゴルソンは、1929年生まれですがら、今年で81歳になりますが、まだまだ現役で頑張っているようです。

そういえば、ゴルソンは2004年のスティーヴン・スピルバーグ監督の映画『ターミナル』に、カメオ出演していましたね。最後のサインの主がゴルソンだったかと。まだまだ元気な姿に頼もしさを覚えました。

さて、ベニー・ゴルソンと言えば「ゴルソン・ハーモニー」が絶対的定番なんですが、そのゴルソン・ハーモニーを堪能するには、やはり、ベニー・ゴルソンのリーダー作に耳を傾けるのが一番でしょう。

ベニー・ゴルソンのリーダー作はいろいろありますが、この晩秋の雰囲気にピッタリの、ゆったりとしたミドルテンポの曲が多く、心ゆくまでゴルソン・ハーモニーが堪能できるアルバムが『Benny Golson's New York Scene』(写真左)。1957年10月の録音。ちなみにパーソネルは、Benny Golson (ts), Art Farmer (tp), Wynton Kelly (p), Paul Chambers (b), Charlie Persip (ds)。
 

Bgolson_ny_scene

 
パーソネルを改めて見渡すと、いやはや素晴らしいメンバー構成です。このアルバムのゴルソン・ハーモニーの哀愁感を惹き立たせるような、明るい哀愁感を提供してくれるのが、ウィントン・ケリーのピアノ。ゴルソン・ハーモニーに欠かせないブリリアントで明朗感あふれ、ファンキーの香り芳しいアート・ファーマーのトランペット。そして、このアルバムでは、テナー奏者としても健闘しているゴルソンの「ウネウネ・テナー」。

このゴルソンのテナー、ファーマーのペット、そしてケリーのピアノの3者で、あの独特な響きを持つ「ゴルソン・ハーモニー」を生み出すのですから堪りません。このアルバムでのゴルソン・ハーモニーは、やや抑え気味の、明るく趣味の良いファンキー感が特徴です。これは恐らく、ウィントン・ケリーのピアノのたまものでしょう。チェンバースのベースとパーシップのドラムの堅実なサポートも落ち着きが合って、安定感抜群。

アルバム全体として、実に均整の取れた、バランスの良い、控えめなファンキーさが、このアルバムの魅力です。このやや控えめなファンキーさが、この晩秋の、やや物寂しいさ漂う、凛とした空気にピッタリです。

ジャズ的な強烈なパンチある音を聴くのではなく、趣味の良いゴルソン・ハーモニーを愛でるアルバムとして、ゆったりとジャズを聴きたい向きにピッタリでしょう。ただし、ゴルソンのテナーは、ちょっと癖があるテナーの響きが特徴なので、ジャズ者初心者の方々からすると、好みがハッキリと分かれるかと。ジャズ者中級者向きだと思っています。
  
 
 
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2010年11月18日 (木曜日)

晩秋の夜長に染みわたる・・・

寒くなった。まだ11月の中旬なんだが、今年は寒くなるのが早い。夜が来るのも早くなった。もう夕方の6時で真っ暗である。寒くて暗い、実に淋しい晩秋である。
 
しかし、僕はこの晩秋の季節が意外に好きだ。とても物寂しいんだが、心が穏やかで、音楽を聴くのに、本を読むのに、感覚が他の季節より、研ぎ澄まされているようで、音楽や本の感動がすんなり心に滑り込んでくる。この「すんなり」滑り込んでくる感覚は、この晩秋の季節ならではのもの。
 
そんな僕にとっての「晩秋」にピッタリのアルバムが何十枚かある。そんな何十枚かの中の、とびきりのジャズ・アルバムの一枚が、Bill Evans & Jim Hallの『Undercurrent』(写真左)。現代ジャズ・ピアノの発祥・ビル・エヴァンスとギターの職人・ジム・ホールの二人のコラボレーション・アルバムである。
 
このアルバムについては、様々なジャズ紹介本や入門本で採りあげられ、その内容については語られ尽くされた感があるので、ここでは細かくは述べないが、このデュオ・セッションの内容は奇跡に近い内容が詰まっている。
 
ピアノとギターは非常に良く似た楽器である。単音のみならず和音もでる。アルペジオも出来る。弦を掻きむしることもできるし、和音を連続して弾くことで、リズム楽器としての機能を果たすことも出来る。音のスケールも良く似通っている。つまり、ピアノとギターはあまりに似通っているので、デュオでコラボすると、音がぶつかるのだ。
 
ジャズの世界では、楽譜の無い、インプロビゼーションが中心の演奏であるが故、ピアノとギターのデュオは数少ない。クラシックは楽譜があるので、作曲し、楽譜に落とす段階で、ピアノとギターの音の衝突は事前回避できる。よって、クラシックの世界では、ピアノとギターのコラボはある。
 
 
Evans_hall_undercurrent  
 
 
しかし、ジャズは再現性の無い、インプロビゼーションの世界。よっぽど、お互いの音の出し方の癖や好みなどを知り尽くし、お互いのテクニックが抜きんでていないと、必ずと言って良いほど音がぶつかる。音がぶつかると聴いていて違和感を感じる。演奏している方だって、音がぶつかると、とっても気持ちが悪い。
 
しかし、このアルバムでは、このピアノとギターの音のぶつかりが見事なほど回避されている。といって、エバンスとホールは、ある一定期間、演奏活動を共にして、ギグを繰り返し、デュオの感覚を積み上げていった訳では無い。1962年4月24日に「Sound Makers」というスタジオで顔を合わせて、いきなりこの難度の高いデュオ演奏にチャレンジした。
 
奇跡的な演奏は、冒頭の「My Funny Valentine」。この演奏のテンポの速さは異常である。この速いテンポの中で、エバンスとホールは、限りなくテンション高く、呆れかえるほどの高度なテクニックを駆使し、他の追従を決して許さない、凄まじい内容のデュオ演奏を繰り広げる。何度も言う。このテンポの速さは異常である。故に、この「My Funny Valentine」は、ジャズのインプロビゼーションの中で、ピアノとギターのデュオ演奏として、史上最高の傑作として君臨している。
 
2曲目以降は、さすがに、スローテンポからミドルテンポの演奏に終始しているが、今度は、このスローテンポからミドルテンポの演奏の中で、お互いに「絶妙の間」を活かした、非常にスリリングでありながら、余裕のある、唯一無二の、優しく荘厳な内容のデュオ演奏を繰り広げる。決して、音が変にぶつかることは、ここでも「無い」。例えば、5曲目の「Skating In Central Park」なぞ、絶品中の絶品。絶妙の間、柔らかな絡み、そして心地良い響きのユニゾン&ハーモニー。
 
緩急の妙。アレンジの妙。このBill Evans & Jim Hallの『Undercurrent』は、冒頭の高速テンポの奇跡的なデュオ演奏「My Funny Valentine」で「歴史的な名盤」となった。そして、2曲目以降のスローテンポからミドルテンポの優しく荘厳な内容のデュオ演奏によって「ジャズ者達の愛聴盤」となった。 
 
 
 
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2010年11月17日 (水曜日)

契約の穴埋めとは思えない...

CBSに移籍して『浪漫の騎士』をリリース。この『浪漫の騎士』の内容が異常に素晴らしく、この時点で、Return To Forever としてやることがなくなったチック・コリア。それでも、契約は残っている。それでは仕方が無いなあ、ということで録音したアルバムが『Musicmagic』(写真左)。
 
単にレコード会社との契約の穴埋めに為に録音されたアルバムである。きっと内容は凡百に違いないと思いきや、そうではないどころが、この出来って一体何、と思わせてしまうのがチックの凄さ。そう、このレコード会社との契約の穴埋めに為に録音された『Musicmagic』。その内容はなかなか充実していて、チック者として実に興味深い内容となっていて、チックのコンポーザー&アレンジャーとしての力量を改めて思い知ることとなる。
 
ちなみに、このアルバムのパーソネルは、Chick Corea(key), Stanly Clark(b,vo), Joe Farrell(ts,ss,fl,piccolo), Gayle Moran(vo,key), Gerry Brown(ds), John Thomas(tp,flh), James Tinsley(tp,flh), Jim Pugh(tb), Harold Garrett(tb)。1977年1月、2月の録音。

前の第2期RTFからの参加はスタン・クラークのみで、既にアル・ディ・メオラはいない。他は、第1期RTFのメンバーだったジョー・ファレルと、チックのの奥方でもあるゲイル・モラン、そしてスタンのソロアルバム「スクール・ディズ」でドラムを叩いているジェリー・ブラウンが主要メンバー。
 
ということで、このアルバムは、チックのキャリアの中で、実に興味深い内容となっている。出だしの「The Musician」のイントロを聴くだけで、これはチックにしては、かなりポップな音作り、だと言うことが判る。録音した時は1977年。ディスコとAORが牽引したソフト&メロウの大ブームの真っ只中。この『Musicmagic』というアルバムは、チックのキャリアの中で、一番「ファンキー」と「ソフト&メロウ」に傾倒したアルバム内容である。
 
まずは、チックの考える「ファンキー・ジャズ」は、冒頭の「The Musician」で全開。スタンのベースがもうファンキーべちゃべちゃである。それでもチックは全編に渡ってファンキーなビートを垂れ流したりはしない。

チックのパートは実に硬派なコンテンポラリー・ジャズな演奏になっていて、チックのシンセの使い方、チックの生ピアノの絡め方は凄まじいかぎり。決して、ファンキーな雰囲気に流されず、大衆迎合的なファンキー・ジャズと時代の先端をいくコンテンポラリーなジャズとを対比させることで、コンテンポラリーなジャズの特徴が浮き彫りになるようになっている。
 
Corea_musicmagic
  
5曲目の「Do You Ever」などは、チックの考える「ソフト&メロウ」である。ゲイル・モランのボーカルのフューチャー部分は、モランのボーカルを活かすべく「ソフト&メロウ」な雰囲気を全面に出したアレンジとなっているが、インプロビゼーションに展開すると、あくまで硬派なコンテンポラリーなジャズに転換する。ここでも、チックは、決して、ソフト&メロウな雰囲気に流されず、大衆迎合的なソフト&メロウなジャズと時代の先端をいくコンテンポラリーなジャズとを対比させることで、コンテンポラリーなジャズの特徴が浮き彫りになるようになっている。
 
まあ、ファンキー・ジャズだろうが、ソフト&メロウなジャズだろうが、チックの興味の外にあったことは想像に難くない。この『Musicmagic』というアルバムだけでのみ、チックの「ファンキー」と「ソフト&メロウ」な演奏が聴ける。時代に迎合しているようで、肝心要なところは、しっかりとコンテンポラリーなジャズを展開することで、チックはジャズに留まっている。
 
そして、絶品が4曲目の「So Long Mickey Mouse」。この曲は、この演奏は、ファンキー・ジャズの要素と、ソフト&メロウなジャズの要素と、コンテンポラリーなジャズの要素とが三位一体となって、実に素晴らしい内容の「コンテンポラリーなジャズ」となっている。
 
しかし、チックが、ファンキー・ジャズを採りあげ、ソフト&メロウを採りあげたのは、後にも先にも、このアルバムだけである。恐らく、ファンキーとソフト&メロウは、チックのお気に召されなかった様に思う。さすがである。
 
チックは多才な音楽性が故に「カメレオン」と揶揄されたり、「商業主義」と揶揄されたりするがとんでもない。ファンキー・ブームにもソフト&メロウ・ブームにも、はたまたディスコ・ブームにも、決して迎合することはなかった。チックの本質は、アコピをのみ使った純ジャズの世界とエレピとアコピを適材適所に効果的に配したコンテンポラリーなジャズの2種類である。それがどうして、「カメレオン」と揶揄されたり、「商業主義」と揶揄されたりするのかが未だ判らない。
 
でも、このレコード会社との契約の穴埋めに為に録音された『Musicmagic』を聴くにつけ、ある方面で、チックが、単に嫌がらせ気分で、やっかみ半分で「スタンスがコロコロ変わる」と心無い評価をされるのは良く判る。このアルバムって、レコード会社との契約の穴埋めに為に録音されたものですよ。それなのに、このなかなかに充実した内容は、実に「可愛げが無い」(笑)。破綻の無いアプローチで粛々と、様々なフォーマットにチャレンジし、実績を見せつけるチックは、やはり、心無い方面からは「嫌われる」(笑)。
 
チックの興味の範疇外であろう、ファンキー・ジャズ、そして、ソフト&メロウなジャズをも、これだけの演奏水準にしてしまうのだ。しかも、決して流行に流されることなく、コンテンポラリーなジャズとしての主張もしっかりと全面に押し出している。このスタンスは、マイルス譲りに感じ、感服するばかり。
 
このアルバムは、チックのコンポーザー&アレンジャーとしての力量を見せつけ、チックの音楽ジャンルに対する限りなく柔軟なフレキシビリティを見せつけてくれる。そして、ファンキー・ジャズ、そして、ソフト&メロウなジャズには心からは全く迎合していない、という「硬派なジャズメンとしての矜持」を、チックは僕たちに示してくれるのだ。 
 
 
 
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2010年11月16日 (火曜日)

これは絶対に「名盤」である。

このアルバムは初めて聴いた時から、絶対に「名盤」だと思っている。ジャズ者初心者、まだジャズを聴き始めて3ヶ月くらいで、このアルバムを手に入れた。ソニー・ロリンズの『Saxophone Colossus』(写真左)。片仮名表記で「サキソフォン・コロッサス」、略称「サキコロ」である。
 
ジャズ者初心者駆け出しの頃、ジャズ・テナー奏者で真っ先に覚えたミュージシャンの名前が、ソニー・ロリンズだった。そして、ジャズ・アルバム紹介本では、この「サキコロ」が絶対的名盤と書かれていた。このアルバム・ジャケットのデザインにも惹かれた。廉価盤ではない、正式盤を購入した。LPの盤が廉価盤に比べて分厚く、良い音がした。
 
このアルバムはプレスティッジ・レーベルからのリリース。このアルバムのセッションも、プレスティッジお得意の、ほとんどリハーサル無しのジャム・セッション風録音の一発勝負。それが良く判るのが、冒頭のロリンズオリジナル、カリプソの名曲「St. Thomas(セント・トーマス)」。
 
印象的なカリプソチックなテーマの後、ロリンズが一番手としてソロを取るが、アドリブのフレーズを絞り出すように、アドリブのフレーズを吹き出すタイミングを計るように、ブホブホブホとテナーを続け様に鳴らす。
 
何時出るのか、何時出るのか、と待っていたら、いきなりブワーッとロリンズのアドリブが堰を切ったように流れ出てくる。これって、リハーサルを積んでいたら、もっとスムーズに出るはず。リハーサル無しの一発勝負ならではの緊張感を強く感じる。
 
このロリンズのアドリブソロのフレーズを絞り出すような感じは、このアルバムに収録された全ての演奏について言える。グッとこらえて、ジッとイマジネーションが高まるのを待ち、閃いた瞬間にブワーッと吹きまくる。そして、このアルバムでのロリンズのアドリブソロは、どれもが素晴らしいものばかり。まず、このアルバムを「名盤」たらしめているのは、ロリンズのアドリブソロの素晴らしさである。

Sonny_saxcolo
 
そして、このアルバムでも、ロリンズは共演のサイドメンのアドリブソロにまとまった時間を与えている。本当にロリンズって律儀である。特に、先輩格のドラムのマックス・ローチには、かなりふんだんにソロのパートを与えている。そして、ローチは、お得意の「ビ・バップ」なドラミングをふんだんに披露するのだが、これが実にモダンなドラミングなのだ。
 
単純なビートを叩き出すだけの「ビ・バップ」なドラミングではない。「ビ・バップ」なドラミングの語法をベースにしながら、様々なテクニックで変化をつけていく。ローチって、こんなにモダンなドラムを叩いたっけ。そして、フロントのロリンズのテナーとのタイミングもバッチリ。第2に、このアルバムを「名盤」たらしめているのは、ローチのドラミングの素晴らしさである。
 
さらに、ピアノのトミー・フラナガンが絶妙な「伴奏の妙」を聴かせる。バップ的なソロもさることながら、スローなバラードでの、まさに歌伴のような洒脱なフラナガンのピアノは絶妙である。歌うように吹き上げるロリンズのテナー、そのバックで、時に目立たないようにキーを供給し、ソロ・パートでは洒脱なバップ・ピアノを聴かせてくれる。第3に、このアルバムを「名盤」たらしめているのは、フラナガンの洒脱で機微を心得たピアノの素晴らしさである。
 
そして、忘れてはいけない、ベースのダグ・ワトキンス。とにかく太くて粘りがあり、それでいて柔軟なワトキンスのベース。そのワトキンスのベースの名演はラストの「Blue 7」でふんだんに聴くことができる。揺らぎのない、確信に満ちた、野太いビート。このワトキンスのベースがあればこそ、他のメンバーは心おきなくアドリブソロを繰り広げることが出来る。最後に、このアルバムを「名盤」たらしめているのは、ワトキンスのベースの素晴らしさである。
 
この『サキコロ』については、ほとんどリハーサル無しの一発勝負でありながら、ロリンズのテナーの素晴らしさのみならず、共演してメンバーそれぞれが、それぞれの最高レベルのアドリブソロを繰り広げているところに、ジャズ界の永遠の「名盤」と呼ばれる所以がある。このアルバムには、ジャズの醍醐味がぎっしりと詰まっている。
 
最後にこのアルバムのパーソネルを挙げておく。Sonny Rollins (ts) Tommy Flanagan (p) Doug Watkins (b) Max Roach (ds)。ちなみに、この録音は、HackensackのRudy Van Gelder Studioでの収録。今から54年前。1956年6月22日の出来事である。 
 
 
 
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2010年11月15日 (月曜日)

ロリンズ 対 コルトレーン

昔から沢山あるジャズ入門本、そして、ジャズ・アルバム紹介本。確かに良く書けているし、確かに良く整理されている。でも、その内容が絶対でないことは、ジャズを聴き始めて30余年、身にしみて判っている。
 
例えば、Sonny Rollonsの『Tenor Madness』(写真左)。二大テナー奏者である、ロリンズ 対 コルトレーンのテナー・バトルが聴ける、との触れ込みの有名盤である。1956年5月の録音。ちなみにパーソネルは、Sonny Rollins (ts) John Coltrane (ts) Red Garland (p) Paul Chambers (b) Philly Joe Jones (ds) 。当時、先取精鋭のマイルス・クインテットが御大抜きでロリンズに付き合った、プレスティッジ・レーベルお得意のジャム・セッション風アルバム。
 
ロリンズ 対 コルトレーンのテナー・バトルが聴ける、との触れ込みではあるが、この二人のバトルは冒頭の表題曲「Tenor Madness」のみで聴けるだけ。後はマイルス・クインテットのリズムセクションをバックにした、ロリンズのテナーのワンホーン作品。
 
コルトレーンはたまたま遊びに来ていたらしい。コルトレーンを引き込んでバトルをやったら面白かろうというノリで「Tenor Madness」。当時、コルトレーンはまだまだ駆け出しの発展途上。かたやロリンズは、若きテナー・ヒーロー。その立場の違いだけで、吹く前から既にロリンズの余裕勝ちなのだが、実際にロリンズは余裕で、コルトレーンの流儀でテナーを吹く。
 
コルトレーンはそれに挑みかかるが、如何せん、駆け出し発展途上。コルトレーン、まだまだだな、って感じなんだが、とにかくロリンズより吹きまくろうとしている様子はありあり。そのひたむきさと図々しさは、さすがコルトレーン(笑)。しかし、ジャズ入門本の中には、コルトレーンの圧倒的勝利なんて書いているものもあって、どんな耳をしているのかしらん、と訝しく思ったりする。
 
でも、ロリンズのユーモアとコルトレーンに対する思いやり、そして、それを受けたコルトレーンの生真面目さが良く出ていて、以外とこのセッションの雰囲気、きっと和やかだったんだろうな、と想像する。
 
 
Tenor_madness
 
  
2曲目以降は、マイルス・クインテットのリズムセクションをバックにした、ロリンズのテナーのワンホーン演奏。一応、ロリンズ名義のリーダーアルバムなので、ロリンズのテナーが全編に渡ってフィーチャーされる。
 
が、しかし、どの曲もどの曲も、ロリンズが我が者顔で吹きまくるのでは無く、ピアノのガーランド、ベースのチェンバース、ドラムのフィリージョー、それぞれにしっかりと長尺のソロパートを与えているところが面白い。テナーのワンホーンである。ペットと違って、テナーは長時間のソロに耐える楽器なので、吹きまくるところなのだが、ロリンズはしない。バックのリズム・セクションにしっかりとまとまった時間のソロ演奏のパートを与えているのだ。
 
2曲目以降の演奏が、ロリンズお得意のミドルテンポでの歌ものが中心なので、バックのリズム・セクションにしっかりとまとまった時間のソロ演奏のパートを与えている分、ロリンズのソロ演奏が短いのが残念だ。もっと我が儘に吹きまくって欲しかったなあ。当時、今をときめく、マイルス・クインテットのリズムセクションがバックですぜ。吹きまくるロリンズに対するバッキングの妙も聴いてみたかったなあ。
 
それでも、逆に返すと、ロリンズの律儀さ、ロリンズの真面目さがなんとなく感じられて、これはこれで面白い。まあ、当時、今をときめくマイルス・クインテットのリズムセクションだもんな。敬意を表して、まとまった時間のソロ演奏のパートを与えるなんて、ロリンズらしいといえばロリンズらしい(微笑)。
 
この『Tenor Madness』、ロリンズ 対 コルトレーンのテナー・バトルはそれほどでもなく、2曲目以降のロリンズのワンホーンの演奏も、バックのリズム・セクションにしっかりとまとまった時間のソロ演奏のパートを与えている分、演奏全体が冗長に感じられて、ちょっとガッカリします。
 
一部のジャズ入門本、ジャズ・アルバム紹介本では「名盤」として紹介されていますが、それ程のものではないのでは、と僕は思います。ロリンズ者には必聴ですが、ジャズ者初心者の方々が真っ先に聴くべきものではないでしょう。ジャズ者中級者向け。 
  
  
  
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2010年11月14日 (日曜日)

Norah Jones・Live In 2007

Norah Jones(ノラ・ジョーンズ)。米国のピアノ弾き語りジャズ歌手、ジャズ・ピアニスト。もう今や、非常に有名な女性ボーカリストです。
 
デビューアルバム『Come away with me』(邦題:『ノラ・ジョーンズ』)で一世を風靡。1800万枚を売り上げ、グラミー賞では主要4部門を含めノミネート部門すべてで受賞し8冠を獲得。凄まじいばかりの「21世紀の歌姫」のデビューであった。
 
父はインド人のシタール奏者、ラヴィ・シャンカール。「蛙の子は蛙」である。この新しい女性ボーカルのスタイルは、ブルーノート・レーベルからのリリース。ブルーノートの先取性と歴史を感じる。
 
そのボーカルは、ジャズ・ボーカルの類に属する。決してポップス系のボーカルでは無い。ジャズ・ボーカルの類に属するとはいえ、フェイクやビブラートはかなり控えめ。それでも、かすかな揺らぎのあるビブラートは聴いていて実に心地良い。少し低めのキーで、ややくすんだような、それでいて、真っ直ぐナチュラルに伸びるボーカルは、さすがに唯一無二のものである。一度聴いたら忘れない。そんな特徴的なボーカルである。
 
アルバムを重ねる毎に明確になってきているが、デビュー当時のライトなジャズ的なアレンジから派生して、米国伝統のさまざまな音楽を取り入れたアレンジが色濃くなってきている。米国ルーツ・ミュージックの要素を十分に練りに練って、優れたアレンジとして取り入れている。
 
この音の雰囲気は、1970年代前半、米国ルーツ・ロックの源、ザ・バンドのアレンジに顕著に聴かれるもの。しかし、ノラ・ジョーンズのアレンジは実に現代的。21世紀ならではの、20世紀の様々なロックやR&Bを含めた、非常に優れたアレンジとなっている。
 
Norah_jones_live2007
 
その「米国伝統のさまざまな音楽を取り入れたアレンジ」をベースに、ノラ・ジョーンズのボーカルを心ゆくまでに堪能できる「音源」が『Live In 2007 vol.1〜3』(写真)。「音源」というのはデジタル配信限定で、この「音源」はCDのアルバムになっていない。vol.1〜3、いずれも全編約20分弱。ミニアルバムという風情。試聴するには、vol.1〜3と連続して聴いた方が聴き応えがある。
 
速いビートの曲は無い。いずれの曲もミドルからスローなビートの曲調で、ノラ・ジョーンズのボーカルが一番に映えるビートで統一されている。このビートの選択が実に良い。このビートが「米国伝統のさまざまな音楽」のテンポであり、「米国伝統のさまざまな音楽を取り入れたアレンジ」が一番映えるビートである。
 
「ジャズはビート」というが、ノラ・ジョーンズのバンドは、このビートの選択が実に巧みである。全ては、ノラ・ジョーンズのボーカルの為にある。
 
僕にとっては、この『Live In 2007 vol.1〜3』の音は「至福の音」である。そもそも、僕は、米国ルーツ・ミュージック、米国ルーツ・ロックが大好きですからね〜。この「音源」のノラ・ジョーンズの音は大好きです。「癒し」が欲しい時に、良く選択する「音源」です。
 
これからのノラ・ジョーンズの展開が楽しみです。このまま、ドップリ「米国伝統のさまざまな音楽を取り入れたアレンジ」を深めていくのか、はたまた原点回帰でジャジーな音世界に戻るのか。まあ、僕にとってはどちらでもOK。つまりは、ノラ・ジョーンズのボーカルであれば、なんでもOKな感じなんですよね。本当に魅力的なボーカルです。 
 
 
  
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2010年11月13日 (土曜日)

ピアノ・トリオの代表的名盤・16

大変久しぶりに「ピアノ・トリオの代表的名盤」シリーズ。今年の6月6日以来の復活。第16回目である。
  
今年の夏は酷暑でしたからね。この酷暑が去るまで、ピアノ・トリオを落ち着いて愛でる時間がなかなか無かったような気がします。それと「ピアノ・トリオの代表的名盤」としては、前の15回シリーズで、まず第一グループとしての「ピアノ・トリオの代表的名盤」は押さえることができたのではないか、ということで、暫く、次の展開についての仕込みをしていました。
 
この「ピアノ・トリオの代表的名盤」シリーズは、ジャズ者初心者の方々が、ピアノ・トリオが良いのですが、松和のマスターとして、お勧めのピアノ・トリオとして、どんなトリオがありますか、との質問が多く、その質問の回答として答えていた「ピアノ・トリオのアルバム」をブログ記事として書き留めていったものです。
 
ジャズ者ベテランの方には、この「ピアノ・トリオの代表的名盤」のアルバム選択に異論のある向きもあると思いますが、主旨としては前述の様な主旨なので、ジャズ喫茶のマスターとして、趣味性が希薄な部分は平にご容赦を・・・(笑)。
 
さて、今回は、Monty Alexander『Montreux Alexander Trio Live!』をご紹介しましょう。Monty Alexanderは「モンティ・アレキサンダー」と読みます。Monty Alexander は1944年ジャマイカ生まれで、首都 Kingstonで富裕な層に育ったそうです。アルバム・ジャケットで見て取れる風貌は、まるで「ジョージ・ルーカス」(笑)。なかなか貴公子然としていますが、当時は1976年。今では白髪の良く似合うオッチャン(写真右)ですが、いやはや、貫禄がつきましたなあ(笑)。
 
さて、モンティのジャズ・ピアニストのスタイルとしては オスカー・ピーターソンの直系に位置されています。テクニック抜群、力強いタッチ、スケールの大きい弾きっぷり、下世話な位判り易い展開。確かにピーターソン直系ですね。さしずめ「細めのピーターソン」といったところでしょうか。とにかく、鑑賞に耐えるレベルですが、笑える位にピアノを弾きまくります。恐らく、ピアノ・トリオの代表的名盤を輩出したピアニストの中では、かなりの饒舌の部類、というか、一番饒舌ではないかと思います。
 
さて、このライブ盤は、1976年6月、スイスのモントゥルー・ジャズ・フェスティヴァルで録音されたライヴ盤です。ちなみにパーソネルは、Monty Alexander (p), John Clayton (b), Jeff Hamilton (ds)。実に渋いリズムセクションのサポートをバックに、モンティが、ライブならではの、ご機嫌すぎるくらいの「大スウィング大会」を展開しています。
 

Monty_alex_live

 
冒頭の「Nite Mist Blues」が、まず渋い。いきなり「饒舌なモンティ」でガツンとやられます(笑)。力強いタッチ、スケールの大きい弾きっぷりが感じられて、この曲の冒頭30秒のピアノを聴けば「ああ、これはモンティやなあ」と判るくらい、相当にモンティらしい弾きっぷりが見事です。バックのクレイトンのベースはブンブン唸り、ハミルトンのドラミングは実に趣味の良い叩きっぷり。間の取り方が抜群で、モンティの饒舌なフレーズが耳に付くことはありません。かえって、モンティの個性が浮かび上がってきます。
 
次の「Feelings」は、この主旋律を聴いて、これはハイ・ファイ・セットの「フィーリング」ではないのか、と思う方は私と同世代です(笑)。もともとこれは、ブラジルのシンガーソングライター・モーリス・アルバート(Morris Albert)が1975年にリリースしたシングル曲のカバーですが、翌年のモントゥルー・ジャズ・フェスティヴァルという大舞台で、いきなり、このちょっと俗っぽい旋律を持つポップス曲のカバーを演奏するなんて、下世話な位判り易い展開を旨とするモンティの面目躍如と言えるでしょう(笑)。
 
この「下世話な位判り易い展開を旨とするモンティ」については、ラストの「Battle Hymn Of The Republic」。邦題は「リパブリック賛歌」。この曲の主旋律を聴けば、なんだこりゃーと思ってしまいますよね。日本では「ごんべさんのあかちゃん」などと歌われた世界的に有名な曲なんですが、そこはさすがにモンティ、素晴らしいテクニックとドライブ感、そしてスケールの大きい弾きっぷりで、ライブ演奏らしい、とても楽しい演奏に仕上がっています。
 
ハイライトは、アルバム3曲目からの3連発、「Satin Doll」「Work Song」「Drown In My Tears」。この3曲は絶対に「聴き」です。この3曲にこそ、モンティの個性がギッシリ詰まっていて、この3曲を聴けば、モンティの天賦の才をしっかりと感じ取る事ができます。単に「下世話な位判り易い展開を旨とする」だけではないことが良く判る(笑)。しっかりしたテクニックに裏付けられたドライブ感とファンキーで、そこはなとなく漂うカリビアンな歌心は、モンティの最大の個性です。
 
モンティを単なるテクニック偏重型の饒舌なピアニストとして見るには、ちょっと視野が狭すぎるかと。僕は、このピアニストの持つ「独特のドライブ感」と「間の取り方」、そして、「乾いたファンキーさ」の中にそこはなとなく漂う「カリビアンな歌心」に、他には無い唯一無二の個性を感じます。
 
良いアルバムです。このライブ盤でのモンティを「上限レベルの饒舌」として、他のアルバムにも耳を傾けるのが良いかと思います。意外と耳当たりがポップで、心にポジティブなノリが欲しい時に、ピッタリのピアニストかと思います。 
 
 
 
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2010年11月12日 (金曜日)

ビッグバンド・ジャズは楽し・10

さて、久しぶりに、ビッグバンド・ジャズの特集である。シリーズ「ビッグバンド・ジャズは楽し」の今日は第10回目。題して『ビバ!Vanguard Jazz Orchestra』。

Vanguard Jazz OrchestraのCDをちょっとだけ聴いて、「これはいける、これは良い」と直感的に思った。重心の低い、正統派のビッグバンド。スイング感よりドライブ感優先。ソロイストはどれも秀逸。ベースとドラムの重低音重視の、音の底を這うようなビートが堪らない。疾走感が良い。そして、バラードのクールな歌心がまた良い。

そんなVanguard Jazz Orchestraの、僕のお目当てのアルバムは『Monday Night Live At The Village Vanguard』(写真左)。これが欲しくて欲しくて堪らない。でもCDは結構値が張る。今回、Amazonのmp3ダウンロードサイトで、やっとのことでリーズナブルな価格で手に入れた。嬉しい。

CD2枚組の『Monday Night Live At The Village Vanguard』。Vanguard Jazz Orchestraの魅力がてんこ盛り。とにかく、収録されたどの曲もどの演奏も、正統派ビッグバンド・ジャズ。基本姿勢は、スイング感よりドライブ感優先。これって、どこかのビッグバンド・ジャズに良く似ているのでは・・・。

1966年2月、サド・ジョーンズ=メル・ルイス・ジャズ・オーケストラとしてスタート。以来44年間にわたり、N.Y.の名門ジャズ・クラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」で毎週月曜日にライヴを続けているビッグバンドが、この「Vanguard Jazz Orchestra」である。

Vjo_monday_night_live

この事実、聴き始めた頃は全く知らなかった。不明を恥じます。それでも、重低音重視の、音の底を這うようなビートと、スイング感よりドライブ感優先な、切れ味鋭いアンサンブル。これって、確かに、サド・ジョーンズ=メル・ルイス・ジャズ・オーケストラの特徴を踏襲しているんですよね。

でも、正直言うと、サド・ジョーンズ=メル・ルイス・ジャズ・オーケストラ=Vanguard Jazz Orchestra というのはつい最近知った。すみません。不明を恥じてます(笑)。なんか良く似ているなあ、とは思ったんやけどなあ。フォロワーと思ってしまったんだよな〜。

2008年2月にNYのヴィレッジ・ヴァンガードで行われたライブ録音より選りすぐりの11曲を2枚のCDに収録した、秀逸なビッグバンド・ジャズのライブ盤。選曲が良いんですよね。当たり前か。数々の名作を遺した作曲家でもあるサド・ジョーンズのレパートリーを中心に選んでいるんやもんな。なんで、このVanguard Jazz Orchestraが、サッド・ジョーンズの曲を好んでチョイスするか、それもつい最近知った。何度も言うが、サド=メル・ジャズ・オーケストラ=Vanguard Jazz Orchestra なんですよね。

近年のビッグバンド・ジャズの好盤です。とにかく、正統派ビッグバンド・ジャズであることが、なによりも嬉しいし、現代ビッグバンド・ジャズの特徴でもある「スイング感よりドライブ感優先な、切れ味鋭いアンサンブル」が、しっかりと踏襲されているのも嬉しい。

第50回グラミー賞「ベスト・ラージ・アンサンブル」部門獲得アルバムでもあります。ビッグバンド・ジャズの入門盤としても最適なアルバムでもあります。良いアルバムです。聴けば判る。久しぶりに、ビッグバンド・ジャズを心から堪能しました。
 
 
 
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2010年11月11日 (木曜日)

CTIのフレディー・ハバード

昨日、CTIレーベルのお話しをしたが、CTIレーベルと言えば、フュージョン時代の雄。フュージョン・ジャズの総本山みたいなレーベルなんだが、お抱えのミュージシャンには、古くハードバップ時代から活躍した純ジャズ系のミュージシャンが沢山いた。
 
そんなハードバップの洗礼を受けた、当時ベテラン純ジャズ・ミュージシャンが、8ビートに乗った、電気楽器中心のデジタルチックなフュージョン・ジャズを演奏するはずがない(笑)。フュージョン・ジャズの総本山、CTIレーベルのアルバムの中には、意外とストレート・アヘッドな純ジャズ系の魅力的なアルバムが多々ある。
 
CTIレーベルのストレート・アヘッドな純ジャズ系のアルバムと言われて、なぜか真っ先に浮かぶのが、Freddie Hubbard(フレディー・ハバード)の『Red Clay』(写真左)。1970年1月の録音。当時はまだフュージョンというジャンル言葉は無く、クロスオーバー・ジャズなんてジャンル言葉が出だした頃。
 
ちなみにパーソネルは、 Freddie Hubbard (tp) Joe Henderson (ts) Herbie Hancock (el-p,org) Ron Carter (b,el-b) Lenny White (ds) 。なんだなんだ、ドラムのレニー・ホワイト以外は、バリバリのハード・バッパーからモーダルな新主流派の面々ではないか。このメンバーで、ロック・ビートを踏襲した、当時最先端の「クロスオーバー・ジャズ」を演るはずがない(笑)。
 
1曲目のタイトル曲「Red Clay」を聴けば、その見通しが正しいことが判る。この演奏は決して、クロスオーバー・ジャズでは無い。完璧なまでのハードバップ・ジャズである。ハービー・ハンコックのエレピが入っているので、クロスオーバー・ジャズじゃないの、と思うんだが、バックのリズム&ビートが、完璧にハードバップである。
 
でも、さすがは、ひと癖もふた癖もあるメンバーが揃っての演奏である。そのバックのリズム&ビートが、確かにハードバップではあるんだが、響きがとても新しい。エレクトリック・マイルスのポリリズムを模してるようにも聴こえるが、この「Red Clay」に圧倒的に漂うファンキーさが、下世話ではあるんだが、この演奏メンバーの底には、シッカリとハードバップが息づいていることを教えてくれる。
 

Red_clay
 
 
1970年当時、響きは新しいが、基本的にはファンキー&ハードバップなジャズである。フロントのペットのハバードとテナーのジョーヘンは生き生きとして演奏している。とにかく、この2人は、このアルバム全編に渡って、ハバードはペットを。ジョーヘンはテナーをブルブルと震わすように、心ゆくまで楽器を唄わせている。ハバードもジョーヘンも全編に渡って絶好調である。
 
逆に、1970年当時のハービーはエレピに苦戦中。この頃のハービーは、エレピをアコピに様に弾くことは出来ても、エレピ独特の奏法と音の響きを獲得するには至っていない。とにかく苦戦しながら、なんとか形になるように、なんとか個性が出るように、一生懸命、インプロしている。しかし、聴き方を変えると、ハードバップなアコピをエレピに置き換えて弾いているだけである。そう考え直して聴き直せば、その演奏ラインは天下一品、ハービーの個性満載である。
 
ベースのロンに至っては、マイルスの下でエレベが弾きたくない、というのが理由で退団に至ったということなんだが、このアルバムの3曲目「Suite Sioux」ではエレベを弾いている。苦戦していることは、この曲のロンのベースラインを聴けば良く判る。ちなみに、アコースティック・ベースのベースラインも、エレベの苦戦に引きずられて、ちょっと混迷している。それでも、しっかりとビートの底を支えているのは、このアルバムの演奏の基本が、自家薬籠中にあるハードバップにあるからだと僕は思う。
 
ドラムのレニー・ホワイトだけが、着々とハードバップでは無い、新しいビートを叩きだしている。簡単に言うと、レニー・ホワイトのドラムだけが浮いている。でも、その浮いたレニーのドラミングが、全体的にハードバップな雰囲気の演奏の中に、ポッカリと浮かび出ていて、それが、このアルバムの「新しい響き」に繋がっているのだ。
 
今の耳で聴くと、このハバードの『Red Clay』は、1970年代のハードバップな演奏のスタンダードとして、時代を先取りしている。こんなアルバムがころがっているので、CTIレーベルは面白い。総帥のクリード・テイラーも、何もイージーリスニング・ジャズだけをプロデュースしていた訳ではない。しっかりと、1970年代のハードバップをもプロデュースしていたのである。僕たちは、もっともっと、このCTIレーベルを再評価すべきである。このハバードの『Red Clay』を聴いていて、強く思いました。
 
 
 
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2010年11月10日 (水曜日)

ジョー・ファレルの「裏カモメ」

1970年代、フュージョン・シーンを一世風靡したCTIレーベル。ヒップホップ・クラッシックのトラックのネタに良く使われることでも有名なレーベル。そのCTIレーベルが再び脚光を浴びつつある。
 
僕はこのCTIレーベルのアルバムに大変お世話になった。1970年代、リアル・タイムでフュージョンの大ブームを体験した。ジャズを聴き始めたのは、1970年代後半。ちょうどCTIレーベルの有名盤が廉価盤で出だした頃で、確かLP1枚1500円。その頃LPは一枚2300円位。800円の差は大きい。しかも、CTIレーベルが醸し出すイージーリスニング・ジャズ的な内容が、ジャズ初心者の僕にとってはとても取っつきやすかった。
 
さて、それでは最近聴いているCTIレーベルのアルバムをご紹介しよう。最近、ちょくちょく聴くアルバムが、Joe Farrell(ジョー・ファレル)の『Outback』(写真左)。1971年11月の録音。ちなみにパーソネルは、Joe Farrell (ts,as,ss,fl,), Chick Corea (el-p), Elvin Jones (ds), Buster Williams (b), Airto Moreira (perc)。
 
エレピでチック・コリア、パーカションでアイアート・モレイラの参加が目を惹く。まるで、リターン・トゥ・フォーエバーではないか。そう、チックの大名盤『Return To Forever』は、1972年2月の録音。このファレルの『Outback』は、その『Return To Forever』の3ヶ月余り前の録音になる。
  
どうしてもファレルのフルート、そしてサックスの音色を聴くと、『Return To Forever』を思い浮かべてしまうんだが、この『Outback』も、冒頭の「Outback」から、なんだか『Return To Forever』を聴いているような雰囲気になる。そして、いよいよチックのエレピの音色が滑り出てくると、完全にその音世界は『Return To Forever』。
 

Outback

 
ファレルのサックスは、そのブロウ全体の雰囲気、流儀はコルトレーンだが、ファレルの方が音が丸くて、フレーズがロマンティック。テクニックは確か。高速フレーズも破綻は全く無い。実に安定したブロウを聴かせてくれる。とりわけ、フルートが素晴らしい。
 
『Outback』全編に渡って、チックのエレピ、モレイラのパーカッションとファレルのサックス&フルートが渾然一体となって、その音世界は、もう『Return To Forever』。チックのエレピのフレーズを良く聴くと、既に『Return To Forever』での有名フレーズがちょこっと顔を出している。モレイラのパーカッションは、既に『Return To Forever』である(笑)。
 
なんだか『Return To Forever』の予行演習のような雰囲気だが、さすがにファレルのリーダー作だけあって、ファレルのサックス、そしてフルートが大々的にフィーチャーされていて、心ゆくまで、ファレルの演奏を楽しむ事が出来る。
 
そして、ベースのバスター・ウィリアムスとドラムのエルビン・ジョーンズの存在が、ややもすれば、雪だるま式に加速しそうな、『Return To Forever』的雰囲気への音の流れを良い塩梅、良いところでガッチリと押さえている。モーダルでシリアスなモダン・ジャズの香りは、この2人のリズム・セクションがあってのことである。これがまた良い感じなんですな。
 
ストレート・アヘッドなジャズの香りと来るべきフュージョンのロマンティシズムが良い具合にブレンドされている好盤である。1971年、まだフュージョンという言葉は無く、クロスオーバー・ジャズと呼ばれていた時代。名匠Creed Taylorのプロデューサーとしての慧眼も威力を発揮して、この『Outback』は、ファレルの代表作となった。
 
 
 
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2010年11月 8日 (月曜日)

晩秋のヘビーローテーション

不思議とジャズは、四季折々、それぞれの季節にあったアルバムってものがある。それって僕だけかなあ。でも、ジャズを聴き始めてから30余年、振り返れば、それぞれの季節で、ヘビーローテーションになるアルバムが多々あるんですよね、これが・・・。
 
今日、ご紹介するアルバムも、ここ2〜3年、この晩秋から冬にかけて、ヘビーローテーションになるアルバムである。そのアルバムとは、西山瞳の『Cubium(キュービウム)』(写真左)。
 
ジャンル分けはあまり好きではないが、敢えて判り易く言うと、西山瞳は、ヨーロピアン・ジャズ・ピアノの範疇に位置づけられる若手ピアニストになる。彼女のピアノの響きは、ヨーロピアン・ジャズ・ピアノのそれ。決してファンキーではなく、決してブルージーでもない、クラシック・ピアノの様な豊かな響き。和声的処理に優れ、テクニックも確かながら、より「響き」を聴かせる、雰囲気型のジャズ・ピアノである。
 
自分の印象としては、ヨーロッパ系のジャズ・ピアニストよりも陰翳が淡いというか、ヨーロッパ系のジャズ・ピアニストの「響き」が油絵の印象画的な色合いの淡さ、パステル画的な色合いの淡さとすると、西山瞳のピアノの「響き」は、水彩画的な色合いの淡さ、というか、水墨画的な色合いの淡さだと感じている。これって、僕は実に日本人的な色合いの淡さだと感じているのだが、いかがだろうか。
 
この西山瞳の『Cubium(キュービウム)』でのピアノの音は、正に水墨画的な色合いの淡さが実に素敵である。決して力業に頼らず、アルバム全編に渡って、沈着冷静に、それでいてシッカリとしたテンションを張りながら、「響き」の良いジャズ・ピアノを聴かせてくれる。このアルバムの「響き」が実に良い。自分でもクラシック・ピアノを弾いていたので実感できるんだが、これだけ淡い陰翳豊かな「響き」はなかなか出せない。
 
自作曲もさることながら、スタンダードの2曲「All Of You」「All The Things You Are」が絶品である。スタンダードの解釈がそのアーティストの個性と力量を表すというが、この2曲の演奏には、西山瞳の個性と優れたアレンジの才が溢れている。心地良い、素晴らしい「響き」である。
 
Hnishiyama_cubium
 
一説にはタッチの弱さが弱点とされるが、僕はそうは思わない。この個性的な響きは大切にすべきだ。女性ピアニストならではの、繊細で豊かな「響き」である。当然、力業では男性ピアニストには敵わない。女性ピアニストには女性ならではの「利点」があると僕は思っている。この西山瞳の『Cubium(キュービウム)』を聴いていてそう思う。
 
逆に、タッチをむやみに強くして、「響き」の陰翳を濃くするとか、メリハリをつけるなんてことは考えないで欲しいと思う。このアルバムの水墨画的な色合いの淡さが実に素敵なのだ。この色合いの淡さはなかなか出せるものではない。この色合いの淡さを活かすべく、アレンジの才を発揮して欲しいと切に思う。まあ、最新作である『Parallax』では、その路線で進みつつあり、その出来も安心できるもので、まあ、あんまり心配は要らないとは思っていますが・・・。
 
この水墨画的な色合いの淡さが実に素敵な、西山瞳の『Cubium(キュービウム)』。このところの晩秋の季節にピッタリです。晴れた晩秋の昼下がり、人気の少ない部屋で、一人でひっそりと聴くのに「ピッタリ」。本でも読みながら、ゆったりとした晩秋の昼下がりを楽しむBGMとして「ピッタリ」。ほんのり暖かな日差しが射し込む、冬の昼下がりにも「ピッタリ」。晩秋から冬にかけてのヘビーローテーションになる、実に魅力的な「響き」を持ったアルバムです。
 
そう言えば、西山瞳さんのアルバムって、実はこのバーチャル音楽喫茶『松和』では良く採り上げているんですよね。
 
2008年4月21日のブログ : 『Many Seasons』
2009年5月6日のブログ : 『In Stockholm』
2010年8月9日のブログ : 『Parallax』
 
以上の日付のブログで、それぞれ西山瞳のアルバムをご紹介しています。日付をクリックして、よろしかったら、こちらもどうぞ。 
  
  
  
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2010年11月 7日 (日曜日)

The Beatles『赤盤』リマスター

やっとのことで、再リマスター再発された『ザ・ビートルズ1962-1966 (赤盤)』と『ザ・ビートルズ1967-1970(青盤)』。昨日は『青盤』について語ったが、今日は『赤盤』について。
 
今回の『赤盤』と『青盤』の再リマスターの背景については、昨日触れたので、そちらを参照頂きたいが、今回の『赤盤』と『青盤』の再リマスター再発については、どちらもLP時代の構成を踏襲し、しっかりと2枚組構成でリリースされたことは喜ばしい限り。
 
特に『赤盤』については、LPのA面とB面を合わせての収録時間がトータル31分。C面とD面も同様なので、CDのフォーマットからすると、余裕を持って1枚に収まる長さである。しかし、1993年の初CD化+デジタル・リマスター&再発時、ジョージ・マーティンが2枚組フォーマットに拘ったため、当時のLPの曲配分のままの2枚組になったとのこと。素晴らしいことである。
 
そもそも、LP時代のアルバムについては曲の構成や音そのものが「芸術的成果」なのだから、後生の人々がその時その時の環境に応じて、曲の構成や音そのものを変えるべきではない、と僕は思っている。だから、LP2枚組の構成をCD1枚に納めてしまうとか、デジタル機材の充実に伴い、ミックスをやり直すなんて、それは「音楽芸術に対する冒涜」だと思う。だから、『赤盤』と『青盤』のCD化に伴うジョージ・マーティンの見識は素晴らしい。改めて感動を覚える逸話である。
 
加えて、昨年、ビートルズについては、オリジナル・アルバムの再リマスター再発が大々的に執り行われたが、オリジナル・アルバムについては、モノラル盤、ステレオ盤共に、ちゃんとした形で再リマスターされたので、今回、この昨年の再リマスターの影響が、この『赤盤』と『青盤』、特に『赤盤』に対してはあるのかも、と危惧していたが、杞憂に終わったようだ。
 
その危惧とは、もともと『赤盤』の冒頭からの4曲「Love Me Do」「Please Please Me」「From Me To You」「She Loves You」は、LP時代よりモノラル・バージョンが収録されているんだが、今回、ステレオ・バージョンに差し替えられて、「完全ステレオ・バージョン」なる形で再発されたら最悪やなあ、と思っていたのだが、それは無かった。よかったよかった。
 
Beatles_red
 
昨日も書きましたが、この『赤盤』と『青盤』は、全世界で売れに売れたベスト盤で、このアルバムに特別な思い入れを持つファンも多く、このアルバムでビートルズに親しんだファンも多い。というか、全世界レベルでみると相当数がいる。
 
そのファンの多くは、この『赤盤』と『青盤』のアナログ盤、つまりLPを聴いていた訳で、LP時代の音を響きをCDに求めることになります。個人的にもかなり聴き親しんだベスト盤なので、後生の人々がその時その時の環境に応じて、曲の構成や音そのものを変えて、オリジナルの作品と比べて、音の雰囲気が変わるなんてあり得ないと思っています。
 
さて、そもそも今回の再リマスター再発の音についてですが、『青盤』と同様、素晴らしい音に仕上がっています。LP時代の音に最も忠実に再現されたサウンドに仕上がっていると思います。『赤盤』については、ビートルズのロックンロールな曲がズラリと並んでいて、リマスターに伴い音圧を上げて、迫力を増したいところですが、そこはグッと我慢、LP時代の音圧を踏襲して、LP時代に感じた、円やかで、しっかりとトンガった音の塊がそのまま、今回のCDに詰まっています。
 
では、昨年のオリジナル・アルバムの再リマスターと何か音が違っているのか。ネットの情報では、昨年のリマスター音源を使用しているので殆ど変わりがない、とありますが、全体的な音の雰囲気が違うように思います。
 
『赤盤』と『青盤』もベスト盤なんで、シングルやオリジナル・アルバムから曲を寄せ集めてくる訳ですが、当然、統一感のあるミックス&リマスターは施されていない。曲毎のオリジナル音源については、それぞれ雰囲気も違えば音の響きも違う。ベスト盤としての統一感を出すためにベスト盤としてのリマスターを施す必要がある、と昨日のブログに書きましたが、そのような考慮がなされている為でしょうか。
 
よしんば、昨年のリマスター音源を使用しているので殆ど変わりがない、としても、個人的には、この『赤盤』と『青盤』は買いです。オリジナル・アルバムの音源と同じでも、『赤盤』と『青盤』には、この曲順で並べられた『赤盤』と『青盤』でしか感じられないビートルズがあると思っています。単純なノスタルジアだ、と一笑に付されるかもしれませんが、LP時代、曲順を完全に覚えている位に聴き親しんだアルバムです。そんなノスタルジア優先なチョイスがあっても良いかと思っています。 
 
 
 
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2010年11月 6日 (土曜日)

The Beatles『青盤』リマスター

ビートルズファンのみならず、音楽ファン、洋楽ファンの方々でしたら、ビートルズの解散後、1973年にリリースされた伝説のベスト盤『赤盤』と『青盤』が再リマスターして再発されたことは、既にご存じかと思います。
 
ちょっとだけ、今回再発の背景をお話ししますと、先月にリリースされたのは、今回改めて、再リマスターされた、ビートルズのベスト盤である『ザ・ビートルズ1962-1966 (赤盤)』と『ザ・ビートルズ1967-1970(青盤)』。再リマスターと言えば、昨年、ビートルズのオリジナル・アルバムの再リマスター及びステレ再発、そして、ステレオBox、モノBoxのリリースは記憶に新しいところです
 
『赤盤』と『青盤』のリマスターは、ビートルズのオリジナル・アルバムのリマスターも手掛けた、EMIアビイロード・スタジオの専任エンジニア・チームによって行われています。昨年、オリジナル・アルバムの再リマスター再発があったんですが、『赤盤』『青盤』は同時にはリリースされませんでした。『赤盤』『青盤』はどうした、と思っていたんですが、なかなか、この『赤盤』『青盤』の再リマスターは難物だったようです。
 
『赤盤』と『青盤』もベスト盤なんで、シングルやオリジナル・アルバムから曲を寄せ集めてくる訳ですが、当然、統一感のあるミックス&リマスターは施されていない。曲毎のオリジナル音源については、それぞれ雰囲気も違えば、音の響きも違う。ベスト盤としての統一感を出すために、ベスト盤としてのリマスターを施す必要がある。しかも、オリジナル音源の「音の基本」を損なうことなく・・・。難物です。
 
しかも、この『赤盤』『青盤』は、全世界で売れに売れたベスト盤で、このアルバムに特別な思い入れを持つファンも多く、このアルバムでビートルズに親しんだファンも多い。というか、全世界レベルでみると相当数がいる。そのファンの多くは、この『赤盤』『青盤』のアナログ盤、つまりLPを聴いていた訳で、LP時代の音を響きをCDに求めることになる。これがまた難物です。
 
確かに、この『赤盤』『青盤』の初CD化の時、即購入し即聴きましたが、その音の「スカスカ感」と「デジタル臭さ」にガッカリし、完全にお蔵入りしました。当時の機材からすると、今の耳で聴けば、最高のリマスターを施されていることが理解出来ますが、発売当時は、とにかくガッカリ。

Beatles_blue

以来、『赤盤』『青盤』はLPのお世話に。しかし、LPを大量に手放すことになり、この『赤盤』『青盤』のLPも泣く泣く手放しました(結構な値がつきましたが)。以来7年ほど、『赤盤』『青盤』の音とは御無沙汰でした。
 
そんなこんなの難儀な諸事情により、EMIアビイロード・スタジオの専任エンジニア・チームも、おいそれ、ベスト盤なんで、とりあえず適当に再リマスターしましたよ、という訳にいかず、オリジナルのアナログ録音に、より近い音を再現すべく、かなりの時間をかけて、再リマスター作業が行われたとのことです。
 
で、その内容ですが、まずは『青盤』ですが、これが素晴らしい音に仕上がっています。LP時代の音に最も忠実に再現されたサウンドに仕上がっていると思います。まず既発のCDで感じた「スカスカ感」が全く無い。楽器の音と音との間にも、楽器同士の音の干渉や響き、スタジオの響きなど、音が詰まっている、というか、音が敷き詰められているという感じで、この感じって、LP時代のアナログ音源の感じです。
 
そのLP時代のアナログ音源の感じ、音がしっかりと詰まっている、敷き詰められている中で、それぞれの楽器、ボーカルの分離が、自然な感じで分離されていて良い感じです。「デジタル臭さ」がほとんど払拭されているのには驚きました。最新の機材と優れた才能を持ってすれば、ここまでCDのリマスターが出来るんですね。感心しました。恐らく、CDのフォーマットではこれが最高でこれが最後では無いかと思います。
 
今回の再リマスター再発によって、やっとまずは『青盤』がCDで聴ける環境になりました。特に冒頭の、私の一番好きなビートルズの曲「Strawberry Fields Forever」のアナログ感は実に素晴らしい。弦のブルブルするような響き、リンゴのスネアの弾けて粘るような響き、ポールのベースラインも克明に聴こえます。この1曲だけでも、今回の『青盤』再リマスターは「買い」ですね。
 
『ザ・ビートルズ1967-1970(青盤)』は確かにベスト盤ではありますが、選曲の妙、そして、今回のリマスターと相まって、一つのオリジナル作品として評価出来る逸品です。今なおLPでお世話になっている方も、まだ『青盤』を全く聴いたことが無い方も、今回の『青盤』はお勧めです。   
  
  
  
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2010年11月 5日 (金曜日)

この頃のWRが一番良い

私、こと松和のマスターにとっては、この頃のウェザー・リポートが一番良い。ウェザー・リポートに一目置くようになったのは、まだまだ駆け出しジャズ者超初心者の頃、デビューアルバム『Weather Report』を聴いて、心から「唖然」としたからだ。
 
この整然とした、秩序ある、限りなくフリーなジャズはなんなんだ、と驚いた。まだ、エレクトリック・マイルスを体験する前の、ジャズ者超初心者の頃の話である。方法論はマイルスの二番煎じではあるが、マイルスのアーティスティックなファンキーとは全く異なる、コズミックでシンプルなビートの響きは、完全にウェザー・リポートの個性である。
 
この頃のウェザー・リポートとは。その頃のウェザー・リポートは『Live in Tokyo』(写真左)で聴くことが出来る。ウェザー・リポートの初来日時の凄まじいライヴ録音。当時のウェザー・リポートの実力のほどが非常に良く判る。結成まもない時期のライブ録音だけに、結成当時の「基本的考え方と狙い」が非常に良く判る。
 
全体にプリミティヴというか、コズミックというか、荒削りで野趣溢れるシンプルなサウンド。この「音」がウェザー・リポートの結成当初の、ウェザー・リポートのオリジナルな音作りである。確かに、キーボードのジョー・ザビヌルは目立ってはいない。
 
フロントのサックス、ウェイン・ショーターのインプロビゼーションが圧倒的に突出しており、バックのリズム・セクションは、このショーターのサックスのインプロビゼーションを支えることだけに集中する。というか、支えるだけで精一杯。ショーターのサックスが突出している分、キーボードのザビヌルは目立たない、というか、かなり無理している様子がとても良く判る。
 
 Wr_tokyo
 
なるほど、自己顕示欲の強いザビヌルにとって、このライブの内容は、あまり胸を張って誇れるものではないことは確か。ショーターの一人舞台。バックのリズム・セクションはショーターの完全サポートで、あっぷあっぷではあるが、それなりに高水準の内容を誇る。
 
ザビヌルのキーボードだけが中途半端なのが惜しい。聴衆が世界一マナーが良く、ジャズについて造詣が深い日本でのライブ録音である。メンバー全員が気合いが入っていたと思われるが、ザビヌルは苦戦している。ザビヌルについてはエレピを極めきれなかったのが痛い。今の耳で聴くと、それがとても良く判る。明らかに、エレクトリック・ジャズの世界での、非常に質の良いライブ録音ではあるが、明らかに他のメンバーと比してキーボードが弱い。
 
それでも、この『Live in Tokyo』は、エレクトリック・ジャズの最上のライブ演奏を聴かせてくれる。エレクトリック・ジャズとしては、マイルスは別格。マイルスを別格とすると、この時期のウェザー・リポートは、当時のエレクトリック・ジャズとして最高峰に近い演奏を繰り広げていた訳であり、その記録を『Live in Tokyo』として残されていたことは、後生の我々にとっては幸せである。
 
少しもったりとして垢抜けないところがあるビートではある。この頃のウェザー・リポートはマイルスの薫陶をうけて、ビートを重視し、「最低限の秩序」の上での自由を表現する、そんなジャズの将来を担うべき、重要なバンドであった。ビートといい、インプロビゼーションといい、当時のコンテンポラリー・ジャズの最先端をいく演奏ではある。
 
オリジナルなウェザー・リポートのメンバーによる、結成当初のコンセプトがベースのコズミックでシンプルなビートは、特筆に値する。その「制約」の上で、フロントのショーターは限りなくフリーな演奏を繰り広げられる。ウェザー・リポートの初期のポテンシャルを心ゆくまで感じることが出来る、そんな貴重なライブ盤である。 
  
   
  
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2010年11月 4日 (木曜日)

懐かしきJポップ・晩秋の思い出

しかし、天候不順な晩秋である。今朝も曇天の、我が千葉県北西部地方。しかも寒い。気温約10度。体調イマイチでもあり、機嫌はすこぶる悪い。日中は時雨があったみたいで、帰宅すがら、道のあちらこちらに水たまりが出来ている。気温もグッと下がって息が白い。今の気温は8度。冬の気温である。
 
今年は夏が酷暑。秋はすっ飛ばされて、11月の上旬で早、初冬の雰囲気。例年であれば、秋の雰囲気にドップリつかっての初冬である。それが今年は秋がすっ飛ばされて、いきなり初冬。秋の淋しさに浸りながら、音楽に懐かしさを感じる。そんな例年の秋が無いのは、どうも良くない。
 
今日は、久しぶりに「70年代Jポップ」の話題を・・・。晩秋になると、必ずヘビーローテーションになるのが、オフコースの『SELECTION1973-78』(写真左)。1978年5月5日にリリースされた、オフコース初のベストアルバム。1stアルバム『僕の贈りもの』から5thアルバム『JUNKTION』まで、二人のオフコースの魅力がギッシリ詰まったアルバム。
 
当時、発売元の東芝EMIは商業主義的な会社で、ミュージシャンの意向を確認することなく、いきなりベスト盤を発売し、挙げ句の果て、お抱えミュージシャンとの間に亀裂が生じて、結局、他レーベルへの移籍が多い、とんでもないレコード会社だった。
 
いやいや、なにも東芝EMIだけでは無い。1970年代の日本のレコード会社なんて、皆同じようなものだ。ミュージシャンは単なる「金づる」と認識し、ミュージシャンに対するリスペクトの念のかけらも無い、心無い商業主義的な対応が多かった。全く持ってヤクザな時代である。
 
このベストアルバムについては、当時、オフコースの二人は大反対。安直なベストアルバムを出すなんて、小田&鈴木の両名の矜持と音楽的スタンスが許さない。

プロデューサーは提案した。小田&鈴木が、主体的な意図も持って選曲した、二人のオフコース公認のベストアルバムにしないかと。この提案に小田と鈴木は納得した。ミュージシャン本人たちの知らないところで、安直に、耳当たりの良い曲を選んだだけの「ベストアルバム」では無い。ミュージシャン自らが意図を持って選曲した「セレクション」。例えば、6曲目の「のがすなチャンスを」は、当時、未発表のライブ録音から、この「セレクション」に抜擢している。

Offcourse_selection_1973_78
 
確かに、この『SELECTION1973-78』は、安直なベストアルバムとは一線を画する、ベストアルバムである。オリジナル・アルバムの様な雰囲気を十分に備え、ベストアルバムとは言いながら、オリジナルな一つのアルバム作品と言って良い、不思議な魅力を湛えている。
 
僕にとって、この『SELECTION1973-78』を聴くには「晩秋」が一番。恐らく冒頭の1曲目、当時シングルとしてリリースされた「やさしさにさようなら」の存在がそうさせるのだろう。とにかく歌詞が良いのだ。
 
僕がオフコースに出会ったのは、高校3年生の11月初旬。ちょうど今の季節である。アルバムは『Song is Love』。珠玉の名盤である。僕はこのアルバムで、シティ・ポップに目覚めた。そして、浪人時代を経て、このアルバムに出会ったのは大学1回生の秋。高校時代からの友人達の繋がりがほとんど途絶え、浪人時代から文通してきた彼女とのやりとりに「すきま風と行き違い」が見え隠れして、孤独感に苛まれ始めた頃である。
 
「やさしさにさようなら」 作詞・作曲:小田和正
 
誰か他の人のために生きるの
私は傷ついて息もできないほど
 
僕が作る別れの歌のように
ワインとあなた 僕と迎える夜明け
 
冬の寒さと安らぎの夜を
分かち合う日々は過ぎて
愛は消えた
 
あなたのいない部屋 もどかしい午後
 
 
この歌詞は、当時、心にしみた。寂寞感がつのった。今でもこの歌を聴く度に、あの頃の孤独の辛さを思い出して、しみじみする。でも、この歌には、2人のオフコースの歌に共通の「明日」がある。ポジティブな「明日」がある。過ぎ去った昨日を「良い思い出」としての物語に変える強さが底にある。だから僕は、二人時代のオフコースが今でも好きだ。そして、当時、その「強さ」に救われた。
 
だから、当時からこの歌が好きだし、2人のオフコースの歌が好きだ。だから、また今年も、この「晩秋」の季節に、このオフコースの『SELECTION1973-78』を聴く。そして、あの頃の孤独の辛さを思い出して、しみじみしながらも、明日を感じて、顔を上げて、辛かったあの頃を笑い飛ばしつつ、今をポジティブに評価することができるのだ。 
 
 
 
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2010年11月 3日 (水曜日)

美しきフラグメンツ・まとめ

さあ、今日は、マイルス・ディヴィスが、黒人ボクサー、ジャック・ジョンソンをテーマとした映画のサントラのコンプリートBOX『The Complete Jack Johnson Sessions』の総括である。
 
このコンプリートBOXは全5枚組。Disc.1から順番に、その内容について語ってきた。その履歴は以下の通り(それぞれのタイトルをクリックして下さい)。
 
Disc.1 :「美しきフラグメンツ・1」8月26日
Disc.2 :「美しきフラグメンツ・2」9月8日
Disc.3 :「美しきフラグメンツ・3」10月20日
Disc.4 :「美しきフラグメンツ・4」11月2日
 
このコンプリートBOXには、アルバム『A Tribute To Jack Johnson』の構成要素になるスタジオ・セッションのフラグメンツが「てんこ盛り」。しかも、それぞれのフラグメンツの内容が示唆に富む、演奏的にも内容のあるものになっている。
 
評論家筋では、どういう基準でこれらのフラグメンツを選定してCD化したのかが良く判らない、と評判が悪いが、選定基準をとやかく言うより、まずはこのフラグメンツが正式なボックスCDとしてリリースされたことを素直に喜びたい。ブートCDに追い逸れ手を出せない一般市民レベルの我々ジャズ者、マイルス者としては、とても有り難いリリースなのだ。
 
さて、『The Complete Jack Johnson Sessions [Disc 5]』であるが、冒頭から2曲目までが「The Mask Part.1」「The Mask Part.2」。この曲は、後のライブ盤『At Fillmore』で披露されるが、スタジオ・セッションのフラグメンツ編集版として、正式にリリース出来る状態にあるものは、今回が初出のはず。

Miles_complete_jackjohnson
 
つまり、この「The Mask」が、アルバム『A Tribute To Jack Johnson』に収録に予定される形で、プロデューサーであるテオ・マセロの手によって編集されてあったということになる。そういうことであれば当然、その内容は、アルバム『A Tribute To Jack Johnson』に正式に収録された演奏に勝るとも劣らない。
 
確かに、この「The Mask Part.1」「The Mask Part.2」は聴きものです。シンプルなビートを底に携えて、限りなくフリーにインプロビゼーションを展開しながらも、グループサウンズとしての「最低限の秩序」を維持しているところは、アルバム『A Tribute To Jack Johnson』に正式に収録された演奏と同一のコンセプト。この「The Mask」の2曲の方が、ビートが効いていて実にジャズ的。電子音的な効果音も含まれるところなどは実に前衛的です。この2曲は一聴に値します。
 
そして、「The Mask」の2曲以外の、後の残りの2曲は、アルバム『A Tribute To Jack Johnson』に正式に収録された、言わずと知れた2曲。LP時代のA面の全てを占めた「Right Off」、そして、LP時代のB面の全てを占めた「Yesternow」。
 
この2曲の素晴らしさは、今更ここで言うに及ばず。ちなみに、ここに収録された演奏は、アルバム『A Tribute To Jack Johnson』に正式に収録された演奏と同一です。コンプリートBOXの締めに、アルバム『A Tribute To Jack Johnson』に正式に収録された演奏を再収録するのは悪いことだとは思いません。
 
逆に、演奏フラグメンツばかりだと、あまりにコンプリートBOXが蒐集家御用達の演奏資料集の色合いが濃くなってしまうので、僕はどうかと思います。このDisc.5の存在は、このコンプリートBOXにとっては意味のあるものだと思います。頭2曲に「The Mask」2連発も付いていますしね・・・。
 
このコンプリートBOXは、エレクトリック・マイルスのコンセプトと構成を垣間見ることができる、追い逸れブート盤には手を出せない一般のジャズ者、マイルス者にとっては「福音」となるものだと思います。エレクトリック・マイルスが好きな一般のマイルス者の方々には是非一度は聴いて頂きたい逸品です。
 
 
 
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2010年11月 2日 (火曜日)

美しきフラグメンツ・4

マイルス・ディヴィスが、黒人ボクサー、ジャック・ジョンソンをテーマとした映画のサントラのコンプリートBOX。10月20日以来、今日は4回目。『The Complete Jack Johnson Sessions [Disc 4]』のお話しを・・・。

『The Complete Jack Johnson Sessions [Disc 4]』は、ドラムやパーカッションが無い、若しくは、あっても、必要最低限のシンプルなビートのみの演奏フラグメンツばかりが集められている。これがまさに絶品のフラグメンツばかりなのだ。

ドラムやパーカッションが無い演奏でビートを供給するのは「ベース」。ベースのスローなビートだけで、マイルスバンドのフロントは、それはそれは、プログレッシブで幽玄なソロを展開してみせる。それだけでは無い。印象的なフレーズを重ねた、それだけで十分アルバムに収録するに値する演奏フラグメンツが「てんこ盛り」。

ベースすら無いフラグメンツもある。それでも、フロント楽器の演奏は、プログレッシブなキーボードは、しっかりと音のない、聞こえないビートに乗って、それはそれは素晴らしいインプロビゼーションを展開する。このセッションのメンバーは凄い。まさに、マイルスの意志を十分に理解した、素晴らしいフロントである。

必要最低限のシンプルなビートのみの演奏フラグメンツでは、それはそれは、本当に必要最低限のシンプルなビートのみ。それでも、しっかりとビートを供給する、このリズム・セクションは凄い。数少ない音数で、限りなくシンプルにビートを供給する。ここでも、マイルスの意志を十分に理解した、素晴らしいリズム・セクションである。

キーボードのソロもある。このソロは凄い。フェンダー・ローズを弾き倒して、ここまで捻れた、プログレッシブで攻撃的なキーボードは他にない。ロックにも無い。というか、ロックのキーボード奏者は消し飛んでしまう位の、凄まじいばかりのプログレッシブでフリーなエレピのソロ。チックの才能はいかばかりか。とにかく凄い。

Miles_complete_jackjohnson

この『The Complete Jack Johnson Sessions [Disc 4]』の演奏フラグメンツは、このセッションのメンバーのポテンシャルと、このメンバーの統一感、そしてマイルスの秀逸なリーダーシップとコンダクトが光る、当時のジャズ、いや今を持っても、このセッションの演奏フラグメンツの内容を凌駕する演奏は、なかなか見当たらない。

ドラムやパーカッションが無い、若しくは、あっても、必要最低限のシンプルなビートのみの演奏フラグメンツばかりが集められているからといって、聴くに値しない演奏フラグメンツの集まりだろうと思うのは間違いである。このCDに詰め込まれた演奏フラグメンツの演奏内容は、実に「濃い」。演奏フラグメンツだけで一枚のアルバムが出来てしまうくらいの、濃い内容がてんこ盛りである。

それそれのフラグメンツの演奏内容は、そこかしこに現代音楽の要素が織り込まれ、現代クラシックに匹敵する演奏展開が素晴らしい。マイルスは「芸術音楽」の天才であり、「大衆音楽」のパフォーマーではない、ということがこの『The Complete Jack Johnson Sessions [Disc 4]』を聴いていて良く判る。マイルスは芸術家であり、大衆音楽家では無い。

「ジャズはビートが命」そして「ジャズはクールでなければならない」というマイルスの哲学が十分に理解出来る演奏フラグメンツがギッシリ詰まった『The Complete Jack Johnson Sessions [Disc 4]』。どういう基準でこれらのフラグメンツを選んだのか良く判らない、などと、したり顔で、つまらない御託を並べるよりは、まずは、このCDに詰まっている演奏フラグメンツを聴き、何かを感じるべきだ。

「経験は理屈に勝る」そして「理屈を並べる前に聴け」。そんな格言が頭に浮かんでは消える『The Complete Jack Johnson Sessions [Disc 4]』。これだけ内容のある演奏フラグメンツである。聴かず嫌いは勿体ないと思います。 
 
 
 
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2010年11月 1日 (月曜日)

秋が深まると聴きたくなる

今年の秋の天気は最悪。このところの朝の天気は、ほどんど雨か曇天の我が千葉県北西部地方。う〜ん、かなりストレス感じてます。
 
それでも、やっぱり秋が深まると、毎年聴きたくなるジャズメンのアルバムがあります。柔らかで円やかな、それでいて、しっかりと芯のあるアルト・サックスを聴かせてくれる。そう、ポール・デスモンド(Paul Desmond)のリーダー作が聴きたくなるんですよね。
 
ポール・デスモンド。1924年米国生まれのアルトサックス・プレイヤー。1940年代、ピアニストのディブ・ブルーベックと知り合い、Dave Brubeck Quartetを結成。ジャズのスタンダードとなった変則拍子ジャズ「Take Five」の作曲者として広く知られている。デスモンドは、ディブ・ブルーベックのバンドと並行して行ったソロ活動でも素晴らしい楽曲・演奏を残している。
 
その代表的なリーダー作が、ジム・ホールとのコラボ。基本編成が、Paul Desmond (as) Jim Hall (g) Eugene Cherico (b) Connie Kay (ds) のピアノレス・カルテット構成。デスモンドのソロ・リーダー作が、ピアノレスというところにデスモンドの思いやりと戦略性を感じる。
 
ここでピアノを採用すると、どうしても、ディブ・ブルーベックとのバンドと比較されて、なにかとややこしい。サックス奏者はピアノの存在について「痛し痒し」みたいなんだが、ここはきっぱりとピアノと訣別して、ギターを選択しているデスモンドの戦略性は素晴らしいものがある。
 
そして、そのギターに、ジム・ホールを採用しているところにも、デスモンドの深慮遠謀を感じる。ジム・ホールのギターの個性は、デスモンドのアルトと同様、柔らかで円やかな、それでいて、しっかりと芯のある音がジム・ホールのギターの個性。
 

Desmond_taketen

 
つまりは、デスモンドのアルトとピッタリの個性。そこに、職人ドラムのコニー・ケイが絡み、オイゲン・キケロの正統派ベースがビートを供給する。かなり練られたバンド・メンバーの人選。デスモンドの矜持を感じる人選である。
 
そのデスモンドのソロ作で、一番良く聴くアルバムが『Take Ten』(写真左)。かの有名な「Take Five」の続編となる、変則拍子ジャズ、冒頭の「Take Ten」がタイトル曲。「Take Five」ほど、ゴツゴツとスクエアなフレーズでは無い、流麗なフレーズが心地良い。
 
デスモンドのアルトは、やれイージーリスニングだとか、やれムード音楽だとか、心無い評論が以前良く見られたが見当違いも甚だしい。柔らかで円やかな、それでいて、しっかりと芯のあるアルト・サックスの奥に見え隠れする「アンニュイな」表情にグッとくるのだ。健康的にイージーリスニングしているのでは無い。物憂げな、さらりとした諦念感に似たニュアンス。これが、深まる秋の「夜の静寂」にピッタリなのだ。
 
収録されたどの曲もデスモンドのリーダー作としては良い出来だが、特に、3曲目の「Alone Together」、5曲目の「Theme from "Black Orpheus"(「黒いオルフェ」テーマ)」、そして、7曲目の「Samba de Orfeu(オルフェのサンバ)」が良い。特に、デスモンドのアンニュイなアルトには、硬派なボサノバのカバーが良く似合う。
 
デスモンドのアルトは実にセンスが良い。その優れたセンスを支えるジム・ホールのギター、そして、オイゲン・キケロのベース、コニー・ケイのドラムが、デスモンドの、柔らかで円やかな、しっかりと芯のある、それでいて、どこかそこはかとなく「アンニュイな雰囲気」漂う、個性溢れるアルト・サックスをしっかりと支える。
  
良い演奏だ。心地良く、しっかりと癒される。深まる秋の「夜の静寂」にピッタリのデスモンドのソロ・リーダー作。ポール・デスモンドは、深まる秋から冬にかけて、毎年、僕のヘビーローテーションになるジャズメンの一人です。   
 
 
 
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