こういうベスト盤は「OK」ですね
ロックでもジャズでもそうなんだが、僕は「ベスト盤」や「コンピ盤」の類は「NG」である。
それぞれの曲には、それぞれ収録されているアルバム全体の雰囲気やコンセプトがあって、どれだけ有名な曲でも、どれだけ売れた曲でも、僕はその曲が収録されたアルバム全体を聴きながら、その曲の雰囲気や位置付けを感じて欲しいと思っている。
加えて、「ベスト盤」や「コンピ盤」を制作する側も、有名な曲、売れた曲だけを、単純に集めて並べてCDにして発売する。これって「安直に過ぎる」んやないか。これって、曲を書いた、アルバムを作ったミュージシャンの意向を、矜持を、本当にくんでいるんやろか。
ということで、ロックでもジャズでもそうなんだが、僕は「ベスト盤」や「コンピ盤」の類は「NG」である。と言いながら、最近、巷では「ベスト盤」や「コンピ盤」が密かなブームである。なんだかなあ、と、その「ベスト盤」ブーム、「コンピ盤」ブームを憂う松和のマスターである。
しかし、最近、そんな「ベスト盤」や「コンピ盤」の世界でも、ちょっとした工夫というか、ミュージシャンの矜持を感じさせる「ベスト盤」や「コンピ盤」がリリースされるようになってきた。今回、発売されたLarry Carlton(ラリー・カールトン)の『Greatest Hits Rerecorded, Volume One』(写真左)。カールトン自身が、往年のヒット曲を、全くの新録音でセルフ・カバーして一枚にまとめる、という画期的な企画ものです。
往年のヒット曲をセルフ・カバーして「ベスト盤」としてリリースする。なんて素敵な企画だろう。確かに、昔のアルバムに収録されていた曲なら、それを聴けば良い。何も下世話にそれぞれのアルバムに収録されているアルバムを、わざわざピックアップして、一枚のアルバムにする必要は無い。しかし、セルフ・カバーとなれば訳が違う。自らのヒット曲を自ら、今の感覚でセルフ・カバーする。ミュージシャン本人で無くともワクワクする企画である。
カールトンの永遠の大ヒット曲、カールトンの名刺代わりの「Room 335」をオリジナルと聞き比べると、このカールトン自身が、往年のヒット曲を、全くの新録音でセルフ・カバーして一枚にまとめる、という企画が「如何に画期的か」ということが良く判る。
カールトンのESー355で紡ぎ出すフレーズが、とてもまろやかで意外と攻撃的。オリジナルは、如何にも「必殺フレーズでっせ〜」って感じで、メロウな展開ながら「これでもかっ」って感じで弾き進めるのだが、今回のセルフ・カバーは違う。余裕をかましつつ、適度な「大人のテンション」を底に漂わせながら、攻めのフレーズを連発する。この攻めのフレーズを聴きつつ、年齢を重ねることは音楽にとって、絶対に好影響を与えるんだ、ということを改めて再認識させてくれる。
ベーシストには、息子のトラヴィス・カールトン、ドラマーにはヴィニー・カリウタ。この二人のリズム・セクションが全体の雰囲気を決定付けている。
カリウタのドラミングは、現代的なデジタルチックなビートの中に、そこはかとなくファンキーなビートが漂いつつ、タイトでダイナミックなドラミング。現代的なドラムの音に、そこはかと漂うアナログチックな響き。破綻の無いタイトでダイナミックなドラミングが、このセルフ・カバー全体の雰囲気を引き締めている。
息子のトラヴィス・カールトンのベースは堅実の一言。流れるようなベースラインではあるが、それに流されることなく、先ずはシッカリと演奏のビートの底を支え、ビート全体を整える、そんな縁の下の力持ち的なベースは好感が持てる。
ミュージシャンは、自身が、往年のヒット曲を、全くの新録音でセルフ・カバーして一枚にまとめる。こういうベスト盤は「OK」ですね。ベスト盤なので聴いていて楽しく、オリジナル音源との比較もまた楽し、というところでしょうか。Volume One とあるので続編が楽しみです。
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