エヴァンスの『自己との対話』
ビル・エバンスのヴァーヴ時代を俯瞰すると、他のレーベルの時代には無い、ユニークと表現して良いのか、なんと表現して良いのか、今の耳でも、ちょっと不可解な「チャレンジ」が幾つかある。
その代表格が『Conversations with Myself(自己との対話)』(写真)。1963年録音。ビル・エバンス自身のピアノを多重録音して制作した実験的作品である。1963年当時、ジャズの世界も、ポップ・ミュージックの世界も、そのアルバム作成の録音は「一発録り」。ビル・エバンスは、このアルバムで「多重録音」を採用、当時としては斬新と言えば、斬新なチャレンジではある。
ジャズでは、ピアノ単独のソロ演奏を収録したアルバムは多々ある。そして、ジャズでは、その演奏の録音は「一発録り」が基本。現在のポップ・ミュージックの様に、リズム・セクションを録音して、それをベース・トラックにして、最後にボーカルを録音する多重録音を採用することは、「再現性が無い」即興演奏が基本のジャズではあり得ない。この『自己との対話』で、敢えて、なぜ「多重録音」を採用したか、個人的に「首を捻りたくなる」アルバムである。
この「多重録音」について、そのイメージを簡単に表現すると、相手ミュージシャンと、双方で触発し合いながら、即興的でスリリングなインプロビゼーションを創造していく、いわゆる「インタープレイ」を、相手ミュージシャンにでは無く「自分」に求めた、つまり、自分で自分自身を触発し、即興的でスリリングなインプロビゼーションを創造しよう、という試み、という感じになる。3台のピアノが、左右、そして真ん中から聞こえ、それぞれがソロ・ピアニストの様に、インタープレイを仕掛けている
その成果は、と言えば、私個人的には「?」。そもそも、ピアノには旋律楽器と打楽器の2つの楽器の特性があり、ピアノは、その2つの特性を同時に弾き出す事が出来る特殊な楽器である。故に「一人オーケストラ」と呼ばれることがある位だ。一人でその2つの特性を有機的に活用して、旋律楽器と打楽器の「インタープレイ」を表現するのが「ソロ・ピアノ」。ピアニスト単独のソロ・パフォーマンスである。
その旋律楽器と打楽器の2つの特性の「インタープレイ」が3通り、3重に、この『自己との対話』は録音されているので、出てくる音が「賑やかなこと」この上ない(笑)。とにかく「賑やか」。旋律楽器的特性と打楽器的特性が3通りに重なった音として出てくるので、ハッキリ言って「うるさい」。しかも、多重録音が故に、それぞれのピアノの音のタイミングが微妙にずれるのだが、その「ずれ」が、多重録音の結果として、同じピアニストが出す「ずれ」であり、故に、同じタイミング、同じ癖での「ずれ」が実に人工的かつ機械的に聞こえて、とにかく気持ちが悪い。
アルバム全編に渡って感じる「躁的な賑やかさ」は、決してアーティスティックな雰囲気ではない。一種、アクロバティックな雰囲気で、ピアノ・ソロの陰影、演奏の間、フレーズの切れ目・つなぎ目など、ピアノ・ソロ独特の「美点」が多重録音で消されていて、どうかなあ、と思ってしまう。しかし、このアルバムはグラミー賞受賞しているんですよね。当時の米国音楽界の評論家筋の感覚は良く判らんなあ。
ビル・エバンスのピアノ・ソロが3通りに、絡み合って重なって、とにかく「躁状態」の、とにかく賑やかなソロ・ピアノ。それぞれのトラックのソロ・ピアノの内容が良いだけに、重ねる必要があったのかなあ、とも思うし、なぜ当時のプロデューサーは思いとどまらせることは出来なかったのか、とも思ってしまう。ビル・エバンスのアルバムの中でも、ちょっと不可解な「チャレンジ」だと僕は解釈している。
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