マイルスのモード・ジャズ事始め
7月29日のブログ(左をクリック)「1969年のマイルス・デイヴィス」で、ご紹介した『1969 Miles: Festiva De Juan Pins』。
テンションの高い、高密度な演奏。それでいて、激しく自由度が高く、硬軟自在、伸び縮み自由、緩急自在。「へヴィー&フリーキー」なビート。この類い希なビートを叩き出すリズムセクションをバックに、マイルスが吹きまくる。エレクトリック・マイルスの初期のライブ盤である。
このアルバムの面白いところは、収録曲を見渡すと「Milestones」「'Round About Midnight」と、ハードバップ時代の名曲が演奏されているところ。このハードバップ時代の名曲が、エレクトリック・マイルスの中でリニューアルされ、エレクトリック・モードの名演が繰り広げられている。
さて、マイルスの「モード・ジャズ」の事始めとは、どのアルバムか。諸説有るが、僕は、1958年2月録音の『Milestones』(写真左)と思っている。特に、表題曲の「Milestones」におけるマイルスのソロは、モード奏法の極めつけの一つだと僕は評価している。ちなみにパーソネルは、Miles Davis (tp), Cannonball Adderley (as), John Coltrane (ts), Red Garland (p), Paul Chambers (b), Philly Joe Jones (ds) 。
この『Milestones』の収録曲を改めて見渡してみると、ハードバップ系の究極な演奏と、モード系のチャレンジブルな演奏とが、互い違いに収録されているように感じる。ちなみに、LP発売当時の収録曲は以下の通り。
1. Dr. Jackle
2. Sid's Ahead
3. Two Bass Hit
4. Milestones
5. Billy Boy
6. Straight, No Chaser
1曲目の「Dr. Jackle」は、高速ハードバップの究極的な演奏。これ以上、高速なハードバップな演奏はそうそうに無い。ハードバップのフォーマットで、演奏速度はビ・バップという感じの、「究める」という雰囲気がピッタリなストイックな演奏。同様に、ハードバップの究極的演奏が、3曲目「Two Bass Hit」、5曲目の「Billy Boy」でも追求される。
このハードバップの究極的演奏では、参加メンバー全員が、ハードバップ時代の名手でもある関係上、凄まじいほどの内容を誇るハードバップ演奏になっている。恐らく、コードを前提とした、ビ・バップの延長線上にある通常のハードバップな演奏としては、最高峰の演奏のひとつがここにある。とにかく、ハードバップ演奏のテクニックが凝縮された、非常に高度な演奏ワールドがここにある。
そして、2曲目は、マイルスのソロとコルトレーンのソロが、なんとなく「モード」している。が、マイルスは音を選んで、数少ない音数と演奏スペースの広さを最大限活かそうとする、印象派の様な「拡がりと音の色彩」を狙ったようなモード演奏を繰り広げるが、コルトレーンは徹頭徹尾、マイルスの正反対を行く。音を敷き詰めた様な「シーツ・オブ・サウンド」をベースとして高速パッセージを繰り出し、演奏スペースを音符で埋め尽くしたような、点描画の様な「高密度と音の分解」を狙ったようなモード演奏を繰り広げる。
そのマイルスとコルトレーンの対比が、明快に現れる名演が、4曲目の表題曲「Milestones」。特に、この「Milestones」でのマイルスのソロは絶品である。これぞ「モード」と言って良いソロ。数少ない音数と演奏スペースの広さを最大限に活かした、非常にアーティスティックで、非常に情緒的な、叙情的な、リリカルなソロ。対するコルトレーンのモード演奏は、点描画の様な「高密度と音の分解」を前提としているが故に、その限界が見え隠れするような、テクニック優先のメカニカルな演奏になっている。
しかし、マイルスとコルトレーン以外の他のメンバーは、全くと言っていいほど、モード奏法を理解していない、ということが非常に良く判る。特に、リズムセクションの3人、Red Garland (p), Paul Chambers (b), Philly Joe Jones (ds) は、実に辛そうだ。コード進行を主体とせず、モードに基づく旋律による進行に切り替えたものが「モード奏法」なんだが、その切り替えが、リズムセクションの3人の中では、全く上手くいっていない。というか、途中から切り替えを諦めている。
マイルスのモード・ジャズ事始めは、僕は、1958年2月録音の『Milestones』と思っている。でも、そのモード奏法を完全にものにしていたのは「マイルスのみ」。コルトレーンも「シーツ・オブ・サウンド」を前提としたモードには限界が見え隠れしている(よって後にフリーに走ってしまうのだが・・・)。1958年という時代には「モード奏法」は早すぎた。
加えて、僕が思うに、コード進行を主体とせず、モードに基づく旋律による進行に切り替える時、音の色彩やバリエーションが少ない生楽器では限界があるのではないか、と。モード奏法をグループサウンドとして成立させて行くには、音の色彩やバリエーションが豊かな電気楽器が必要になるのではないか、と。よって、マイルスによるモード奏法の完成は、エレクトリック・マイルスの時代の中ではないか、と。この仮説は、エレクトリック・マイルスを順に聴き返していくことにより、明らかになっていく。
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