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2010年8月の記事

2010年8月31日 (火曜日)

サンタナのラテン・ロックの完成形

サンタナのデビュー作『Santana (1st Album) 』、セカンド作『Abraxas(天の守護神)』ときたら、やはり、『Santana III』まで、話を進めなければなるまい。今日もちょっくし70年代ロックの話題を・・・。

『Santana III』(写真左)は、1971年リリースのサード・アルバム。当時まだ17歳だったニール・ショーン(「ジャーニー」のギタリストとして有名ですね)が加入し、バンドはツイン・リード・ギターの編成になり、セカンド・アルバムの半分を占めていた俗っぽさは影を潜め、洗練さが際立つようになってきた。ラテンの「猥雑さ」は、R&B的なファンキーな雰囲気に変化した。

ラテン・パーカションの音も堂に入ったもの。アルバムの冒頭「Batuka(バトゥーカ)」の前奏のパーカションの音など、実に躍動感があって、実にパッション溢れるものだ。

ラテン・ロックの俗っぽさは薄れ、後のラテン・フュージョンを想起させる、テクニックと熱気溢れるインストが素晴らしい。『Santana III』は、『Santana (1st Album) 』、セカンド作『Abraxas(天の守護神)』と続いたラテン・ロックの集大成的な傑作である。
 

Santana_3

 
次作『Caravanserai(キャラバンサライ)』に繋がるスピリチュアルな音世界も垣間見えるところが、これまた興味深く、『Santana (1st Album) 』から生まれ出で、猥雑さと俗っぽさを併せ持った、サンタナのラテン・ロックの世界は洗練され、アーティステックな響きを獲得し、この『Santana III』で完成した。実に良い出来です。

アルバムやシングルカットされた曲の売上から、セカンド作『Abraxas(天の守護神)』が、サンタナの初期の最高傑作と言われることが多く、この『Santana III』がサンタナのアルバム紹介に挙がる機会は少ないのですが、僕は、この『Santana III』の方が好きですね。遠く遠く高校生の頃より、圧倒的に『Santana III』の方が、ターンテーブルに載る機会が多かったです。

アルバムジャケットのデザインも実に神秘的かつ躍動的で、後のラテン・フュージョンを想起させる、テクニックと熱気溢れるサンタナのラテン・ロックの完成形の音が聴こえてくるようで秀逸。

今、巷に流通しているデジタル・リマスター盤は、ボーナストラックとして、1971年7月4日、フィルモア・ウェストでのライヴ音源が追加収録されており、この音源もサンタナの音源として貴重なもので、その演奏内容も良く、以前のオリジナル盤をお持ちの「サンタナ者(サンタナのファンの方々)」にもお勧めです。 
 
 
 
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2010年8月29日 (日曜日)

俗っぽさと充実が拮抗する2nd.

今日も引き続き「サンタナ(Santana)」の話題を。衝撃のファースト・アルバムに続いて、1970年にリリースされた2nd.アルバムである『Abraxas』(写真左)。

この「Abraxas」というタイトルを見ても、ピンと来ない70年代ロック者の方々は多いのではないか。邦題が『天の守護神』。これでピンと来るでしょう(笑)。当時、日本の大手レコード会社CBSソニーは、ロックのアルバムのタイトルや曲名について、実に奇妙な、良きにつけ悪きにつけ、かなり印象的な邦題を付けていることで有名。例えば、このサンタナのセカンド・アルバムのタイトル『Abraxas』が『天の守護神』。曲名に至っては以下の通り。

1. "Singing Winds, Crying Beasts"
    (風は歌い,野獣は叫ぶ)
2. "Black Magic Woman/Gypsy Queen"
  (ブラック・マジック・ウーマン~ジプシー・クイーン)
3. "Oye Como Va"
  (僕のリズムを聞いとくれ)
4. "Incident at Neshabur"
  (ネシャブールのできごと)
5. "Se a Cabo"
  (全ては終りぬ)
6. "Mother's Daughter"
  (マザーズ・ドーター)
7. "Samba Pa Ti"
  (君に捧げるサンバ)
8. "Hope You're Feeling Better"
  (ホープ・ユー・アー・フィーリング・ベター)
9. "El Nicoya"
  (エル・ニコヤ)

1曲目、3曲目、5曲目、7曲目には、今見ても「凄いセンス」の邦題が付けられている。特に、3曲目「のリズムを聞いとくれ」や、7曲目の「君に捧げるサンバ」は、どうしてこうなるのか、理解に苦しむ(笑)。若かりし時は、この邦題を声に出して言うのは、かなり憚られた。特に、お気に入りの女の子の前ではとても言えない(笑)。

このCBSソニーの付けた邦題だけでも楽しめるサンタナのセカンド・アルバム『Abraxas』。その邦題から受ける雰囲気として、また、アルバム・ジャケットのデザインから受ける雰囲気として、安直な俗っぽさとラテン・ロックとしての「充実」が拮抗した不思議なアルバムに仕上がっている。
 

Santana_abraxas

 
1曲目の「Singing Winds, Crying Beasts」は流石のインスト中心のナンバー。ラテン・パーカッションが炸裂し、サンタナの官能的なロングトーン中心の、攻撃的なエレギが泣きまくる。ロックな響きのオルガンも良い味だしている。が、2曲目の「Black Magic Woman」の俗っぽさ、猥雑な雰囲気に唖然とする。確かに、これは売れるかもしれないが、あまりに俗っぽい。日本における「ムード歌謡」を聴いているような雰囲気。

しかし、メドレーで続く「Gypsy Queen」が、その俗っぽさを払拭し、ラテン・ロックとしての素晴らしさを全面に押し出してくれる。この「Gypsy Queen」の存在は大きい。このアルバムをラテン・ロックの名盤たらしめているのは、この「Gypsy Queen」の存在があってこそである。

この2曲目の「Black Magic Woman/Gypsy Queen」のメドレーが、このアルバム全体の雰囲気を代弁している。安直な俗っぽさとラテン・ロックとしての「充実」の拮抗。「俗っぽさ」で一般的な人気を集め、ラテン・ロックとしての「充実」で、硬派なファンを納得させる。なかなかに戦略的なアルバム内容の構成ではある。

その安直な俗っぽさの極めつけは、3曲目の「Oye Como Va」。邦題からして「僕のリズムを聞いとくれ」(笑)。勘弁してくれ〜。この曲だけは、何時聴いても「ズッ転ける」。ラテン・ロックの猥雑さと俗っぽさが突出した、ラテン・ロックの良くない面が露出した「迷曲」である。

しかし、くじけてはならない(笑)。4曲目「Incident at Neshabur」以降は、あまり俗っぽい面に偏らない、ラテン・ロックとしての「充実」を、とことん聴くことができる。ラテン・ロックとして、あんまりネバネバせず、後のフュージョン・ロックにつながる「軽快で疾走感のある演奏」が、なかなかに聴かせてくれる。
 
サンタナのセカンドのアルバムにして、ビルボード・チャート1位も獲得。そんな人気盤としての成果も良く判る、実に良く考えられた内容のアルバムです。僕は、どうしてもこのアルバムの「俗っぽさ」について行けず、LP時代はB面ばかりを聴いていた思い出があります。このセカンド・アルバムの評価は、このアルバムの持つ「安直な俗っぽさ」について、どう感じるかによるかと思います。  
 
 
 
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2010年8月28日 (土曜日)

衝撃的なデビュー作『Santana』

今日は久しぶりに「70年代ロック」のお話しを・・・。久しく「70年代ロック」のお話しは御無沙汰でしたね。

さて、1970年代、日本でのロックの評価は偏ったものが多かった。日本では、まずは「Beatles」が絶対とされた。そして、多数の日本人ロック評論家が「正統派ロック」と認めたものが「ロック」とされ、その他は「蔑まれた」。

「Beatles」は絶対、「The Rolling Stones」は不良のロッカー。ハードロックは「真の正しきロック」とされ、プログレッシブ・ロックは「思索的で芸術的なロック」と、もてはやされた。米国西海岸ロックは「お洒落で洗練されたロック」として崇め奉られ、サザン・ロックは「米国の真のロック」としてマニアックなものとされた。日本でのロックの評価は、ロック音楽を何らかの特徴を持って分類し、分類されたジャンル全体を何らかの評価をしてから、個々の評価をする。つまり、ジャンル全体の評価が、その何らかの基準を持って分類された個々のバンドの評価の総評であり、ジャンル全体の評価に注力していたとも言える。

1970年代の日本でのロックの評価は、こぞって経験の浅い「にわか評論家」達によって、適当に考えられたジャンルに従って分類され、個人的感情と「右にならえ」的な感覚で、適当になされてきた。中には、今の時代に通用する「正統な評論」を展開していた「真の評論家」をいるにはいるが、大多数は「エセ評論家」だった。しかし、1970年代、ロックに関して、評価の指針となるものは全く確立されておらず、その「曖昧な」評論家の意見をまずは鵜呑みにするしかなかった。いわゆる「黎明期」である。

そんな、日本における1970年代ロック、その真の実力に比して、大きく割を食ったバンドも多々ある。その代表格にひとつが「Santana(サンタナ)」。サンタナは、ラテンのリズム、ブルース、パップ、ストレートなロックの要素をすべて持った、日本人評論家からすると「分類不能」なバンドであった。しかも、当時、日本ではラテンな響きは「俗っぽいもの」とする風潮が強く、「分類不能」な音楽性は、どっちつかず、曖昧模糊とした「潔さのない」バンドとされた。当時の「サンタナ」は、その「俗っぽいもの」と「分類不能」な音楽性の両方に当てはまるので、一方で熱狂的なファンはいるものの、一般的には正統な評価を得ていなかった。

一方、我々「聴く側」からすると、この「曖昧な」評論家の意見をまずは鵜呑みにして、「聴かず嫌い」な面が強かったと思う。自分としても反省している。しかし、この「サンタナ」については、高校時代、熱狂的なファンが友人にいて、無理矢理、彼から聴かされたからこそ、この「サンタナ」について、かなり早い時期から、正統な評価をすることが出来た。「サンタナ」の音楽を楽しむことが出来た。ラッキーだったと今でも思っている。
 

Santana

 
その熱狂的な「サンタナ」のファンから、無理矢理、聴かされたアルバムの一枚が、サンタナの記念すべきデビュー作『Santana (1st Album) 』(写真左)である。この白黒の適当なライオンのジャケットにまずは「疑義」を抱きたくなり、特に財力のない高校時代、自ら「手を出す」ものでは無かった。友人に無理矢理、聴かされなければ、このアルバムを耳にするのは、ずっと後になっていたと確信している(笑)。

しかし、このアルバムの中に詰まった演奏は、当時、衝撃的なものだった。イルドなラテン・パーカッションを取り入れ、ファンキーでストレートなオルガンの響き、そして、ロングトーンとチョーキングを大々的に活用し、そしてアタッチメントを効果的に取り入れた、官能的なエレギ。全面に押し出てくる、ラテンでファンキーで官能的で疾走感溢れる、当時「聴いたことが無い」ロック。インストナンバーを積極的に取り入れていたことも、当時、珍しいことだった。

デビュー作の1曲目にも関わらず、インスト曲「Waiting(ウェイティング)」から始まるところが、実に新鮮で、実に格好良かった。とにかく、グレッグ・ローリーのオルガンが効いている。このオルガンの響きで全体の音のトーンが決まって、そこにラテン・パーカッションが味付けをし、そして、最後にサンタナの官能的ギターが炸裂。この1曲目の「Waiting(ウェイティング)」で全てが決まった。そして、高校時代の僕は、この1曲目の「Waiting(ウェイティング)」に心からたまげて、このバンドの演奏は素晴らしいと思った。

1曲目の「Waiting(ウェイティング)」以下、サンタナのラテンでファンキーで官能的で疾走感溢れる演奏が、ラストの「Soul Sacrifice」まで続く。ちなみに、今のCDのラスト3曲のボーナス・トラックはウッドストックでのライヴ音源で、かなり聴き応え抜群。基本的に、過去のロック名盤にボーナストラックを付け加えることは避けて欲しいのではあるが、このデビュー作『Santana (1st Album) 』については、サンタナのデビュー当時の「勢い」というものを追体験できるライブ音源ではあるので、まあ良しである。

サンタナは、ラテンのリズム、ブルース、パップ、ストレートなロックの要素をすべて持った、日本人評論家からすると「分類不能」なバンド。このデビュー作『Santana (1st Album) 』より、サンタナは独特なポジションを維持しつつ、日本の「エセ評論家」の耳を翻弄し続け、一般のロックファンをも戸惑わせ続けていく。「百聞は一見にしかず」というか「百聞は一聴にしかず」。そんな当たり前の体験をしっかりとさせてくれた、サンタナのデビュー作である。
 
 
 
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2010年8月27日 (金曜日)

トリオにおけるベーシストの重要性

ピアノ・トリオについては、ビル・エバンスによって、ピアノ、ベース、ドラムの3者が対等な立場でのインタープレイが実現した。それまでは、主役はピアノ、ベースとドラムは「ビートとリズム」の供給に徹するというアンバランスなものだった。そして、時代が進むにつれ、インプロビゼーションのパターンは「モードとコード、そしてフリー」に収斂される。

ハード・バップ時代は「コード」の時代。「コード」を和音で叩くことによって、ビートとリズムは供給される。コードの世界では、ピアノは自らが「旋律とビートとリズム」の3役を一気にこなすことが出来るので、ベースとドラムに「ビートとリズム」を任せて、ピアノは、ひたすら右手中心に「旋律」の部分を担った。このスタイルのピアノ・トリオを確立したのが「バド・パウエル」。

そして、マイルス・ディヴィスを中心に「モード」奏法が生み出され、その「モード」奏法の確立に一役買ったのが「ビル・エバンス」。その「モード」奏法を「コード」奏法に織り交ぜて、ピアノ、ベース、ドラムの3者が対等な立場でのインタープレイを確立した。

特に、「モード」奏法で旋律を展開していく場合、「ビート」の供給が重要になる。「リズム」は演奏全体のスピードを制御し、「ビート」は演奏全体の流れを、演奏全体の道筋を示していく。「モード」奏法の場合、「ビート」をしっかりと供給してくれないと、演奏全体の流れに乗り遅れ、旋律展開の方向が定まらなくなる。そういう意味で、現代のピアノ・トリオでは、「ビート」の供給の担い手、ベーシストの重要性が、以前にも増して、クローズアップされてきている。

例えば、このChick Corea『Chillin' in Chelan』(写真左)を聴くと、この「ベーシストの重要性」が実感できる。このアルバムは、チックのボックスセット「Five Trios Series」の3枚目。ちなみに、パーソネルは、Chick Corea (p), Christian McBride (b), Jeff Ballard (ds) 。ワシントン州のジュラン・セラーズ・ワイナリーという場所でのライブ盤。
 

Chick_chillin_in_chelan

 
「セロニアス・モンクに捧ぐ」と副題にあるけれど、モンク絡みの曲は2曲だけ。他にはチックのオリジナルをはじめ、色々やっている。でも、どの曲も「セロニアス・モンクの語法」を漂わせながら、そこかしこに聴かれる、実に端正で美しい「モード」と「ほぼフリー」な展開が実に素晴らしい。

特に「モード」な展開と「ほぼフリー」な展開の部分をじっくり聴くと、マクブライドのベースが実に効いていることが良く判る。硬軟自在、緩急自在、ウォーキング・ベースからボウイングまで、ベースのあらゆるテクニックを駆使しつつ、しっかりとチックのピアノのインプロビゼーションを支えるマクブライドのベースは実に素晴らしい。この信頼感抜群のマクブライドのベースをバックに、チックは何時になく、イマージネーション溢れるインプロビゼーションを展開する。

もちろん、ジェフ・バラードのドラミングも秀逸。これもマクブライドのベースのお陰か。このピアノ・トリオでは、ある部分、マクブライドのベースがイニシアチブを取っている。マクブライドのリードの下、ジェフ・バラードがリズムを供給し、チックがテーマを奏でる。でも、チックがインプロビゼーションの展開に入ると、イニシアチブはチックに移る。今度はチックのリードの下で、マクブライドのベースがそれに呼応し、ジェフ・バラードがリズムを供給する。

この3者の組合せの特徴が良く出ているのが、8曲目の「Walkin'」。ファンキーで、もろハードバップな名曲が、実に新鮮な響きで演奏されていく。チックはあまりファンキーな曲はチョイスしないんだが、この「Walkin'」は良い感じ。現代のハード・バップはかくあるべし、って感じで、完全にコンテンポラリーなジャズで弾き進められる。実にクール。

このチックの『Chillin' in Chelan』を聴く度に、ピアノ・トリオにおけるベーシストの重要性について考える。チックのピアノには、マクブライドのベースがよく似合う。それが証拠に、他にも幾度も共演し、CDとなった演奏は、どれもが名演となっている。そして、マクブライドのベースには、ジェフ・バラードのドラムがよく似合う。

ピアノ、ベース、ドラムの3者が対等な立場でのインタープレイという内容では無いが、実に相性の良い3人のピアノ・トリオの佳作です。ピアノ・トリオにおけるベーシストの重要性を実感できる、良いアルバムだと思います。
   
 
 
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2010年8月26日 (木曜日)

美しきフラグメンツ・1

マイルス・ディヴィスが、黒人ボクサー、ジャック・ジョンソンをテーマとした映画のサントラのコンプリートBOX。1970年2月18日から6月4日の録音。

マイルスの『ジャック・ジョンソン』については、2010年7月14日のブログ2008年3月12日のブログ(それぞれをクリック)に詳しいので、それを呼んで欲しいが、このコンプリートBOXは、その『ジャック・ジョンソン』のテープ・コラージュの基になった演奏のテープ音源を、どういう基準で選定したかは良く判らないが、5枚組のCDに集めたもの(正式にリリースされたアルバム音源は5枚目のCDに収録されている)。

未発表音源の選定基準が曖昧なので、とかく評判の悪い「コンプリートBOX」であるが、ジミ・ヘンドリックスやスライ&ザ・ファミリー・ストーンらの影響を受け、 ロック、ファンク、R&Bといった音楽の要素をジャズというフォーマットに取り込み、マイルス・ミュージックとして昇華させた雰囲気が良く判る。

今日は『The Complete Jack Johnson Sessions [Disc 1]』を聴いたのだが、これが、当時のマイルスが標榜した「リズム&ビート」の骨格が良く判る選曲になっている。出来る限り単純にではあるが、センテンス毎にニュアンス、響き、フレーズが微妙に異なる。ロックを基調としながら、ロックを超えた、マイルス・オリジナルな「リズム&ビート」が、かなり心地良い。最初は手探りで入りながら、徐々に、その出来映えが良くなっていく様が、なかなかにスリリングである。ドキュメンタリー・フィルムを見ているようだ。

Miles_complete_jackjohnson

この「ジャック・ジョンソン」のセッションが行われたのは、1970年2月18日~6月4日まで。時は1970年、ロックが時代の変革のツールという幻想から現実に降り立ち、「商業ロック」としての道を歩み始めた、黄金の1970年代ロックの始まりの年。

当時、隆盛を極めつつあったロックの「リズム&ビート」よりも、複雑でハイテクニックで、ヘビーで心地良く捻れた「リズム&ビート」をエレクトリック・マイルス・バンドが紡ぎ出している。とにかく、ヘビーで心地良く捻れた、ファズのかかったギターの音は、ワウワウのかかったエレピの音は、まさにジミ・ヘンドリックス。そして、黒く粘るダンサフルなビートは、まさにスライ。でも、出てくる音は、全くの「マイルス・オリジナル」。この、出てくる音は、全くの「マイルス・オリジナル」ってところが凄い。

テープ・コラージュの基になった演奏のテープ音源を、なんらかの基準で選定し、CD5枚に納めただけのものだが、この『The Complete Jack Johnson Sessions [Disc 1]』は、最初から最後まで、約1時間10分余り、十分に鑑賞に耐えるものだ。但し、ジャズ者の中でも「エレクトリック・マイルス者」にとって、ではあるが・・・(笑)。

CD1枚分、約1時感10分余り、マイルス印の「リズム&ビート」が心地良く響く。美しき「フラグメンツ」である。 
 
 
 
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2010年8月25日 (水曜日)

ECMのユニークなギタリスト・2

ノルウェイのギタリスト「Terje Rypdal(テリエ・リピダル)」。ジャズ・ギターというよりは、ロック・ギターと言った方が良いか、プログレ・ギタリスト的な音を出す、それはそれはユニークなギタリスト。

でも、彼のアルバムを聴くと、一聴して「ジャズ・ギターではない」と思うが、同時に「プログレロック・ギターでもない」とも思う。浮遊感のある、ビートに乗らない、ロングトーンでフリーな独特とフレーズ。ジャズなのか、ロックなのか、どちらかにしろ、と詰問されたら、やはり「ジャズ」と答えてしまう。そんな不思議な音を持ったギタリスト。

1970年代、このテリエ・リピダルのリーダー作をリリース出来るのは、やはりECMレーベルだけだったろう。北欧の冬を思わせる、鉛色の空に凛とした空気。そんな空気の中、鋭く切り裂く様な、ロングトーンでフリーなギターのフレーズ。何処までも自由に弾きまくりながら、その音は「鋭利で冷たい」。しかし、ロングトーンのフレーズの中には、暖かみが仄かに感じるところもあって、アルバム全編を通じて、テリエ・リピダルのギターに飽きることは無い。

そんな彼の代表作、そんな彼をガッツリと体験できるアルバムが『Odyssey』(写真左)。1975年の作品。ちなみにパーソネルは、Terje Rypdal (g, string ensemble, ss), Torbjørn Sunde (tb), Brynjulf Blix (org), Sveinung Hovensjø (b), Svein Christiansen (ds)。さすが、北欧のミュージシャンで固めたラインナップ。誰が誰だか、さっぱり判らん(笑)。

全編に渡って、2ビートとか、4ビートとか、8ビートとか、ビートが立って、リズミカルに展開する演奏は無い。自由で緩いビート、自由でゆったりとしたビートをバックに、漂う様に、彷徨うように、テリエ・リピダルはギターを「吠えさせていく」、ギターを「叫ばせていく」。
 

Terje_odyssey

 
しかし、その「遠吠え」その「叫び」は決して「冷徹」では無い。切れ味鋭い、クリスタルな響きの中に、そこはかとなく漂う「人間的な」暖かさ。メンバー全員が限りなくフリーに近い演奏を繰り広げる。フリーにならない理由は、ただ唯一、ドラムのリズムが、自由でユッタリとしたビートを最低限に供給しているからだ。

プログレッシブ・ロックの様な雰囲気である、という感想が大勢を占めるが、僕は、プログレというより、ブライアン・イーノを代表とする、エレクトリックな「環境音楽」に、その雰囲気は近いと思う。ブライアン・イーノやアランパーソンズ・プロジェクトの様な、シンセを駆使した「ロック的環境音楽」が好きな方にはお勧めですが、プログレ・マニアの方々には、このアルバムの音の奥に潜む「ジャズ的な響き」について、どう感じるか、で、好き嫌いが分かれると思います。決して、諸手を挙げて、プログレ・ファンにはお勧めしかねます。

ジャズとして聴くなら、ギル・エバンスとマイルス・デイヴィスとのコラボ、例えば『スケッチ・オブ・スペイン』が好きなら、この『Odyssey』もいけるかも。エレクトリック・マイルスなら『ジャック・ジョンソン』のB面「イエスター・ナウ」が好きなら、この『Odyssey』もいけるかも。テリエ・リピダルのギター、ソプラノサックスを始めとして、オルガンのソロ、トロンボーンのソロの展開の仕方が、何故かマイルスを彷彿とさせます。

実にユニークなジャズ・ギター・アルバムです。ナチュラル・サスティンの効いた、ロングトーンなギター・プレイが美しい。限りなくフリーに近い感じで、自由奔放に弾きまくる割には、しっかりと印象に残る「フレーズ」を意識しつつ、出来る限りフリーな演奏を繰り拡げるテリエ・リピダルは、そのテクニックも確か、完全に唯一無二は個性を確立したジャズ・ギタリストとして、もっと多くのジャズ者の方々に聴いて頂きたい。そんな気持ちを強くする、とにかくユニークなテリエ・リピダルの『Odyssey』です。 
 
 
 
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2010年8月23日 (月曜日)

Verve時代の傑作トリオである。

Verve時代のビル・エバンスは、変な企画盤が多々あるのに、彼が一番輝く「ピアノ・トリオ」でのアルバムが、全体数に対して、ちょいと少ないのが残念。「ピアノ・トリオ」も客演のジャズメンのアルバムが多く、レギュラー・トリオがあまり定着しなかった理由はなんだったんだろう。

そんな中、Verve時代のレギュラー・トリオは、Bill Evans (p) Chuck Israels (b) Larry Bunker (ds)の「ピアノ・トリオ」。このレギュラー・トリオの、スタジオ録音盤の秀作が『Trio '65』(写真左)。

収録曲を見渡せば、このアルバムの良さが良く判る。エバンス十八番のスタンダード曲がズラリと並ぶ。他の時代のレギュラー・トリオと十二分に比較することが出来る。Chuck Israels (b) Larry Bunker (ds) 時代のレギュラー・トリオならではの「美点」が浮かび上がってくる。

1. Israel
2. Elsa
3. 'Round Midnight
4. Our Love Is Here To Stay
5. How My Heart Sings
6. Who Can I Turn To?
7. Come Rain Or Come Shine
8. If You Could See Me Now

Scott LaFaro (b) Paul Motian (ds) 時代の『Explorations』でも取り上げていた「Israel」「Elsa」を再演している。巷では、Scott LaFaro (b) Paul Motian (ds) 時代の「Israel」「Elsa」が最高の出来で、Chuck Israels (b) Larry Bunker (ds) 時代の「Israel」「Elsa」はイマイチ、との評が定説だが、よくよく聴いて見ると、Chuck Israels (b) Larry Bunker (ds) 時代の「Israel」「Elsa」も十分に味わい深く、聴き応えのある内容である。
 

Billevans_trio65

 
ベースのChuck Israels(チャック・イスラエル)も、ドラムのラリー・バンカー(Larry Bunker)は、エバンスに寄り添うように、しっかりとビートとリズムを供給する。この「寄り添うように」が、この時代のレギュラー・トリオの「ミソ」で、その「寄り添うような」安定感のあるバッキングを背に、エヴァンスは、余裕のインプロビゼーションをかましてくれる。余裕が有り過ぎて、十八番中の十八番「How My Heart Sings」なんか、かかりすぎて「前のめり」なインプロビゼーションになる位だ。

「寄り添うように」ビートとリズムを供給するのだが、決して「地味」でも「消極的」でも無い。前に出るところは前に出て、後ろに下がって、ビートとリズムの供給に徹する時はしっかりと後ろで、エバンスを支える。この「前にでるところは前に出て、後ろに下がる時はしっかりと後ろに下がる」というところがChuck Israels (b) Larry Bunker (ds) のリズムセクションの美しいところ。これは、Scott LaFaro (b) Paul Motian (ds) 時代には無かった、Chuck Israels (b) Larry Bunker (ds) 時代の「美点」である。

特に、4曲目「Our Love Is Here To Stay」から5曲目「How My Heart Sings」の、エバンスの愛らしいフレーズと、その愛らしいフレーズをバックでしっかりと「寄り添うように」サポートするチャック・イスラエルとラリー・バンカーのバッキングが素晴らしい。6曲目の「 Who Can I Turn To?」での美しいバラードも秀逸。

なかなか内容のある、優れたレギュラー・トリオですね。エバンスの「ピアノ・トリオ」を聴き進める時、Scott LaFaro (b) Paul Motian (ds) 時代の演奏が最高だと決めつけてしまうと、他のビル・エバンスの「ピアノ・トリオ」の美味しさを半分以上逃してしまうことになります。

確かに、Scott LaFaro (b) Paul Motian (ds) 時代の「ピアノ・トリオ」も素晴らしいですが、他の時代のレギュラー・トリオにも、Scott LaFaro (b) Paul Motian (ds) 時代には無い「味わい」があります。先入観無しに聴いて頂ければ、と思って止みません。 
 
 
 
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2010年8月22日 (日曜日)

「ジャズの小径」8月号アップです

いやはや、まだまだ暑いですなあ。とは言いつつ、我が千葉県北西部地方は、朝は日陰でじっとしておれば、涼しい風が吹き抜けるようになり、夜は夜で、ベランダに出ると、やや涼しい夜風が頬をすり抜けるようになった。「うむ、秋はそこまで来ている」と思い込みたいのだが、その「思い」を打ち破るほどの日中の暑さである(笑)。

ハードに、ガンガンにジャズを聴き込み過ぎた時、ちょっとリラックスして、何も考えずに、気持ちの良いフュージョンなどを聴きたくなる。しかも、心がスカッとする、爽快感溢れるフュージョンが良い。そんな時、結構、ピックアップするのが「パスポート(Passport)」、と語ったのが、2009年11月12日のブログ。

「パスポート(Passport)」とは、ドイツのジャズロック&フュージョンのバンド。パスポートのリーダーはサックスのクラウス・ドルディンガー(Klaus Doldinger)。 この人は、ニューオリンズの名誉市民の称号も与えられた人。かつてはドイツのジャズ大使と言われ、このサックスの名手クラウス・ドルディンガーは「ネバー・エンディング・ストーリー」などの映画音楽でも知られている。ドルディンガーが母国ドイツに戻り、結成したジャズロック&フュージョン系のバンドが「パスポート」である。

Passport

バーチャル音楽喫茶『松和』の「ジャズ・フュージョン館」、名物月次更新コーナー「ジャズの小径」の8月号は、この「パスポート」のアルバムを2枚ご紹介することとしました。2009年11月12日のブログ原稿に大幅加筆、若干修正をして、リニューアル原稿としてのアップです。

僕にとっては、「パスポート」の音は、NHK-FMの深夜番組「クロスオーバー・イレブン」御用達という印象が相当に強く残っています。今月の「ジャズの小径」では、この懐かしの「クロスオーバー・イレブン」についても語りながら、「パスポート」の音楽をご紹介していますので、乞うご期待。

そして、最後の決め台詞は・・・、これでしょうね・・・・(笑)。

「もうすぐ、時計の針は、12時を回ろうとしています。
 今日と明日が出会う時、クロスオーバー・イレブン」

さあ、バーチャル音楽喫茶『松和』の「ジャズ・フュージョン館」(左をクリック)にお越し下さい。「ジャズの小径」のコーナーは11年間分の記事がアーカイブされていて、読み応え十分です。特に、ジャズ者初心者の方々にお勧めです。松和のマスター一同、お待ち申し上げております m(_ _)m。  
 
 
 
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2010年8月21日 (土曜日)

ECMのユニークなアルバム達・1

ECMは「Edition of Contemporary Music」の略。創立者のマンフレート・アイヒャーの美意識が中心の、マンフレート・アイヒャーの感性でのみ、アルバムを制作する。そのユニークなレーベルの成り立ちから、他のレーベルには無い、内容が実にユニークなアルバムが多々存在する。

1971年に録音された『Ruta And Daitya(ルータ&ダイチャ)』(写真左)。今や、ジャズ・ピアノの重鎮キース・ジャレットとジャズ・ドラムの鬼才ジャック・デジョネットのデュオ・アルバムである。この二人は、後に「スタンダーズ・トリオ」として一世を風靡する訳だが、既に、こんなところでデュオ・アルバムをリリースしていた。そして、さすがはECM、このアルバムの内容が、実にユニークなのだ。

キースは、現在、アコースティック・ピアノ一辺倒であるが、このアルバムでは、マルチ・プレイヤーとして、アコースティック・ピアノ、エレクトリック・ピアノ、ウッドフルート、ソプラノ・サックス、パーカッションなどを縦横無尽に駆使。目を引くのは、今でも「絶対に弾かない」と頑張っているエレピをガンガンになって弾き倒しているところ。マイルスの下でのサイドマン時代以外で、キースのエレピが本格的に聴けるアルバムが数少ない。この『ルータ&ダイチャ』はそんなキースのエレピがふんだんに聴けるアルバムの一枚。

デジョネットのドラムは、そのポリリズムックでダイナミックなドラミングは勿論のこと、各種パーカッションも駆使して、繊細かつ自由度の高いリズム&ビートを供給する。これだけ、自由度の高い、パーカッションを駆使して繊細なニュアンスも見せつけるデジョネットも特筆に値する。
 

Rutadajjya

 
他のアルバムでは、あまり聴くことの無い、キースとデジョネットが、かなりフリーに近い、自由度の高いインプロビゼーションを聴かせてくれる。途中、フリーに走るところもあるが、しっかりと底に流れる「秩序」の下に戻ってくる。フリーではない、が、4ビートや8ビートの様な既成のビートにのった定型的な演奏でも無い。旋律はそこはかとなくキャッチャーで、親しみ易い、米国ルーツ・ミュージック的な響きが見え隠れする。これはキースの趣味だろう。

そして、このキースのエレピが素晴らしい。マイルスの下で弾き倒していた通りの「グニュグニュ、ギュワーン、ギュギュギュギュ、ウワウワーン」という、独特に「ねじり倒した」、キース独特のエレピが聴ける。これだけ、フェンダー・ローズを使い倒して、フリー・ジャズ的な音色を出しまくるキーボード奏者は、当時、キース・ジャレットとチック・コリアくらいだろう。とにかく凄い。限りなくフリーに近い、それでいて、しっかりとジャズ的要素を持った、捻れまくったフェンダー・ローズの響き。この音を聴けるだけで、このアルバムの存在意義があると言っても過言ではない。

キースのアコピも、その響きが面白い。面白いというのは、その響きが、その後、一世を風靡するキースのソロピアノのフレーズと全く一緒なのだ。このアルバムの時点で、キースのソロピアノの「手癖」は固まっていたということである。う〜ん、味わい深い内容である。

このアルバムの全体の雰囲気の源は、エレクトリック・マイルスにあると感じている。キースもデジョネットもエレクトリック・マイルス初期の重要メンバー。このデュオの演奏にマイルスのトランペットが加わっても何の違和感も無い。しっかりと底に流れる「秩序」の下、かなりフリーに近い、自由度の高いインプロビゼーション。このデュオ・アルバムには、エレクトリック・マイルスとの共通項が見え隠れする。

ECMレーベル独特の、わずかにリバーブのかかった深いエコーの音作りが、キースとデジョネットのダイナミズムと繊細さを増幅させる。良いアルバムです。ECMレーベルの面目躍如たる、とにかく、ユニークな内容のアルバムです。 
 
 
 
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2010年8月19日 (木曜日)

ここにはWeather Reportは無い

Weather Report(ウェザー・リポート)の後期、『Procession』から『Domino Theory』まで聴き進めて、僕は当時、これはもう「Weather Reportでは無いのでは」と思った。特に、1984年にリリースされた『Domino Theory』(写真左)。さすがに、このアルバムには「ガッカリ」した。もはや、このアルバムには、Weather Reportは全く存在しない、と感じた。

そして、1985年『Sportin' Life』である。これは実を言うと、リリース当時、僕は購入しなかった。とにかく、『Domino Theory』のショックが大きい。もうWeather Reportに対して、興味は失せていた。ジャズ雑誌は、相変わらず、絶賛していた、若しくは、次なる素晴らしいステップへの「前向きな過渡期」と好意的な評価をしていた。

この『Sportin' Life』を聴いたのは、リリース年から10年ほど経ってからである。冒頭のボーカル入りのシンセ中心の演奏を聴いて、ゲンナリした。『Domino Theory』よりも酷い。もう全く覇気の無い演奏である。デジタル・シンセの音がやたらに目立って、酷く凡庸なデジタル・シンセのフュージョン・ジャズを聴いているよう。

2曲目以降の楽曲にも、もはや「聴くべきもの」は無い。ビートは平凡というか、ビートは硬直し、ギターを入れたらファンキーな雰囲気になるとでも思ったのだろうか、ザビヌルのデジタル・シンセの雰囲気をなぞった、実に窮屈で、実にノリの悪いエレキ・ギターが虚しく響く。サックスのショーターは、ちょっとだけププッと吹くだけ。それも気持ちがこもっていないのが良く判る。

とても、Weather Reportとは思えない。ザビヌル個人のデジタル・シンセを駆使した、平凡なビートに乗った、平凡なシンセ・フュージョンの「デモテープ」を聴いているようだ。こんな演奏を、Weather Reportの正式盤でリリースするとは、ザビヌルの良心を疑いたくなる。Weather Reportに対して失礼である。何の変哲も無い、平凡なシンセ・フュージョンの響き。空虚なアルバム。

そして、Weather Report名義のラストアルバムが『This Is This!』(写真左)。1986年のリリース。このアルバムには、双頭リーダーだったウェイン・ショーターのサックスは全く参加していない。ザビヌルのデジタル・シンセだけが、やけに空虚に、やけに明るく響く。

Sportinlife_thisisthis

冒頭の表題曲「This Is This!」は、とにかく酷い。平凡極まりない、俗っぽい、平板なフュージョン・ジャズ。ギターも酷ければ、ザビヌルのシンセも酷い。空虚に響くシンセ。そして、平凡極まりないビート&リズム。これは、フュージョン・ジャズでも無い。ジャズのビートは皆無。今聴き直してみても、良いところが見当たらない。

この『This Is This!』ほど、Weather Reportの歴史を冒涜するアルバムは無いだろう。なぜ、こんなアルバムをリリースしたのか。契約があったことは理解するが、ザビヌルはペナルティーを払ってでも、この『This Is This!』は、Weather Report名義でリリースしてはならなかった。

このアルバムの存在が、ザビヌルにとって、Weather Reportは単なる一つの金稼ぎの道具に過ぎなかったのでは、という疑義を抱かせるに十分な「凡庸な内容」。これはWeather Reportのファンに十分に失礼な内容である。

これでWeather Reportのスタジオ録音のアルバムは全て聴き直したことになる。総括すると、Weather Reportは、1971年の『Weather Report』から、1982年の『Weather Report』までは、本当の意味でのWeather Reportと言える。1983年の『Procession』以降は、もはや、Weather Reportでは無い。ザビヌルの平凡な出来の「デモ・テープ」である。絶対にWeather Reportとは呼べない。

そして、1971年から1982年までのWeather Report時代のアルバムの中でも、1973年の『Sweetnighter』から、1974年の『Mysterious Traveller』、1975年の『Tale Spinnin'』の3枚についても、自分としては、Weather Reportの正式アルバムとしては、挙げたくないアルバムではある。

真のWeather Reportのスタジオ録音盤としては、デビューアルバム『Weather Report』『I Sing the Body Electric』『Black Market』『Heavy Weather』『Mr. Gone』『Night Passage』『Weather Report('81)』の7枚を聴けば十分。その他のアルバムは、Weather Reportのマニア向けでしょう。

ザビヌルって、Weather Reportの後期、後生に汚点となって残るアルバムをリリースしつつけたのだろう。そして、このWeather Reportの後期のアルバムほど、ジャズ評論家の意見は参考にはできるが、信じることは絶対に出来ない、という確信を持たしてくれたアルバムは無い。 
 
 
 
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2010年8月16日 (月曜日)

ECMが持つ透明感と静謐感

ECMレーベルは実にユニークなレーベルである。1969年、ドイツ・ミュンヘンのマンフレット・アイヒャーによって設立されたレーベルだが、実にユニーク。

音作りのコンセプトは「The Most Beautiful Sound Next To Silence」(沈黙の次に美しい音)。わずかにリバーブのかかった深いエコーの音作りは、好みの分かれるところではあるが、欧州出身のジャズ・レーベルという点では、その音作りは十分に理解出来る。

このレーベルからリリースした多くのジャズミュージシャンが現代音楽好きだったことが、そもそもの動機だったらしいが、このECMレーベルのアルバムには、ジャズのフォーマットを踏襲しつつ、現代音楽的な内容を持つアルバムが少なくない。クリスタルな透明感、切れ味の良い、適度に自由なインプロビゼーション中心の佳作が多くリリースされている。

このところ、猛暑、猛暑日の激しく暑い夏。もう頭は溶けてしまい、普通のジャズを聴く気力も無い。そんな時、エアコンの効いた部屋で聴くECMの現代音楽的ジャズは、またとない「清涼剤」。格好の一枚、John Abercrombie & Ralph Townerの『Sargasso Sea』(写真左)を聴く。

ECMレーベルのを代表するギタリスト、ジョン・アバークロンビーとラルフ・タウナーによる叙情感たっぷりのデュオアルバムである。どちらもジャズ・ギタリストとは良いながら、全くと言って良いほど、ハードバップ感が無い。ファンキー感は皆無。どちらかと言えば、インプロビゼーションを前提としたクラシック・ギターの音のアプローチに近い。クラシックの要素をしっかりと踏まえた「欧州ジャズ・ギター」の音である。

Sargasso_sea

そんなジョンアバとラルタウがガップリ四つに組んだ、限りなくフリーに近い、ジャズ的なフォーマットを踏襲したインプロビゼーション中心の、限りなく自由度の高い「デュオ・アルバム」である。「動」のアバクロ、「静」のラルタウ、好対照な欧州ジャズ・ギターが、デュオの構成の中、丁々発止と絡み合い、挑発し合い、バランスを取り合う。

超絶技巧なテクニックの中に、整然とした限りなくフリーなジャズ・インプロビゼーションがここにある。ECMレーベル独特のわずかにリバーブのかかった深いエコーの音作りが静謐感を増幅する。凛とした響き。クリスタルな切れ味。清涼感たっぷりなギター・デュオ。収録されたどの曲を聴いても、その印象は変わらない。確固たる主義主張を持った音作りとインプロビゼーションには感心することしきり。頭が下がる思いだ。

1976年の作品。時代はフュージョンジャズ・フィーバー真っ只中。そんな中で、ECMレーベルは、この『Sargasso Sea』のような、ジャズのフォーマットを踏襲しつつ、現代音楽的な内容を持つアルバムをリリースしていたのだ。素晴らしい運営方針、運営ポリシーを持ったレーベル。だからこそ、僕たちは、今でもECMレーベルの音楽を聴くのだ。

ジャケットも良い。ECMレーベルの雰囲気満載。クリスタルな透明感、切れ味の良い、適度に自由なインプロビゼーション中心の佳作は、夏の暑い日にピッタリ。エアコンの無い、開けっ放しの部屋でも「良し」、エアコンの効いた部屋では「なお良し」。

ECMレーベルが持つ透明感と静謐感が、ジョン・アバークロンビーとラルフ・タウナーによる叙情感たっぷりのデュオ・ギターが、酷暑の夏を忘れさせてくれる。でも、このアルバムは、厳冬の冬には「厳禁」。心が透明に凍り付いてしまいます(笑)。 
 
 
 
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2010年8月15日 (日曜日)

WR 終焉へのカウント・ダウン

1984年にリリースされた『Domino Theory』(写真左)。さすがに、このアルバムには「ガッカリ」した。もはや、このアルバムには、Weather Reportは全く存在しない、と感じた。

冒頭のCarl Andersonのボーカルが入った「Can It Be Done」。なんやこれ、と思った。今の耳にも、この「Can It Be Done」のアレンジのセンス、シンセの使い方のセンス、実にひどい。前奏なんぞ、噴飯ものである。ザビヌルは何を考えていたのか。電気ジャズのAORの線でも狙っていたのか(笑)。とにかく、この「Can It Be Done」を冒頭に配した感性が理解の範疇を超えている。

2曲目の「D-Flat Waltz」は、10分超のWRらしいインプロビゼーション中心の楽曲だが、このデジタル臭さはなんだ。特に、ザビヌルのシンセのデジタル臭さは何とかならんのか。金にあかして、当時の新機材をどんどん導入し、聴き馴れない、新しいシンセの音を使用して、なんとか、WRが従来より提示してきた、「斬新な音」を表現したかったのだろうが、平凡極まりない。ミュージシャンとしての「斬新な音」は、何も機材から供給されるものでもなかろう。

3曲目の「Peasant」は、デジタルシンセを駆使したワールド・ミュージック風な演奏であるが、ビートとリズムが奥に引っ込んでいて、実に平坦な音世界が8分も続く。退屈極まり無い、デジタルシンセの平凡な音。ここまで聴いてきて、ザビヌルはどうしてしまったのか、と思ってしまう。センスのかけらも、インテリジェンスのかけらも無い。これでは、新加入のベースのビクター・ベイリー、ドラムのオマー・ハキムが可愛そう。ザビヌルの影に隠れて、ザビヌルを目立たせるだけの為に、リズム・セクションがあるかのよう。

Domino_theory

以降、同傾向の曲が続く。退屈極まりないアルバム。当時、デジタルシンセの音が何となく新しい感じがしたが、今では、当時流行のデジタルな平凡な音ばかりで、古さばかりを感じる音ばかり。もともと、ザビヌルのシンセの使い方は見劣りがしたが、この『Domino Theory』でのシンセの使い方は酷い。ザビヌル一人の独裁バンドになった途端に、この酷さ。

加えて、なぜか前作『Procession』で、喜々としてサックスを吹いていたショーターも、このアルバムでは、まったく「いけていない」。ショーターらしいフレーズも無く、ただただ、ザビヌルに合わせて、ザビヌルの指示通りのフレーズを機械的に吹くだけ。人間味の無い、ミュージシャンシップのかけらも無い、サックスの音。

リズムも陳腐、ビートは効かず、キーボードの音色もフレージングはセンスのかけらも無い。テクニックがいかにあろうとも、このアルバムには「矜持」が無い。ひたすら、独裁リーダー・ザビヌルの自己満足だけがこのアルバムに蔓延している。そうでも解釈しないと、こんな内容のアルバム、プライドのあるリーダーだったらリリースしないでしょう。でも、当時の雑誌の評論は、まだ「絶賛」若しくは「新境地開拓」と、盲目的に評価していたんですよね。「どうもおかしい」、この頃からですね、評論家の方々の意見は参考にはするが、鵜呑みにしなくなったのは・・・。

この『Domino Theory』は、WR 終焉へのカウント・ダウン。もはや、ここに、ジャズの最先端を走っていたWeather Reportの姿は無い。残骸も無い。あるのは、平凡なザビヌルの音世界だけ。しかし、WRは、あと2枚ものアルバムをリリースするのだ。「矜持」のかけらも無い。WRはザビヌルの我が儘のお陰で「晩年を汚してしまった」のである。今の耳で聴き直しても、やはり「つまらない」。
 
 
 
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2010年8月14日 (土曜日)

自分の耳を信じよ 〜WRの迷走

ジャズは複雑な音楽で取っつき難い。自分の耳が信じられる様になるまで、雑誌の評論に翻弄され、入門本の紹介文に揶揄される。後になって振り返ってみれば、自分が「良い」と感じたジャズが、自分にとって「良い」ジャズなんだ、と判るんだが、ジャズ者初心者の頃は、どうしても他人の、特に「権威」の意見に振り回されてしまう。

僕にとって、その「振り回された」最たる思い出が、Weather Report (ウェザー・リポート・以降WRと略す)の後期、1983年リリースの『Procession』(写真左)以降の4枚のアルバム。このアルバム4枚ほど、雑誌の評論、世間の評判と自分の耳の感じ方が異なったケースは無い。特に、『Procession』については、ほとほと困り果てた思い出がある(笑)。

『Procession』は1983年発表。前年の1982年に、ジャコ・パストリアスとピーター・アースキンという、WR史上、最高かつ最強のリズム・セクションが脱退(というか、ザビヌルに追い出された感が強いが・・・)。遂にWRは、キーボードのジョー・ザビヌルのワンマンバンドと化した。

初期WRは、サックスのショーターとベースのビトウスの手柄であり、中期WRは、ドラムのピーター・アースキンとベースのジャコ・パストリアスの手柄であった。残念ながら、いつの時代も中途半端なスタンスで、とにかく売れたいと思っているキーボードのジョー・ザビヌルは、彼らの後塵を拝していた。

原因は、ザビヌルのキーボードに対する、特にシンセサイザーに対する理解度の浅さが主な原因だろう。当時の超一流のキーボーダー、チック・コリア、ハービー・ハンコック、ライル・メイズらと比べると、その才能については、どうしても1ランク、若しくは2ランク落ちる。機材の充実度、機材の総価格でいくと、ザビヌルはダントツなんだが、キーボードの音は、キーボードのセンスは、価格ではなく才能である。

この『Procession』については、当時、本当に自分なりの評価に困った。どう聴いても「優れたアルバム」とは思えない。特に、ザビヌルのシンセサイザーのセンスにかなり強い疑いを持った。

Procession

冒頭の表題曲「Procession」のザビヌルのシンセサイザーの使い方は、とても「ジャズ」をベースにしたシンセサイザーの音とは思えなかった。これでは、1970年代のプログレの方がシンセサイザーを理解していたと言えるし、この陳腐なデジタルチックな、時代に迎合したシンセサイザーの音は一聴して「おかしい」と思った。

でも、雑誌では絶賛されていた。若しくは、次なる素晴らしいステップへの「前向きな過渡期」だとされた。しかし、当時の僕は、ジャズを聴き始めてまだ5年程度。自信も有るわけが無く、雑誌の評論家の先生方の評価の方が正しいと思おうと思った。でも、『Procession』は2度聴けなかった。どうしても、ザビヌルのシンセの音が評価できない。

ジャコとアースキンに代わったベースのビクター・ベイリー、ドラムのオマー・ハキムは、ザビヌルのシンセを主役にするべく、ザビヌルのソロの旋律に被らないように、ザビヌルがリードするビートを踏襲しようとして、実に窮屈な演奏を強いられている。ビクター・ベイリーのエレベの音色は、ジャコにそっくりだが、彼の弾き出すビートはジャコとは全く違う。ザビヌルに迎合したビートで終始している。そして、オマー・ハキムのドラムは、ザビヌルを優先する余り、単なるデジタルチックな平凡なリズムに終始してしまっている。実に残念なリズム・セクション。

当時、この『Procession』で、ザビヌルは何を表現したかったのか。ファンキーな音なのか、シンセ中心のデジタルチックな音なのか、なんだったんだろう。この『Procession』で表現された音は、今の耳で聴くと、どう聴いても「ジャズ」とは思えない。ましてや、このザビヌル独裁のWRに、往年のWRの音世界は全く無い。あるのはザビヌルの、当時の音世界のみ。しかも当時のザビヌルは、晩年のワールド・ミュージックな音を獲得したザビヌルの個性を確立している訳ではなく、単なるデジタルチックで高額なシンセの弾き手に留まっていた。
 
思えば、1983年リリースの『Procession』で、既にWRはWRで無くなっていた。この『Procession』のWRは、ザビヌルのワンマン・ソロバンドである。この時点でWRは存在していない。WRは、ビートとリズムのバンドであった。そのビートとリズムは、双頭リーダーであったザビヌルとショーターの存在の他にあった。神の配剤の様に存在した、初期のビトウス&ムーゾン、中期のパストリアス&アースキン。

しかし、ザビヌルはことごとく、この「神の配剤」を排除した。そして、後期では、この「神の配剤」の部分を自らのシンセサイザーで表現しようとした。その瞬間、真のWRは消滅した。 
 
 
 
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2010年8月12日 (木曜日)

J.J.Johnson の『Dial J.J.5』

昨日、ジャズ・トロンボーンの第一人者、J.J.Johnson の『Blue Trombone』をご紹介した。僕は、この『Blue Trombone』がジャズ・トロンボーンの名盤中の名盤、このアルバムのトロンボーン演奏は、ジャズ・トロンボーンの目標に足る、実に優れた実に内容のある演奏だと思っている。

しかし、ジャズ紹介本の中には、違う見解の評論もある。J.J.Johnson の『Dial J.J.5』(写真左)が、J.J.Johnsonの最高傑作だという向きもある。確かに、『Blue Trombone』と甲乙付けがたい内容ではあるが、『Blue Trombone』より、当時としては「退化」している、と思っているのだ。

ちなみに、この『Dial J.J.5』のパーソネルは、J.J. Johnson (tb) Bobby Jaspar (ts) Tommy Flanagan (p) Wilbur Little (b) Elvin Jones (ds) 。 1957年1月の録音。『Blue Trombone』の録音日は、1957年5月の録音。

面白いのは、リズム・セクションの一角、ピアノのTommy Flanaganは同じだということ。でも、この『Dial J.J.5』のドラムは、当時、若手の最先端の精鋭、エルビン・ジョーンズというのに、エルビンの叩き出すリズムは、当時、過去の流行のフォーマットである「ビ・バップ」のドラミングそのもの。冒頭「Tea Pot」のエルビンのドラミングなんて、どう聴いても「ビ・バップ」そのもの。1957年当時としては、失礼ながら「過去の遺物」である。

しかし、このリズム・セクションって、このアルバムの収録の後、北欧ツアーでかのハードバップのピアノ・トリオの名盤『Over Seas』を輩出したピアノ・トリオとは思えない。ハードバップでは無い、その前の時代の「ビ・バップ」を彷彿とさせるリズム・セクションに終始している。

Dial_jj5

恐らく、思うに、J.J.Johnsonは、テナーのBobby Jasparの参加も踏まえて、「ビ・バップ」時代のトロンボーン・ジャズの集大成をしたかったのではないか。これぞ、アーティスティックな「ビ・バップ」の最高、かつ最終形として、この『Dial J.J.5』を残したかったのではないか。それは、後に控えるツアー、特に北欧ツアーを念頭に置いたセッションではなかったかと。

当時、欧州では「ビ・バップ」が高評価を得て、米国で成立し始めていた「ハード・バップ」よりは、「ビ・バップ」の方が、北欧での「うけ」が良いのでは、という「深慮遠謀」が働いたのではないか。リーダーのトロンボーン奏者、J.J.Johnsonはそんな環境の機微を敏感に察知するミュージシャンだった。実際、その「深慮遠謀」が功を奏して、J.J.Johnsonのトランボーンは欧州で「うけ」にうけた。

それでも、ラストの「Old Devil Moon」では、エルビンはたまらず、ポリリズム溢れる、当時最先端な「ハードバップ・ドラミング」を聴かせてくれるし、リトルのベースは、実に「ハードバップな」ビートに満ち溢れている。北欧でのライブについては「うけ」を狙って、「ビ・バップ」時代のトロンボーン・ジャズの集大成を前面に押し出してはいるが、ミュージシャン魂としては、J.J.Johnsonをして、先端の「ハードバップな」グルーブを表現する瞬間がある。

アルバムは「売れなければならないもの」という商業主義的感覚が、ある意味、こんな中途半端なアルバムを作らせた、とも受け取れる。でも、その内容たるや、先端の「ハードバップな」グルーブを表現する瞬間を垣間見せてくれ、決して「売れる」事を最優先とする「商業主義」に走らない、純粋なミュージシャンシップが見え隠れする、この『Dial J.J.5』は、実に愛すべきアルバムである。

『Blue Trombone』には敵いませんが、J.J.Johnsonのトランボーンのテクニックを愛でる面では、文句の無いアルバムでしょう。スライド・トロンボーンでこれだけの超絶技巧な演奏を繰り広げるJ.J.Johnsonって、やはり、ジャズ・トロンボーンの第一人者と言っても言い過ぎでは無いと思います。 
 
 
 
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2010年8月11日 (水曜日)

J.J.Johnsonの傑作である。

トロンボーンの音が好きだ。ボワンとして丸々としているけど、金管楽器独特の切れ味が潜んでいる。ブラシの響きが心地良く、力強く柔らかな独特の低音が実に魅力的だ。

中学の頃、ブラスバンド部に籍を置いていたこともあって、トロンボーンの演奏の難しさは体験的に理解している。とにかく、あのスライド部で音程を合わせるなんて、絶対音階と人一倍優れたリズム感を持っていること、そして、スライドする腕の微妙な動きに長けていること、そして、豊かな肺活量を持っていること。この3つの要素がしっかりと揃っていないといけない。

加えて、ジャズでこのトロンボーンを操るのは、ジャズ・ミュージシャンとしての人一倍長けた才能を持ち合わせていなければならず、と考えると、ジャズ・ミュージシャンの中で、トロンボーン奏者が、そんなに絶対数に恵まれない楽器だというのは、十分に理解出来る。

そんなジャズのトロンボーン奏者の第一人者が「J.J.Johnson(ジェイ・ジェイ・ジョンソン)」。1924年1月22日の生まれ、2001年2月4日逝去。ジャズのビ・バップ創成の時代から約60年間、ジャズ・トロンボーン奏者の第一人者として君臨した。カーティス・フラーの「ブルースエット」の様なキャッチャーな名盤には恵まれていないので、ちょっと損をしていますが、ジャズのトロンボーン奏者の第一人者は、圧倒的に「J.J.Johnson」です。

この『Blue Trombone』(写真左)を聴けば判る。1957年のリリース。ちなみにパーソネルは、J.J.Johnson (tb), Tommy Flanagan (p), Paul Chambers (b),  Max Roach (ds)。J.J.Johnsonのワン・ホーン・カルテットである。

これがまあ、素晴らしいジャズ・トロンボーンなのだ。冒頭の「Hello, Young Lovers」のトロンボーンの音色、テクニック、歌心。この「Hello, Young Lovers」の演奏だけでも、J.J.Johnsonをジャズ・トロンボーン奏者の第一人者として良いと僕は思う。それはそれは、アーティステックで粋な演奏なのだ。しかも、1957年の録音にしては、実にモダンな響きがする。
 

Blue_trombone

 
ドラムのマックス・ローチは、ハード・バップの前身、ビ・バップ時代のビ・バップ・ドラミングの第一人者。そのローチのドラミングが、実にハード・バピッシュな響きを宿しているのが、その「モダンな響き」の直接的原因。しかし、ビ・バップ・ドラミングの第一人者がどうして、ハード・バピッシュなドラミングが出来たのか。それは、ベースのポール・チェンバースの弾き出すビートが主原因。

さすが、マイルスの愛されたハード・バップ・ベーシストである。チェンバースの弾き出すビートは、その間といい、そのラインといい、そのタイム感覚といい、当時、最先端をいくハード・バップなベースである。そのベース・ラインとビートの触発されて、ローチのドラムが劇的に変化し、モダンな響きを宿している。そして、名手フラナガンが、リズム・セクションの一員として、これまた、実にモダンな伴奏ピアノを聴かせてくれる。伴奏の名手フラナガンの面目躍如。

そんなリズム・セクションに乗って、トロンボーンを吹きまくるジェイ・ジェイ。収録されている曲全てが、実にモダン。そして、テクニックは天才的。これがスライド・トロンボーンのアドリブか、と聴く度に感心することしきり。パーソネルを見ると、これが代表盤なのか、と思うのですが、このアルバムのセッションに限って言えば、奇跡的な「化学反応」が起こりまくっています。

このアルバム、LP時代から、なかなか正統な形で復刻されることが少なく、現在ではUS盤でしか入手できません。しかも、このUS盤、ボーナス・トラックがてんこ盛りで、どこまでが『Blue Trombone』で、本来の『Blue Trombone』なのか判らなくなっており、これは困ったもんです。『Blue Trombone』は、冒頭の以下の7曲が正式な収録曲で、残りはボートラですので、無視して良いかと思います(ちなみに演奏に内容はそれなりに優れていますが、『Blue Trombone』とは無関係)。

1. Hello, Young Lovers
2. Kev
3. What's New
4. Blue Trombone, Part 1
5. Blue Trombone, Part 2
6. Gone With The Wind
7. 100 Proof
 
これは、ジャズ・トロンボーンの名盤中の名盤です。今の時代でも、このアルバムのトロンボーン演奏は、ジャズ・トロンボーンの目標に足る、実に優れた実に内容のある演奏だと思います。心揺さぶられるジェイ・ジェイのトロンボーンを心ゆくまで堪能できます。   
 
 
 
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2010年8月10日 (火曜日)

Dr.Joe 〜Joe Hendersonに捧ぐ

2007年、Chick Coreaが、いきなり「Five Trio Box」を発表。これが、まあ、凄い内容で、4種類のトリオ(メンバーがそれぞれ異なる)による演奏と、ボーナス盤として、若手との共演と未発表演奏を収めたBoxセットである。このボーナス盤を除いた4枚がバラでリリースされた。「5トリオ・シリーズ」と題した本シリーズは、なぜか日本だけの独占販売となっている。

この「Five Trio Box」から、バラで最初に発売されたアルバムが『Dr.Joe』(写真左)。副題が「Joe Hendersonに捧ぐ」。捻れたモード奏法が特徴のサックス奏者、ジョー・ヘンダーソンに捧げられたトリオ盤。ちなみに、Chick Corea(p,key), John Patitucci(ac-b,el-b), Antonio Sanchez(ds)。

副題が「Joe Hendersonに捧ぐジョー・ヘンダーソンへ捧ぐ」となっているが、といって「インナー・アージ」等のジョー・ヘンの有名なオリジナル曲を全く演奏していないところが、チックらしいといえばチックらしく、ちょっと捻くれている(笑)。しかし、演奏されている曲は、ジョー・ヘンのオリジナルでは全くないんだが、演奏の雰囲気は、実にジョー・ヘンらしいところが、このトリオのニクイところ。

捻れたモード奏法と変則的な間が特徴のジョー・ヘンのテナー。その雰囲気を踏襲する場合、ビートというよりはリズムが重要になる。タイムをしっかりと押さえておかないと、フロントのピアノのソロが路頭に迷ってしまう危険性があるし、リズムが単調だと、捻れたモード奏法の旋律も同調して単調になって、聴いていて全く楽しくない演奏に陥る危険性もある。
 

Dr_joe

 
そんなリズム、タイムが重要なところに、アントニオ・サンチェスのドラムは実に素晴らしい。反応が良く、決して単調にならない、それでいて奇をてらわない、正統なドラミング。メリハリが効いていて、スネアの音が心地良い。そんなサンチェスの秀逸なドラミングにサポートされて、フロントのチックは、気持ち良く「ジョー・ヘン」ライクなピアノソロを弾きまくる。

ビートを押さえるのは、パティトゥッチ。チックとは、エレクトリック・バンド、アコースティック・バンドで共演を重ねた、実に相性の良いベース。地味ではあるが堅実に、左手の低音部をしっかりとサポートし、チックの右手を自由にする。これだけ、バッキングに徹した堅実なサポートを繰り広げるパティトゥッチも珍しい。

チックのピアノは、自宅での録音ということもあってか、かなりリラックスしている様子で楽しそう。素晴らしい内容のピアノ・トリオです。限りないポテンシャルを感じるピアノ・トリオで、チックの懐の深さと多彩な音楽性を感じます。チックのファンにとっては、もう「たまりません」ね。

決して「八方美人」というなかれ。決して「一貫性が無い」というなかれ。これだけ、しっかりした内容で、バリエーションに富んだピアノ・トリオを展開できるジャズ・ピアニストはチックが唯一無二だと思います。この「内容の確かな多様性」こそが、チックの個性の最たるものでしょう。 
 
 
 
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2010年8月 9日 (月曜日)

う〜ん、画期的に良くなった・・・

ジャズにおける日本の「女子力」について最近良く考える。とにかく素晴らしい。日本人ならではのジャズを、この日本の「女子力」が推進しつつある。従来から、男子と比べて「ハンディ」と思われる部分を知恵でカバーして、日本人ならではのジャズを表現しつつある。

西山瞳もその「女子力」の一人。前作『Hitomi Nishiyama in Stockholm』に対する僕の評価は辛口。

「これから先が楽しみである。というか、次のアルバムが正念場だろう。まだ、このアルバム『Hitomi Nishiyama in Stockholm』では、西山瞳は突き抜けていない。彼女の代表盤にはなっていない。男性のプロデューサーでは、女性ミュージシャンの本当の気持ちは判らないだろう。次作では、西山瞳のセルフ・プロデュース能力に賭けたい」

で結んでいる(2009年5月6日のブログ参照)。ピアニスト単独としての西山瞳は、まだまだ発展途上。力では男性ピアニストには勝てない。女性特有の、西山瞳特有の個性をどう活かしていくのか。西山瞳のコンポーザー&アレンジャーとしての才能は注目に値する。このコンポーザー&アレンジャーとしての才能とピアニストとして才能とを、どう上手くミックスして相乗効果を上げていくのか、という期待も寄せている。

欧州ジャズを踏襲するのは良い。でも、コピーしても西山自身の個性には良い影響は与えない。コピーしつつ自分の個性、日本人の個性を積み上げないと、単なる「欧州ジャズの物真似」で終わってしまう。実は、前作『Hitomi Nishiyama in Stockholm』を聴いて、深刻な危機感を覚えたのは事実。

しかし、ここから僕も、西山瞳に詫びなければならないのは、新作である『パララックス』(写真左)が、2008年9月発売された時に、真っ先に聴かなかったこと。日本製作盤なので、CDとしてアルバムを購入するには、2680円も投資しなければならかったので、ちょっと躊躇した。ダウンロードサイトを利用すれば、もっと投資額を下げれたのだが、本当にうっかりしていた。

なぜ、そんなに「お詫び」したくなるのか。新作である『パララックス』が、前作までの課題をクリアして、画期的に内容が良くなっているからである。飛躍的に良くなっている。何があったんだ、と思ってしまうくらい、演奏の内容が良い方向に変化している。ビックリした。
 

Nhitomo_parallax_2

 
パーソネルを見渡すと、西山瞳 (p), 坂崎拓也 (b), 清水勇博 (ds), 馬場孝喜 (g)。前作までは、北欧のミュージシャンをリズム・セクションとしていたのだが、この新作である『パララックス』は日本人ジャズメンで固めている。ここが決定的に前作までと異なる部分。これが、まあ、劇的な音の変化を生んでいる。

日本人リズム・セクションが良いサポートを提供している。ベースの坂崎拓也が、しっかりと西山瞳のピアノの低音部分を肩代わりするように「支える」。そして、西山瞳のピアノの左手で供給するビートの部分を、ドラムの清水勇博が、重ねるように「支える」。

このベースとドラムが西山瞳のピアノの左手の部分をしっかりとサポートすることで、西山瞳の生命線である「右手の旋律」と「右手のアドリブ」の供給の自由度が飛躍的に増し、西山瞳のインプロビゼーションのスペースが飛躍的に拡がった。つまり、西山瞳のインプロビゼーションの幅が「横に拡がった」。グループサウンドの裾野が広がって、色彩豊かになった。

グループサウンドの裾野が広がって、色彩豊かになったら、音の個性が前面に出てきた、というか、個性を前面に出せるようになった。リズムセクションの音のサポートの仕方が、米国ジャズにも欧州ジャズにも見られない、日本人ジャズ独特の音の響きを供給しているようだ。

2曲目の「朝日のごとくさわやかに」を聴けば判る。実に個性的な響きである。コンポーザー&アレンジャーとしての才能とピアニストとして才能とを、どう上手くミックスして、相乗効果を上げていくのか、という僕の懸念に対する、西山瞳の明快な回答を聴くかのようだ。これは面白い。西山瞳の次なるアルバムは、純粋に「楽しみ」だ。この日本人ジャズ独特の音の響きを、これからどう活かしていくのか。本当に「楽しみ」だ。

ジャズにおける日本の「女子力」、侮り難し。西山瞳も一皮向けて、その「女子力」の前線に参戦。暫く、ジャズにおける日本の「女子力」から目が離せない。  
 
 
 
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2010年8月 8日 (日曜日)

熱い!エレクトリック・マイルス

1969年、エレクトリック・マイルスは飛翔を始める。1969年2月に『In A Silent Way』を録音、1969年7月に、フランス・アンティーヴでのライブの模様を収めた『1969 Miles: Festiva De Juan Pins』。1969年8月には、エレクトリック・マイルスの基本『Bitches Brew』を録音。凄まじい「前進に次ぐ前進」。

エレクトリック・マイルスはライブで、その真価を更に発揮させるのだが、そういう意味では『1969 Miles』は凄いライブ盤だ。分厚いユニゾン&ハーモニー、凄まじいポリリズムを叩きまくるドラム。怒濤のようなビートを支える太いベース。最高に自由に多種多様な音色を紡ぎ出すエレピ、そんなリズムセクションが叩き出すビートは、今の耳にも新しい、唯一無二な「マイルスのビート」。そのビートをバックに、マイルスがショーターが吹きまくる。フリーにモーダルに吹きまくる。

そんな「ロスト・クインテット」のライブ盤がもう一枚ある。実はブート盤(海賊盤)あがりのライブ盤なんだが、そのタイトルは『Double Image』。もともとはブートとして出ていたものを2枚のCDに分け、それぞれ『Gemini』と『Double Image』という2タイトルに分けて、正式盤としてリリース。日本盤もリリースされんだが、僕はその日本盤の『Double Image』(写真左)の方を手に入れた。

パーソネルは、当然、Miles Davis (tp), Wayne Shorter (ss,ts), Chick Corea (elp), Dave Holland (b), Jack DeJohnette (ds)。1969年10月27日の録音である。収録されているのはメドレーの演奏1曲のみ。そのメドレーとは、「Free Improvisation 〜 'Round About Midnight 〜 Masuqualero」。音質的には、ブートとしては「まずまず」。『1969 Miles』が出るまでは、貴重な「ロスト・クインテット」のライブ盤だった。

Miles_double_image

この『Double Image』では、もちろん「ロスト・クインテット」全体の演奏が凄まじいが、とりわけ、ウェイン・ショーターのテナーが凄い。火を噴くような、爆発するような、エモーショナルな、限りなくフリーな、素晴らしいハイテクニックで気合いの入ったショーターのソロが存分に堪能できる。録音バランス的にショーターのテナーの音がしっかりと真ん中に定位しているのも良い。

もちろん、マイルスも凄い。ショーターと同様に、火を噴くような、爆発するような、エモーショナルな、限りなくフリーな、素晴らしいハイテクニックで気合いの入ったソロが凄い。しかも、このブート盤では、マイルスのソロが『1969 Miles』と比べて、かなりメロディアス。決して同じ演奏は繰り返さない、そんな「ジャズ本来の在り方」を追求するような、様々なバリエーションでの、一期一会なライブが、当時、繰り広げられていたことを物語る。

ベースのホランドとドラムのディジョネットのリズム・セクションの凄さは「当然」。凄いテンションの高い、高密度な演奏。それでいて、激しく自由度が高く、硬軟自在、伸び縮み自由、緩急自在。「へヴィー&フリーキー」なビート。この類い希なビートを叩き出すリズムセクション。収録されているメドレー演奏1曲、36分22秒、聴き終えたら、もう「ヘトヘト」になる。心地良い疲労感に包まれる。

音はちょっと悪いけど、聴けないほどではないので気にしない。熱い夏に「熱いエレクトリック・マイルス」。今年の酷暑、もう既に精神的には「溶けてヘロヘロ」なんですが、そんな夏バテの心に「がつん」と響く、エレクトリック・マイルス。いわゆるロスト・クインテットのライブ演奏、いつ聴いても凄いですね。気持ちが沸き立ち、心がポジティブになります。
 
 
 
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2010年8月 7日 (土曜日)

日本ジャズの「女子力」

この10年前位から、日本ジャズの世界は「女性上位」。山中千尋や寺井尚子、木住野佳子などが台頭してきた頃からかと思う。この頃から、日本女子のジャズ・ミュージシャンはヴィジュアル的にもOKで、マスコミ的扱いは、どちらかと言えば「ヴィジュアル優先」だった気がする。

が、彼女達の表現するジャズは、今までの日本のジャズとは一線を画するものだったから驚いた。今までの日本のジャズは、一部の優れたミュージシャンを除いて、米国ジャズや欧州ジャズの忠実なコピーだった。決して悪口では無い。それはそれは、素晴らしいコピーだった。しかし、日本人ならではの「個性」の表現は無かった。それでも、そのレベルは高かった。後は、日本人ならではの「個性」の表現を待つだけだった。

そして、その日本人ならではの「個性」の表現は、日本ジャズの「女子力」により始まった、と言って良い。2000年前後から台頭し、この2010年の現時点においても第一線で活躍している、日本女子ジャズ・ミュージシャンは、誰もが、日本人ならではの「個性」を表現していて立派である。しかし、それは、ピアノが中心(寺井尚子はバイオリンだけど・・・)。ピアノ以外の楽器については、まだまだという感が強かった。

しかし、2002年にアルト・サックスの矢野沙織が出現。遂にピアノ以外の楽器に、素性の確かな新星が現れた。クラシック系の楽器以外の、純粋ジャズ系の楽器から有望な新人が現れた。しかし、ジャズ系の楽器、時にフロント楽器は肺活量など基礎体力が必要な楽器ばかり。サックス、トランペット、ドラムス、ベース、どれもが基礎体力が必要で、女子にはちょっと荷が重い楽器ばかりである。特に、トランペットは肺活量が求められるし、唇の力が必要。女子にはちょっと無理な楽器かなあ、という印象が強かった。

が、今回、市原ひかりの『Move On』(写真左)を聴いて、気が変わった。楽器というのは、人を選ばない、性別を選ばない、吹き方次第で、表現力次第で、十分に吹きこなすことができる、ということを改めて知った。市原ひかりのトランペットを聴いていて、何も肺活量だけが全てでは無い。工夫とセンス次第で、結構、女子でも吹きこなすことが出来るんだなあ、と思った。

Move_on

アルバムの名義が「市原ひかりグループ」となっていることからも、グループ・サウンズを重視したアルバムという印象を受けますが、確かに、このアルバム全体の演奏は、実に良く練られた、実に良くアレンジされた、非常に内容の濃い「グループ・サウンズ」だと思います。とにかく、安定感と安心感があって、まずは、演奏に集中して聴くことが出来ます。実にノビノビとした、実に息の合った演奏で、十分にヘビーローテーションに耐えます。演奏内容が充実しているので、聴く度に新しい発見があって飽きません。

ちなみにパーソネルは、市原ひかり (tp,flh), 浅井良将 (as), 堀秀彰 (p), 中林薫平 (b), 安藤正則 (ds)。アルバムを通して感じるのは、市原ひかり (tp,flh), 浅井良将 (as)のフロント楽器の相性の良さ。変にぶつかったり重なったりしない。お互いに、実に自然に思い通りに吹いている様子なのに、被らないのは「相性の良い」証拠。そして、日本人男子で固められたリズム・セクションが実に良い感じ。まるで、マイルスの薫陶を受けているかのように、しっかりと「ビート」を押さえ、しっかりとした「ビート」を供給し続けている。

この「市原ひかりグループ」って、実にユニークな音をしている。ファンキーなんだけど、粘ってコテコテではない。あっさりとしたファンキーさ。お茶漬けを食べるような、サラサラとしたファンキーさ。ブルージーな雰囲気もそう。ドップリとブルーにならない、ライトな感覚のブルーさ。歌謡演歌のような、適度でライトなブルージー感覚。このあっさりとしたファンキーさと適度でライトなブルージー感覚は、米国ジャズや欧州ジャズには絶対に無い感覚。そして、随所に見られる律儀で真面目な感覚。これって、もう日本人ならではの「ジャズの個性」でしょう。

良い演奏、良いアルバムだと思います。凡百な日本女子ジャズのアルバムにありがちな、聴き心地優先な、イージーリスニング・ジャズ的な雰囲気は全くありません。冒頭の「やみくろ」の前奏から、しっかりとメインストリーム・ジャズしていると感じます。バックのリズム・セクションが供給する、良質かつ個性的な「ビート」に負うところが「大」ですが、市原ひかりのインテリジェンス溢れるペットが聴きものです。

日本ジャズのペットの有望株が日本女子から出てくるとはなあ。う〜ん、日本女子、なかなかやるなあ。
 
 
 
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2010年8月 5日 (木曜日)

エレクトリック・マイルスの基本

今日は誕生日。まあ、幾つになったかは割愛しますが、この暑い季節の誕生日。子供の頃は夏休み真っ只中ということもあって、良い思い出は全くありません。余りに暑くて親も忘れる誕生日(笑)。しかも、今年は人間ドックと重なって、酷暑の夏=人間ドック=誕生日と、なんだか凄い取り合わせになりました(笑)。

さて、せっかくの誕生日のブログなので、僕の一番好きなジャズ・ミュージシャン、マイルスの話をしましょう。しかも、エレクトリック・マイルス。とにかく、ジャズが好きになって30年以上になりますが、エレクトリック・マイルスには、今でも「やられてしまう」んですね。

エレクトリック・マイルスが一番尖っていた時期は、1960年代末〜1970年半ば。体調不良で隠遁生活に入るまでの、約6〜7年の期間である。この時期のエレクトリック・マイルスは無敵である。21世紀になった今でも、この尖ったエレクトリック・ジャズを超える演奏にはお目にかかった、いや、お耳にかかったことが無い。

そんなエレクトリック・マイルスの基本をなす、基本を我々に提示してくれるアルバムが『Bitches Brew』(写真左)。1969年8月の録音。今から、41年前の録音である。しかし、今の耳で聴いても、全く古さを感じさせない、というか、何度聴いても新しい発見があって、何度聴いても、その切れ味鋭い、イマージネーション溢れる、最大限自由で整然と統制された「真のジャズ」の姿を感じて、鳥肌が立つ瞬間が幾度もある。

ちなみに、パーソネルは、Miles Davis (tp) Bennie Maupin (bcl) Wayne Shorter (ss) Chick Corea, Joe Zawinul (el-p) John McLaughlin (g) Dave Holland (b) Harvey Brooks (el-b) Jack DeJohnette (ds) Lenny White (ds) Don Alias (cga) Jim Riley (shaker)。いやはや、集めに集めた、当時最先端をいく、若手精鋭ミュージシャンばかり。

Bitches_brew

テオ・マセロの「テープ・コラージュ」のお陰で、マイルスの思い描いていた音楽的イメージが、しっかりと起承転結をなす「一つの曲」として、はたまた、「一つの曲」としてのライブ演奏として、十分に音楽的成果として成立するものだ、ということが証明されたアルバムが『In a Silent Way』。

そして、この『Bitches Brew』は、最初からマイルス・ディヴィスがイメージしたエレクトリック・ジャズのイメージを実際の演奏セッションを繰り返すことにより、実際の演奏によって具現化した、記念すべき「エレクトリック・マイルスの基本」を我々に提示してくれるアルバムである。

確かに、まだテープ編集、テープ処理が施されているが、『In a Silent Way』の様に、テオ・マセロの「テープ・コラージュ」によって偶発的に出来上がった成果ではない。マイルスが最初から狙った成果を、実際の演奏セッションにより表現し、それをLP2枚組の枠の中に押し込めるために、テープ編集、テープ処理が施されたに過ぎない。

電気楽器を最大限に活かした「集団即興演奏」の最高峰のサンプルがここに提示されています。「適度な緊張感」と「クールな躍動感」、そして「広大で自由なインプロビゼーション・スペース」。以降の1970年代、「エレクトリック・マイルスの基本」がここにある。8ビートをベースとしたポリリズムを基に、躍動的なモード演奏が長尺の演奏として成立している。エレクトリック・マイルスの大本は「ビート」である、ということを強烈に体感できる、凄い2枚組です。

この『Bitches Brew』は、収録されたどの曲がどう、という話ではありません。聴けば判る。というか「聴かねばならない」。ジャズの凄さを感じるには、この『Bitches Brew』は避けて通れないでしょう。逆に、この『Bitches Brew』を受け入れない限り、ジャズというジャンルの音楽の深さと特質が感じ取れないような気がします。決して、一般ジャズ者万民向きでは無い。

この『Bitches Brew』は、敢えて誤解を恐れず言うなら、究極の「ミュージシャンズ・アルバム」の一枚でしょう。でも、一度は聴いて頂きたい名盤中の名盤です。
 
 
 
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2010年8月 4日 (水曜日)

凄い「一期一会」なプロジェクト

ジャズ・ミュージシャンって、自分の腕一本、自分の才能一つで勝負する「個人商店」的な面が強くて、ロックみたいに、ある一定期間、一緒に集まってバンドを組んで、一緒に演奏するということが、あまり無い。

逆に、ロックの世界では殆ど無いんだが、優れた「個人商店」的な強者が、ある一瞬、パッと集まって、凄いパフォーマンスを繰り広げて、あっと言う間に、また別れ別れ、バラバラで活動するということがジャズでは良くある。

この「The Manhattan Project」も、ジャズの世界特有の「一期一会」プロジェクトの一つ。プロジェクトを形成する「強者ども」とは、Wayne Shorter (ts, ss), Michel Petrucciani (p), Stanley Clarke (b), Lenny White (ds), Gil Goldstein, Pete Levin (key,syn)。うえ〜、凄いメンバーである。録音日は、1989年12月。メインストリーム・ジャズが復古を果たし、新生ブルーノートも軌道に乗った、ジャズ復権の時代である。その時代の環境が、この類い希な「一期一会」プロジェクトを生み出したといっていいだろう。

収録曲を見渡すと、

1. Old Wine, New Bottles
2. Dania
3. Michel's Waltz
4. Stella by Starlight
5. Goodbye Pork Pie Hat
6. Virgo Rising
7. Nefertiti
8. Summertime

結構、有名なジャズ・スタンダードが選曲されていて、どうせ、ジャズ・ミュージシャンが、ぱぱっと集まって、聴衆に迎合するように、ハードバップな演奏を繰り広げて、はい、一丁上がり的なオールスター・セッションではないの、と思ってしまうんだが、これがなんとまあ、ところがどっこい、ぎっちょんちょん、なのである(笑)。
 

The_manhattan_pj

 
まず、サックスのウェイン・ショーターが吹きまくっている。ブワーッ、ウネウネウネ〜、ブブブッ〜と、モーダルなインプロビゼーションを、渾身の力を込めて、吹きまくっている。ここまで吹きまくるショーターも珍しい。このブロウを聴けば、やはりウェインのその実力たるや、決して侮ってはいけない、と心から思ってしまう。

そして、ピアノのペトルチアーニが、ショーターに続く。渾身の力を込めて、これまた、モーダルなピアノソロをガンガンに弾きまくる。これが「モーダルなピアノソロなんじゃ〜」って感じで、弾きまくる弾きまくる。確かに、これがモーダル・ジャズ、これがモーダルなピアノソロだと感心してしまう。

加えて、リズム・セクションが凄い。ベースのスタンリー・クラークとドラムのレニー・ホワイト。ん〜っ、この二人って、第2期Return to Forever(リーダーはチック・コリア)のリズム・セクションやん。このリズム・セクションが凄い。全くハードバップな雰囲気は無視。スタンリー・クラークはエレベをベンベン、チョッパーをバシバシやりまくり、レニー・ホワイトは、4ビート基調なのか8ビート基調なのか判らん、とにかくビート最優先、ポリリズムをガンガンに渾身の力を込めて叩きまくる。

スタンダード曲に顕著な「斬新な曲想」、そして「捻りの効いた新鮮なアレンジ」。その新しいジャズのアプローチを基に繰り広げられる、職人芸的でハイテクニックな、新しい響き満載のアドリブ。冒頭の「Old Wine, New Bottles」から、ラストの「Summertime」まで、一気に聴き通してしまいます。それだけ、演奏内容に優れ、聴いていて楽しい、密度の濃い演奏。でも、決して疲れない。

それは、Gil Goldstein, Pete Levinの二人の電子キーボードが奏でる和音中心のバッキング。この二人のキーボードは、決してソロを弾かない、決してテーマを弾かない。和音でフロントモーダルなソロを、彩り豊かにサポートする。この二人のキーボードのバッキングが実に効いている。このキーボードのバッキングが、このライブ演奏を彩り豊かで、聴き易い雰囲気に染め上げでいる。

現在、廃盤状態みたいですが、どうして廃盤状態なのかなあ。米国amazonでは手に入るんですが・・・。DVDは入手可能な様ですね。聴けば判る。良いアルバムです。日本人からすると「ドキッ」とするプロジェクト名ですが、このプロジェクトの内容は凄まじいものがあります。
 
 
 
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2010年8月 2日 (月曜日)

熱いぞ! エルビン・スクール

本業の方で、ちょいと大きな環境変化があった。まあ、悪い話じゃないので良いんだが、もしかしたら、今までのように、ほぼ毎日のブログ更新がしんどくなるかも・・・。でも、出来る限り、更新頻度は維持したいですね。毎日、のべ人数100人以上の方々が、訪れてくれてはるので・・・。

さて、ジャズ界の優秀なドラマーは、後進の有望な若手ミュージシャンを育てる役割の担うことが多い。その一番の例が、アート・ブレイキ−。アート・ブレイキー率いるジャズメッセンジャースは、時代時代の若手有望ミュージシャンの宝庫。ジャズ界の第1線で活躍しているミュージシャンの多くが、ジャズメッセンジャース卒業生だったりする。

1997年に亡くなったトニー・ウィリアムスの晩年もそうだった。前面に出て目立つことを控え、有望な若手ミュージシャンをバックから盛り立て育てる役割にやり甲斐を見出した時、トニーは神に召されてしまった。ジョン・コルトレーンの伝説のカルテット、コルトレーンの愛したドラマー、エルビン・ジョーンズも、一時期、後進の有望な若手ミュージシャンを育てる役割の担った時期がある。

エルビンの後進指導の素晴らしいところは、エルビンは全面的にコルトレーンを信奉しているにも拘わらず、エルビンの下に参集する後進の有望な若手ミュージシャンに、コルトレーンの様に演奏することを強制しないことだ。エルビンは、コルトレーンの「進取の気性」な、先進的な精神を踏襲することを、若手ミュージシャンに問うこそすれ、コルトレーンの様に演奏することを強いることはしない。

その熱い、熱血指導を体験できるアルバムの一枚が『Youngblood』(写真左)。ただただ、激しく熱く後進の有望な若手ミュージシャンを煽りまくる強烈なアルバムである。1993年の録音。ちなみにパーソネルは、エルヴィン・ジョーンズ (ds), ジョージ・ムラーツ (b), ニコラス・ペイトン (tp), ジャヴォン・ジャクソン (ts), ジョシュア・レッドマン (ts)。

Elvin_youngblood

パーソネルの中で目を惹く有望若手ミュージシャンは、ニコラス・ペイトン (tp), ジョシュア・レッドマン (ts)の二人。この二人の有望若手ミュージシャンのパフォーマンスが、この『Youngblood』のハイライト。二人とも、限りなく自由に、限りなくイマージネーション豊かに、緩急自在、硬軟自在にソロ・フォーマンスを繰り広げる。

その有望若手ミュージシャン二人を煽る役割は、リーダーのエルビン・ジョーンズの役割。そして、煽られまくる有望若手ミュージシャンを、ガッチリと底辺で支えるのが、ジョージ・ムラツの「ド太い」ベース。

ジョージ・ムラツのベースがガッチリと演奏の底辺を支えてくれるので、有望若手ミュージシャン二人は、エルビン親分に颯爽と立ち向かうことができる。実にエモーショナルな、実に感動的なインプロビゼーションがこのアルバムには詰まっている。

但し、エルビンにも欠点はある。エルビンにあって、ジャズ界のミュージシャン育成のゴッド・ファーザー、アート・ブレイキーに無いもの。長尺のドラムソロである。ブレイキーいわく「ドラムソロほど、聴き手にとってつまらないものは無い」。確かにその通りで、僕も、ドラマーの自己顕示欲の塊の様な、長尺のドラムソロは無用の長物と思う。ドラマーの真価は、ドラムソロを聴かなくても、フロント楽器のバッキングだけで良く判る。

この『Youngblood』にも、エルビンの無用の長尺ドラムソロが何ヶ所かあって、それには閉口するが、それを差し引いても、ニコラス・ペイトン (tp), ジョシュア・レッドマン (ts)の二人のパフォーマンスが素晴らしい。「熱いぞ! エルビン・スクール」と声をかけたくなるような、熱気溢れる素晴らしいパフォーマンス。良いアルバムだと思います。
 
 
 
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2010年8月 1日 (日曜日)

マイルスのモード・ジャズ事始め

7月29日のブログ(左をクリック)「1969年のマイルス・デイヴィス」で、ご紹介した『1969 Miles: Festiva De Juan Pins』。

テンションの高い、高密度な演奏。それでいて、激しく自由度が高く、硬軟自在、伸び縮み自由、緩急自在。「へヴィー&フリーキー」なビート。この類い希なビートを叩き出すリズムセクションをバックに、マイルスが吹きまくる。エレクトリック・マイルスの初期のライブ盤である。

このアルバムの面白いところは、収録曲を見渡すと「Milestones」「'Round About Midnight」と、ハードバップ時代の名曲が演奏されているところ。このハードバップ時代の名曲が、エレクトリック・マイルスの中でリニューアルされ、エレクトリック・モードの名演が繰り広げられている。

さて、マイルスの「モード・ジャズ」の事始めとは、どのアルバムか。諸説有るが、僕は、1958年2月録音の『Milestones』(写真左)と思っている。特に、表題曲の「Milestones」におけるマイルスのソロは、モード奏法の極めつけの一つだと僕は評価している。ちなみにパーソネルは、Miles Davis (tp), Cannonball Adderley (as), John Coltrane (ts), Red Garland (p), Paul Chambers (b), Philly Joe Jones (ds) 。

この『Milestones』の収録曲を改めて見渡してみると、ハードバップ系の究極な演奏と、モード系のチャレンジブルな演奏とが、互い違いに収録されているように感じる。ちなみに、LP発売当時の収録曲は以下の通り。

1. Dr. Jackle
2. Sid's Ahead
3. Two Bass Hit
4. Milestones
5. Billy Boy
6. Straight, No Chaser

1曲目の「Dr. Jackle」は、高速ハードバップの究極的な演奏。これ以上、高速なハードバップな演奏はそうそうに無い。ハードバップのフォーマットで、演奏速度はビ・バップという感じの、「究める」という雰囲気がピッタリなストイックな演奏。同様に、ハードバップの究極的演奏が、3曲目「Two Bass Hit」、5曲目の「Billy Boy」でも追求される。

このハードバップの究極的演奏では、参加メンバー全員が、ハードバップ時代の名手でもある関係上、凄まじいほどの内容を誇るハードバップ演奏になっている。恐らく、コードを前提とした、ビ・バップの延長線上にある通常のハードバップな演奏としては、最高峰の演奏のひとつがここにある。とにかく、ハードバップ演奏のテクニックが凝縮された、非常に高度な演奏ワールドがここにある。
 

Milestones

 
そして、2曲目は、マイルスのソロとコルトレーンのソロが、なんとなく「モード」している。が、マイルスは音を選んで、数少ない音数と演奏スペースの広さを最大限活かそうとする、印象派の様な「拡がりと音の色彩」を狙ったようなモード演奏を繰り広げるが、コルトレーンは徹頭徹尾、マイルスの正反対を行く。音を敷き詰めた様な「シーツ・オブ・サウンド」をベースとして高速パッセージを繰り出し、演奏スペースを音符で埋め尽くしたような、点描画の様な「高密度と音の分解」を狙ったようなモード演奏を繰り広げる。

そのマイルスとコルトレーンの対比が、明快に現れる名演が、4曲目の表題曲「Milestones」。特に、この「Milestones」でのマイルスのソロは絶品である。これぞ「モード」と言って良いソロ。数少ない音数と演奏スペースの広さを最大限に活かした、非常にアーティスティックで、非常に情緒的な、叙情的な、リリカルなソロ。対するコルトレーンのモード演奏は、点描画の様な「高密度と音の分解」を前提としているが故に、その限界が見え隠れするような、テクニック優先のメカニカルな演奏になっている。

しかし、マイルスとコルトレーン以外の他のメンバーは、全くと言っていいほど、モード奏法を理解していない、ということが非常に良く判る。特に、リズムセクションの3人、Red Garland (p), Paul Chambers (b), Philly Joe Jones (ds) は、実に辛そうだ。コード進行を主体とせず、モードに基づく旋律による進行に切り替えたものが「モード奏法」なんだが、その切り替えが、リズムセクションの3人の中では、全く上手くいっていない。というか、途中から切り替えを諦めている。

マイルスのモード・ジャズ事始めは、僕は、1958年2月録音の『Milestones』と思っている。でも、そのモード奏法を完全にものにしていたのは「マイルスのみ」。コルトレーンも「シーツ・オブ・サウンド」を前提としたモードには限界が見え隠れしている(よって後にフリーに走ってしまうのだが・・・)。1958年という時代には「モード奏法」は早すぎた。

加えて、僕が思うに、コード進行を主体とせず、モードに基づく旋律による進行に切り替える時、音の色彩やバリエーションが少ない生楽器では限界があるのではないか、と。モード奏法をグループサウンドとして成立させて行くには、音の色彩やバリエーションが豊かな電気楽器が必要になるのではないか、と。よって、マイルスによるモード奏法の完成は、エレクトリック・マイルスの時代の中ではないか、と。この仮説は、エレクトリック・マイルスを順に聴き返していくことにより、明らかになっていく。
 
 
 
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