ゴンサロ、初期の傑作である
ゴンサロ・ルバルカバ。彼の持つ実力の程を考えると、もうちょっと評価されても良いんだけどな、と思う今日この頃。
口の悪い評論家からすると、若い時は凄かったんだけど、今はなんだか良く判らないピアニストになったなんて、じゃあ、自分はゴンサロと同等、若しくは、それ以上のピアノ・パフォーマンスが出来るのか、って訊きたくなる。まあ、評論家ってうのか、無責任なものだよな。
プロフェッショナルというものは、身を削って、その身を置くそれぞれの世界の中で自分の個性と実力を表現をするものであり、僕も本業は技術職で、所謂、プロフェッショナルの端くれではあるので、安易に無責任な評価する評論家には憤りを感じることはしばしばある。
ゴンサロ・ルバルカバの世界というのは、巷の無責任な評論家が言うほど、単純かつ狭いものではない。僕は、この、ゴンサロの初期の傑作『Rapsodia』(写真左)を聴けば、ゴンサロの実力に驚嘆すること請け合い。このアルバムには、ゴンサロの全てがギッシリ詰まっている。
冒頭「Contagio」は、さすがにキューバ出身のミュージシャン、カリビアンなカリプソチックな愛らしいフレーズが特徴の、それでいて、そこはかとなく超絶技巧な世界。この「Contagio」は、その演奏内容は秀逸。
で、冒頭の「Contagio」を聴いて、じゃあ、このアルバムは、カリビアンなカリプソチックな愛らしいフレーズで攻めてくるのか、と思いきや、そうじゃない、ということが、2曲目の「Circuito II」で判る。
う〜ん、なんて尖った、ちょっとアブストラクトな、超絶技巧なピアノ・ソロで始まる演奏は、ゴンサロの個性をしっかりと僕たちに伝えてくれる。決して、聴き手のレベルに迎合しない、純ジャズの最高峰を追求する、そのストイックな姿勢と演奏内容。この2曲目の「Circuito II」には、ゴンサロの聴き手に対する誠実さが溢れんばかりである。
このアルバムでは、ゴンサロが単なるピアニストに留まらない、トータルなアレンジャー&コンポーザーの才能も兼ね備えた、オールラウンダーなピアニストであることを証明してくれる。
3曲目の、硬派で尖ったファンキーなビートはどうだ。しかも、ゴンサロのシンセサイザーの使い方はどうだ。ビートの処理、シンセサイザーの処理。ここでのゴンサロのトータルなアレンジャー&コンポーザーの才能には舌を巻くばかり。しかも、ゴンサロのトレードマークである「超絶技巧な世界」を全く規制することなく、ゴンサロは心いくまで弾き倒す。そして、グループサウンドとしてのまとまりは素晴らしいの一言。
この『Rapsodia』は、ゴンサロ、初期の傑作である。ゴンサロの個性が目一杯に詰まっている。ゴンサロは心ゆくまで、自分の個性、特性を表現してみせる。超絶技巧な世界と秀逸なアレンジャー&コンポーザーの世界。どこまで、ゴンサロの個性で一杯。
ゴンサロをここまで好きにさせているのは、フレオ・バレトのドラミング。超絶技巧なポリリズムの世界は、以降訪れるであろう、プログレッシブなジャズ・ドライングの将来を彷彿とされる。とにかく、凄いドラミングだ。僕は、フレオ・バレトのドラミングを生で見たことがあるが、それはそれは超絶技巧な世界。でも、その超絶技巧な世界は、決して、無理して作っている「人工的な」香りがしない。
そんなフレオ・バレトのドラミングを得て、ゴンサロはピアノを弾き倒す。そして、その引き倒すゴンサロのピアノを更に惹き立たせるのは、ゴンサロのトータルなアレンジャー&コンポーザーの才能。このアルバムが、ゴンサロ、初期の傑作である、とする所以である。
単なるピアノだけでは無く、シンセサイザーを始めとする電子鍵盤楽器にも精通しているところゴンサロの凄いところ。ゆめゆめ侮ることなかれ。ゴンサロ・ルバルカバの才能は、結構、従来の評価の延長戦上にあるものでは無い。
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