2010年の花見に行ってきました
先週より肌寒い日が続いて、なかなか桜の開花が進まなかったが、一昨日の晩から急に暖かくなって、「もしや」と思ったら、この土日で桜が一気に満開状態となった、我が千葉県北西部地方。ということで、今日は朝からちょっとヒンヤリした気候ではあるが、午後から日差しも出るということで「花見へGo!」である。
中山競馬場周辺の桜が穴場だ、ということは前から聞いていたが、なかなか訪れる機会が無かった。が、今年の花見は思い切って、中山競馬場周辺まで足を伸ばした。武蔵野線の船橋法典駅から中山競馬場へ向かう。そして、中山競馬場に着くわけだが、まずは中央口の前の駐車場の桜が見事である。そして、まだ裸のままの欅が見事。この駐車上、初夏は欅の新緑で楽しめそうだ。
中山競馬場からJR西船橋駅へ下って行く途中で、桜並木の見事な土道路がある、というネットの情報を頼りに、中山競馬場の周りを回っていくと、ありました、ありました。見事な桜のトンネル。もう満開でした。なかなか見事な桜です。しかも、ほとんど人通りも無く、車も多く無く、確かに、花見の隠れた穴場です。西船橋駅へ下って行くすがら、満開の桜を堪能しました。
1970年代、歌謡曲〜ニューミュージックの時代。「桜」を題材とした歌はほとんど無かった。特にヒットした曲に「桜」を題材にした曲は記憶に無い。当時、桜は愛でるもの、桜は唄うものではない、とでもいった感覚でもあったのだろうか。あのニューミュージック華やかりし頃、ニューミュージックの世界でも、愛だ恋だ、惚れた振られた、孤独だ淋しい、頑張ろう生きよう、というものが殆どだった。「桜」を題材にした曲はほとんど無い。
「桜」の季節になると、満開の「桜」を愛で、満開の「桜」が散る様を見ると、決まって、数少ない「桜」を題材とした歌を思い出す。その歌とは、荒井由実のサードアルバム『COBALT HOUR』(写真下)の3曲目「花紀行」である。
2曲目の名曲「卒業写真」と、4曲目の小粋でアンニュイな「何もきかないで」に挟まれ、ひっそりと3曲目に置かれた小作品である。荒井由実の楽曲の中でも地味な存在で、荒井由実を語る中で、この「花紀行」が話題になることは殆ど無い。でも、このひっそりとした地味な「花紀行」の曲の雰囲気が、『COBALT HOUR』を初めて聴いた30年以上前から、ずっとずっと好きである。
見知らぬ町を ひとり歩いたら
風は空から 花びら散らす
過ぎゆく春の 投げる口づけは
髪に両手に はらはら停まる
この場所で 嵐見送れば
時の流れに 埋ずもれてしまう
薄紅が なんて優しいの
拾い集める人もいないのに
見知らぬ町を ひとり歩いたら
風は空から 花びら散らす
髪に両手に はらはら停まる
「花紀行」 作詞・作曲 荒井由実
この何気ない歌詞が良い。ほとんど人通りも無い、静かな場所にひっそりと咲く満開の桜。その満開の桜が風に吹かれて、はらはらと散っていく。そんな寂寞感溢れる様子をしっかりと描写している。そして、間奏のシンセサイザーの単音のフレーズが、その寂寞感を音で表現する。歌詞とシンセサイザーの単音で、人知れず咲いた満開の桜が、風に吹かれて散っていく寂寞感をリアルに表現している。この曲は絶品である。
僕は子供の頃から、ほとんど人通りも無い静かな場所に、ひっそりと人知れず咲いた満開の桜を見ると、なんだか心がジーンとして、言いようの無い寂寞感を感じる。青空をバックに風に乗ってハラハラと散る桜を見ると目頭が熱くなる。そんな「桜と寂寞感」を、この荒井由実の「花紀行」はリアルに表現している。僕は、この季節に、この桜の季節にピッタリな、この「花紀行」が大好きである。
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