フュージョン時代のロリンズ
テナー・サックスは、肉声に近い音色とブロウが特徴で、その音は時に心を揺さぶるものがある、と言われるが、それを思い出すと、決まって、ソニー・ロリンズが聴きたくなる。ロリンズのテナーは、いつの時代も、流行に流されることなく、ロリンズ独特のブロウを紡いできた。そのロリンズのテナーの基本的スタンスを確認できるのが、70年代、フュージョン時代のロリンズのブロウである。
ここに、ロリンズの『Don't Stop The Carnival』(写真左)というアルバムがある。1978年4月、サンフランシスコの「Great American Music Hall」でのライブである。1978年と言えば、ソフト&メロウブームが吹き荒れる、フュージョン・ブーム後期の真っ只中である。
パーソネルは、Donald Byrd (tp, flh) Sonny Rollins (ts, ss) Mark Soskin (p, el-p) Aurell Ray (el-g) Jerome Harris (el-b) Tony Williams (ds)。トランペットのドナルド・バードと、ドラムのトニー・ウイリアムスの参加が目を惹く。他のメンバーは、絵に描いたようなフュージョン時代の「純ジャズの雰囲気で演奏出来る」電気楽器野郎なんだが、トランペットのドナルド・バードと、ドラムのトニー・ウイリアムスの参加が、ロリンズを純ジャズの範疇に留めているようだ。
このアルバムの前半部分が凄い。このアルバムの「 Don't Stop the Carnival」「Silver City」「Autumn Nocturne」「Camel」の4曲でのロリンズのブロウは凄い。バックは、フュージョン時代の「純ジャズの雰囲気で演奏出来る」電気楽器野郎たちである。決して、純ジャズのビート&リズムでは無い。ノリは圧倒的にフュージョン。そんな中途半端なビート&リズムをバックに、ロリンズは悠然とエモーショナルなテナー・ブローを繰り広げる。
確かに、ペットにドナルド・バード、ドラムにトニー・ウイリアムスの参加が、ロリンズの「超越したフロー」を後押ししている。でも、そんな事情はお構いなしに、ロリンズは、ハード・バップ時代から一貫して貫き通した「ロリンズ節」をガンガンに吹き上げている。テナー・タイタンの面目躍如である。
特に冒頭の、ロリンズ十八番のカリプソ・ナンバー「Don't Stop the Carnival」のブロウが凄い。バックが、フュージョン時代の「純ジャズの雰囲気で演奏出来る」電気楽器野郎であろうがなかろうがお構い無し。テナー・タイタン・ロリンズが朗々と「ロリンズのテナー」を吹き上げていく。いやはや、鬼気迫る、フリー一歩手前の「限りなく自由な」ロリンズのテナーである。
ロリンズは、いつの時代もロリンズであった。ハード・バップ時代だろうが、モード命の新主流派の時代だろうが、フュージョン全盛時代だろうが、新伝承派の時代だろうが、ロリンズのテナーは、ロリンズのブロウは、ロリンズならではであり、ロリンズそのものであった。
確かに、このアルバムの後半は、フュージョン時代の「崩れハード・バップ」的な冗長な演奏が収録されてはいる。でも、このアルバムの前半の、ロリンズならではの圧倒的なテナー・ブロウが堪能できる部分の存在こそが、このアルバム『Don't Stop The Carnival』を、ロリンズのテナーの個性を愛でることの出来る「優秀盤」たらしめていることは事実である。
フュージョン時代のロリンズは、ロリンズがロリンズであることが出来る、ということを証明できた、素晴らしい時代である。この時代のロリンズを体験すると、ロリンズの偉大さが痛感出来る。ロリンズは、いつの時代も「ロリンズ」であった。
今日は朝から「とても」寒い日。どんより灰色の空、灰色の街。昼過ぎから、霙混じりの冷たい雨も降りだした。西東京では雪がちらついたという。厳冬の一日。心までが塞ぎ込むような厳寒の一日。嫌やなあと思っても、冬だから仕方がない。ポジティブに厳寒を愛でようと思い立つ。
曇り窓 透かしぼんやり 冬景色
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