年齢を重ねることによる円熟味
この2日間、いろいろバタバタすることがあってブログは臨時休業に・・・。まあ、事前告知無しの夏休みみたいな塩梅となってしまいました。いや〜まことに面目ない m(_ _)m。
他の音楽ジャンルに比べて、ジャズという音楽は、なぜだか良く判らないが、年齢を重ねることにより円熟味が顕著に出る傾向にある。若い時代は「テクニック」と「勢い」と「野心」にまかせて演奏することが多い。逆に、歳をとると「間の取り方」「余裕のある展開」「塩梅の良い感情移入」等々、若い時代には無かった、年齢を重ねることによる「経験の多さ」から来る、「味」とか「粋」とかの音のニュアンスを表現出来るようになるからだろう。
その「年齢を重ねることにより円熟味」を十分に感じることが出来るアルバムの一枚が、チェット・ベイカー(Chet Baker)の『My Favourite Songs - The Last Great Concert』(写真左)である。
若かりし頃は天才プレイヤーで、ルックスも良く、女にモテモテだったチェット。とにかく、上手かったし、アドリブのフレーズも天才的。しかし、麻薬と縁が切れなかった為、録音によって好不調のバラツキがあり、最高の演奏をコンスタントに残すことは出来なかった。
しかも、その麻薬癖がどんどん深刻になってゆき、1960年代から徐々に、チェットは第一線から消えていった。そして、1970年、マフィアから、トランペッターの命でもある「前歯」を抜かれるという仕置きをされるに至り、休業に至る。
しかし、 1974年に、ミュージシャン仲間や関係者の尽力により復活を果たし、1970年代半ばより、活動拠点を主にヨーロッパに移した。時に年齢は45歳を数え、この復活後のアルバムから、チェットは、ミュージシャンとしての「円熟味」を手に入れる。その最初の成果が『She Was Too Good To Me(邦題:枯葉)』である。それ以降のアルバムでの、チェットのペットは、その円熟味を強く感じることが出来る、実に「味」のある、小粋な演奏が魅力となった。
そのチェットのキャリアの最後を飾るライブ・アルバムが『My Favourite Songs - The Last Great Concert』(写真左)である。1988年4月28日、ドイツのライブハウス「Funkhaus」でのライブ録音盤。ちなみにパーソネルは、Chet Baker (tp, vo), Herb Geller (as), Walter Norris (p), John Schroder (g), Lucas Lindholm (b), Aage Tanggaard (ds)。
ストリングスをバックにした叙情的な演奏あり、適度なテンションの中、実に息のあったインプロビゼーションを聴かせるコンボ演奏あり、ビッグバンドをバックにしたゴージャスかつ迫力ある演奏あり、と演奏内容もバリエーション豊か。実に、内容充実のラスト・コンサートである。
とにかく、チェットの円熟味溢れるトランペットが素晴らしい。いつもながらに朗々と唄いながら、陰影、明暗、強弱、硬軟などを、演奏の中に、実に効果的に織り交ぜていく。実に味わい深いチェットのペットは、何時聴いても、実に「心地良い」ものがある。
テクニックについては、当然、若かりし頃の天才的テクニックには及ばない。でも、さすがに年齢の割になかなかのものを聴かせてくれる。ここでのチェットはテクニックと勢いで勝負する年齢のトランペッターでは無い。このアルバムでは、チェットのミュージシャンとしての円熟味を楽しむアルバムだと僕は思う。実に味わい深いチェットのペットである。
ジャケット写真を見ると、美男子だった若かりし頃とは似ても似つかぬ、シワシワのおじいちゃんとなってしまったチェットではあるが、そのシワと引き替えに、チェットは、演奏家としての「円熟味」を得たんだと思う。1988年当時、チェットは59歳。このシワシワのおじいちゃんの面影を「老醜」とみるか「人生の年輪」とみるかであるが、このアルバムの演奏内容を鑑みると、やはり「人生の年輪」と見るべきだろう。
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