『E.C. Was Here』とは ...
ロック・ギタリストの真価は「ライブ」で試される。スタジオ録音では、何度も録音し直すことが出来る。でも、ライブ録音は違う。
基本的には、録音し直しことは出来ない。ライブ録音した後、気に入らない部分を、後のスタジオ録音で差し替えたり、オーバーダビング(追加録音)はできるが、それでも、ライブ録音したベースの部分は取り直し出来ない。そういう意味で、ロック・ギタリストの真価は「ライブ」で試される。
大阪のお嬢から、John Mayerの『Where The Light Is:John Mayer Live In Los Angeles』を紹介された。これが「実に良い」。70年代ロックを専門に聴き続けている「耳」にも、このJohn Mayerのライブアルバムには脱帽である。素晴らしく魅力的なボーカルもさることながら、特に、エレキ・ギターを携えた「現代版ブルース・ロック」には目を見張るものがある。久しぶりに、今のロックの音を体感して、心から「感動した」。
このJohn Mayerの「現代版ブルース・ロック」を聴いていて、心の中に懐かしさが漂ってきて、いきなり聴きたくなったアルバムがある。1975年8月にリリースされた、Eric Claptonの『E.C. Was Here』(写真左)である。1970年代エリック・クラプトンの秀逸なライブアルバムである。
当時、1974年に『461 Ocean Boulevard』で、麻薬禍から立ち直り、レイド・バック路線まっしぐら。1975年3月には、レイド・バックしまくった『There's One in Every Crowd(邦題:安息の地を求めて)』をリリースするに至り、アルバム・セールスは当初期待通りにいかず、翳りが見え始める。
これでは「いかん」と思ったレコード会社。売れていた頃のクラプトン、つまり「ブルース・ロック」時代のクラプトンをイメージできる、「ブルース・ロック」中心のライブ・アルバムを画策した。それが『E.C. Was Here』。1975年8月急遽リリースされる。
僕の『E.C. Was Here』の初体験は高校2年生である。映研の部室で、「やっぱ、クラプトンはブルースやで〜」と、とある女の子から、このアルバムを借り受けた。当時、プログレ小僧だったので、クラプトンと言えば、レイド・バックのクラプトンしか知らない。しかも『レイラ』は未体験。この『E.C. Was Here』は衝撃だった。ギタリスト・クラプトンが、とにかく「格好良い」。
このアルバムのギターの渋さ、ボーカルの渋さにビックリ。「これがブルース・ロックなのか」と思った(正確に言えば、違うのもあるけど)。このアルバムを聴いて、ロック・ギタリストというもの、その真価は「ライブ」で試される。その真価は「ライブ録音」を聴かなければ判らない、と達観した(笑)。
まあ、今の耳で聴き返すと、このライブ・アルバムの充実度は、クラプトンだけの手柄ではない。サイド・ギターのGeorge Terry、サイド・ボーカリストのYvonne Elliman、ベーシストのCarl Radle など、クラプトンを盛り上げるバック・バンドの功績が大である。特に、サイド・ギターのGeorge Terryは凄い。かなり、クラプトンを「食って」いる。
ジョン・メイヤーは彼一人で凄いんだが、クラプトンはバック・バンドの協力あってのこと。でも、この『E.C. Was Here』は、実に内容充実の、ロック・ギタリストが主役の、秀逸な内容を誇る「ライブ・アルバム」であることは確かである。
しかし、タイトルの『E.C. Was Here』とは「言い得て妙」。クラプトンは、この売れ筋だった「ブルース・ロック」路線には戻ってこなかった。レイド・バックしすぎた路線を修正しながらも、基本的にレイド・バック路線をひた走り、1980年代、MTVの時代には、AORでビジュアルな路線に転身。「アンプラグド」にまで手を染める。
でも、クラプトンの本質は、やはり「ブルース・ロック」路線だと僕は思う。「ブルース・ロック+スワンプ」こそが、ザ・バンドに憧れたクラプトンこそが、クラプトンの本質だと僕は思う。もう一度、バリバリ「ブルース・ロック+スワンプ」なクラプトンが弾きまくるエレギを、心ゆくまで聴き倒したいものである。
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