The Facesの最終作『Ooh La La』
The Facesのアルバムを、ファーストアルバムから、ズ〜っと聴き進めてきて、最終作の『Ooh La La』(写真左)である。1973年のリリース。彼らのオリジナル・アルバムとしてはラストの作品。
前作『馬の耳に念仏』で、The Facesの最高作をものにした訳だが、グループ・サウンドとして、バンドとして、The Facesは、この最高作『馬の耳に念仏』をものにしたお陰で、彼らとしては避けがたい「決定的な問題」を残すことになった。
で、この『Ooh La La』である。収録されている曲それぞれは、まずまずの出来ではある。しかしながら、アルバムとして聴き通してみると、前作で浮き彫りになった課題は、やはり解決するつもりもなく、その課題をそのまま引きずった形で、アルバム作成となっている。
ロッドのボーカルを取った曲と、それ以外の曲とのギャップが実に激しい。それぞれ分けて聴く分には、まずまずなんだが、一枚のアルバムに収録してみると、その曲想、演奏の違いが明確すぎて、アルバム全体としては散漫な印象はぬぐえない。
特に、このアルバム作成の時期、ロッドはソロ活動の方が忙しかったらしく、「Cindy Incidentally」などを聴くと、良い曲、良い演奏なんですが、なんだか全体の作りがラフで、もう少し丁寧に作っておれば、と残念に思う曲が多々あります。「やっつけ仕事」的な内容なんですよね。特にロッドがボーカルを取った曲はそう。
逆に、「Glad and Sorry」のような、英国のトラッド・フォーク、フォーク・ロック路線を優しく歌い上げるロニー・レインなどは、確かに、英国のトラッド・フォーク、フォーク・ロック路線としては良いんですが、前作の『馬の耳に念仏』で確立したフェイセズの個性とは全く違う路線なので、これはこれでどうなんだろうと思う。
「やっつけ仕事」的雰囲気を「良い意味でのラフさ」と見るか、ロニー・レイン中心の英国フォーク・ロック路線をいきなり付け足したことを「バンドとして音の広がりが出た」と見るか、ですが、アルバム全体の作り込み感は弱いですし、英国フォーク・ロック路線の曲では、ほとんどロッドは目立ちません。
グループ・サウンドという観点、グループの音楽性という観点から見ると、このアルバムは「バラバラ感」が強い、ちょっと散漫な印象を受けるアルバムです。個々の演奏、個々の曲を見ると、なかなかの出来なので、実に惜しい。
このアルバムで、フェイセズとしての活動に終止符を打ったということは十分に理解できますし、ロッドが、音楽誌に『Ooh La La』を「あまり良い出来ではない」と評したコメントを発表し、他のメンバーはそれに憤慨した、というエピソードも理解できます。
ロック・バンドの発展、維持って難しいもんやなあ、とフェイセズのアルバムを通して聴く度に思います。これだけのメンバーが一同に会しながら、最高作にして、バンドの実力も持ってしても、解決出来ない課題に直面し、そのままバラバラになって空中分解していく。特に、フェイセズの場合、後から参入してきたロッドとロンの力量が他のメンバーを圧倒していたことが問題といえば問題だったんでしょうね。
決して悪い出来ではないんですが、グループ・サウンドという観点、グループの音楽性という観点から見ると、このアルバムはちょっと残念な結果になっている。何度も言うけど、個々の演奏、個々の曲を見ると、なかなかの出来なんです。個々の演奏、個々の曲を中心に見ると「佳作」でしょう。でも、フェイセズというバンドの成果として見ると「最終作も仕方ない」と、ちょっと寂寞感の残るアルバムです。
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